第21話:頭を抱えている暇なんてないぞ
一体何が起きたのだろう?
分からない。
全然分からない。
そんなの、分かりたくなかった。
だけど何をしなくちゃいけないのはそれでも分かった。
「杏奈先輩!」
私は泣きそうになりながらその名を叫び、ダンジョンに繋がる扉へと駆け出そうとする。
爪を齧る? そんな暇なんてない!
「千里殿、今は諦めるでござる!」
だけど、つむじちゃんがさっき以上にしっかりと私の手を握って離してくれなかった。
「何を言ってるの、つむじちゃん! まだ! まだ大丈夫だよ! 今からあのボスの間に行けば杏奈先輩はまだ」
「ごめんねぇ、千里ちゃん。今回は
文香先輩が泣きそうな声で言った。
座標記憶魔法は一度地上に戻っても再度ダンジョンに潜った時に
でも、一度リターンを使えば、アンカーは消滅してしまう。だからアンカーは冒険を再開した時に念のため打ちこんでおくのが鉄則なんだ。
「そんな! どうして!?」
「だってぇ、ボスと戦うから魔力を温存しようと思ったのぉ」
「千里、気持ちは分かるけど文香を責めないであげて。逃げる時だってアンカーを打ち込む余裕なんてなかったのは、千里だって分かるでしょう?」
そんなこと、彩先輩に言われなくても分かってる!
分かってはいるけど!
「それでも杏奈先輩を見捨てるなんて私には出来ないっ! ボスがいた地点まで急げば一時間ぐらいで」
「無茶だ、千里君。君だってさっきの戦闘であんなに魔力を」
その時だった。
地面がまるで跳ね上がるかのように大きく揺れた。
「ちょ、こんな時に地震ですかー!」
「違うでござる。これはきっとちょこ殿を救出した時と同じ現象が起きているでござるよ」
急激な魔力の吸収によるダンジョンの成長。あの時は私がミノタウロスの攻撃で吸い取られた魔力だったけれど、だとしたら今回は……今回吸い取られた魔力の源は!?
途端に目の前が真っ暗になった。
「早く逃げよう!」
「ほら、千里殿も!」
みんなの声が急速に遠のいていく。
行かないで。
まだ間に合うよ。
私は必死に声を張り上げるけど、それはもはや意識を失いつつある私の心の中でしか響いていなかった。
「あ……」
次に意識を取り戻すと、私は見知らぬ車の後部座席に横たわっていた。
顔に当たるシートの本革がひんやりとして気持ちいい。高級車なのかな? でも、それにしてはタバコの臭いが酷い。車内全体に染みついているだけでなく、今もなお運転席から白い煙が吐き出され続けている。
私は外の空気を吸おうと上体を起こし、窓を降ろそうとした。
が、外はあいにくの雨。しかも結構な土砂降りだ。窓を開けたら中に雨が入り込んでしまいそう。
私は窓を降ろすのを諦め、仕方なく爪を齧りながら雨雲に煙る外の景色が流れるのをぼんやりと眺めた。
「起きたようだね」
不意に運転席の人から声をかけられた。
後姿からはスーツを着た短髪の男の人だと思っていたのだけれど、その声からしてどうやら女の人だったらしい。車内に染みつくタバコの匂いも納得のハスキーボイスだった。
「あ、はい。あの……」
「気を失って倒れた時に頭を打ったらしいからね。念のために病院に行くところさ」
「そうなんですか。あの、ところであなたは?」
「私かい? 私はしがない魔力研究者だよ。杏奈から聞いてないかい?」
「……ああ」
そういえばちょこちゃん救出の際に私が使った魔法について、杏奈先輩が知り合いに調べてもらっていると言ってたな。随分前のことなんですっかり忘れてたよ。
でも、なんで今頃わざわざ会いにきたんだろう? 杏奈先輩からそんなことはひとことも……!
「そうだ! 杏奈先輩!」
自分で自分のことが信じられなかった。
意識を取り戻してこのかた、すっかり杏奈先輩のことを忘れていたんだ。
どうして忘れていたんだろう! 杏奈先輩が大変な目にあってるのに!
「すみません、降ろしてください! 私、杏奈先輩を助けに――」
「今は無理だね。諦めな」
「でも!」
「琵琶湖女子高等学校は本日6時23分をもって一時閉鎖した。早朝の為、まだほとんどの学生、職員が登校していなかったのは不幸中の幸いだったよ」
「え?」
どういうこと? と尋ねようとする私に、女の人は黙って車内のテレビをつける。
見慣れた朝のニュース番組。その番組の中で、見慣れた琵琶女の校門が映っていた。
『見えますでしょうか? こちらが先ほど異世界に乗っ取られたと報じられた琵琶湖女子高等学校の現在の様子です』
え? 乗っ取られた?
