第3話 馴染めない場所
「はい、プレゼント」
「…………え」
翌日帰りのHR終了後。
奥崎がサトルへと封筒を渡してきた。平然とした相手の様子にサトルは困った顔で首を少し傾げた。
「いや……悪いからいいよ」
「いいから受け取れよ。滅多にねえぞ、こういうの」
よく考えてみれば奥崎も結構自己中なのかも、 とそんな不安が浮かんだ。
三日間の約束を一週間まで延ばした罪の意識がまだ胸の中に十分にある。断るなんて都合が悪くてできない。
「わかった……じゃあ、ありがと」
小さな声で渋々その封筒を受け取るも別に相手は嬉しそうにするわけでもなくただ黙って立っていた。
「……なに?」
「開ければ?」
――ああ、開けろってことね。
サトルは理解を示し、頷きながら封筒の中身を指で探って引っ張り出した。
現金5万円。
サトルは目を見開いて、すぐに金を封筒に戻した。
「おい……ちょっと……」
「別に怪しい金じゃねえよ」
「プレゼントって……現金渡す奴いなくない?」
「さて、行くか。どうせお前今日も暇人だろ?」
奥崎は淡々とした口調で言うと自然に机の上に置いてあったサトルのカバンを手にして廊下へと向かった。
「お、オクさん!」
勇気を振り絞って出した相手の名前を呼ぶも完全に無視された。
辺りを見渡してもシノブがいない。
誰にも助けを求められなかった。
入学してから久しぶりに電車に乗った。
席は疎らに空いていて車内で話をするカップルの笑い声が異様に耳へと入った。サトルと奥崎は別に会話をするわけでもなくただ揺られる車内の入り口付近で外を見ながら沈黙していた。なにかを話さなきゃいけないのかもしれない、とサトルは当初思いもしたがこれといって会話することも見つからず、手にしていた封筒を慎重に持っていた。
「それ、仕舞えば?」
「え?」
急な奥崎の言葉に顔を上げる。
目線の先はサトルが握っていた封筒。
あぁ、と弱気な声が漏れる。
「……カバンに入れてスられたりすんの嫌だし」
「そうやって持ってる方が危なくね?」
「わからないだろ」
「ふぅん」
奥崎の口元が弧を描く。
馬鹿にするような態度にサトルは目線を逸らした。
気分は、正直最悪だ。
――現金5万円。
奥崎には悪いがどんな金か疑ってしまう。
見た目、性格からして良い印象は少ない。
誰かを脅して奪い取った金かもしれない。
まさか。もしや。女との情事で得た金なのか。
しかもそれを自分へと渡してきた。
使ったら最後、もし逆らいでもしたら借金にさせられる可能性も高い。恩を仇で返しやがってと殴られる自分が容易に想像できる位、サトルはまだ奥崎が怖かった。
横目で奥崎を見ると奥崎は壁に寄りかかった姿勢で目を閉じている。白い日の光に当てられて、染められた髪は一層まぶしくサトルの目に映った。
――思ったよりも睫が長いんだな
サトルはじっと奥崎を見つめた。自分よりも体格が良い体、大きな手には銀の指輪がひとつ、着崩した制服。どう見ても真面目な高校生とは程遠くて、それでも。サトルは少し奥崎が羨ましく見えた。自分にはない時間が奥崎やシノブには流れている。
それでも自分はこんな平凡な日常を延々と繰り返すだろう。
なんの変化も得られず。
なんの楽しみも感じず。
ただ生きて、生きて。
心臓は変化なく平凡な時を刻んで。
そしていつか死ぬだろう。
サトルは少し気分が悪くなった。
目的の駅へと辿り着いて。あまりの人の多さにサトルは久しぶりの汚れた街に少し懐かしさを覚えたが、気分は最悪。耳へと容赦なく入る雑音も、人の声も止めることはできないのだ。鼻の奥へと突き抜ける都会の匂いは気分の悪さを一層増しにしてくれる。サトルの足取りは重かった。
「どうした?具合でも悪いのか」
「いや、大丈夫」
「……無理するなよ」
奥崎はサトルへと声をかけると人ごみへと歩き出した。手には現金5万円。――どこから出て来た何の為の五万円?そう聞く事も出来ず、逃げ出したい衝動をサトルは生唾と共に飲み込んだ。
人ごみを10分程歩いて。
路地を曲がるとそこは焼肉屋が数店立ち並ぶ通りだった。多分、韓国人経営だろう。サトルは周囲を見回しながら先を歩く奥崎の背中を見ながらゆっくりとした足取りで付いて行く。
「ここだ」
そこからまだ少し歩いて、奥崎が振り向いた。サトルは奥崎の隣へと歩いていくと高いビルの地下へと続く階段。道路には『OPEN』の文字があった。
「なんの店?」
「入る」
サトルの質問には答えず、奥崎は二人分のカバンを手に持ったまま階段を下りていった。大きくため息をついてサトルも下へと降りていくと整髪料の匂いがした。奥崎はサトルが階段を降りてくるのを見てから乱暴にドアを開ける。サトルも開けられたドアの中へと入っていった。
いくつも並ぶ椅子、鏡。
黒い。全体的に黒い。ただ、暗くはない。
中は今通ってきた道とは見違えるほど個性的に設えられた場所で、サトルは入り口付近で尻込みして立ち止まった。
美容院、に連れて来られたようだ。
「久しぶり、オク」
