第四話

 燕雀はどこに香雪を連れ去ったのか。

 立ちはだかる謎を前に、青雲は情報を整理する。

 香雪と玄鳥とともに百花園を出たはずの燕雀が、そのあと戻ってきて花梨を襲っている。おそらく花梨が襲われた時、既に玄鳥は殴られ香雪は捕らわれていたと考えるべきだろう。

 遠くへ移動しているような時間はなかったはず。

 ――それなら。

「たぶん、香雪さんはこの邸の中にいるはずです。探してみましょう」

 青雲が考えた末に結論を述べると玄鳥は首を傾げる。

「でも……すぐに捕まるような場所を使いますか?」

「広い邸の中なら、どこかしら気づかれにくい場所があるはずですよ」

 春家は古い家柄だ。代々この場所に邸をかまえていたはずだから、増築や建て直しなどで生まれた部屋とも言えない空間がある可能性は捨てきれない。

 冬家には地下牢なんてものもあるくらいだ。春家にだって似たようなものはあるかもしれない。

 玄鳥もひとまずは納得して、邸の中を探してくれる。怪我を考えれば無理をさせたくはないが、人手がない。

 既に夜となって、鬼と化した香蘭は邸の外の碧蓮城のある方へと飛び出して行った。すぐにでも追いかけなければならないが、あれは、おそらくただの鬼でもない。

 今夜現れた、ただの鬼とは思えぬ存在といって連想できるのは――すなわち冥王である。

 そうなればやはり香雪がいなくては困る。花守である、春香雪が。

 そうして邸の外を歩き回って、青雲は見つけた。

 庭に面した壁の傍に落ちていた、ひとつの香り袋を。


「……銀木犀の香り」


 青雲は拾い上げて香りを嗅いでみる。

 香り袋は、古いものには見えなかった。むしろ生地は新しいし、香りも薄れていない。

 少し控えめな甘い秋の香り。冬家の邸にもたくさん植えられていて、幼い頃からこの香りを嗅ぐと秋がきたなと笑いあっていた。


『そういえば、約束の香り袋をもらってないんですよね』

『まだ覚えていたんですか……ちゃんと作ってますよ一応』


 以前、香雪とそんな会話をしたことを思い出す。布地はくすんだ青だった。自分の瞳の色と似ていると感じるのは自惚れだろうか。

 青雲は壁に触れる。しっかりとした造りだが、あまり厚い壁ではなさそうだった。

 地面に近い隙間に手を伸ばすと、わずかに風が通り抜けていくのを感じる。

 ――見つけた。

 叫び出したくなる衝動を抑え、玄鳥を呼ぶ。

 壁は押してもうんともすんとも言わないが、足元の隙間に指をかけて引くと、まるで扉のようにゆっくりと開いた。その先には十段ほどの下り階段がある。

「こんな場所があったんですね……」

 玄鳥が驚きながら小さな声で呟いた。有力者の邸などにはよくある造りだ。

「たぶんこの先にいます。玄鳥殿はここで待っていてください」

「いえ、ついていきます」

 責任を感じているのか、玄鳥は怪我人だというのに安静にしてくれない。探すには人手が欲しかったので甘えたものの、ここから先は危険も伴う。

 だがここで口論している暇もない。

 音をたてないように階段を降りると、話し声がする。

 よかった、香雪は少なくともまだ生きている。緊迫した空気のなかでわずかな希望を見つけ、青雲は安堵する。

 息を吐き出し、半地下の部屋の戸を乱暴に蹴破った瞬間。

 香雪の細い首を絞める燕雀の姿が目に飛び込んできた。


「――香雪!!」


 考えるよりも早く青雲は燕雀の背を蹴り飛ばし、腰に下げていた剣を鞘ごと引き抜くと腹部に叩きつける。鈍い音がしたので肋骨が折れたかもしれない。

 咳き込む香雪の背を撫でる。白い肌には痛々しいほど指のあとがくっきりと残っていた。

「落ち着いて。しっかり息をして」

 生理的な苦しさから流れたのか、香雪の頬から涙が流れ落ちた。

 燕雀は、と青雲が視線を動かすと、既に玄鳥が拘束している。ぐったりとしているので意識がないのか、意識を失いつつあるのか。死ぬほどの怪我は負わせていないと思うが、手加減できなかったので少し怪しい。

