第九話:王都カンビエスタ

 イオたちを乗せた馬車の旅も一週間が経つ。そして大きな問題も起きず順調な旅路は終わりを迎えた。


「おうい、見えてきたぞ」


 御者に手招きされたイオは馬車の中から顔を出す。そして眼前に広がる光景に心を打たれた。


「あれが王都だ」


 魔法大国ベルニグが誇る王都、カンビエスタ。

 街全体が遠目でも分かる巨大な外壁に囲まれており、詳しい中の様子はここからでは窺えない。それでも外壁の大きさからとてつもない規模の街だということだけは分かる。街を囲む外壁と合わせて四本の監視塔がそびえ立ち、遠くからでも目立っている。

 まだ街まで少し距離があるが、街の周囲には耕作地が広がっている。近くには大きな川が流れていて、そこから水路で引いてきた水を利用しているようだ。


「あっちに流れている大きな川がカンビエスタ川。船を使っての水運で、あちこちから人や物が集まるんだ」

「すごい……」


 生まれて初めて見る巨大都市を前に、イオは瞳を輝かせた。あの中にどんな光景が広がっているのか想像もつかない。


「馬車で中に入るときは、本当ならちゃんと衛士から積み荷の検査を受けなきゃならんのだが、俺たちは特例で許可を取っているからな。少し検査を受ければすぐに街の中に入れるぞ」


 馬頭を巡らせて、騎士団一行は門へと近づいた。

 主要な都市設備を囲っている外壁の入り口には検問があるらしく、商隊らしき列がずらりと並んで衛兵たちから積み荷の検査を受けている。しかしイオたちは優先的に荷物検査を受け、さして時間を取られることもなく王都の中へと入ることができた。

 石造りの大きな門をくぐり、外壁を越えて都市の中へと入る。

 そしてイオは人の多さと熱気に圧倒された。

 積み荷や人を乗せた無数の馬車が舗装された石畳の通りを、土埃を巻き上げながら行き交っている。そこかしこで商いの賑やかな声が聞こえてきてまるで祭のような喧噪だ。街ゆく人々は皆が笑顔で、通りは活気にあふれていた。

 イオはあまりの人の多さに目が回りそうだった。世の中のどこにこれほどまで多くの人間がいたのだろうかと驚かされる。


「すごい人の数ですね……!」

「はは、随分と驚いたようだな。まぁ、初めて王都に来た人間は大抵驚くから無理もない」


 アルマはイオの新鮮な反応にどこか嬉しげだ。


「ここは大通りだから特別に人の行き来も盛んなんだ。いくら王都とはいえ、どこもかしこもこの騒ぎというわけではない」

「そ、それはそうですよね」

「別の区画に私の家がある。そこに向かおう」


 怪我人を乗せた馬車は騎士団の宿舎へと向かうらしい。そちらの馬車と別れ、イオとアルマの乗る馬車は通りを進み住居区へと向かう。

 すれ違う人も建物も、何もかもが新鮮でイオは目を輝かせて周囲を見回していた。そんなイオの様子をアルマが微笑ましく見守っている。

 やがて商業が盛んな区域を抜けて、人通りも落ち着いた住宅区に入った。そのまま区画の奥へと進んでゆく。

 そうしてたどり着いた場所は、目を見張るような大きな屋敷の前だった。

 威圧感すら覚える立派な門に、イオは呆然とする。

 イオの知る家とはこんなに大きなものではない。周りに立ち並ぶ家も大きなものが多いが、それと比べても浮いている。ここがアルマの言っていた自宅とのことだが、


「……アルマさん、ひょっとしてお金持ちなんですか?」

「あれ、言っていなかったかな? 私は貴族の出だよ」

「えっ」

「貴族の家系には血筋の関係なのか、魔法使いが多いんだ」


 突然のカミングアウトにイオはふっと気が遠くなった。初めてアルマを見た時まるで貴族のようだとイオは思ったが、まさか本当に貴族だとは。


「アルマさんって、貴族さまだったんですね……」

「まぁ、この屋敷は実家じゃなくて私しか使っていないから、そんなにかしこまらなくていいぞ。さぁ、中に入ろうか」


 さらりととんでもないことを言ってのけ、アルマは気負いなく屋敷の敷地へ入っていく。イオは慌ててその後を追った。

 アルマの後に続いて門をくぐり屋敷の中へ足を踏み入れると、数名のメイドや執事に出迎えられた。綺麗に腰を折り、屋敷の主を出迎える様はある種の威圧と緊張とをイオに感じさせた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ああ、みんな。ただいま」


 アルマは当然のように振る舞っているが、イオには理解の及ばない世界が目の前で繰り広げられている。イオが目をぱちくりと瞬かせて驚いている間に、アルマは執事たちにテキパキと指示を出した。


「今日はイオも疲れただろうから、部屋で休むといい。空いている部屋があるから、そこを自分の部屋として好きに使ってくれ。湯が沸いたら呼びにいかせるから、先に風呂だな。その後に食事にしよう」


 おろおろしていると、近くにいた若い執事に手を引かれて部屋へと連れて行かれた。慣れない環境で挙動不審なイオに、執事はくすくす笑っている。


「大丈夫かい?」

「だ、だいじょぶです……」

「びっくりしちゃったかな? お嬢様、ちょっと世間知らずというか、ズレたところがあるからね」


 そう言われても、イオとしては苦笑いを返すしかない。


「君がイオ君だね? お嬢様から話は聞いています。今日からこの屋敷で暮らすんだよね? 何か困ったことがあったら、気軽に聞いてくれていいからね」

「は、はい」


 手を引かれ案内された部屋はとても綺麗に整えてられていて広い。客間として使われていたのか、飾り付けも鼻につかない程度に高級感があり、イオはこんな部屋を使っても良いのだろうかと気後れしてしまう。