「吉田さん。例のヤツ連れて来たから頼む」
「へぇ、その子か」
「あぁ」
フロントに立つ陽気な男は優しげに笑ってサトルへと頭を下げた。つられて、サトルもたどたどしく頭を下げる。
「そういえば、レンは?」
「ああ、奥の椅子で寝てるよ。今日はサボった、って言ってたからね」
「またか、あいつ」
奥崎は少し笑って奥へと歩いていく。サトルは笑った奥崎に少し驚いた。学校で見せない、違う表情だった。サトルは居心地が悪くなって、その場に立ったまま顔を下へと向けた。
「えっと……松崎、サトル君でいいんだよね」
「あ、はい」
美容師に話しかけられサトルはすぐに顔を上げた。変に気まずそうにしてるのがサトルは少し恥ずかしく思って小さく息を吐く。美容師、吉田は変わらぬ笑顔でサトルへと手招きし椅子へと案内を始めた。
どんな目に合うのか、サトルは緊張した面持ちで後を付いて行った。
「じゃあまず、髪質みたいからここに座って」
「はい」
相手の優しげな口調に、逆に不満な態度が取れずサトルは作り笑いを一瞬してから白い椅子へと腰をかけた。
鏡に映る、自分の姿。
堅苦しい制服をきっちりと着て。
あまりにこの場に不釣合いな存在だ、とサトルは鏡を直視できなかった。
「髪、全然痛んでないね。高校生でこんなに綺麗な状態の髪、久しぶりに触ったよ」
「あ……そうですか」
――ただ、真面目なだけだ。
サトルは苦笑いを浮かべた。
「吉田さん」
奥崎の声がする。
「なに?どうした?これからもう始めちゃうけど」
「あぁ、それは別に」
淡々とした奥崎の口調。
同時に奥から欠伸をする声が聞こえ、鏡越しに後方を見ると見たことのあるような人物がこちらへとダルそうに歩いてくる。
染めるだけ染め抜いて、痛んだ髪に手には長めのリストバンド。黒のTシャツには赤でロゴが書かれていて、細い黒のダメージジーンズ姿。矢鱈足の長い人だな、とサトルは思った。
「マツ君、こないだはどうも」
奥崎に比べれば穏やかな口調で寄越された挨拶にサトルは疑問を抱くも、頭を半分傾げながら一応頭を下げた。
「どうも……あの、初対面……じゃないですよね…?」
「あれ?もう忘れられちゃったか。まぁ暗がりだったしね」
「……すいません」
「いいよいいよ、俺は仙崎。仙崎レン。マツ君とか奥崎のひとつ上。同じ高校に通う先輩な。んで先日君の横でギターを弾いていました」
「あ……そうだったんですか」
「うん、あの時は興奮した、マツ君吠えるね!最高だった。これからよろしく」
「……はぁ……よろしくお願いします」
一応自己紹介を終えて、吉田と呼ばれた美容師が奥崎へと顔を向ける。
「で?なに?」
「俺らこれからちょっと買い物してくるんであとよろしくお願いします」
「わかった。二時間くらいで終わると思うから」
「そうですか、じゃあ」
そういうと奥崎はサトルの肩へと手を置いて、サトルの手に握られていた封筒を手にした。
「じゃそういうことだから。あとはお前は寝てても起きてても自由だ。二時間したら戻ってくる」
「え……?ちょっと待てよ!」
「なんだよ」
「だからさ、髪切るったって俺別に思ってなかったし、どうしてもらえばいいんだよ」
「……それならもう決まってる」
「は?」
「お前の髪型はもう決めてある。ちゃんと仙崎さんや他のメンバーにも相談して吉田さんも大丈夫だって言ってんだ。心配するな、悪いようにはしねえよ」
「悪いようにしねえって……」
「ちゃんと戻ってくるから安心して待ってろ。じゃあとお願いします」
奥崎が吉田へと軽く頭を下げ、横で笑っている仙崎がサトルへと手を振った。
「心配しなくていいよ、絶対似合う髪型だから。さ、シャンプー台に移動してください」
半ば呆然とするような事態が今、起こってる。
サトルは脱力しそうになる思考に眩暈を覚えた。
それから二時間半。
奥崎たちはまだ店に戻ってこない。
サトルは時間と共に不安が募った。
「はい、これどうぞ」
「あ、すいません……」
出してもらったコーヒーに頭を下げて、カップに口をつける。
「それにしても遅いね、二人とも」
「……そうですね」
鏡に映る自分の姿にサトルは落ち着かない様子で応えた。
軽く染めた茶髪。
ワックスで緩く整えられたしたこともない髪形。
短めに切られた分、少しだけ頭が軽くなったような気さえした。
「慣れない感じ?」
「え……まぁ……」
「大丈夫、ちゃんと似合ってるから」
「……喜ぶところなんですかね……」
「はは、半強制的に連れて来られた身だからなんとも複雑でしょ?でもいいと思うよ。かっこいい」
「……かっこいい、ですか……」
なんて自分に似合わない言葉だとサトルは苦笑した。時間はもう少しで八時。誰もいない店内で吉田と二人、椅子に座ったまま時間が過ぎた。会話をした方がいいだろう、サトルは店を見渡しながら話し出した。
「そういえば、ここってあまり知られてないんですか?今日……あれから誰もお客様来ませんでしたけど」
「あぁ、ホントは今日定休日だからね」
