第三十八話:学問と芸術の街、ラットベルト

 船から馬車へと乗り継ぎ、イオたち魔法科一行を乗せた馬車がラットベルトの街門をくぐったのは、日が地平に沈む少し前だった。

 山の麓に作られたラットベルトは王都と比べると数段小さい街だ。だが周囲を壁で囲まれた立派な地方都市の一つである。

 アンリエッタはメモを読みながら、明日以降のスケジュールを再告知する。


「皆さん、長旅お疲れ様。ようやく目的地のラットベルトに到着しましたね。今日はこのままラットベルトの魔法学校の建物に泊まって、見学は明日からの予定です」


 馬車での移動は長時間車輪に揺られ、知らず知らずのうちに身体に疲労が溜まる。イオが背筋を伸ばすと、固まった背中の筋肉が鈍く痛んだ。

 校外学習の期間はラットベルト魔法学校の中にある部屋で寝泊まりをすることになっているので、今日はそこへ向かい荷ほどきをするだけだ。

 王都のほぼ中心にあるカンビエスタの魔法学校とは違い、ラットベルトの魔法学校は街の外門からさほど離れていない場所にあった。ゆえに馬車はほとんど街のなかを通ることなく、魔法学校の敷地内へ入る。

 敷地の面積で言えば王都の魔法学校と同じくらいだろう。しかし騎士科の施設や大きな訓練場がない分だけ、ラットベルトの魔法学校は建物が集まっていた。三階建ての大きな学舎がいくつも密集するように建ち並んでいる。馬車はそのうちの一つに横付けした。

 イオ達が荷物を抱えて馬車を降りると、タイミングを見計らったように一人の老翁が学舎の中から出迎えにあらわれた。アンリエッタは杖をついているその老人に頭を下げる。


「やぁやぁ、アンリエッタ先生。お久しぶりですなぁ」

「お久しぶりです、シャウェイ先生。お元気そうで」

「ほっほっほ、儂はあと十年は生きるつもりなのでな」

「確か二年前にも同じ事を言っていましたね」

「毎日言っておるぞ。健康のヒケツじゃ」


 しゃがれた声で陽気に笑うこの老人が、このラットベルトの魔法学校で学長を務める人物らしい。


「さて、子供達。儂の名前はシャウェイ。ラットベルト魔法学校の学長を務めておる陽気な爺さんじゃよ。気軽にシャウェイ先生と呼んでくれたまえ」


 彼はイオたち生徒の方へ向き直り、改めて名乗った。そしてイオ、フレデリカ、チェルシーの顔を順に眺め、


「君たちが新たな生徒じゃな――」


 次の瞬間、背後から伸びた手がイオの肩に添えられた。


「――ようこそ、ラットベルトへ」

「「「うひゃぁ!?」」」


 背後から突然聞こえた声に、イオ、フレデリカ、チェルシーの三人は声を揃えて悲鳴を上げた。驚いて振り返ると、いつのまにかシャウェイが背後に立っている。

 しかしシャウェイはついさっきまで目の前にいたはず。見ればやはりそこには全く同じシャウェイの姿が。

 まさか双子? イオがそう思った次の瞬間、目の前に立っていたシャウェイの姿が揺らぎながら消えた。そこに残っているのは彼がついていた杖だけだ。


「ど、どういうことかしら……?」

「儂の魔法じゃよ。闇属性の精霊の力を借りて光を歪め、儂の姿を消していたのじゃ。正面の儂は幻像じゃよ」

「でも声は前から聞こえていましたよねー?」

「それは風のエンチャント。儂らの研究成果の一つじゃ。短時間じゃが、その杖に儂の声を封じ込めていた」


 フレデリカとチェルシーの疑問に、得意げな様子で答えてみせるシャウェイ。


「いやはや、驚いたかね?」

「そ、それはもう驚きました」

「それは良かった。悪戯を仕込んだ甲斐がある」


 素直なイオの反応に満足したらしく、シャウェイは嬉しそうに頷いた。隣を見ればアンリエッタが呆れた表情をしていて、ガナッシュも苦笑いだ。


「あまり生徒を驚かせないであげてください、シャウェイ先生」

「そう怒りなさんな、アンリエッタ先生」


 シャウェイは真っ白な顎髭をさする。


「アンリエッタ先生は優秀じゃが、どうも遊び心が足らん。本人が武闘派なのが問題なのかのぅ」

「魔法は遊び道具ではありませんよ」

「魔法は鬼を打ち倒すための武器。戦う魔法使いにとっての常識じゃからな。それは別に否定せんが、子供達は魔法の色々な可能性を知るべきじゃ」


 歯の抜けた口をニカリと大きく歪め、シャウェイは陽気な笑顔を作った。


「じゃからこの校外学習の間に、儂ら研究畑の魔法使いが教えてやろう。魔法がどれだけ面白いものか、をな」

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