『外見上は通常と変わらないように見えます。が、中は完全に異世界となっているそうです』
そんな……それってまさか……。
「杏奈はああ見えて勇者だからね。相当な魔力を持っているのさ。その杏奈を吸収したんだ、異世界化が地下に留まらず、校舎そのものをも侵略してもおかしくはない。過去にも同じような例があるしね。もっとも」
と、そこでテレビの画面が中継から、少し前に行われたという全国放課後冒険部連盟を運営する女性・
『放課後冒険部連盟設立後では、今回ほどの規模の異世界化は初めてとなる。が、勿論、このような状況も我々は想定している。繰り返すが、無駄に近寄らなければ一般市民に危害はまったくないので安心して欲しい』
非常事態にもかかわらず、平然とした態度を取り、凛としたハスキーボイスで説明する篠宮理事。
でも、それがかえって記者さんたちには面白くなかったみたい。
殺到する質問は「そうは言っても地域住民達からは不安の声があがってます」「どう責任を取られるおつもりですか」等々、非難的なものばかりだ。
それでも篠宮理事は顔色一つ変えなかった。
強い。とても強い人だと思う。
だけど、私は違った。
私は普通の人より大きな魔力を持っているかもしれないけれど、所詮はただの高校生で、つまりはまだまだ子供。思わぬ事態に顔から血の気が引いていくのが嫌でも分かった。
茫然として、体中の力が抜けたかのように背もたれへ寄りかかる。
どうしよう、とんでもないことになってしまった。
私はただ杏奈先輩のお別れ会をちゃんとしたかっただけだ。その為に禁止されていた早朝のダンジョンに潜った。
ただそれだけ。それだけなのにそれがまさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
杏奈先輩どころか、琵琶女までダンジョンに奪われてしまうなんて、そんなの考えてもいなかった!
どうすればいい? どうすればいいの?
どうすれば私は自分の罪を償える?
分からない。
分からないよ、こんなの。
助けて。
誰か助けてよ。
助けて……杏奈先輩……。
「しっかりしな。頭を抱えている暇なんてないぞ、相田千里」
タバコ臭いしゃがれた声で私の名を呼び、運転していた女の人がこちらに振り向いた。
いつの間にか車は止まっていて、テレビでは責任追及に躍起なレポーターたちを尻目に悠然と懐から取り出したタバコへ火をつけて一服し始める篠宮理事に、さらなる罵声が飛んでいる。
それでも不敵に微笑む篠宮理事。その顔と全く同じものが、今、私の目の前にあった。
「杏奈を救いたければ強くなるんだ。中途半端な強さじゃ次も今回みたいなことになるよ」
「……次?」
「そうさ。いいかい相田千里、人間ってのはね、どんなに失敗を繰り返しても諦めない限りは何度だって挽回のチャンスがあるもんさ。確かにあんたたちはとんでもないことをやらかした。だがまだ行き止まりじゃない。あんたたちの前にはまだ道が続いているのさ」
と、そこでテレビのモニターから「わっ!」と大きな声があがった。
見ると詰め寄ったところを理事から吸っていたタバコを吹きかけられ、驚いたレポーターが叫び声をあげたようだ。
『な、なにをするんですかいきなりっ!』
『やれやれタバコってのはね、吸ったら吐くもんなんだよ。そんなことも知らずに近づいてきたのかい、お前さんは?』
『な、なんですかその態度はっ! テレビで全国の皆さんが見ているんですよ!』
『ああ、そりゃあすまんことをしたね。あんたの無知っぷりを日本中の人に知らせちまった。だが、何かしでかした者をよってたかってただ執拗にイジメるなんて恥知らずなことを電波に乗せるあんたたちだ、今さらどうってことはあるまい?』
『……それ以上侮辱すると後悔することになりますよ』
『はっ、他人の人権を無視しまくる連中が侮辱とはよく言った。いいかい、あんたたち、異世界ダンジョンに関してはプロな私が言ってるんだ、余計なちょっかいさえ出さなければ一般人には危害はない、と。それなのに『地域住民が不安がっている』だぁ? そんなもん、あんたらが素人考えで不安を煽るような報道するからだろうがっ!』
『なっ!?』
『それから奪われた学校も、捕らえられた勇者・寿々木杏奈も、お前たちに言われなくても私たちは必ず救出する! その為に放課後冒険部があり、その為に
そしてレポーターたちがざわめく中、篠宮理事がそのハスキーボイスで高らかに宣言した。
『この報道を見ている放課後冒険部の諸君、本年度の
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