「え……っ、あ、……そうなんですか」
思わぬ言葉にサトルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。吉田はそれを見て優しげに笑うとポケットからタバコを取り出して火をつける。
「俺ね、奥崎君達のファンだからさ。別にいいんだよ」
「ファン……ですか」
「そう、だから今回マツ君の髪をやってほしいって言われた時も嬉しかったしね。彼らの作る音楽が俺は大好きだから、なにかしら協力したいなぁとは前から思ってたんだよ」
「……はぁ」
――ファン、とかいるんだな。
サトルは吉田の話を聞いて正直にすごいな、と思った。好きなことだから、とかそんなんじゃない。もうファンも付く位の成果を出してる自分の同級生。奥崎が学校で他の生徒とは違うように見えるのは服装だけではなかった。
――やって、こなしてる事が全然違う。
サトルはなにかを思い知らされた気持ちになった。
「でも、マツ君の声ってすごいんでしょ?」
「いや……よくわからないです。特別好きでもないし……知ってる歌だったから、初めて歌って……だから今回の話もオクさんに断ったはずなんですけど、うまくいかなくて」
「そうなんだ、……ボーカルはやれるもんなら誰でもやりたいって思うようなことなんだけどね。あまり目立つのは嫌いかな?」
「嫌い、ですね。恥かくのが嫌なんだと思います」
「恥?」
「はい、恥ずかしいのが嫌なんです、俺は。あまり目立たないように生きてそれなりにやっていって……死んだ方が多分、いいんだと思います」
「いや死ぬって……それってなんか悲しいねぇ」
「つまらないですよね、こんな生き方。俺もそう思いますから」
――だから俺はダメなんだ。
サトルは小さく笑って思った。
と。
ドアの向こうから人の気配がした。視線を向けると姿の前にまず足音が廊下に響く音が聞こえてくる。
――どうやら帰ってきたらしい。
勢い良く開かれたドアの先には奥崎が両手いっぱいに黒い袋を肩越しに持っている。
「あ、お帰り」
吉田の柔らかい声に応えて奥崎と仙崎が頭を下げる。
「すごい荷物だね」
「えぇ、今日は本当にありがとうございました」
奥崎は礼を吉田へと述べるとサトルへと顔を向けたまま。サトルは急に不安になってすぐに視線を外した。
「おーいいじゃんいいじゃん!うちのボーカル!マツ君やっぱり似合ってるな!な、奥崎」
「あぁ」
楽しげに反応する仙崎に応える奥崎は無表情にサトルを見つめた後、少しだけ、サトルには笑って見えた。
「そろそろ帰るぞ、腹減った」
手渡された封筒はぐちゃぐちゃになっていて。
入っていた札は、残り三千円。
サトルは小さく吉田へと頭を下げた。
第一寮の前で仙崎と別れて。
奥崎と二人で寮内へと入った。しんと静まり返った廊下を歩くとガサガサと異様に黒い紙袋が音を立てる。サトルは手いっぱいにそれらを持つ奥崎の後ろをぎこちなく付いて行く。サトルの部屋の廊下まで登った頃、奥崎がサトルへと振り向いた。
「髪型どうだ?」
「あ、嫌じゃないよ。ありがとう。ところでこの金なんだけど悪いから返すよ」
「別にいい」
「いや……でも悪いから」
「今回使った金は俺らがライブで稼いだ金から出したものだ。だから気にするな。好きで俺らがやったことだ」
「…………」
都合悪そうに頭を下げるサトル。袋が廊下の床へと下ろされるのが目に入った。もしかして機嫌を損ねてしまったか、とサトルは顔を上へとあげようとする。
突然。
全身を強く抱きしめられサトルは目を見開いた。
暗い廊下には月明かり。
間延びした影が廊下に線を作る。
そこに重なる二つの影。
サトルは五月蝿い位高鳴る心臓の音が奥崎に聞こえてしまうかもしれない、と焦った。大きな掌がサトルの染められた頭を優しく撫でる。
「お……オクさ……」
サトルの弱弱しい声と同時に奥崎がサトルから身をひいた。奥崎の顔は暗がりでよく見えない。きっと自分は何かひどい顔をしている。サトルは顔を背けて未だ鳴り止まない心臓の音を止めようとするかのように手を当てて一度、深呼吸した。
「その袋、全部お前の服だから着ろよ」
奥崎はいつもと変わらぬ口調でそう言うとサトルの部屋とは反対側にある自室へと向かって歩いていった。
その後、サトルは少し震えてその場にしゃがみこんだ。
桜も散り、もう梅雨が迫る暑苦しい曇り空の下。
寮内でひとつの事件が起きた。
朝からの雨は激しく、雲は厚く空を覆っていた。
朝6時半を回った頃。
サトルはなんとなく慣れてきた髪の毛のセットのため鏡の前に立ち、横目で気付かれないように同室のシノブへと目をやった。窓には外で打ち付ける雨が流れ、雨音は激しさを増して聞こえてくる。
今日は日曜日。こんな土砂降りの中、誰か出て行くとは到底思えない。せいぜい部活の連中くらいだろう。サトルは少し開けたカーテンから空を見上げて思った。
シノブはまだベッドから出ておらず、ただぶすくれた表情で黙って上体だけを起こしている。朝は低血圧、頭のいい奴はだいたいそうなんだ。シノブの持論通りだ。
