目線をあげろ、そんな近くを見てどうする。自分の行く先に顔を向けるのだ

04.老竜使い

 ありったけのご馳走と、カピタルじゅうの大人達から祝福を受けた次の日、ウィルはレオン・セルゲイのもとへ向かった。

 鞍と手綱をつけたエヴィーを連れているのはともかく、ハルまで同行していた。どうしても付いていくと言うのを断れなかったのだ。

 いや、どちらかといえば、ありがたかった。ウィル一人でセルゲイのもとへ行くのは気が重かったのだ。

 セルゲイのテントは森から離れた村はずれにあった。

 通いなれた学校からしばらく歩くと、年季が入ったぼろぼろのテントが見えてきた。テント布から突き出した支柱に、煤(すす)だらけのランプがぶらさがっている。脇には樹皮がついたまま釘打ちされたテーブルと、切り株を転がしただけの椅子が、砂にまみれていた。テーブルの上に洗っていない皿やカップが残っている。

 セルゲイが飼っている竜は見当たらなかった。フィブリンという名で、図体が大きいオーエディエン種だ。セルゲイのパルヴィス種竜は、森を発見する前に死んでしまったと聞いていた。

 フィブリンはエヴィーよりおとなしく、さらに臆病だった。子どもたち相手でさえ怖がって鳴いた。子どもたちはしばしばセルゲイの留守をみはからって、フィブリンを枝でつついたり指笛をふいたりしてからかった。

 悪戯(いたずら)はめったに見つからなかったが、運悪くセルゲイが帰ってきて捕まったときには恐ろしい仕置きが待っていた。幼かろうがが女の子だろうが容赦はない。あのマカフィなど、テントの支柱にくくりつけられ、ゴウゴウ響くいびきを一晩聞かされたらしい。すぐ後ろにセルゲイがいることに気づかないで、フィブリンの鼻の穴をペン軸でくすぐり続けた罰だった。

 ウィルはテントに近づいて中をうかがった。小さいテントだったが、いるのかどうかわからい。寝ていればいびきが聞こえてくるだろうに、なにも聞こえない。

 仕方なく入口の布を巻き上げようとしたとき、不意に後ろから声がした。

「なんだ、なにをしに来た?」

 二人はとびあがって振り返った。セルゲイが杖に寄りかかり、不機嫌そうな顔で立っていた。

「あの、竜の乗り方を教えてもらいに来ました」

 ウィルは言って、急いで付け加えた。

「ディム・ガランから聞いていませんか」

「聞いている」

 セルゲイの機嫌は直らない。まるで、昨日も一昨日も同じ用件で客が来てうんざりしているといった口調だ。

「まあ、おめでとうと言いたいところだが、それがお前だというのが気にくわん」

 ウィルは首を縮めた。何を隠そう、ついこのあいだまで率先してちょっかいをだしに来ていたのがウィルだった。フィブリンをいじめるつもりはなく、おっとりした巨大な竜が、子どもを相手にくしゃみをしたり体を揺すったり反応してくれるのが嬉しくてやったのだが、悪戯には違いなかった。危うくセルゲイに捕まりそうになったことも数知れない。マカフィのようなドジはふまなかったが、目をつけられていることは確実だった。

「ウィルは、ちゃんと試験にパスしましたよ」

 横からハルが口をはさんだ。

「自分のペットでないからといって、気の弱い竜をからかうヤツに、乗る資格はないんだがな」

 セルゲイは苦々しげだったが、ハルの言葉にはおだやかに答えた。ハルは一度もフィブリンをからかったことがないし、他の子たちの悪さを止めるほうだった。セルゲイはそのことを知っているに違いない。

