第19話:見捨てろって言うの!?

「杏奈先輩!?」

 

 どうしてここに? とか。

 どうしよう、黙ってダンジョンに入ったことを怒られちゃう!? とか。

 そんなことは全く考えられなかった。

 私はただただこのピンチに杏奈先輩が駆けつけて来てくれたことに、心の底からほっとした。

  

「杏奈君、えっと、これは」

「友梨佳先輩、話はあとです。それよりもすぐに離脱を。あれは今のみんなでなんとかなる奴じゃありません。あたしが時間を稼ぐから早く!」


 内緒で早朝のダンジョンに潜った言い訳をしようとする友梨佳先輩の言葉を、杏奈先輩が厳しい口調で遮った。

 と、同時に杏奈先輩は魔力で右手に剣を、左手に盾を作り出して身構える。

 先輩の盾を持った姿を見るのは初めてだった。それにあんな緊張した表情も……。

 

「わ、わかった。これは相当にヤバそうだ。みんな手を繋いで。文香君、緊急脱出魔法エスケイプの詠唱を」


 状況を理解した友梨佳先輩に従って、私たちは急いで手を繋ぎ円陣を組む。

 いつも通り文香先輩の左右に彩先輩、友梨佳先輩が手を繋ぎ、それぞれつむじちゃん、ちょこちゃんを経由して最後に私が文香先輩の対面に立つ。文香先輩の両手からエスケイプの魔力が伝わっていき、私の身体も包み込むまで時間はおよそ3分ってところ。

 

「千里、何そわそわしてるです?」

「少し気になることがあって……ちょっとごめん」


 私は両隣のつむじちゃんとちょこちゃんに謝ると一度手を放し、体を円陣の外側、つまりは杏奈先輩の方へ向けて逆手に手を繋ぎ直した。

 

「ああ見えて杏奈は勇者なんだから、心配しなくても大丈夫よ。きっと何事もなく戻ってくるって」

「……はい。私もそう思うんですけど……」


 彩先輩が心配性なんだからと苦笑いするのを耳にし、私もそうあって欲しいと願いながらも、胸騒ぎがさっきから全然収まらない。

 さっきは杏奈先輩が来てくれてあんなにほっとしたのに、なんでだろう、今はまた嫌な予感がどんどん膨らんでくる。

 後ろから友梨佳先輩の冷やかしの声と、それに対する彩先輩の嫉妬交じりの声が聞こえてきたけど、私は無視してじっと杏奈先輩を見守っていた。

 

「……お互い、動かないでござるな」


 つむじちゃんが顔だけ杏奈先輩と黒い煙のモンスターの方に向けて呟く。

 

「うん」

「このまま何もなければ、もうすぐ文香先輩の緊急脱出魔法が拙者たちを包み込むでござる。拙者たちが脱出したのを見届ければ、先輩もすぐ後を追ってくるでござろう」

「……そうだね」


 そうなればいいなと思う。

 でも。

 

「あ、動いたでござる!」


 黒い煙の塊が「ふしゅー」と音を立て、その右側からにょきにょきと水平に煙を吐き出し始めた。

 煙はどんどん伸びて、あっという間に十メートルほどに達する。普通の煙なら吐き出された先から徐々に霧散していくのに、そんな様子は全くない。

 やっぱりモンスターが操る特殊な煙なのだろう。

 なにをするつもりだろうと見つめていると、吐き出された煙が一度大きく鞭のように揺らめいた。

 

「えっ!?」


 いきなりだった。

 煙が突然長さを伸ばし、杏奈先輩ではなく、その背後にいた私たちむかって襲い掛かってきた。

 普通の煙ではありえないスピード。形も相変わらず崩れない。外見は煙でも、その襲い掛かる様子はまさしく鞭のそれだった。

 突然なことに加えて、緊急脱出魔法発動の為に両手を繋いでいる私たちには、迎撃も逃れる術すらもない。

 

「させないっ!」


 だけど杏奈先輩は敵の狙いを読んでいた。

 魔力強化による跳躍で一瞬にして私たちの前に移動すると、地面を踏みしめて襲い掛かる煙の鞭を盾で受け止めた。

 煙とは到底思えない、まるで重い金属の塊がぶつかるような重低音が洞窟に響き渡る。

 その中にジリっと杏奈先輩が勢いに押されて地面を少し引き摺られる音も聞こえた。

 

「頑張れ、杏奈先輩!」

 