「神崎、目まだ覚めないのか」
青白いシノブの顔を見てサトルが心配そうに声を出した。
「いや、別になんともねえ」
朝は神崎は機嫌が悪い、これはサトルの持論だ。いつもよりも低い声でシノブが眉間に皺を寄せたまま、また黙った。サトルはシノブに聞こえないように小さくため息を付いてテーブルの横へと座った。
「……どっか行くのかよ」
不機嫌なシノブの声。サトルは首を横に振ってシノブへと振り向いた。
「別に外に出る予定ない。ただ借りたMD溜まってて。今日中に聞いておこうかと思って」
「あぁ、オックか」
「そ」
「でも良かったじゃんか。その髪だってタダだろ?服もそうらしいじゃんか。羨ましい限りだぜ」
そう言ってシノブは大きく口を開いて欠伸をひとつ、それからガリガリと乱暴に頭を掻くとベッドから勢いよく出る。
「さて、ちゃんと起きるかな。やっぱ朝は辛いぜ。人より脳がでかいっつうのも苦労するもんだ」
「脳がでかい?神崎でかいのか」
「あ?頭が俺はいいんだ。そこいらの生徒に比べたらでかいに決まってんだろ?身が詰まってんだよ、身が」
「……蟹みたいに言うなあ」
「近いな。もし俺が蟹だったら料亭で並べられるほどの超高級食材ってわけだ」
「……そう」
何だか気を良くしたらしく、急にシノブ節は絶好調だな、とサトルは疲れた表情をした自分の顔をテーブルに置かれた鏡で見つめた。いつの間にか顔色の良くなったシノブは部屋に備え付けられている洗面台へと立ち、顔を洗って歯を磨き終わると気分爽快な顔で部屋へと戻ってきた。
「やっぱ朝は早起きが気持ちいいな、マツ!」
「そうだな」
呆れ半分にシノブへと答えるも当の本人にとって反応はどうでもいいらしい。シノブは着ていたパジャマを脱いで服へと早々に着替えると落ち着かない様子で未だ髪を触るサトルへと目を細めた。
「でもまぁカッコ良くなって帰ってきちゃって。なんかずるいよな、マツだけ」
「別に俺が望んでこうなったわけでもない、本当なら助け求めたかったよ。神崎もう教室いなかったしな」
「俺は暇じゃねえんだ」
シノブはそう言いながらサトルの向かいへと胡坐をかいて座る。
「それにしても雨、すごいな」
窓を見ながら話すサトルの声にシノブも小さく頷く。ふと、シノブがサトルの勉強机の横に置かれたまだ開けられていない黒の袋へと目をやる。
――あれからもう一月。
幾らなんでも開けるだろ、とシノブは含み笑いを浮かべながらその黒い袋に触れた。
「おい、いい加減開けてやれって。オックが悲しむぜ」
「……まぁ」
「まぁ、じゃなくてよ」
「わかってる」
「じゃあなんでよ?なんで開けないんだ?」
「後から開ける」
「嘘、どうせまた開けねえんだろ」
しつこい、サトルは少しイラついた。
普通に笑ってるのかバカにしているのか、区別のつかないシノブの嫌味な笑みから目を逸らした。
「そういえばさ」
サトルは話題を変えようと口を開いた。
こちらへと顔を向けるシノブの顔。
どうやら本当に目が覚めたらしい。
「なんだよ」
「生徒会就任おめでとう。やっぱり神崎はデキる男だな」
「あったりまえよ」
嬉しそうに嫌味な笑みを浮かべるシノブは少し上体を後ろに反らして身体を伸ばした。
生徒会就任。
一週間前全校で生徒会選挙が行われた。一人一票持って生徒会にふさわしい生徒へと投票する。本格的な政治運動を行う生徒まで出る位昔から橘の生徒会は栄えてるらしい。三年が生徒会長。二年からは副会長が二人、書記が一人。そして一年からは書記一人、会計二人が選抜された。その枠にシノブも立候補し、見事書記へと任命されたばかり。
シノブからすれば全て計算通り、当たり前のことだそうだ。H組会長でシノブのライバルであるミナミは立候補せず、生徒会へは入る気がないと知った時のシノブの顔ときたら嫌味を通り越して殆ど悪役のようだったが、怖気づいたんだ、と本人は至って嬉しそうに話していた。
サトルは同室の友人が成し遂げたことに少し嬉しい気持ちと理解不能な思いでいたが静かに笑ってそれを祝った。
そのせいか。
サトルは悩みをシノブに打ち明けることができなかった。忙しい相手に自分の今現在思っている悩みなんて。しかも内容も内容だけにサトルは控えた。
奥崎と出かけてから一ヶ月。
礼を言うにも言えず。
どうすることが自然なのかとか、色々頭は日を追うごとに複雑化して余計分からなくなり、結局徐々に奥崎を避けるようになってしまっていた。
「さぁて、飯でも食いに行くか」
シノブはすぐさま立ち上がり、未だ座っているサトルへと視線を投げた。
「わかった」
面倒くさいな、と少し思いながらもサトルはゆっくりと重い腰を上げて立つ。
「なぁ」
「なに?」
「この袋、中身服だろ?」
「……みたいだけど」
「ホントに開けちゃダメなのかよ」
「……じゃあいいよ」
しつこいシノブが言い出したら聞かないことも、もうサトルは知っている。観念して袋を開けることにした。
