全部くれてやるから、お前のも寄越せ
そら豆くんは立腹だった。
秋の夕暮れの駅で声を掛けてきた知らない男がファミレスまで着いてきたからだ。
自分とはまるっきり縁の無さそうなチャラチャラチャラッチャラした見た目と態度で、
「ねえねえ俺、君のこと好きだからお話しようよ」
なあんて言われても、誰が相手にするものか。
そんな頭のおかしそうな出で立ちでぼくの傍に近寄らないでもらいたい。
そら豆くんは相手にするのが嫌だったので、
「いえ結構です」
と一言だけ断ってフルシカトを決め込むことにした。
ところが件のそいつはどうやら話を聞かないタイプなのか、
「ねえねえ俺は枝豆っていうんだけどさ、君はなんて名前なの?なんて呼んだらいい?」
などとあれこれ詮索しようとしながらどこまでも着いてくる。
どこまでもどこまでも着いてくる。
そら豆くんは家に帰るつもりで歩いていたのだけれども、こんな半ストーカー的変質者に家など特定されては敵わない。
なんで僕がこんな目に遭わねばならんのだと憤慨しながら、そら豆くんは枝豆と名乗ったその半ストーカー的変質者が諦めて居なくなるまで無駄にそこいら辺を歩き回り続けることにした。
ところがいくら歩いても着いてくる。
「家はこの辺なの?」
「何歳なの?」
「何してる人なの?」
「学生なの?社会人なの?」
「好きな食べ物なに?」
「音楽好き?どんなの好き?」
「兄弟いる?」
「芸能人なら誰が好き?」
しかも煩い。
ずーっと喋っている。
走って逃げてみようかとも思ったのだけど、見ればこっちは革靴、向こうはスニーカー。
体力的に考えても恐らくは無駄骨であろうと、撒いて逃げるの選択肢は早々に諦めた。
とすれば向かう先はひとつしかない。
交番。
お巡りさんにこの半ストーカー的変質者を押し付けてなんとかしてもらうしかあるまい。
そう決意してそら豆くんは交番を目指した。
そして同時に思い出した。
自分が極度の方向音痴であることを。
いつもは決まったルートしか歩かない。
何故なら一度間違えてしまえば二度と元のルートまで戻って来られないからである。
そら豆くんははっとした。
苛々に任せて結構うろうろしてしまったが、果たしてここは、何処なのだ。
交番の前にまず自分の現在地が分からない。
地図?
そんなもの理解できるなら生まれてこの方こんな苦労はしていない。
なんてことだ。
だが隣でべらべら喋りながら何故かずーっと着いてきている半ストーカー的変質者には頼りたくない。
嫌だ。
ここ何処ですかとか聞くのは絶対嫌だ。
辺りをぐるりと見渡すと目立つのは入ったことのないファミレス。
そら豆くんは思った。
おなかすいた……。
そらそうだ、夕飯時に宛てもなくふらふら歩き続けているのだ。
おなかすいた。
仮にこのあと運良く交番が見つかったとして、お巡りさんに事の成り行きから説明していると時間がかかるのではないか。
この枝豆とかいう男の出方によっては揉めたりするのかもしれない。
これは、先に飯を食うべきだ。
そら豆くんはそう決意した。
そうして足を踏み入れたこのファミレスに、枝豆とかいう半ストーカー的変質者は当然のように一緒に入ってきた。
店内はそこそこ人が入っていたものの、席を選べないほど混雑しているわけでもなかった。
そら豆くんは窓から離れた真ん中辺りの席を選んだ。
ソファーに腰掛けると、当然のように枝豆が前の席に座ってきた。
店員のお姉さんがカトラリーセットと水とおしぼりを置いていってしまってから、そら豆くんは心のなかで糞がと毒づきながら、
「なんで着いてくるんですか」
と枝豆に尋ねてみた。
思えばこいつが意味不明に着いてくるから僕は家にも帰れずこんなとこで飯を食う羽目になっているのだ。
歩きすぎて疲れたし、迷子だし、一体どうしてくれるんだ。
そんな恨めしい気持ちいっぱいで目の前のチャラチャラした身なりの男を睨むと、目の前のチャラチャラした半ストーカー的変質者もとい枝豆とやらは
「おおおやっと喋った!」