 思わず声援を送る。

 もちろん私の応援に先輩は答えも、振り向きもしない。

 でも、その代わりに盾で煙の鞭を押し返すと、すばやく剣で斬りつけた。

 再び見た目からありえない金属音が洞内で反響し、斬りつけられた鞭は煙のくせして激しく火花を散らして、切断されるものかと激しく抵抗する。

 

「魔力強化! 風の刃よ、全てを断ち切れ!」 

 

 だけど力が均衡した状態ならば、モンスターは決して私たちには敵わない。

 何故なら私たちには魔力による強化という奥の手があるからだ。

 杏奈先輩の掛け声に呼応するように先輩の持つ剣が淡く翠色に輝き、周辺の空気が刀身に吸収されエネルギーへと転換される。

 言葉にすると簡単で、実際に強化そのものはさほど難しくはない。

 でも必要に応じた分だけ強化するというのは決して簡単ではなく、まだまだ経験が浅い私たちは必要以上のエネルギーを生み出したり、あるいは逆に強化しても思ったようなダメージを与えられないことが多々ある。

 その点でも杏奈先輩はさすがだ。

 今も必要最低限の魔力だけを使い、抵抗する煙の鞭を鮮やかに切り落としてみせた。

 

 切断された煙の鞭はしばらく蛇みたいにのたうち回っていたものの、やがて今度こそ普通の煙のように霧散した。

 

「やった!」


 杏奈先輩の見事なお手並みに、思わず歓声を上げる私たち。

 その間にも杏奈先輩は敵の本体めがけて走り出している。

 普段は紅玉のような色をしたブーツが碧色に光っているのは、きっとこの突進にも魔力強化を使っているからだろう。

 杏奈先輩がここまで魔力を使って戦っているのを初めて見た。 

 

 ぷしゅー。ぷしゅー。ぷしゅー。ぷしゅー。

 

 向かってくる杏奈先輩に対し、黒い煙のモンスターも複数の破裂音を発して先ほどと同じような煙の鞭を次々と出して応戦する。

 その姿はまるでイソギンチャクのようだ。複数の鞭がうねうねと動き、突っ込んでくる杏奈先輩から本体を守るように迎撃を開始した。

 

「スゴイのです、杏奈先輩」

「ああ、さすがは勇者ってところだな」


 それでも杏奈先輩の勢いは止まらない。むしろモンスターが躍起になって攻勢を強めれば強めるほど、私たちは杏奈先輩の戦いぶりに感嘆せずにはいられなかった。

 なんせ黒い煙の鞭があらゆる角度から次々と杏奈先輩へ襲いかかるのに、どれひとつとして先輩にかすることすら出来ないんだ。

 躱し、盾で受け止め、剣で薙ぎ払う。

 その全てを最低限の動き、最小限の魔力消費でやってのける杏奈先輩は、まさしく勇者の二つ名が伊達じゃないってところを餞別代りといわんばかりに私たちの瞼へ焼き付けてくれた。

 

 そして激しい迎撃の嵐の中、ついに黒い煙のモンスター本体のもとへ辿り着いた杏奈先輩は、その右手に握った剣にそれまでと同じく必要な分だけの魔力を宿させて振り降ろす。

 その姿に私も、みんなも、杏奈先輩の勝利を信じてやまなかった。


 だからその次に起きることを私たちが予想なんて出来るわけなかったんだ。

 

 杏奈先輩の剣は確かに煙モンスターの本体へ深々と突き刺さり、普通ならその時点で相手は塵となって霧散するはずだった。

 なのにモンスターは依然として煙を吐き出していて、その様子に何ら変化は見られない。

 逆に剣を突き立てた側の杏奈先輩が何故か慌てて剣を引き抜き、ブーツを碧色に光らせてバックステップを取ろうとする。

 が、その時、杏奈先輩の膝が不意にがくんと落ちた。

 思うように力が入らない、そんな落ち方だった。

 

「杏奈先輩、危ない!」


 私の叫び声は、果たして杏奈先輩に届いたのだろうか、それとも届かなかったのだろうか。

 分からないけれど、どちらにしろ異常事態に陥った先輩を声だけで助けることなんて出来るはずもない。

 

 それはまるでスローモーションの映像を見ているかのようだった。

 何らかの理由で動きが止まってしまった杏奈先輩へ、モンスターがひときわ濃い煙を吐き出す。

 煙の鞭が触手なら、それはあたかも強靭に鍛え上げられた人間の腕。私が「危ない」と叫ぶ中、煙の腕がゆっくりと弧を描き杏奈先輩の左脇腹へとめり込んでいく。

 