「フィブリンは、今日はどこへ?」

 ハルが聞いた。セルゲイは気遣わしげに横を向いた。

「ちょっと体調を崩した。グレズリーのところに預けてある」

「グレズリーさんのところに?」

「そうだ。そういえば、」

 そこでハルに向き直って、聞いた。

「おまえは奴のところで働くのだったな」

 セルゲイはハルの背格好を眺めた。

「奴のところの仕事は、きついぞ」

「僕、平気です」

「ハルは、大丈夫です」

 二人は同時にきっぱりと答えた。セルゲイは二人の顔を見回した。なにか言いたげだった。

 しかし言葉をのみこむと、ウィルに向き直った。

「よろしい、で、竜の乗りかたを教えて欲しいんだな」

 ウィルはセルゲイが笑うのを初めてみた。唇をひきつらせる、いやあな気分にさせる笑いだ。

 不安は加速した。こんな顔をされるくらいなら、いつもの不機嫌づらで怒鳴られているほうがましかもしれない。なんだか、鍋に放り込まれフタをされたような気がしてきた。

 セルゲイはテントに入り、すぐに何かを持って出てきた。手に握られているのは、紐を通した小さな鳴き笛だ。

 そしてエヴィーの手綱を取り、村の外の砂漠へと続く柵に導いた。

 森の端は、背丈の低いやわらかい下草が密生する緑がある所まで続き、突然 砂漠の黄色がくっきりと置きかわっている。ちょうどその境い目に、定住区域を示す柵が立ち巡らされていた。セルゲイは柵の一端をつかみ、外に押し開いた。黒い留め金の、錆(さび)がこすれる音がした。

「ウィリアム、来なさい」

 柵の外にエヴィーを連れ出すと、セルゲイは顎をしゃくった。急に師匠面しだしたなと癪(しゃく)に障ったが、彼の様子はかえってウィルの緊張を解いた。

 ウィルがエヴィーのそばに進み出ると、セルゲイは後ろ手で柵を閉めた。ハルは柵の内側から、ひとつも聞き落とすまいという顔で、こちらを見ている。

「まず、竜に乗る」

 セルゲイは、まじめくさって言った。

「はい」

 ウィルもまじめに答えて、昨日と同じようにエヴィーにまたがった。

「ほう、なかなか手ぎわがいいな。では、手綱をつかめ。足を軽く曲げて竜の脇腹にあてろ。もう少し膝を曲げて……そうだ」

 鞍は父親のものだったので、ウィルには少し大きかった。自分の股よりカーブの造りが大きく、足をぴったりとエヴィーの脇腹にあてようとすると、太股がわらいそうになる。

「セルゲイさん。俺……」

 ウィルは、どう言ったものかとためらった。しかし、セルゲイはなにが起きたのかわかったらしい。フンと鼻をならして、柵にもたれていたハルに言った。

「ハルミ、わしのテントに入って、緑色の皮袋を取ってきてくれ。ウィルの股が裂ける前にな」

 ハルはテントに飛んでいった。

 ウィルはいよいよ火にかけられた竜ヒレ肉の心境になってきた。得体のしれない物を持ってこさせて、いったい何をする気だろう。竜使いになった誇らしい気持ちは股が痛いくらいで飛んでいってしまうものなのか。セルゲイの表情は、いままでの悪ふざけを後悔させるのに十分だった。

 ほどなく、ハルが薄汚れた皮袋をかかえて走ってきた。セルゲイは柵越しに皮袋を受け取ると、口紐を手早くほどいた。

「これで足が楽になるだろう」

 中から取り出されたのは、使い込まれた鐙(あぶみ)だった。片手で杖を器用について、セルゲイはあっというまに鐙を鞍にくくりつけ、エヴィーの両脇に垂らした。足を鞍から垂らすと、鐙はブーツをすぽりと包む位置に据えられている。

「脇腹を蹴る時は腰をうかせろ。鐙をつかえばうまく踏んばることができるだろう。そうすると、かかとが今の位置より少し後ろに下がる。そこをスパイクで蹴る。わかるか?」

「はい」

 ウィルはセルゲイを疑ったことを反省した。彼は相変わらずにこりともしなかったが、今は、新しい竜使いの誕生を手助けしようと情熱をそそぐ先生の目をしていた。

 セルゲイは続ける。

「脇腹を蹴れば、竜は歩き出す。いきなり強く蹴るなよ。進んで欲しいという気持ちがあれば、合図ていどでいい。背筋を伸ばせ。動きに備えて、前に身体を傾けろ。よし、そうだ」

