第58話:もうすぐ

 あれだけいたモンスターが一匹残らず消え去った。

 だだっ広い第十二階層にはどこからともなく吹き込んでくる風の音が鳴り響くのみで、先ほどまでの騒がしさがウソのように静まり返っている。

 出来ればこのまま、フロアのどこかにいる杏奈先輩を助け出して帰りたいところだけど……。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!

 

 やっぱりそう簡単には終わらせてくれないらしい。

 突然フロアの中央に丸い舞台が現れたかと思うと、私たちのいる高台からそこへと降りる石の階段が現れた。

 

「あそこで戦えって事かしら?」

「ホント、最後までゲームみたいなダンジョンなのですよ」


 ちょこちゃんの呆れ声に苦笑しつつ振り返る。

 

「行ってこい。お前たちがラスボスを引き出したのだ。最初に戦う権利はお前たちにある」


 高千穂さんがいつものポーカーフェイスに戻って、頷きながら言った。

 

「おう、とっとと行って、とっとと負けてこい。仇はうちらが取ったるから安心せえや」


 タイガーさんが腕組をしながら不敵な笑顔を浮かべて、私たちの背中を押す。

 アリンコさんやその他万女・大泉の皆さんは無言ながらも、その笑顔が「頑張って」と語りかけている。

 

 ついにここまで来た。

 杏奈先輩と学校を異世界ダンジョンに奪われてからここまで、挫けずにやって来たと言えばウソになる。

 途方に暮れたり、逃げ出したかったり、諦めかけたりもしてきた。

 だけど、私たちは今、ここにいる。

 誰一人欠けることなく、ううん、どんなに苦しい状況でも頑張ってみんなで乗り越えてきたから、ここに辿り着くことが出来たんだ。

 

 それも残すはあと一戦だけ。

 血液魔法の使い過ぎで少しふらふらするけれど、ここはもうひと頑張りしなきゃね。

 だってその先に私たちが目指してきたものが待っているんだから。

 

「それでは行ってきます!」

 

 気合を入れなおして、階段を降りていく。

 さぁ、ついにラスボス戦だ!


 

 

 決戦の舞台に降り立ち、気付いたことがふたつあった。

 ひとつは結構風が強い。

 どこから吹いてくるのか分からないけど、風がぴゅーぴゅーと吹いて周りの砂を巻き上げていた。


 そしてその砂、これが不思議なんだ。

 私たちが立っている直径十メートルほどの舞台は、それまでと変わらない普通の地面。

 ところがその周りは広大な砂の海が広がっているの。

 砂浜、じゃなくて、砂の海。

 だって文字通り、砂が海のように波を立ててうねり、時折舞台の淵に大きな波が押し寄せては水しぶきならぬ砂しぶきをあげているんだもん。

 

「すごいー! まるで砂が水みたいになってるぅー」


 文香先輩が感心した声を上げたその時だった。

 砂の海の中から、ざばんと波を上げてついにラスボスが……。

 

「って、あれ!? あの黒い煙の奴と違う!」


 思わず叫んだ。

 だっててっきりラスボスはあいつだって思ってたのに、出てきたのは羽が生えたウミヘビのような奴だったんだもん。

 あ、でもよくよく考えたら、第一階層のボスも私たちが戦った騎士タイプのそれとは違っていたし、ラスボスが違うのも当たり前なのか!?

 

「でもあいつ、体の周りに黒い煙のようなものを身に纏っているですよ」

「じゃあ黒い煙の進化系ってこと?」

「そうかもしれぬでござるが、しかし、この状況はかなり……あ、来るでござるよ!」


 ウミヘビが魚の鱗のような光沢を放つ羽を広げ、細長い口を大きく広げる。

 と、同時にその背後に巨大な砂の波がぶわっと盛り上がり、こちらに押し寄せてきた!

 津波、しかも砂の津波だ!

 

「やばい! 私たちを押し流すつもりだわ!」

「舞台から落ちちゃったらどうなるのぉ?」

「拙者も分からないでござるが、固まっていない砂は蟻地獄のようなもの。下手したら二度と上がってこれないかもしれないでござる!」


 わっわっ、それは大変!

 

「えいっ! 防波堤!」


 と言ってもいつもと変わらない、お馴染み土の壁なんですけど。

 でも名前は変わっても、その絶対的な信頼は変わらない。今回も見事に砂の津波を防いでくれた。

 

「あ、ウミヘビが逃げた!」


 初手が不発に終わったのを見て早速作戦を変更するのか、ウミヘビが砂の海の中へと潜っていく。

 

『ウミヘビじゃラスボスとして格好がつかないじゃないですかー。こちらからも正体は不明となっていますが、決戦を盛り上げるためにもあいつのことはリヴァイアサンと呼ぶことにしまーす!』

「リヴァイアサン? てことは水属性なのですかー?」

『残念ですがちょこ指令、属性も不明デース! てへ』


 てへ、じゃないよ、小春ちゃん。そこ重要なとこ!

