第二十一話:算術と商人の娘
午前中の座学が終了し、昼休憩が始まったというのにも関わらず、イオは一枚の紙を前にしてうんうんと唸っていた。それに気がついたフレデリカとチェルシーがイオのもとへやってくる。
「イオ、そんなに唸ってどうかしたのかしら?」
「実は、さっきの算術の問題が難しくて解けなくて……。そうだフレデリカ、良かったら教えてくれないかな?」
イオの机に置いてある紙には算術の問題が書いてあった。つい先ほどの授業でアンリエッタから課された宿題だ。
イオは算術が苦手だった。そもそも彼にはモーリス村にいたころに村長のベンなどから簡単な読み書きを習っていた程度の学しかない。勉学に対して真面目に取り組んでいるものの、やはり習い始めたばかり。算術に対して若干の苦手意識が出来上がっていた。
「う……算術はわたくしもあまり得意ではないから」
「なら私が教えましょーか?」
渋面を作るフレデリカに代わって名乗り出たのはチェルシーだった。
「チェルシーは計算が得意なの?」
「そりゃもう、生まれた時から教えられていたので算術は得意ですよ。こう見えて、私は商人の家に生まれたので。『銭勘定が出来ないと死ぬ』と脅されながら育ったようなものですからねぇー」
ひょいとイオの肩越しに紙をのぞき込み後ろから解き方を教えてくれる。適度に問題をかみ砕いてくれるチェルシーの説明はとてもわかりやすかった。
「で、あとは残ったリンゴの金額を足せば」
「……あっ、解けた! ありがとうチェルシー、とっても分かりやすかったよ!」
「いえいえ、役に立てたみたいで何よりです。代わりに今日の午後の訓練で、精霊との話し方を教えてくださいな。アレって何かコツとかないんです?」
「あっ、それはわたくしも聞きたいですわ!」
チェルシーの提案に、側で話を聞いていたフレデリカも賛成を示した。
フレデリカとチェルシーの二人は魔法の使用どころか、精霊と交信することもまだ出来ていない。故に精霊の扱いに慣れているイオから何か助言を貰いたいようだ。
だがイオは困ったように僅かに眉を寄せる。というのも、
「うーん、精霊との話し方かぁ。すっごく感覚的だから、ちょっと教えるのは難しいかも……」
イオにとって精霊とは物心がついたときから側にいた友人のごとき存在だ。彼らとのやりとりに特別なことはなにもない。コツと言われても困ってしまう。
だから他人にやり方を上手く説明することが出来そうにないのだ。
「例えばほら、こんな感じで」
ものは試しと実際にやってみせる。
イオが軽く頭の中で声をかけると、教室のなかでもすぐに精霊が集まってくる。最近は少しずつ仲良くなってきた、王都にいる地の精霊たちだ。アンリエッタの教えを守り、毎日時間をとって交信しているので、少しずつではあるが彼らもイオに心を開いてくれ始めている。
イオの周りをくるくると漂いはじめる。
「おおー、器用なものですねぇ」
「むむ……!」
当然、精霊が見える二人にもその様子は見えている。チェルシーが感嘆の声を漏らし、フレデリカは何やら対抗意識を燃やしているのか唸っていた。
「こんな風に集まって、ってお願いしたらみんな来てくれるからあんまり特別なことは……」
「それで来てくれたら苦労はしてないんですがねぇ……」
チェルシーは困ったように頬をかいた。
「二人はどの精霊と相性が良いかも分かってないんだよね?」
「声をかけて誰も寄ってきてくれないのに、相性も何もないですからねぇ」
まだ自分が得意な魔法も相性の良い精霊も分からない状態らしい。
イオは集まってきた精霊に対して、ついでにと問いかけた。
「シェスカさんとイザベラさんはもう戻ってきそう?」
精霊たちは微かに明滅した。それをイオは肯定だと受け取ったのだが。
「今のは二人は分かった?」