などと嬉しそうににこにことしている。
そしておしぼりの袋をべりっと破きながらこう言った。
「なんでってそりゃあ、一番最初に言ったじゃないか、君を好きになったからだよ」
「意味が分からない」
そら豆くんはぺっ!と唾でも吐き出したい思いだった。
「僕は君のことなんて知らないし、そんな安易に人に好きだと告げられるようなやつは信用できない。取り敢えず迷惑だから帰ってくれないか。悪質なナンパなら他を当たってくれ」
「嫌だ」
「は?」
そら豆くんは思いの丈をわりとストレートに投げつけたつもりだったのだけれども、そのトゲトゲした思いの丈は「嫌だ」のたった一言によって叩き落とされた。
「嫌だじゃなくて……」
「だって俺は君のことを好きになったのに、なんでわざわざ別の人に声を掛けなくちゃいけないんだい」
「……そんなこと言われても、」
「俺は、君と話がしたいんだよ」
そら豆くんは、頬杖をついてこちらをにこおー!っと見てくる枝豆に困惑した。
自分を見つめてくる枝豆の目は、まっすぐだった。
なんだか目を合わせるのが嫌で、そら豆くんはメニュー表を眺めることにした。
麺類が食べたい。
「だって、君、僕のことなんて知らないだろ。なのに、好き、って」
「うんだからさ、知らないから教えてもらいたいんだよ、好きになってしまった君のことをさ」
呼び鈴ボタンをピッ。
「いやだから、知らないのにどうやって好きになるっていうんだ」
「そんなの一目惚れに決まってる」
「すみませんこのパスタとあと大根サラダ」
「あ、じゃあ俺は生姜焼き定食、あとドリンクバー2つ」
「……おい、僕は自分のぶんしか支払わないぞ」
「俺が全部払ってあーげる」
「結構だ」
「ドリンクバーなんでも良い?」
「僕はいらない」
「じゃあ俺が好きなのを片方あげよう」
「いらないったら」
会話のキャッチボールが難しい。
なんかもう疲れた。
枝豆はいそいそと飲み物を取りに行った。
この隙にトンズラしてしまおうかとも思ったのだけど、そら豆くんは折角頼んだパスタが惜しくて立ち上がれなかった。
枝豆はすぐに戻ってきた。
片手にインスタント紅茶、片手にメロンソーダを持っていた。
「どっちがいーい?」
「いらないったら」
「じゃあこっちね」
言って、枝豆はそら豆くんにインスタント紅茶を差し出した。
「パスタとサラダとか女子みたいなの頼んでたから、こっちのがいいのかなーって」
にこにこ。
メロンソーダのが良かったとか言えない。
「ありがと……」
「どういたしまして」
お互いの注文した品はすぐに届いた。
そら豆くんの前には美味しそうなベーコンとほうれん草のパスタ。
わーいいっただっきまーす!とフォークを刺した途端、枝豆が言った。
「それ美味しそうだね。一口味見していい?」
「嫌だ」
密かに楽しみにしていたのだ。
一口たりともやりたくない。
「いいじゃん一口だけ」
「絶対嫌だ」
「俺の生姜焼きもちょっとあげるから」
「いらない」
「ちょっとじゃ駄目なら全部あげるから、そのパスタちょっとだけ」
「いーやーだー!」
そら豆くんは思った。
僕はこんなところで何をやっているんだ。
たがこのパスタは渡さない。
枝豆は思いの外すぐに諦めた。
残念、と呟きながらメロンソーダに口をつける。
そら豆くんはそれを見ながら、僕もそれが良かった……ともう一度思った。
この紅茶いらないからそっちが欲しい。
口が避けても言えないけれども。
これを食べ終わったら、少しくらいこいつの話を聞いてやろうか。
僕のことを好きだとか、意味不明な物好きなことを言う理由を。
こいつずっとにこにこしてんな、とか思いながら、そら豆くんはベーコンに勢い良くフォークを突き刺した。
「いやあ駅をうろうろしてたら、あんまりにも歩いてる姿が綺麗だったからさあ」
と枝豆は生姜焼きを食べながらそら豆くんに笑いかけた。
「え、それだけ?」
「うんそんだけ」
にこっとされてそら豆くんは脱力した。
え、なに、本当にそんだけの理由でこんなに着いてきたの?
