第三十七話:校外学習へ出発
風を大きな帆で捕らえ、船はカンビエスタ川の流れに逆らい上流へとぐんぐん上っていく。風に混じる川の独特な匂いに旅を感じる。時折遠くの水面を魚が跳ねている様子を、イオは船の縁から眺めていた。
イオたち魔法科の一行は校外学習と称し、王都カンビエスタから船に乗ってもう一つの魔法学校がある都市、ラットベルトを目指している。
帆船は川の流れに逆らいながらもさほど揺れることはなく、イオは初めての船ながら今のところ船酔いの気配はない。しかしチェルシーが意外にも船に弱いようで、普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、アンリエッタと共に船室で休んでいる。
他の面々は外に出て、美しい川の流れを眺めて暇を潰していた。
「この調子だと、三日半くらいで到着するらしいですよ」
イオが船員に聞いたところ、そう答えが返ってきた。この船は魔法学校が貸し切っている船で、乗客はイオ達以外にいない。あとは船を動かす船員が五名乗っている。
彼らは威勢良く声を上げて船を操縦していたが、今は風の流れに上手く乗ることが出来たようで一休み中だ。
風の調子が良いらしく、船は順調に進んでいる。目的地はドノメイという港町。船でドノメイまで行くと、そこからは馬車に乗り継いで半日ほどかけ、ラットベルトに向かう。
「……早い方が良い」
イザベラはちらりと視線を船室の方へ向けた。体調が優れないチェルシーを慮ってのことだろう。チェルシーは乗船前に、船に乗るのは初めてだと言っていたが、思わぬ弱点が見つかってしまった。
校外学習に向けて本を買っていたチェルシーだがこれでは読書どころではない。
「チェルシー、大丈夫なのかしら?」
「揺れはひどくないけど……」
「あそこまで船に弱い子も珍しいよなぁ」
「でも船酔いで死んだ人の話は聞かないから、きっと大丈夫よ!」
シェスカはそう笑った。イオは流石にそこまで楽観視できないが、アンリエッタがついているので大丈夫だろう。
「それより、三人は精霊の調子はどうだ?」
「……難しい」
「私も、かなり離れちゃったかなぁ」
「僕も割と……」
精霊の使役を訓練中のイザベラ、シェスカ、イオは口々に言った。
イオ達が今取り組んでいるのは、精霊を遠くまで連れて行く練習だ。精霊はその土地に根付くものであり、魔法使いは慣れ親しんだ土地以外では十分に魔法を使うことができない。
これは以前、イオが盗賊団に誘拐されたときに体感したことだ。あのときはイオが自分のカリスマを全力で発揮しどうにか魔法を発動できたが、それもせいぜい二、三度の魔法が限界だった。他の魔法使いであっても同様だろう。
しかし騎士と共に各地の鬼を討伐する魔法使いが、新たな土地へ赴く度にそのような状態では困る。
そのため特に鬼と戦う魔法使いは、自らが慣れ親しんだ土地の精霊を意識的に従え、遠方まで引き連れていく訓練をしている。こうすることでどこであっても自分が引き連れている精霊の力を借りて魔法を発動することが可能になるのだ。
勿論、精霊との親和性を高めて現地で精霊の力を借りることも重要だが、地形によっては自分と相性の良い精霊が少なく、満足に魔法を発動出来ない可能性もある。そのためより即応的な手段として、この技術は重視されている。
アンリエッタ先生の指示の元、イオ達はそうして王都から精霊を連れてきているのだが、王都から離れるにつれてその精霊の数がどんどん減っていく。まだ王都を出発して半日も経っていないが、イオが連れている精霊は当初の半分ほどになっていた。
しかもそれはまだ数を保っている方で、チェルシーやイザベラはもう既に当初の三割程度しか残っていない。
「ガナッシュ先輩は慣れてますね」
ガナッシュの周りには精霊が付き従ったままだ。その数は王都を出発したときとほとんど変わらないように見える。
「コツさえ掴めれば、意外とこれは簡単だよ。実地訓練では実際にあちこちを回っていくから、これが出来ないと本当に困るし、必要に迫られて身につけたって言うのもある。ただ俺も、まだ五日くらいが限度だな」
慣れてくればもっと長期間であっても精霊を連れ歩くことが出来るのだとか。
「精霊を連れ歩く、って意味なら、エンチャントにも近い技術かな。ただしエンチャントの方が難しいけれどね」
「ガナッシュお兄様、わたくしはどうすれば?」
「フレデリカは精霊との交信を出来るようにならないとなぁ……」
まだ精霊との交信が上手く出来ず、魔法も使えないフレデリカ。船の上でも精霊に呼びかける訓練をしているが、その成果は芳しくない様子だ。
「一番難しいのが、一番初めの精霊に声を届かせることだからなぁ。何かきっかけを掴めば、そこからは流れに乗れるんだけど」
困ったようにガナッシュは頭を掻く。こればかりはガナッシュもアドバイスが難しいようだ。イオも同意見である。
アンリエッタからも教わったことなのだが、魔法使いが訓練する上で最も難しいことは、魔法を発動することではなく精霊と交信できるようになることらしい。
一度精霊と交信できるようになれば平均して二、三ヶ月の訓練で簡単な魔法の発動までこぎ着けることができるそうだ。そしてそこから徐々に魔法の規模を大きくしていく。
精霊に声を届かせることが、最も初歩でありながら一番に時間と根気が必要になる。入学してかれこれ一年近く訓練を続けているフレデリカとチェルシーの二人が、未だ精霊と交信できないことからもそれが分かるだろう。
「きっかけ……ガナッシュお兄様の場合はどうだったのかしら?」
「俺は料理の最中に目の前を横切った精霊がいて、包丁で指を切ったんだ。それで思わず怒鳴りつけたら、言うことを聞いて目の前を横切らなくなった」
「そ、そんなきっかけだったんですか?」
「下らないきっかけだけど、それ以降は精霊が俺の言うことを聞くようになって、魔法もすぐに使えるようになったなぁ」
フレデリカを初め、全員が苦笑いだ。料理の失敗から魔法が使えるようになるとは、何とも不思議な話である。
「イオは? イオも魔法が使えるけれど、何かきっかけがあったのかしら?」
「僕は、気がつけば精霊のみんなとお話しできるようになってたから覚えてないや」
「それは凄い……」
「魔法のきっかけは、アルマさんと一緒に大型の鬼に襲われて、危ない目に遭った時に、僕がみんなを助けなきゃって思って。そうしたら精霊のみんなが僕に協力してくれたんだよ」
「イオくん、濃い経験してるなぁ。実地訓練してる俺でもそんな経験ないぞ」
ガナッシュの呆れた表情にイオは照れ笑いを返すほかない。
「つまり、わたくしも鬼と戦えば魔法が使えるようになるのかしら?」
「危ないから本当にしたら駄目だよ、フレデリカ」
「もう、冗談ですわ。わたくしだってそれくらい分かっていますわよ」
フレデリカは舌を出してお茶目に笑った。
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