 そして次の瞬間、さっきまであれほど完璧に捌いてみせていた先輩が、まるでトラックに跳ねられたかのように吹き飛ばされてしまった。

 さらにその一撃は、杏奈先輩の身体から意識だけじゃなく、全ての装備をも消し去ってしまう。

 

「ウソっ!? 杏奈が!?」


 彩先輩が悲鳴のような声をあげる。

 友梨佳先輩と文香先輩は目の前の光景が信じられないのか目を見開くばかりで声を失っていた。

 

「これはマズいのですよっ!」


 繋いでいるちょこちゃんの手が異常に汗ばんでいる。

 なんせあの杏奈先輩がたった一撃ですっぽんぽんにされてしまったのだ。私たちなんかが太刀打ちできる相手じゃない。早く逃げないと今度こそ私たちは全滅させられてしまうだろう。

 

 だけど、ここで私たちが逃げてしまったら、誰が気絶した杏奈先輩を助けられる!?

 

「杏奈先輩!」


 私は右手のちょこちゃん、左手のつむじちゃんから握っている手を放し、吹き飛ばされて身動きひとつしない杏奈先輩のもとへ駆け付けようとした。

 ここで脱出してしまっては杏奈先輩が捕まってしまう。そんなのは絶対に嫌だった。

 なんとしてでも杏奈先輩を回収し、一緒に連れて帰る。たとえそれがどれだけ無謀で、絶望的であったとしても、私は諦めない。


 諦めたくなんかない!

 

「ダメでござる、千里殿!」


 だけど、ちょこちゃんの手は放せたものの、つむじちゃんは私の行動を予想していたのか手をしっかりと握って放してくれなかった。

 

「放して! 杏奈先輩を助けなきゃ!」

「かといってここで千里殿が離れれば、千里殿も帰ってこれないでござるよ!」

「じゃあつむじちゃんは杏奈先輩を見捨てろって言うの!?」

「それは……」


 つむじちゃんが言葉に詰まった。

 ううん、つむじちゃんだけじゃない。誰もが私の問いかけに答えられなかった。

 私だって分かってる。こんな質問はつむじちゃんを、みんなを困らせるだけだって。

 ここにいる誰もが杏奈先輩を助けたいと思っているって。

 だけどどうすればいいのか誰もわからなくて、そうこうしている間にも文香先輩の緊急脱出魔法がみんなの身体を満たしていき、今やもう残るは私の身体だけとなって時間が刻一刻と……あ!

 

「……私、杏奈先輩を助けにいく」


 私は意を決してみんなに告げた。


「千里殿! でも、それでは……」

「大丈夫、みんなで戻れるよ。つむじちゃんがこの手を握ってくれていたおかげで」


 そうだ、さっきつむじちゃんが手を握ってくれていなかったら、私以外は文香先輩の緊急脱出魔法の魔力で全身が包まれていたから、私と杏奈先輩を置いてみんなは脱出していたはずだ。

 そうなればエスケイプが使えない私と、使えるけど魔力が枯渇してしまった杏奈先輩だけが取り残され、脱出はほとんど不可能になっていただろう。


 でも、おかげで思い付いた。

 杏奈先輩もみんなも一緒に脱出できる方法を!

 

「みんな、円陣を解いて一列になって。そして私が先頭で杏奈先輩に向かって走るから、みんなも走って。私の身体を緊急脱出魔法が包み込む前に先輩のもとに辿り着ければ」


 気絶している杏奈先輩を回収し、手を繋げば先輩も一緒に脱出できる!

 

「…………」


 でも、私の案に誰も答えてはくれなかった。

 それも分かる。

 そもそも杏奈先輩へのもとへ辿り着くこと自体が難しいんだ。

 だって相手はあの勇者である先輩を一瞬で魔力枯渇に追い込んだ強力モンスター。私たちなんかが太刀打ちできる相手じゃない。下手したら私たちも襲われて、すっぽんぽんにされて、全滅ってことだってありうる。

 

 だけど!

 だけど、さ!


 杏奈先輩を見捨てることなんて出来るわけないじゃん!

 

「あの黒い煙の攻撃は私がなんとかするよ。でも、もし私がすっぽんぽんにされちゃったら、その時はつむじちゃん」


 私の手を放して、みんなだけでも逃げて――。

 

 そう伝えて私は杏奈先輩のもとへと走り出した。

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