「いえ、さっぱりですわ」
「私も分からなかったですね」
どうやらそこまでは二人とも理解出来ていないらしい。一方的に呼びかけるだけではなく、この精霊との相互理解も訓練で養っていく感覚なのだろうか。
「多分だけど、もうすぐシェスカさんとイザベラさんが教室に戻ってくるよって言ってる」
イオの言葉とほぼ同時に教室の扉が開かれ、シェスカとイザベラの二人が図書室から戻ってきた。シェスカは教室の中で精霊を集めているイオに疑問を投げかける。
「あれ、イオ君ってば何してるの?」
「二人に精霊との話し方を聞かれて」
あぁ、とシェスカは納得し手を打った。
「こればっかりは、繰り返ししかないんじゃないかなぁ」
イオと同じく魔法を扱えるシェスカもやはり、そこは感覚的なものらしい。イオも同意見だ。
「ごめんね二人とも、あんまり役に立てなくて」
「いいえ、構いませんわ」
「ええ、ダメで元々でしたから気にしないでください。代わりに放課後に買い物に付き合ってもらいましょう。そこで軽食でも奢ってくれたら、今回の授業料としてあげましょー」
さらりと買い食いの提案を言い残し、チェルシーは教室を出て行く。イオはチェルシーの言葉を理解するのに数秒消費し、フレデリカと顔を見合わせると、ちゃっかりしてるなぁと苦笑いをしたのだった。
◆ ◆ ◆
そんなこんなで放課後。イオは約束通りチェルシーの買い物に付き合うことになった。フレデリカもついてきている。
三人は魔法学校から足を伸ばして商い通りまで出てきていた。この辺りはいつ来ても商売の活気に溢れていて、それは今日も例外ではない。
「さぁ、二人とも! わたくしについていらっしゃい!」
フレデリカは楽しそうに笑いながら先へとどんどん進んでいく。あんまり先へ先へと歩いて行くので自然、後を追うイオとチェルシーの足も早くなった。
「何だかフレデリカ、すっごく浮かれてるね」
「多分、普段は一人で出歩くことなんてないから嬉しいんでしょうねー、お嬢ってば」
どうもかなりのお嬢様らしいフレデリカは魔法学校の登下校もお付きの人らしき人物が送り迎えをしている。今日の放課後も遊びに出かける前に、迎えに来ていたお付きの人をどうにか説き伏せている様子をイオは遠目に見ていた。
浮かれ気味なフレデリカの後を追いかけていて、そこでふとイオは隣を歩く少女の生活が気になった。
フレデリカは送迎つきで家から通っているようだが、チェルシーはどこに住んでいるのだろうか、と。
そのことを問いかけると、チェルシーは隠し立てすることなく素直に教えてくれた。
「魔法学校のすぐ側にある魔法科の学生寮ですよー」
何とチェルシーはそこで一人暮らしをしているらしい。そもそもイオは魔法科にも学生寮があったことを知らなかったので、少し驚いた。
チェルシーいわく建物もとても小さく、元々魔法科は学生が少ないこともあって利用する人はほとんどいないのだとか。
「隣の部屋にシェスカさんが住んでますね。今のところ私とシェスカさんの二人しか住んでませんが」
魔法科の学生は当然、王都で生まれ育った者だけではない。国中から魔法使いの素質を見いだされた者達が集められているのだから当然だ。そんな王都以外の土地からやってきた学生達が生活出来るように、魔法科にも小さいながら学生寮がある。必ず寮での共同生活を送らなければならない騎士科のものと異なり、魔法科の寮は貸し家のようなシステムらしい。
イオと三つしか年が違わず、まだ成人もしていないチェルシーが一人で暮らしているということにイオは素直に感心した。
まだまだ子供で今もアルマの世話になっているイオには一人暮らしなんて無理だろう。
「す、凄いね。大変じゃないの?」