 

『でも、あいつがラスボスなのは間違いありませーん! だってあいつ――リヴァイアサンの中に杏奈さんの存在が確認されたそうですよー!』


 その名前を聞いて、みんなが一斉にお互いの顔を見合わせた。

 やっぱりあいつがラスボスなんだ。

 だったら絶対――なにがなんでも絶対に倒す!

 

「しかし、あちらが自由に攻撃できるのに対して、この足場ではボクたちが取れる攻撃は限られてしまうね。何とかならないかな、ちょこ君?」

「そうですねー。ちょっと千里、土魔法であの砂の海を何とか出来ないですかー?」

「そうだね、やってみる!」


 血液は少なくても、魔力はまだまだいっぱいある。

 土魔法ならいくらでも使い放題だ。

 狙いはこちらの選択肢を広げること。つまり土魔法で砂の海を固めてしまい、こちらの足場を広げること!

 

「そりゃ!」


 杖を地面に押し当てて魔力を開放した。

 ところが。

 

「あれ? おかしいな? えいっ! えいっ!」


 私は何度も杖を地面に突き刺して、魔法の発動を試みる。

 ところが何故か砂の海には何の変化もない……。

 

「うおっと!」 

 

 それどころかボスがトビウオの如く砂中から飛び出して、魔法に集中していた私を襲ってきた。

 すかさず友梨佳先輩が盾で直撃を防いでくれたからよかったものの、あんなのに噛みつかれたら抵抗する間もなく砂の中へ引きずり込まれそう。

 てか、噛みつき攻撃とか、そんなの水龍リヴァイアサンのやることじゃないよ。やっぱりこいつはウミヘビで十分だな、うんうん。

 

「今のは危なかったでござるな。気を付けるでござるよ」

「うん」

「でもぉ、困ったねぇ。便利な土魔法が使えないとなるとぉ、やっぱりこの限られた範囲でしか戦えないしぃ」


 一応、私や文香先輩は身体を浮かす魔法を使えるけれど、攻撃を担う前衛陣にはそんな無駄な魔力を使う余裕はない。


「うーん、だけどいくら水みたいでも土には変わりないんだから、普通に考えたら土魔法が使えるはずじゃないかな?」

「それはどうでござろう。相手はラスボスでござるからな。土に見えてホントは違うのかも――」


「分かったのですっ!」

 

 その時、つむじちゃんの声を遮って、ちょこちゃんがいきなり大声を上げた。

 

「びっくりしたぁ。なによ、分かったって何が分かったのよ、ちょこ?」

「決まってるですよ。ラスボスの属性なのです」

「まぁ普通に考えて土じゃないの。千里の土魔法が砂の海に効かないのも、ラスボスの支配下にあるからと考えたら辻褄があうし」

「ふっふっふ。そう考えるのが素人の浅はかさなのですよ」


 素人と言われて、彩先輩がむぅと頬を膨らませる。

 もちろん、ちょこちゃんも彩先輩が素人だなんて思ってはいないだろう。ただの言葉のだ。

 

「あいつの属性、それは水なのですよ!」

「水? どうしてそうなるんだい?」

「まずは砂の海という異常な状況です。こんなことが出来るのは普通なら土属性と思うじゃないですか。でも、それなら千里の土魔法が効かないのはおかしいのです。だって千里の魔力は常識では考えられないバカ魔力なのですから」

「バカ魔力って……もうちょっと別の言い方ないかな、ちょこちゃん!?」


 今度は私がぷぅと怒る番。


「てことは、既に砂を別の属性に変えて扱っている可能性が高いのです」


 でも、彩先輩の無言の攻撃にもひるまないちょこちゃんだ。私が何を言ったところで止めることなんてできるわけがないんだよね。

 

「なるほどぉ。つまりラスボスは砂を水に変えている、だから水属性ってわけだねぇ。さすがはちょこちゃん、かしこーい」

「文香先輩、美味しいところを持って行っては困るのですよー」


 もっともそのちょこちゃんも、天然の文香先輩には敵わないんだけど。

 

「てことは、水属性のあいつに効くのは火属性。つまり強力なファイアーボールをぶつければ」

「そうです、勝てるのです。おそらく千里の血液魔法の直撃なら一撃。仮にそれに耐えたとしても、ファイターの彩先輩の属性は火なのですから、とどめを刺すのは時間の問題なのですよ」




 使える血液魔法はあと一発だけ、決して外すことは許されない。

 ましてや舞台はダンマス最終戦だ。天国と地獄が背中合わせとあっては、その使用にも慎重になる。


「来たですよっ!」


 だけどラスボスことリヴァイアサンの猛攻に耐えることニ十分弱、ついにその時が来た。

 こちらの疲労ぶりをチャンスと見たのか、再びリヴァイアサンが全身を現して口を大きく開く。

 その背後に先ほど以上の砂の大津波が現れた。

 

「今なのですっ!」


 ちょこちゃんの合図とともに渾身の力で杖を振るう。

 狙うはリヴァイアサンの開いた口の中。

 そこへ灼熱のマグマが煮えぎった超高温、超高圧のファイアーボールを叩き込む!