「浴場のお湯が沸いたらまた呼びに来るから、それまでゆっくりしていてね」


 執事はそう言い残して部屋を出て行き、イオは一人にされてしまった。


「……あ、お名前」


 ついでに、彼の名前も緊張のあまり聞きそびれていた。


 ◆  ◆  ◆


 特別することもないので精霊たちと話しつつ、しばらく部屋でぼうっと過ごしていると、ドアがノックされた。


「イオ君、お湯が沸きましたよ。浴場まで案内します」

 迎えに来たのは最初に案内してくれた若い執事だった。イオはすぐに着替えを持って部屋を出る。廊下を歩きながら、イオは横を歩く執事の顔を見上げた。改めて見ると顔立ちが整っていて、とても美形だ。そのためどこか中性的にも見えるが、男性らしく身長が高い。


「そういえばお兄さん、お名前は何て言うんですか?」


 道中、イオは忘れずに執事へ名を尋ねた。


「私かい? 私の名前はロッジ。よろしく」

「はい、これからよろしくお願いしますロッジさん」

「あはは、イオ君は凄く礼儀正しいんだね」


 ロッジは品良く笑った。

 そうして浴場まで連れていかれる。


「ここが浴場だよ。あがったら、さっきの部屋に戻っていてくれるかな。私は食事の準備をしないといけないから。食事の支度が出来たら、また改めて部屋まで呼びに行きます。それじゃ、ごゆっくりどうぞ」


 ロッジは仕事があるとのことで別れた。イオはさっそく脱衣所で服を脱ぎ、浴場に足を踏み入れる。

 浴場は想像通り広かった。洗い場は勿論、湯船も泳げそうなほどだ。今まで湯を沸かして体を拭くか、川で水浴びをするかという程度だったイオにとって、大量の湯に浸かるという贅沢は初めての経験。何故か妙に緊張する。

 手早く体を洗い、湯船へ。足先を恐る恐る湯につける。思っていたよりも熱くない。ゆっくりとした動作で湯に入り腰を下ろすと、体中の疲れが溶けていくような心地だった。


「あぁ……溶ける……」


 なるほど、これが贅沢か。駄目になりそうだ。

 リラックスし頭の回転が半分止まったイオ。口からため息のような声を漏らし、目を閉じて旅の疲れを癒す。見る人が見ていたら、まるで中年男性のようだと評しただろう。

 そうして完全に気を抜いていると、ガラッと浴場の戸が開け放たれた。


「え?」


 思考が止まったまま音のした方へ目を向け、イオは裸でタオルだけを持ったアルマを目にする。

 そのまま思考が回復するまで一、二、三秒。


「何で!?」


 イオは飛び上がった。熱い湯のせいではなく、別の理由で顔が真っ赤になる。


「いや、浴場の使い方が分からないかと思ってだな」

「大丈夫です!」

「そうか?」


 アルマは平然とした様子で浴場の中へと入ってきた。


「まぁ、それなら良かった。私も湯が冷める前に入ろうと思ってな。広いから大丈夫だろう」

「そういう問題なんですか!?」


 慌てふためくイオを余所に、アルマは体を洗って湯の中へと入ってきた。


「……どうしてそんなに距離を取るんだ?」

「どうしてもこうしてもないです!」


 ◆  ◆  ◆


 食事の場で、イオはむくれていた。

 食事が美味しくない、というわけではない。むしろパンは白くて柔らかく、野菜を溶かしたスープは甘くてとても美味しい。メインの肉料理も、とっても柔らかくて頬が落ちそうだ。今まで食べたことがないくらいに質の良い食事である。

 それでもイオは不機嫌なのは、先ほどの浴場での出来事が原因だ。


「……そんなに気にしなくてもいいだろう。これからは家族のように気を楽に接していこうと私なりに考えたのだが」


 なるほど、確かに心の距離を詰めるために裸のつきあい、というのは一理あるかもしれない。アルマが言いたいことはイオにも分かる。だが、


「アルマさんが十歳のとき、年上の男の人がいきなり浴場に入ってきたらどう思います?」

「……私の兄たちは割と遠慮なく入ってきたぞ?」


 イオはがっくりとうなだれた。これはもう何を言っても通じないタイプだ、と。

 イオは半ば諦め、目の前の美味しい食事に集中する事に決めた。


「そうだ、明日はこっちの生活で必要になりそうなものを買ってくるといい」

「あ、はい。分かりました」


 遠慮なくパンのおかわりに手を伸ばしながら、イオは相槌をうつ。


「街の案内も私がしてあげられれば良かったんだが、明日は生憎と鬼の討伐報告絡みで騎士団の本部に顔を出さないといけないんだ。代わりに、私の友人に街の案内を頼んである」

「そうなんですか?」

「ああ。明日の朝に来てもらえるよう頼んだ。名前はメアリと言うんだが、彼女に案内してもらってくれ」

「はい」


 そうして二人は食事を終えて、イオはあてがわれた部屋に戻った。豪勢な食事で腹も膨れ、すぐに眠気に襲われたイオは大きなベッドへと潜り込んだ。

 そうして睡魔に抗うことなく、イオはすぐさま眠りに落ちた。

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