ドアを開けると廊下には数人の生徒たちが騒いでいた。大きなカバンを持ってこれから学校へと向かう様子の生徒。ラフな服装で友人同士喋り合ってる生徒。それぞれの朝を迎えているようだった。
「マツ、行くぞ」
先を行くシノブが廊下を我が物顔で歩く。
周囲の生徒はシノブの姿を見ると自然に話すのを止め気さくに挨拶をしているようだ。
それへ嫌味な笑みで応えるシノブ。
「生徒会、だもんな」
サトルは小さく呟いた。
「おい、マツ元気ねえな!」
「そんなことない」
「そうかぁ?」
振り向きながらシノブは声高くサトルへと話しかける。
「いやでもオックのセンスやっぱいいぜ。このTシャツ形もデザインもいいし、てかマジで五万で済んだのかよ?ブランドだろ」
白と黒の模様で奥崎が先日プレゼントとして渡してきた袋の中にあった商品。
今まで着た事がないような服。
しかもあれから一ヶ月。
今更着れない、とサトルは思った。
が。シノブは見た瞬間にその服に惚れ込み今日一日だけ着たいと言い出したので承諾することにした。さすがに顔が綺麗なだけあって正直に似合う、とサトルは思った。自分が着るなんて想像もつかないけどシノブが着ればかっこよく見えるもんだな、と少し感心したくらいだった。
「マツも着てくりゃよかったのに」
「俺はいいよ」
――本当にムリ
サトルは目の前にいるシノブの姿に少し羨ましさを感じた。
――自分が着たって。
サトルは無意識に愛想笑いを浮かべた。
食堂の入り口は生徒の出入りで混雑していた。
中からは大声で騒ぐ声も廊下まで響いて聞こえてくる。
「あ、おはよーー!」
食堂のおばちゃんは朝から元気だ。
生徒たちのざわめきを一掃するほどの高い声がこちらへと響いてくる。人ごみをうまくすり抜けてシノブはそこまで歩いていく。サトルはそのすぐ後ろを付いて行った。
「神崎ちゃん書記さんに選ばれたんだってね。おめでとう」
神崎ちゃんと呼ばれてるのか、とサトルは無言のまま思った。
「まぁね。だから人より頑張らなきゃいけねえから大盛りにしてくれよ」
図々しいシノブの言葉にもおばちゃんは気さくに笑ってはいはいと返事を返した。そのままシノブは適当に席を見つけて向かいの席を叩いてサトルを呼んだ。サトルはシノブの向かいへと座り小さく息を吐いた。
――朝からの人ごみは更に好きじゃない。
やっぱりもう少し時間が経ってから来ればよかったと少し後悔した。
「やっぱり朝は納豆だよな」
「うん」
あんまり納豆自体は好きじゃないがそんなことを言い出せばまたシノブ節が始まるだけ。サトルは小さく笑って応えた。
「ん?あれオックじゃね?」
「え」
背中に少し汗をかく。シノブが向いている方向へと顔をゆっくりと向けると奥崎が入り口から食堂へと入ってきたところだった。
やばい。
サトルはすぐに前を向いて知らない素振りでなんとなく遠くの窓へと目を向けた。雨はまだ降り止んでいないようだった。
「オックー」
逃げることなんて許されない、残酷にもシノブは奥崎へと声をかけた。
「神崎」
耳へと入る奥崎の低い声。サトルは振り向くことができずただじっとしたままでいた。
「お前もこっちで食えば?…………って聞こえてるか?」
不審な空気にサトルは顔をあげる。向かいのシノブが怪訝そうな顔つきで奥崎を見ている。不安になったサトルはゆっくりと都合悪そうに奥崎の方へと振り向くと無表情でシノブを見たまま突っ立っている様子だった。
「オック?」
疑問そうなシノブの声と同時にこちらへと歩いてくる奥崎の足音が強く音を増した。
「どうしたんだよ?」
奥崎はシノブの横まで歩いて立ち止まる。なにも言わずただ黙ったままシノブを見下しているようにサトルには見えた。
「……オ……オクさん……?」
恐る恐る声をかけるもそれは無視され奥崎はじっとシノブを見つめたまま。
「どうしたんだよ?怖ぇな」
少し笑おうとしたシノブ。
が。
奥崎は無言のままシノブの着ているTシャツに手をかけるとやおらベロリとそのまま脱がせた。
突然の行動にサトルとシノブは目を見開いたまま固まった。
「な!なにすんだよ!」
一拍おいて、いきなり上半身を裸にされたシノブの声が食堂に響く。それを全く意に介さず奥崎がサトルへと視線を向けて低く声を出した。
「マツ」
「え……な……」
あまりの事にまだ頭が真っ白な状態のサトルは小さく声を出した。
「これはお前が、着てこい。食堂出たトコの談話室、今誰もいねえから」
「…………わかった」
奥崎から差し出されているTシャツを片手で受け取るとサトルは席を立った。向かいには上半身裸状態のシノブ。なにか言いたそうな雰囲気だったが呆気にとられて声が出ないらしい。
「神崎、ちょっと待ってて。すぐ着替えてくるから……、今俺が着てるのお前に貸すよ」
サトルはそう言うと足早に食堂を出て談話室へと入っていった。
回りの生徒たちも会話するのを止め、事の成り行きに驚いていた。食事中にも関わらず黙って箸を持ったまま固まっている者もいた。