 放った瞬間、急激に体の中から血が抜き取られるのを感じて、立っていられなくなった。

 たまらずぺたんと尻餅をついてしまう。

 ただお願いだから外れないでと祈りながら、顔だけは必死にあげてファイアーボールの行方を見守った。

 

 

『やりましたーっ! 相田選手、会心の一撃がリヴァイアサンの口を直撃ィ!』



 小春ちゃんのアナウンスが轟き、一瞬の間を置いてから、歓声がどっと上がった。

 みんなと、それに高台から見守っている万女と大泉の人たちだ。


「やったでござるよ、千里殿!」


 つむじちゃんが抱き着いてくる。

 その勢いを受け止めることが出来ず、押し倒されてしまった。

 

「だ、大丈夫でござるか、千里殿!?」

「あ、う、うん、大丈夫大丈夫。ちょっと血が足りなくて力が入らないだけだから」


 もちろん、本当は力が入らないだけじゃなくて、頭もぼんやりするし、吐き気もする。

 だけど今の一撃で全てが終わり、これまでの努力が実った大団円だと思えば、多少の気分の悪さなんてどうってことなかった。

 

 リヴァイアサンの口の中に入ったファイアーボールはじきに大爆発を起こす。

 その威力はたとえラスボスと言っても一撃で倒せるほどのもの。爆発して霧散するラスボスの代わりに現れるのは、半年以上前に囚われてしまった杏奈先輩だ。

 

 もうすぐ杏奈先輩に再会える――そう思えば気分だけじゃない、立ち上がる力だって湧いてくる。

 もうすぐ。

 もうすぐ、だ。

 もうすぐ……もう……すぐ……。


 って、あれ!?

 

『こ、これは一体どうしたのかー!? いくら待てどもファイアーボールの爆発が起きません!』


 みんなの戸惑いを代表するかのように、小春ちゃんが声を張り上げた。

 

『まさか不発なのかー!? ここにきてやってしまったのかー、相田選手!?』


 そんなまさか! 不発なんてありえない!

 私はいつも通りに血液魔法を振るった。そこにミスなんて一つもなかったはずだ。

 それなのに何故……どうして……?

 

「あ、危ない、千里君!」

「え!?」


 呆然とする私の耳が友梨佳先輩の叫び声を捉えた時にはもう、リヴァイアサンが大きな口を開けてわずか数メートルのところにまで迫っていた。

 大津波から突如噛みつき攻撃に変えて突進してきたんだ!

 逃げなきゃ、と脳が非常事態を訴える。

 なのに身体が動かない。まるで心と体がばらばらになったような感覚に、恐怖が急激に押し寄せてくる。リヴァイアサンはもう目と鼻の先の距離だ。

 

 人間、死ぬ時は時間の流れが遅くなって、それまでの人生が走馬灯になって流れるなんて話を聞いたことがある。

 だから、なのかな。この時の私の頭の中を、これまでの思い出が一気に駆け巡った。


 つむじちゃんとの出会い。

 入学式での魔力測定。

 すっぽんぽんの文香先輩。友梨佳先輩、彩先輩とちょこちゃんの追いかけっこ。

 公園のベンチで隣から漂ってくるカレーまんの匂い。

 異世界化する校舎。タイガーさんに突き付けられた厳しい現実。

 つむじちゃんに押し当てられた短剣の冷たさ。ストームドラゴンの雷雲を避ける為、一気に上昇する私たち。

 高千穂さんとの出会いは思いもよらぬ場所で。

 アリンコさんの必殺技は一撃で第一階層のボスを葬り。

 ゾンビ化とか、懐かしい体育館とか、スライムで団結する大泉とか、本当にいろんなことがあった。

 

 そして今でも鮮明に覚えていることがふたつある。

 ひとつは瀬田川の水面に浮かぶ、無数のボートを使った横断幕。

 そしてもうひとつはあの瞬間、「あとは任せたよ」と言って微笑んだ杏奈先輩の笑顔。

 

 ごめんなさい、みんな。琵琶女を私たちの手で取り戻したかったけど、無理だった。

 ごめんなさい、杏奈先輩。後を任されたのに助け出すことが出来ませんでした。

 ごめんなさい。

 本当にごめんなさい、ごめんなさい。

 

 リヴァイアサンの顎が私の身体を捉えるその瞬間、私に出来たことと言えば、ただひたすら謝ることしか――。

 

「千里殿はやらせないでござるよ!」


 その時、私の前に小さな影が立ち塞がった!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る