万能薬

猫犬鼠子

万能薬


 エル博士は世界的に有名な発明家になった。苦節五十年、研究に打ち込んだ歳月が実を結び、万能薬を発明したのだ。


 この薬は、何の病気にでも効く。癌、心臓病、肺炎、その他の難病や奇病全てが治る。そんな謳い文句とともに万能薬は世に出された。


 人々は当初、半信半疑だった。そんな都合のいい薬があるわけがない。理論上あり得ない。どうせ誇張だろう。だが、専門家は全てに効く薬だと言っている。


 記者会見の場が紛糾するなか、実証がなされた。


 入ってきたのは今にも死にそうな老婆。多種多様な合併症の影響で体はボロボロ。髪も抜け、色とりどりの管でつながれている。


「さあさあ、みなさん。御開帳」

 記者たちが好奇の眼差しを向けると、エル博士は言った。

「さあ、皆さん。見逃さないで。まばたき止めて。この奇跡の瞬間を目撃して。目が乾いた人は今すぐ録画して、後からコマ送りで見て確かめて」

 エル博士の合図と共に、老婆の口に薬品が投げ込まれた。


 記者たちとTVの前の人びとは、目をかっぴろげて薬品がちっちゃな老婆の口を通過する瞬間を見守った。(なかには、老婆をズームで写そうとして近づきすぎてしまい、毛穴を見守ることになった局もあったらしいが、大半の局は成功した。) 


 喉元を薬が通り抜けた途端、老婆は喉を押さえて飛び上がった。五十㎝は飛んだかと思うと、キエーッという奇声を発して、そのままバタリ。動かなくなった。


 人殺し、服毒死、ごくつぶし、南京虫、金食い虫、しーしー垂れ流し。


 記者たちは口々にエル博士に罵声を浴びせた。それでもエル博士は涼しい顔をしていた。


「まあまあ、みなさん焦らずに。」エル博士は言った。

「事を急いてはなりません。早計は、いつでも事態を悪くする。静かにして、少しも声を出さないで、見守って」

 記者たちは渋々その口を塞いだ。


 するとどうだろう。先ほどまで死んだように動かなかった老婆の顔に、赤みがさしてきたではないか。


 落ちくぼんだ目には……生気が宿り、渇いた口には……瑞々しさが戻り、枯れ木のような手足は……みるみるエル博士のそれと変わらない太さになった。


 そして、老婆は立ち上がり、エル博士の近くまで歩み寄っていった。


「みなさん、万能薬に拍手を!」エル博士は言った。

「開発者である私に拍手を! そしてわすれちゃいけない。協力してくれた女性に拍手を! 今度はみなさんが奇跡の代弁者となる番です!」

 エル博士は手を叩いた。あっけに取られた人々はワンテンポ遅れて万雷のような拍手をした。


 それからは早かった。


「あの薬が欲しい」

「いくらでも出す」

「譲ってくれ、今にも死にそうな病人がいるんだ」


 財界、政治家、各界の社長から一庶民まで、あらゆる人がエル博士の研究所に電話をかけた。記者まで自分の仕事をほっぽって電話をかけた。社長から薬を注文するように頼まれた秘書は、自分の分の注文を優先した。そんな電話が飛び交う記者会見場でエル博士は言った。


「大丈夫、全員分ありますから」

 エル博士は満足げな顔で会見場を後にした。




 次の日、大量の万能薬が各地のドラッグストアに運び込まれた。運んでも運んでも薬はなくなるが、万能薬は無尽蔵に供給された。入れ食い状態。入荷すれば売れる。他の薬が売れなくなるからと難色を示していた某協会もあったが、最後には折れた。


 一週間後には薬は世界中に広まった。一か月後には世界から寝たきりの老人がいなくなり、一年後には病気が世界から根絶された。医療業界には閑古鳥が鳴いたが、人々は歓喜に沸いた。

 

 エル博士は巨万の富と名声を同時に手に入れた。


 だが、そのまた一か月後、とある女性がエル博士を陣取って訴訟を起こした。

 ――顔を治そうと思って万能薬を買ったのに、治らない。


 女性は若いころに、交通事故で顔に酷い怪我を負っていた。

 その怪我はずっと前に完治していたが、女性は、事故を起こす前の傷跡一つない美しい顔に戻そうと思って薬を買ったのだという。


 世論はエル博士に同情的だった。万能薬と言っても治った怪我までは治せまい。だが、エル博士は訴えを受け入れた。


 本当に何もかもを治す薬でないと万能薬とは言えない。


 それから、また、エル博士の苦難の日々が始まった。





 新薬が完成したのは、人々が訴訟の事などすっかり忘れてしまった頃だった。老衰という概念が旧万能薬でなくなってしまったので、百歳をとうに回ったエル博士はまだピンピンしていた。


「みなさん、お待たせしました」エル博士は言った。

「これが正真正銘、本物の万能薬です。この薬を飲むだけで、人より劣った顔、劣った性格、治したいものが即座に治ります。後から新たな病気が出てきても大丈夫。この薬は、どんな病気にも自動で対応しますから」


 こんどは、病人は呼ばれなかった。そもそも、病気の人がいないため病人という言葉は死語になっていた。


 薬は即座に売りに出された。人々は疑いもせず、こぞって買い求めた。エル博士の発表から一日後には、世界中の全員が薬を飲んでいた。


 ある男は、もっとイカシタ顔になりたいと思っていた。薬を飲んで鏡を見ると、男の顔は今日の朝テレビで見た男性アイドルそっくりになっていた。


 ある女は、もっと細い脚になりたいと思っていた。薬を飲んで鏡を見ると、女の足は願った通りに細くなっていた。


 皆が外に出て自分の変貌を自慢したがり、お互いがお互いを褒めあった。その晩には、多くの家で歓声が上がった。


 だが、順調だったのはここまでだった。

 次の日、家で朝の眠りの時間を謳歌していたエル博士は、電話の音にたたき起こされた。


「顔が戻らない」

「元の足が良かった」

「みんな一緒の顔をしていて気持ち悪い」

「自分じゃない奴が頭の中でものを考えている気がする」

「考えてもいないことが口から出る」

 電話の主は口々に、元の姿に戻せとエル博士に怒鳴った。


 違う国ではもっと恐ろしい事態が起きていた。

 とある会議である人が、女性は軽視されている。男性と同じ権利を得られるようにすべき、とTVで発言した。その瞬間、全ての女性が男性に変わった。


 とある国では正反対のことが起きた。全ての男性は女性になった。


 エル博士が電話の対応に追われている間に、全ての人類は次第に同じ顔になった。そして、同じ体つきになり、同じことを言うようになり、最後には全く同じ見た目になった。


 電話の数はどんどん少なくなり、ある時を境にピタリとやんだ。


 エル博士以外の全人類は、エル博士の家まで全員で、少しも列を乱さずに行進した。

 そしてエル博士の眼の前で停止した。

 それから大声で、

「感謝します」

と言って去った。


(了)

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万能薬 猫犬鼠子 @nekoinunezumiko

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