 ウィルは言われた通りに脇腹を蹴った。

 エヴィーはゆっくりと歩き出した。セルゲイが杖をつきながら横に並んだ。

「目線をあげろ、そんな近くを見てどうする。自分の行く先に顔を向けるのだ。手綱は腰の位置にひきよせて、拳をからだに触れるように置け。それでマスターの動きはすべて竜に伝わる。よし、それでいい。身体を少し右へ向けろ。全体をだ。向いた方向に、竜が歩くだろう。からだをひねるんじゃない。自分の進む方向を正面にするんだ」

 エヴィーはゆっくり右へ旋回した。大きく輪をかいて、一度背にしたセルゲイのテントが正面に見えてきた。柵にもたれ見物しているハルの顔が、賞賛で輝いている。

「よし、そのまま手綱を胸の位置に引け」

 手綱をくいと引き上げる。エヴィーがぴたりと静止した。

「ふむ、なかなか」

 セルゲイは満足そうだった。ハルが歓声をあげた。

 ウィルは感激でぼうっとなっていた。エヴィーが大地を踏みしめる振動といっしょに、竜使いになる実感がふくれあがっていた。訓練はまだ始まったばかりだ。しかし自分よりはるかに大きく力強い生き物が、心のままに動き手足となってくれる奇跡を、全身で感じていた。

「ウィリアム、やることはまだまだ残っているぞ」

 セルゲイの言葉で我にかえった。

「まだほんの序の口だ。次は、もう少し強く蹴ってみろ。足並みが速くなる。身体が揺れないように、よく準備しろよ。さあ、始め」

 先ほどより強く脇腹を蹴った。エヴィーは今度は大人の小走り程度の速さで進み出した。もう一度蹴ると、さらにスピードがあがった。

「そうだ、小刻みに蹴って速さを調節しろ。速すぎたら手綱を軽く引く。あんまり頻繁に引くなよ。せっかちに動きを止めると、竜がいやがるからな!」

 しだいに大きな円をかきだしたエヴィーに、セルゲイは追いつけなくなった。彼は円の中心に立って、ウィルのほうに向かい大声をだし始めた。

 絶好調だ。

 だんだんと、蹴る強さとエヴィーの足並み具合が呑みこめてきた。ウィルは手綱をできるだけ引かないように、微妙な加減を守って鐙を使った。エヴィーも上機嫌らしく、ときどきグルグルと喉をならす音が聞こえてくる。

「よし、よし! 戻ってこい!」

 セルゲイが叫んで、手を鳴らした。

 ウィルはエヴィーの向きを変え、セルゲイに向かって真っ直ぐ走った。彼の目前で急停止し、地面へ飛び降りる。セルゲイは無駄のないウィルの動きをじっと見守って言った。

「ウィリアム、君はなかなか優秀だ。サムはいい息子をもった」

 控え目な言い方だったが、ウィルには最高の誉め言葉だ。セルゲイは自分の息子に対するような顔つきをしていた。

 ウィルはサムが話してくれたレオン・セルゲイの英雄談を思い出した。今なら、覇気にあふれた彼の若いころの姿が、はっきりと目に浮かぶ。

「今日は、早足でやめておこうと思っていたが、これなら次へ進めるだろう」

 セルゲイはそう言うと、先ほどの笛を取り出した。

「竜に複雑な動きをさせるには、笛を使う。普通は生れて半年以内にマスターが調教するものなんだが、この竜はサムが乗っていたからな。今から新しく覚え込ませるわけにはいかない。わしがサムの吹き方を覚えているから、それを真似するんだ。いいか」

 セルゲイは笛をくわえると、ヒョウヒョウと上から下へ流すように二度ならした。

 そのとき、後ろから声があがった。

「エヴィー、おいで!」

 二人は驚いて振り替えった。ハルが、白い歯を見せて笑っていた。

「そう、これは『来い』の合図だ。知っていたのか」

 セルゲイが感心したという声音で言った。

「ハル、よく覚えていたなあ」

 ウィルも同感だった。ハルは待ちきれずに柵を開けて走り寄ってきた。

「僕、おじさんが吹いているのを何度か聞いたよ」

 確かに、サムは二人の前で笛を吹いたことがあったかもしれない。しかしウィルもはっきりとは覚えていなかった。ハルの記憶力はときどき周囲を驚かせたが、それにしても合図の内容まで覚えているなんて。