「そんな理由で……好き、とか……」
「え、なんで?」
二人できょとーん。
そら豆くんは渋々出過ぎた紅茶に口をつけた。
ぬるい。
濃い。
「ま、まあいいや。君の気持ちは分かった。でも悪いんだけど、僕はそういうのいらないから」
そら豆くんがなんとか穏便に断ろうと言葉を選んでいると、枝豆は隙をついて食い下がってきた。
「もしかして彼女とかいるの?」
「いやいないけど」
「じゃあ彼氏とかいるの?」
「いやいないけど」
「じゃあ他に好きな人でも」
「いやいないけど。……その、煩わしいから、そういうの」
そら豆くんは自分のペースを乱されるのが好きではなかった。
ここはもう正直に思っていることをぶつけたほうが早そうだ。
よく考えてみれば、ここまでしつこく着いてきた変質者にそんな気を使う必要なんてあるまい。
「僕はそういうのいらないんだ。好きとか、付き合うとか、面倒だから」
「それは勿体ないよ」
「余計なお世話だ」
「いや勿体ない!!」
急に枝豆が声を大きくしてきて、そら豆くんは驚いた。
「な、なに」
「だって俺は折角君のことを好きになったのに、俺の気持ちはどうすればいいんだ!」
「いや知らんよ……」
「そうか、じゃあ……」
枝豆はにっこにこしていたのを引っ込めて、それはそれは真剣な表情で考え事を始めた。
そら豆くんはそれを見て、なんだこいつこんな顔も出来るんかい、と少しばかり面食らった。
「わかったよ」
「なにが」
「俺が今から君の魔法使いになろう」
「………………は?」
「手ぇ出して」
「嫌だ」
「痛くないよ、大丈夫だから、はい」
そう言って、枝豆はファミレスのテーブルの上に自分の左手を開いて差し出した。
なんだ、この手を触れっていうのか。
そら豆くんが警戒しながら恐る恐る右手を差し出すと、枝豆は出していた左手でそら豆くんのその右手を ぐわしいィィィッと掴んだ。
「ヒイィ!!」
「これが俺の手だよ」
でしょうね!!
「どんな感じ?」
「どんな、と言われても……」
そら豆くんは狼狽えた。
何をされようとしているのか分からない。
取り敢えず放してほしい。
「あったかい?」
「まあ……」
いやどっちかっていうと熱い。
枝豆は掴んだ状態から、きゅ、と握り直した。
「君の手は柔らかいね」
「悪いか」
「全然。触っていたら気持ちいいよ。俺の手はどう?」
「どうって……」
大きい。
肉厚だ。
熱い。
爪が固そう。
「……いや、特には……」
「触っていたら嫌かな」
「………………いや、」
特には。
「じゃあ、俺が君に、魔法をかけてあげよう」
枝豆はそう言って、そら豆くんの左手をまた軽く握り直して、まるでお伽噺の王子さまがお姫さまにするみたいにして、指先にちゅ、っとキスをした。
「えぇっ!!」
そら豆くんはあまりにも驚いて、慌てて手を引っ込めようと力を込めてみたけれども、その指先はガッチリ掴まれて逃げ出せなかった。
そうして枝豆はさっきの真剣な顔をしてこう言った。
「俺の総てを君にあげよう」
そら豆くんは、困った。
恥ずかしくて顔から火を噴きそうだと思った。
こんなことされたの、生まれて初めてだ。
枝豆は続けてこう言った。
「俺の総てを君にあげよう。だから、君の総ても俺にくれ」
「…………な、」
なに言ってんだ、こいつ……。
「魔法、かかったかな?」
と、枝豆はまたにこおー!っと笑った。
え、え、え、え、なにこれどうしよう、どうしようこの状況……。
「取り敢えずさあ、聞きたいこと沢山あるんだけど、君、なんて名前なの?」
こいつなに言ってんだ、なにやってんだ、え、取り敢えずなに、名前?
「えと、俺の、名前は、」
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