「……!オ、オック!!てめえ人に恥かかせやがって!」
「人の服を着てるお前が悪いだろ」
淡々としたいつもの口調で答える奥崎の言葉にシノブは顔を真っ赤にして怒った。
「こんなんじゃ俺変態みたいじゃんか!朝から!しかも食堂でだぞ!」
「今にマツが戻ってくる。ちょっと待て」
「待ってられるか!ちょっと借りただけじゃんかよ!」
「じゃあもう借りないことだな」
「お前……!」
「いいから座れ。目立つぞ」
そう言うと奥崎はシノブの隣の席へと腰を下ろした。怒り収まらない様子でシノブは隣へと睨み付けるも周囲の驚いたような目に気づき、ゆっくりと席へとつく。
「……お前、俺書記になったばかりで全校に名が知れ渡ってるんだぞ」
「知ってる」
「知ってるってお前」
小声でシノブが奥崎へと文句を続けるが、奥崎はしれっとしたまま腕を組んで座ったままだ。シノブが観念して呆れた様に大きく大げさに息を吐くと、食堂入り口から聞きなれた声が響いた。
「おはよーございます」
背丈はこの食堂内で一番小さいだろう。
赤いTシャツを着て元気に入って来たのは佐田マコトだった。
「子猿」
シノブが小さく呟いた。奥崎は少し目を細めて入ってきた相手を理解すると片手をダルそうに上へと伸ばした。
「マコト」
「あ!オクさん!おはよー」
「座れば?」
「うん、ありがとー。……ってどうしたの?味噌汁でもこぼしたの?カンちゃん」
「カンちゃん言うな。俺は今機嫌悪いんだ」
「うん……見ればわかるよ」
奥崎に呼ばれてマコトは早々にその場へと走って来て奥崎の向かいの席へと座ろうとするも上半身裸のシノブを不思議そうに見つめながら応えた。
「変な目でみるな!この子猿!」
「あ!ひでぇな!子猿じゃねえよ!マコトって名前あるんだからな!」
「うるせえ子猿」
バカにしたような口調でシノブは関係のないマコトへと当たった。マコトはその態度に少し目を細めて腕を組んだ。
「いいのかな?そんな変な格好で俺にそんなこと言って!生徒会に入られなくなっちゃうかもしれないよ?」
「なんでだよ」
「俺の兄貴、生徒会副会長だもん。カンちゃんより偉いんだからな」
「は?マジで?誰だよ」
「俺の兄貴、佐田タキって言うんだ。もう知ってるでしょ?」
「マジかよ」
「マジマジ」
「…………」
都合悪そうにシノブは怒り任せに頭を掻いた。
「……どうでもいいがあいつ遅いな」
奥崎が談話室へと目を向けて言った。
「お前……どうでもいいがって!俺の生徒会の命がかかってんだぞ?!」
「…………」
声を張り上げるシノブへは目もくれず奥崎は小さく舌打ちをして席を立った。余裕でフルシカトをキメられたシノブとマコトは呆然と奥崎の背中を見つめたまま。
「カンちゃん、寒くないの?俺、ジャージ取って来てやるよ」
「……寒い」
不機嫌そうに答えるシノブの声にマコトは陽気に待ってて、と一言言うと走ってまた食堂を出て行った。
「……あー……だせぇ」
シノブは疎らに人がいる食堂のど真ん中で顔をテーブルへと伏せた。
周囲の目はちらほらとシノブへと向けられた。
早く、早く着なきゃならない。
サトルはそう思いながら素早く自分の着ていた服を談話室ソファへと脱ぎ捨てた。そして床に置いておいた例のTシャツを手にとって、それから。しばしそれを見つめたまま動けずにいた。
本当に久しぶりに奥崎と口を聞いただけで。
自分の顔が異様に熱い。
サトルは何度も深呼吸をした。こんな形で買ってもらった服を着ることになるならもっと初めに覚悟を決めて着ればよかった。そんな後悔さえこみ上げてくる。頭を過ぎるのは一ヶ月前の事。抱きしめられた感触を未だに覚えている自分の身体。
「バカじゃねえの……俺……」
急に恥ずかしくなってサトルは服を手に持ったままソファへと座り込んだ。異様に高鳴りが収まらない心臓の鼓動。緊張のせいか。それとも、それとも。サトルは顔を横へと振った。
「マツ、入るぞ」
急に談話室のドアが音を立てて開く。サトルはあまりの驚いて振り向くことができなかった。
バタン、とドアが閉まる音がした。
「もう着たか?」
いつもよりも穏やかそうな奥崎の声。
サトルは首を振って応えた。
「なんだ、まだか」
歩いてくる足音がこちらへと近づいてくる。
「ちょ……、ちょっと待って。すぐ着るから」
サトルは早い口調で答えるも急に掴まれた手首の痛みに顔を歪めて奥崎へと顔を向けた。無表情。その顔をサトルは直視することができずにすぐ顔を下へと向けた。
「……すぐ着る……」
小さく話すも相手からの反応がない。ゆっくりと様子を伺うようにサトルは奥崎へと再度顔を向けると同時に座っていた状態からソファへと身体を押された。
汗でべたついた体がソファの皮へと張り付く。
「オ!オクさん!?」
「服が着れないなら着せてやる」
「大丈夫だから!」
「じゃあいつまで俺のことを避ける?」
言われた言葉に口を少し開いたままサトルは固まった。
確かに。
確かに自分は奥崎を避けてしまった。
どう言い訳すればいい?
どう言えばいい?
