第35話:千里殿を倒すことが出来れば……
これまでで一番大きなダメージを食らったのは、ちょこちゃんを助けに行った時のミノタウロスの一撃だった。
とは言っても特別痛くもなかったし、それは今回もそう変わらない。
異世界ダンジョンの絶対防御はちゃんと機能している。
にもかかわらず、震えが止まらない。
なんだったんだ、今のは?
血の霧の中、およそ五メートルほど離れた場所からつむじちゃんの声が聞こえたと思ったら、首元から今まで経験したことがない衝撃が走った。
そう、慌てて喉を押さえ、血が出ていないことを確かめてホッとしてしまうほどの。
何かが飛んできたとは思えない。そんな気配は一切なかった。
むしろ今のは後ろからナイフで喉元を切り裂かれたような感覚だった。
でも、それはそれで直前に聞こえてきたつむじちゃんの声との辻褄が合わない。
分身の術を使った?
だけどさっきは「もうそれほどの魔力は残ってない」と言った。
つむじちゃんが嘘をつくとは思えない。
どういうことだろう? 何をされたんだろう?
混乱している。こういう時はなにより落ち着かなきゃと、ひとつ大きく深呼吸してみた。
心臓がどくどくと大きく波打っている。
震えはまだ止まらない。
「やはり千里殿の魔力は規格外でござるな」
再びつむじちゃんの感情を押し殺したような声が聞こえた。今度は少し離れた右側からだ。
ち……ご……。
と、同時に別の方角から何やらぼそぼそと聞き取れない音量で呟く声も聞こえたような気がした。
え、なに、もしかしてもうひとり誰かいるの?
意識を集中させて声を聞き取ろうとするけれど……。
「普通なら今の一撃で魔力を枯渇できたはずでござるのに」
聞こえてくるのはもうつむじちゃんの話し声だけだった。
「……つむじちゃん、今のは一体?」
「千里殿、ひとつ謝ることがあるでござるよ。拙者、実はある秘密を隠していたでござる」
「秘密?」
「あい。拙者は甲賀忍者の術を子供の頃から叩き込まれ、それを駆使して異世界ダンジョンで戦ってきたでござる。でも、その中にあってひとつだけ、今まであえて使ってこなかった技があるでござるよ」
つむじちゃんの声がゆっくりと移動し、正面から聞こえてくる。
「忍者の役割、それは大きく分けてみっつあるでござる。ひとつは偵察による情報収集。もうひとつは素早さを利用した撹乱。そして――」
不意に声が真後ろ、しかも驚くほど近くから聞こえてきた。
慌てて振り返――ろうとした私の胸に何かが深く突き立てられる。
「気配を消しての暗殺でござる」
「きゃあああああああ!!!!」
思わず声を上げてうずくまり、攻撃を受けた胸を押さえた。
勿論、血なんて流れていない。傷痕すらもなかった。
だけどあの瞬間、つむじちゃんの小刀は間違いなく私の心臓を貫いた。
その証拠に初めて私は、自分の魔力の限界が近いのを感じている。
「もちろん今の平和な日本で暗殺術を使う機会なんてござらん。人道的にも後ろ指をさされる技でござる。だから内緒にしてたでござる。でも、異世界ダンジョンでは違うってことに気が付いたでござるよ」
ショックで地面にへたり込む私につむじちゃんの冷徹さだけを抽出したような声が、近くから遠くから、正面から背後から、ありとあらゆる方向へ瞬時に移動して聞こえてくる。
多分この声もまたつむじちゃんの忍術――幻聴なんだろう。
血の霧で視界を奪い、幻聴で聴覚を麻痺させる。
そうしておいてから急所へ一撃。確かに有効だろう。
でも。
「……ひどいよ、つむじちゃん」
今が戦闘中なのは分かってる。
だけどつむじちゃんにやられたことのショックはあまりに大きくて、私は泣いてしまった。
そうだ、震えが止まらなかったのはなにも怖かったからじゃない。
つむじちゃんが……あの人懐っこいつむじちゃんが、たとえ死なないとは言え私の喉を斬りつけたことに、とんでもなくショックを受けたからだ。
「なんで泣くでござる、千里殿?」
「分からないの?」
「分からないでござるな」
「私もつむじちゃんのことが分からないよっ! どうしてこんなひどいことをするのっ!? 私、なにかつむじちゃんの気に障ることをした!?」
だったら謝るよ。
謝るから、こんな人殺しの技なんて使わないでよっ、つむじちゃんっ!!
「……拙者、タイガー殿とある約束をしたでござる」
「タイガーさんと約束?」
「あい。千里殿を倒すことが出来れば、万女の一軍に入れてくれるでござるよ」
そんな……それってつまり……。
「申し訳ござらんが、琵琶女のみんなでは学校も杏奈先輩も取り返せないでござる。だから拙者、万女に転校することにしたでござるよ」
……絶望のあまり、言葉が出なかった。
つむじちゃんの万女転校、その可能性を考えなかったこともない。事実、なんだかちょっと様子がおかしいなって思うところもあった。
それでも私はつむじちゃんを信じていた。つむじちゃんは私たちの大切な仲間だし、つむじちゃんだってきっとそう思ってる。みんなから離れるようなことはしないって。
でも、それは私の甘い願望に過ぎなかったのかな。
つむじちゃんのことを、私は何一つ分かってなかったのかな。
私は……私は……。
「千里殿、拙者には勇者になるという子供の頃からの夢があるでござる。その夢を叶えるためにも、今ここで千里殿を倒させてもらうでござるよ」
その言葉を最後に、つむじちゃんの声は聞こえなくなった。
きっと血の霧の中から私にとどめを刺すタイミングを伺っているのだろう。
もう抗う気はなかった。
諦めていた。
つむじちゃんが本気なのは、最初のあの喉への一撃で分かっている。
あれがつむじちゃんからのお別れのメッセージだったんだ。
覚悟を決めたつむじちゃんに、いまだ自分の魔力を飛ばす手だてさえ見つけ出せない私が一体何を言えるだろう?
行かないでなんて、とても言えない。
私たちなんかじゃ杏奈先輩を救えないし、つむじちゃんを勇者にしてあげることも出来ない。
だからこんな悲しくて苦しい時間を少しでも早く断ち切って欲しいと願った。
だけど、いつまで経ってもつむじちゃんのとどめがやってこない。
何をもたもたしているんだろう? 早く終わらせてほしいのに。
しんと静まり返る血の霧の中、時折堪えきれずに漏れる私の嗚咽だけが妙に大きく響き渡る。
ち……ご……さ……い。
その時、またあの声が聞こえた。
あまりに小さく、弱弱しく、ともすれば静寂に打ち消されるほどの声。
誰の声かは分からない。だけど聞き覚えのある声。
誰だろう? どこにいるのだろう? 何を言っているのだろう?
こんな時なのに何故か気になって仕方がない。
耳を澄ます。霞の中の声をなんとか掬い上げようと意識を集中する。
そして誰の声か、何を言っているのか分かった私は――。
「……まだ、まだ終わってないよ、つむじちゃん!」
涙をぬぐい、立ち上がったのだった!
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