第29話 母親と親父。



 目の前には屈んで俺の顔を見ている女性。

 見ればわかるその顔……俺の母親。

 またいつもの夢かと俺は思う。

 また聞かされるのかと悩ましく思う。

 夢とわかっていても逃げ出せない。

 

 あんた


 母親は名前を呼ばない。

 その日だけは名前を呼んでくれなかった。

 

 あんたがいたから今まで別れられなかった

 あんたがいたから今まで彼の元へ行けなかった

 あんたが私の幸せ奪ってった


 あんたなんて生まれなきゃよかった


 今まで名前で呼んでくれた母親が

 今まで好きだと言ってくれた母親が

 豹変した日

 親父と離婚が成立した日


 もしかすると母親が俺に言った言葉は俺に憎んでもらおうと放った言葉かもしれない。今ならそんなことも考えられるようになったけれど、それでも、幼い頃の俺では耐えられるはずもなかった。存在を否定されたという事実はしばらくの期間、俺の心を蝕んでしまうことになった。


 思い出したくないと思ってもなぜか夢を見てしまう。今の歳になってもやっぱり辛いものは辛くて。どこまで俺を苦しめればいいのだろうか、あなたという存在は。




「蒼汰! 起きろ! 」


 揺すられている。揺すられている。夢から引きずり出されるそんな揺れ。目を開けて見てみれば、両肩を掴み揺するのは親父だった。


「悪い、親父。また叫んでたか? 俺? 」


「ああ、聞こえたんで起こしに来たよ、ほら、飴ちゃん舐めろ」


 そう言って飴ちゃんを俺に渡す。飴ちゃんは親父譲りだった。昔から俺がしんどい時に飴ちゃんをくれて舐めさせてくれた。まあ、それが俺が飴ちゃん持ってる原点になっているわけだが。まあ、やっぱり親父の子ってことだ。


「そっか……ありがとな」


 俺は飴ちゃんを舐めながら親父にお礼を言う。


「またあの夢か? 」


 親父には夢を見ると発作のように叫んでしまうらしいから、その理由の夢についてはきちんと話している。


「ああ、ひさしぶりに見ちまった。やっぱいいもんじゃないな」


「ごめんな、俺のせいだからな」


 親父は謝ってくるけれど、俺は納得行かなかった。


「親父のせいじゃないだろ。そんな事言わないでくれ。俺が壊れかけた時に助けてくれたの親父じゃん。親父しかいなかったんだよ、あの時。親父がいたから今の俺がいるんだぞ」


「ああ、わかった」


 そう言って抱きついてくる親父。


「ほんと可愛いやつだな。蒼汰、大好きだぞ」


 そんなことを言ってくる親父。


「親父よ。多分、今の俺達の絵面って絶対怪しい感じだぞ」


 俺は笑いながらそんな事を言う。


「でも、こんなこと伝えるのはこういうときくらいしか無いからな」


 親父も笑いながらそう言った。

 そして俺からも親父に抱きついて


「俺も好きだぞ、親父。大事な家族だ」




 嫌な夢は見たけれど、久しぶりに親父の体温を感じることのできたそんなそんな夜だった。

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