「……青雲、さん」

 ようやく落ち着いたらしい香雪が、青雲を見上げた。青雲もほっと安堵する。

「はい」

「……よく、わかりましたね」

 喉をさすりながら、香雪は告げる。

「目印に置いていてくれたんじゃないんですか?」

 そう言いながら懐にしまっていた香り袋を取り出して見せた。

「ああ、気づいてくれたんですね。燕雀さんに気づかれないように堂々と置くことができなかったから」

 気づかない可能性も、考えていた。むしろ青雲が気づいてくれたら奇跡だろうと思った。

「気づきましたよ。……動けますか」

「もちろん」

 青雲の手を借りて、香雪は立ち上がった。手を縛っていた縄はいつのまにか青雲が切ってくれたらしい。呼吸を整えている間だったんだろうが、手慣れたものだと思う。

「冥王は現れました。おそらくあれが冥王なんだと、思います」

「……母さんが鬼になり、そして冥王へとなったんですよね」

 答えながら、香雪は燕雀に花を引きちぎられてしまった冥王花の鉢植えを見る。

「気づいていたんですか」

「気配で、見なくても全部わかります」

 香雪は俯いて、唇を噛み締める。

 後悔しているような暇はない。わかっているのに、胸の奥底からあふれでる「もしも」が止まらなかった。

「……少し、きついことを言いますよ」

 青雲が口を開く。

「立ち止まっているような暇も慰めている暇も、今はありません。あなたはあなたの役目を全うしなさい」

 青灰色の瞳が、まっすぐに香雪を見下ろしていた。

 わかっている。

 痛いほどわかっている。

 しかもそれを青雲に告げられてしまっては、香雪は立ち止まることなんてできるはずもなかった。




 香雪は青雲とともに馬に乗り、百花園へと急ぎ戻っていた。

「香雪様! ご無事で……!」

 半泣きで駆け寄ってくる花梨と感動の再会をしている暇はない。手で制すると、香雪は歩きながら指示を出す。

「花梨、蒼家を総動員して蓬陽の街に天花を撒いてきて。今ちょうど咲いている菊の花を全部使っていいから、花を崩して花びらにして。このままじゃ邪気の影響が出てきてしまう」

「え、え、いいんですか!? かなりの量がなくなりますけど!?」

 街の加護に天花そのものを使うことは今までなかった。しかし既に邪気は濃くなっている。手っ取り早く清めるためには灰などの加工品を使っているより天花を使ったほうがいい。

「足りなければ乾燥花を使ってもいいから。街を回る時に棚にある精油を使うように伝えて。使い方はわかるわよね?」

「知ってますけど!」

 精油を使うための灯りは、百花園に予備を含めれば五つほどある。うち二つほど壊れかけていたのだが、先日青雲が直しておいてくれたはずだ。

「あと春家の邸に誰か行かせて。玄鳥が怪我しているから」

 目まぐるしい指示に花梨はすっかり混乱していたが、任せてください、と胸を張っていた。


「冥王花は?」

「燕雀に燃やされました」

 もう『さん』などと呼ぶ気にはなれない。青雲に蹴り飛ばされ剣で殴られていたので気を失っていたが、死んでいないことは確認している。

「それじゃあ……どうするんですか?」

 冥王花がなくては、冥王を浄化できない。

「役目を全うしろといったのはあなたでしょうに」

 苦笑しながら、香雪は小屋に入っていく。

 そして持ってきたのは、温室にあった冥王花よりも一回りほど小さな鉢植えだった。

「よかった。こっちも無事に咲いてますね」

「それは……?」

「国の命運をかけた花が、たったひとつだけなわけないじゃないですか」

 冥王花は、小屋の中にも一株保管していた。

 万が一のときのための予備だ。生育は温室のものと比べれば幾分か悪かったし、無事に花が咲いているかどうかは賭けだった。

「冥王は城に向かったんですよね」

 冥王花を抱え、香雪は青雲に問いかける。

「城の方角でしたけど、碧蓮城かどうかは……」

 わからない。青雲は冥王を追跡することよりも、香雪を見つけ出すことを優先したから。

「城ですよ」

 しかし香雪は断言する。

「冥王の中核となったのが母さんなら、最も憎むものの象徴は、城ですから」

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