03-3.成人の報告

 陽は少し傾き、部屋はかすかにオレンジ色に染まっている。

 カップの中には、竜の乳を発酵させたミード酒が満たされていた。働く大人達だけに許される酒だ。もちろんウィルとハルには初めてのものだった。

 三人はハヴェオが退室するのを待って、カップに口をつけた。

 ミードは予想していたより、もっととろりとして、すぐに手足の先まで香りと味が広がっていくようで、素晴らしかった。

 ハルがたまらずに、呟いた。

「おいしい! ……こんな味、はじめてだ」

 ウィルもうなずいた。どんな味か、と聞かれても、わからない。知らない味だった。

 様子を見守っていたガランが、得意げに言った。

「どうだね? 昨日完成したばかりの、森の味入りミードだ」

「森の味?」

「森への入り口近くに、丸い葉の草のトンネルがある、それの根っこを絞って煮詰めると、こんな味ができた。これは一大発見だと思わないかね?」

 二人は何度もうなずいた。 これを味わっただけでも森を見つけた価値は充分ある、そう思わせる魔法の味だった。ウィルが言った。

「この味、なんて呼べばいいんだろう?」

「ずうっと昔、首都では、こういう味を『甘い』と呼んでいた・・・しかし、皆にとっては新しい味なのだから、新しい名前をつけて呼んでもいいね」

 ガランはそう答えて、二人が夢中で一気に飲みほしてしまうのを嬉しそうに見つめていた。

 二人がカラになったカップを置くと、彼はハルに向き直った。

「さて、次はハルミ、君のこれからのことを話そう。君は体のこともあるし、あまり激しい仕事にはつけまい。たしか、クラスはDだったと思うが」

「Eです」

 ハルは小さく答えた。

 カピタルの住人は、誕生してすぐに抗体クラス検査を受ける。環境に適応する能力がどれほどあるのかを調べる検査だ。AからEまでの五段階で、クラスが低いものほど病気になりやすかったし、体に負担のかかる作業はできなかった。

 マリー・ペドロスがいうには、病気の原因をみずから取りのぞく力は、ほとんどの人間に備わっていた当たり前の基本能力だそうだ。だが首都生活でその力は無意味になったので、しだいに退化してしまったという。たいていのカピタル人はBかCで、Aクラスは滅多にいない。

 ウィルは、その貴重なAクラスだった。ハルのEクラスからすれば、体だけは心配なしと太鼓判を押されたクラスだ。もっとも教師のネイシャンには、抗体クラスと成績クラスを入れ替えろと、ことあるごとに言われたが。

 ガランはハルの気持ちをつつむように優しく言った。

「ハルミ、体が丈夫かどうかがすべてではないよ。君は頭もいいし、なにより人を惹きつけまとめる力がある。希望する仕事があるかね? 私は、マリー・ペドロスの仕事を手伝うか、この村の運営を支えてくれる仕事に就くのがよいと思うが」

 ガランは、ハルに騎乗試験にパスしたかを聞かなかった。

 おそらく彼は、これまでも、十四歳になった大人達に、一度も聞いたことはないだろう。独り立ちする希望を持つべき者達には。

 ハルは首をかしげて考えていた。自分の軽く麻痺した右手を見ながら。

 しばらくして、ゆっくり口を開いた。

「ガラン殿、」

「ガランでよい。『殿』は一回きりでよいのだ」

 二人は笑った。緊張がふっとほぐれた。

「ガラン、僕は、自分の体のことを、ちゃんとわかっているつもりです。無理な仕事についても、かえって迷惑をかけてしまうと思います」

 ハルは言葉を切った。彼は、目の前に示された道が満足できるものか、慎重に見極めていた。ガランは黙って次の言葉を待った。

「……でも、僕は、ウィルにできるだけ近いところにいたいんです。できるだけ、竜にかかわる仕事をしたいと思います。竜使いになれなくても」

 ウィルは彼の竜への愛着を、痛いくらいに感じた。

 ガランは鬚をさわりながら、しばらく考えていた。窓から差し込む日差しが、薄雲に遮られてかすかに弱まった。ハルはミード酒のカップを握り締めた。

 ガランが閉じた目をゆっくりと開いた。

「グレズリーが、そろそろ助手が必要だと言っていた……」

「グレズリーさんが?」

 ハルがせき込んで訊ねた。

「そうだ。竜の世代交代も一巡したし、次の組み合わせを考えねばならんとな」

 窓から、雲を晴らした陽光が強く差し込んだ。

「ぜひ! ぜひお願いします!」

 思いがけない提案だった。

 竜のカップリングと流通を一手に引き受けるグレズリーのところなら、飽きるほど竜の世話ができる。ハルにとっては、これ以上ないポジションだった。

「そのうち、ウィリアムにも新しい竜が必要になる。グレズリーのところにハルミがいれば心強いだろう、どうかね?」

 ガランも自分の提案が気に入ったようだ。目を細め、満面の笑みで握手する二人を眺め、椅子にふかぶかと身をもたせた。

「さあ、そうと決まれば、もう心配することはない。ゆっくりしておいき。今日は良い日だ。新しい開拓者が二人も生れた。今に、みながお祝いにくる」

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