サトルには分からない。混乱したから、それが理由になるのかも、話して良いことなのかも。
「……避けてたわけじゃ……」
「避けてただろ」
「……悪い……」
「じゃあもう避けるなよ」
自分へと覆いかぶさるように奥崎が顔を近づける。
サトルは生唾を飲んで顔を横へと背けた。
「……お前、耳にピアスとか開けたことないんだな」
「ない……」
「……じゃあ今度開けてやるよ」
耳元で話す奥崎の声でサトルは一層背中に汗を掻いた。
自分がずっと思い悩んでいたこと。
今それを話すべきなのかもしれない。
なんで抱きしめてきたのか。
今。
今、聞いてみよう。
サトルは口をゆっくりと開こうとした。
「あ……あのさ」
ワッと大きな歓声にも似た声が食堂から響いた。
サトルは驚いて目を大きく開く。
奥崎はゆっくりとサトルから身を引いて頭を指先で掻くと掴んでいたサトルの手首ごとサトルを引っ張ってソファから立たせ、サトルの持っていた服をすぐさまサトルへと着せた。
「あんまり上半身裸でいると風邪ひくぞ」
「あ……あぁ」
変わらない奥崎の表情。
サトルは俯いたまま頭を下げた。
奥崎の手で開けられた先、食堂内では人だかりができていて奥がよく見えなかった。
「……なにごとだよ」
奥崎の声にサトルも疑問に思いながら食堂内へと入った。ふと、奥崎がサトルへと振り向いて来た事にサトルはきょとんとした顔で自分より背の高い奥崎へと顔をあげた。
「やっぱ似合うな、それ」
「あ、……ありがと」
少しだけ笑顔を見せてきた奥崎の顔を見て、サトルは少しホッとした気持ちになった。
人ごみを擦り抜けてシノブのいる場所が見えた。
先に目に入ったのは赤いTシャツを着たマコトの姿。それから何故かジャージ、というか学校のトレパン姿のシノブだった。
「……丈短くねぇか?」
奥崎の言葉に眉を顰めながらサトルが少し背伸びしてシノブを見ると学校指定のトレパンの丈が異様に短いことに気づきサトルは口を押さえて笑いを堪えた。
「なんで?」
「さぁな、寸法間違えたんじゃないか?」
素っ気のない奥崎の返答にまた笑いがこみ上げる。
「そんなに怒らないでよ、えっと……神崎君」
「うるせえよ!そんなこと生徒会が許すわけがねえ!許可が必要なはずだ!」
え、とサトルは少し驚いたように顔を横へと向けるとシノブの向かいに対峙している男の後姿が目に入った。
後姿でも相手が誰かはすぐに理解した。
H組会長、上月ミナミだ。
灰色のタンクトップにダメージジーンズ姿のミナミの周囲には何人もの人だかりができていた。取り巻きでもいるのかとサトルは疑問に思ったがそれより。そんな相手に対してどう見ても丈の短いトレパン姿で怒りに燃えているシノブが少し哀れに思えた。
「まぁまぁカンちゃんそんなに怒らないでさ!」
シノブの横で必死に宥めようとするマコトの様子も可哀想だ。サトルは人ごみから前へと出てシノブの下へと出た。
「神崎、悪い。はい、これ着替えろよ」
「今それどころじゃねえ」
差し出したTシャツを見もせずにシノブはミナミをきつく睨んでいるが、ミナミは変わらず至って穏やかな顔つきで立っていた。
「どうかしたのか?」
サトルがシノブへと聞くとシノブは少しだけサトルへと目つきの悪い視線を投げた。
「こいつ、風紀委員会作ったって言い出したんだ。元々橘には風紀委員会なんかねぇ!勝手に作って会長になったって言うんだぜ?!許させるわけがねえ!」
「だからちゃんとこうして生徒会会計さんに報告に来たんじゃないか」
「会計じゃなくて書記だっつうの!」
今にもミナミを殴るんじゃないかと不安になるほどのシノブの勢いにサトルは焦った。
「神崎!ちょっと落ち着けって!」
「落ち着いてられるかよ!」
「そんなに俺が目立つのが嫌いかい?ゴリラ君」
「だからゴリラってやめろや!」
「カンちゃん!」
周囲のざわめきも自分らの声もピークに達したと思ったその時。
急に食堂奥の廊下から別のどよめきが耳へと入った。
「マツ」
奥崎が食堂廊下奥へと目を向けたまま声をかける。
「え?」
肩を奥崎に引っ張られ後方へと数歩下がると傍に居たマコトが驚いた顔で人ごみの中で道が作られていく方向を見た。
「!!!なんで!」
シノブの目が鋭く食堂入り口へと向けられる。
サトルはそちらへと顔を向けると自分らよりも身長の高い男三人がこちらへと向かって歩いてくるのが見えた。
一番前を歩く男の顔はどこかで見た顔だ。
長い黒髪を後方へと流し、細い眉に鋭い瞳が周囲を圧しているように見えた。思い出した。橘生徒会会長、大塚コウジ。その後ろには副会長、仙崎レン、佐田タキを従えていた。
「朝食を済ませた者は速やかに自室へ戻りなさい」
マコトの兄、タキの声が優しげに響いた。
「マジかよ……」
シノブが小さくぼやいた。
食堂内へとゆったりとした足取りで入ってきた三人はシノブの横へと着くとおはよう、と声をかけた。
「……おはようございます」
渋々ながらも逆らおうとはせず挨拶を返すシノブの姿にサトルは正直驚いた。
「神崎、ミナミって誰だ?」
仙崎が陽気にシノブの肩へと手を乗せて話す。シノブは言われるがままに目の前で優雅に微笑むミナミを人差し指で嫌々指した。
「会長」