「ハルミ、ほかの合図を覚えているかね?」

 セルゲイが興味深げに聞く。ハルは首を横に振った。

「いいえ、聞いたことがないから」

 覚えていないのでなく、聞いたことがないというのは、ハルらしかった。

「まあ、そうだろう。他の合図は村の中でするようなものではないからな」

 セルゲイはウィルに向き直った。

「とりあえず、『来い』からやってみろ。初めの一歩というだろう。これが出なければ、話にならん」

 ウィルは笛を受け取って裾でちょっと拭ってから、口にくわえた。ふっと吹いても、息が漏れる音しかしない。

「コツがいるんだ。口を横にひけ、指笛を吹くときみたいにな。唇を少し重ねて、息を速く吹く。そうだ、そこに笛をくわえてみろ」

 もう一度吹いてみた。ピイと鳥が鳴くような音がした。

「よし、そんな感じだ。唇を調整すると、音の高さが変わる。音が変わるようになったら、上から下へ伸ばして吹けばいい」

 何度か吹いてみると、ほどなくピイという高い音は簡単に出るようになった。しかし微妙な調整が難しく、なかなか低めの音が出ない。ときどき自分への合図に聞こえるのか、エヴィーが横でそわそわ足踏みした。

「うむ、すぐには無理だ」

 腕組みをして聞いていたセルゲイが、しばらくして言った。ウィルは唇がしびれて、しまいにはピイもでなくなってしまった。

「宿題だと思って練習しておけ。しばらくは村の近くを回るんだから、笛がいるような走り方はしないだろう。一応、他の合図も教えておくからな」

 セルゲイはウィルから笛を取り上げると、もう一度口にくわえた。そして、アクセントの強い音でピイイと甲高く鳴らした。

「これが、ダッシュだ。危険なときや、大きくジャンプしたいときに使う。全速力だから長くはもたんぞ。肝心なとき以外は鳴らさんほうがいい。まあ、エヴィーは歳が歳だから、全速で走っても普段とあまり変わらん。あてにしないほうがいい」

 次に、ヒュウ・イイと下から上へ掻き揚げるように鳴らした。

「わかったか?この音は重要だ。この笛は、息を吸っても音が出る。まず低く鳴らして、竜が力をためる。それから息を吸う高い音で、一気に踏み切ってジャンプする。助走が速ければ、信じられないほど遠くまで跳べるぞ。タイミングを合わせないと、竜が転ぶからな、よく練習しておけよ」

 ウィルはハルと顔を見合わせた。テントぐらい図体の大きい竜が転ぶなどと簡単に言われても、にわかに信じられなかった。

 セルゲイは二人の疑わしそうな目つきを見て、口をへの字に曲げた。

「なんだ、わしが嘘をついているとでも言いたげだな。ことわっておくが、竜は下手なマスターの言いなりになるほど馬鹿な生き物ではない。そういう意味では、笛でしくじっても簡単に転んだりはしない。だがな、本当にマスターと一体になった竜は、マスターが出した指示どおりに動く。それが自分にとって危険な命令でもだ。まあ、そんな境地にお前が到達できたら、の話だが」

 セルゲイはまた鼻で笑った。

 ウィルはむっとした。セルゲイのことを親切だと思い直した気持ちは、ふきとんでしまった。

 セルゲイは笛を投げてよこして言った。

「まあ、しばらくは村のまわりでゆっくり練習するんだな。残りの合図は、三つができるようになってからだ」

 そして杖をつきながらずんずん帰り始めた。

 二人はエヴィーの手綱を取って後を追いかけた。セルゲイはいつもの取りつくしまのない様子に戻ってしまった。

 しかし彼は、柵の手前でふいに振り返った。さきほどの憎まれ口が嘘のように、真剣な表情で。

「ウィリアム、焦らなくていい。エヴィーを大事にしろよ」

 そう言って、無言の二人に再び背を向け、テントへ戻っていった。

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