「もう慣れましたよ。国からの支援金に加えて実家からの仕送りもあるので、一人で暮らすならお金に困ることはないですしねぇ。王都は物も多いですから買い物も楽ですし」
「でも、家族と離れて一人だと寂しくないの?」
「……むしろ気が楽ですよ」
呟くように答えたチェルシーの横顔が微かに苦々しく歪んだ。だがイオがそれを意識するよりも先にチェルシーはへらりとした笑みを作りなおして近くの店へ近寄っていく。
「イオ、この蒸しパンを奢ってくださいな。蒸しパンって美味しいですよね。今日の授業料はそれで貸し借りなしにしましょー」
「え、うん。分かった、蒸しパンだね。ちょっとお腹が空いたし、僕も食べようかな」
「あら、ならわたくしも一緒のものを頂こうかしら?」
フレデリカとイオも同じものを買い、三人で仲良く蒸しパンを食べる。
そのままイオは楽しそうなフレデリカに振り回されたり、チェルシーの買い物の荷物持ちを務めたりして、帰る頃にはヘトヘトに疲れてしまった。
◆ ◆ ◆
イオが屋敷の前へ帰ってくると、偶然にもアルマと出会った。
彼女もまた騎士団の詰め所で仕事を終え、ちょうど帰ってきたところらしい。門の前でばったり出会った二人は顔を見合わせて笑い合う。
「おや、イオ。今帰ったのか、お帰り」
「アルマさんもお帰りなさい」
二人は並んで門をくぐり屋敷の中へ。アルマは隣のイオを見ながら笑って問いかけた。
「今日は帰りが遅かったみたいだが、何をしていたんだ?」
「商い通りの方まで行って友達の買い物に付き合っていました。それでちょっと遅くなって。ごめんなさい」
「いや、謝る必要はないよ。そうか……友達がきちんと出来たみたいで何よりだ」
アルマはどこか安心したように微笑んだ。その内心は、きっといつかカイネスが語ってくれた通りなのだろう。
「アルマさんは今までお仕事だったんですか?」
「ああ、ちょっと最近忙しくなってな」
声に僅かな疲れを滲ませるアルマ。何かあったのだろうかとイオが尋ねると、アルマはやや真剣な表情になった。
「実は最近、王都の周りで大規模な盗賊団が出ているんだ。主に商船を狙う川賊らしい。他にも馬車の商隊を襲った事件もある」
「えっ、王都の周りで?」
職を失い食うに困ったなどの理由から盗賊に身をやつすような輩がいることは分かる。だが彼らとて当然捕まりたいわけではない。だからアルマのような魔法使い率いる騎士団が多数ある王都の側で盗賊行為を行うような輩は滅多にいるものではない。
にも関わらず王都の近くで派手な盗賊団が出ていることにアルマは頭を悩ませていた。
「で、でもアルマさんみたいな魔法使いが頑張ればすぐに捕まえられるんじゃ?」
素直なイオの言葉に対し、アルマはゆるく首を振った。
「いや、私や他の魔法使いも努力はしているんだが、恥ずかしいことに奴らのアジトの場所をまだ掴めていないんだ。今は対応策として警備や街道の見回りを強化しているから、しばらくは忙しい日が続きそうだよ。それにこれは襲われた商人からの証言なんだが、連中の頭はもしかすると、精霊遣いかもしれないんだ……」
イオは驚いて目を見開いた。まさか自分と同じ精霊遣いが盗賊行為をしているかもしれないだなんて。自分のことではないにも関わらず、僅かにショックを受けた。
「もし本当に盗賊団の長が精霊遣いなら、危険度はただの盗賊団より遙かに高まる。だから私たちも必死に探しているんだが……。王都の中にいれば問題ないとは思うが、イオも何か事件に巻き込まれたりしないよう気をつけるんだよ」
「は、はい。分かりました。アルマさんも頑張ってください」
「ああ、大丈夫だ。任せてくれ」
すぐに捕まえてみせるさ、とアルマは力強く言い切った。
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