優しげなタキの声に一番前に居たコウジがゆっくりと頷いた。
「……ところで神崎、別に生徒会に入ったからといって指定ジャージの着用をする必要はない。……律儀だな」
口調は穏やか、だが低い掠れ声だ。
コウジの言葉にシノブは少し身を乗り出した。
「これは別にこうしなきゃいけないと思ってした格好じゃないんで。ちょっと色々あって」
「それで風紀委員と対峙してるわけか」
「そうですけど……」
コウジは少し目を細めて笑むとミナミへと顔を向け会釈する。それに同じ反応を示すミナミは一層にっこりと笑ってみせた。
「朝からうちの役員が申し訳ない。早めに役員には教えるべきだった。上月さんを会長に風紀委員会を立ち上げる事については俺らも聞いてる、学校側からも既に承認を得ての事だ。頑張って欲しい」
「はぁ?!」
それに声を張り上げて嫌悪を示したのはシノブだった。
「そう言って頂けるとありがたいです、会長。今後ともよろしくお願いしますね」
シノブの声も虚しく、コウジとミナミ、会長同士の間は穏やかに握手を交わされた。
「じゃあ俺らはこれで」
コウジはそう言うと後ろへと踵を返して食堂の出口へと向かって歩き出した。それに伴って副会長二人もミナミへと笑顔で会釈し付いて行く。
「さて俺もそろそろ行こうかな。じゃゴリラ君もこれからよろしくね」
暗い形相で呆然と立ち尽くすシノブの肩を二度、軽く叩いて。ミナミも数人従者に従えて、食堂を後にした。
しんと静まり返った食堂の奥からおばちゃんたちの笑い声が響いた。
「今日の神崎は厄日だな」
朝食を早々に平らげて奥崎が事務的に言うとサトルの顔が引きつった。
「いや……ちょっとタイミングが悪かっただけだろ」
「カンちゃん大丈夫?」
食堂内にはもうマコト、サトル、奥崎、それから朝食にも手を付けずじっと俯いている神崎のみになっていた。先程の騒ぎでは多くの生徒がいたが今ではもう全員自室に戻ってるかそれぞれの時間を過ごしている。
「……今俺に話しかけんなよ」
シノブの暗い声がサトルの胃に響いた。
「でも食べないと」
それでも気を遣うサトルの言葉にシノブは渋々箸を持った。
「……朝食は一日のパワーの源だからな。一応食っておくか」
少し機嫌が良くなったか、とサトルは少しほっとして笑った。よかった。何がどうでも同室、今日一日機嫌悪くされたら部屋にいられなくなってしまうところだ。食堂に来てからのシノブのことを思うと少し可哀想な、同情にも似た気持ちになった。
「しかし、ミナミが風紀委員か」
「何で役員選に出ねえんだとは思ってたんだ。あいつらしいっちゃあ、あいつらしい手口だぜ」
気に入らなさを口調にぶつけてくるシノブ。
サトルは黙って聞きながら食事を続けた。
「そういえばカンちゃん、服着替えなくていいの?」
マコトの言葉にシノブは片眉を上げるも、あぁ、と生返事を返す。
「怒りで自分の服装のこと忘れてたぜ。飯食ったら着替える」
「俺のだから返してね」
マコトの言葉に奥崎がそうか、と理解を示してシノブを見ながら小さく頷いた。
「なんだ、それマコトのか。道理で短いと思った」
「おい……普通に予測つくだろうが。俺様がこーんなパツパツのトレパン履くか?だせぇ」
「チビで悪かったな」
マコトは少し拗ねるような顔をして横を向くもまたすぐ正面を見てテーブルを指で叩いた。
「でもさ、びっくりしたー。急にコウジ来るんだもん。どうしたのかと思ったよ」
「コウジ?マコト、あの会長さんの友達かなんかか?」
サトルはマコトを不思議そうに見ながら質問すると、マコトは少し笑ってそうだよ、と陽気に答えた。
「俺のバンドのヴォーカル、コウジだからね」
「そうなんだ」
あんな周囲を圧するような会長さんとよく同じバンドなんかできるなぁ、とサトルはマコトを少し尊敬した。
見るからに美形で、しかも生徒会長。
サトルにとって近づきたくない種類の人間だ。
「すごいな」
思わず、そんな言葉までも口を付いて出た。
「そんなに誉めないでよ、マッちゃん」
言葉とは裏腹にマコトは嬉しそうにはにかんでみせた。
「でも仙崎先輩も生徒会だし、みんなすごいな」
本当に。
自分とは比べ物にならないような人間たちがたくさん存在するな。
サトルは言いながら少し表情を曇らせた。
この学校に入学してから。
シノブは生徒会へと入り、マコトと奥崎はバンド。
他のクラスのミナミだって同級生のはずなのに自分の力で風紀委員会を設立したり。
自分じゃあとても考えられない。
「さて、俺今日は出かけようかな」
「へ?こんな雨の中どこにだよ」
シノブが口の中に食べ物を頬張りながらサトルを見た。
「どこへだっていいだろ」
シノブと目も合わせぬまま、静かな口調でサトルはそう言ってから、小さく笑ってみせた。
「たまに一人になりたい時間とかあるんだよ、俺。気にしないでな」
そう言うとサトルは空になった食器を持つと食堂奥へと運んで小さく手を振って早々に食堂を出て行った。
やっぱり、好きじゃない。
この空間。
多分、自分は馴染めないし、馴染みたくない。
サトルは廊下を徐々に駆け足で進んでいった。
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