第七話

 花梨の作業の手伝いに戻りながら、青雲は途切れた会話の続きを聞いていた。

 香雪や玄鳥が近くにいないことを確認してから花梨は口を開く。

「香雪様から聞きませんでした? 燕雀さんは先代の婚約者だったんですよ」

「それは聞きました」

「蒼家からは代々、万が一他家から婿が決まらなかった時のために花守の婿候補を決めてあります。先代の時は燕雀さん。香雪様の場合は玄鳥なんです」

「……あー……」

 なるほど、と青雲は納得する。納得はできる。

 幼い頃から男嫌いで、年を重ねるごとにそれを悪化させた香雪がなぜ玄鳥だけは平気なのかと思っていた。

 本人たちは互いに異性として意識していないから、だから警戒しないのだろうと思ったのだが。

「香雪様も玄鳥もどちらかというと嫌みたいなので、良い方がいればいいんですけどねぇ」

「……二人とも役目となれば割り切りそうですね」

 個人の感情よりも、役目を優先してしまいそうな人たちだ。ある意味で似たもの同士なのかもしれない。

「そうなんですよ、それなんですよ。そんな最初から冷めきった夫婦なんて虚しいじゃないですか! 玄鳥はどうでもいいけど香雪様にはそんな夫婦にはなって欲しくないんですよ!」

「花梨さんは香雪さんが好きなんですね」

「大事な主ですから当然ですよ! 香雪様のお婿さんが決まらないと私も安心して嫁に行けないじゃないですか!」

「ソレハ大変デスネ」

「なんでそこは棒読みなんですか!?」

むぅ、と頬を膨らませる花梨から青雲は目を逸らす。

 志葵国においての理想的な美女というのは、まさに香蘭のような女性である。中身はいささか違うが。

 うつくしくたおやかで、触れれば壊れてしまいそうな繊細さが多くの男性には好まれている。

 つまり花梨は、世間の男性からすると理想から程遠い。

「青雲様のお知り合いで良い方いらっしゃいませんか? 出来れば年下で今から洗脳……こほん、じっくり話し合えるような美少年とか」

 洗脳とか不穏な単語が聞こえた気がしたが、青雲は聞こえなかったことにした。

「うちは武官ばかりの一族ですし、知り合いも似たようなものですよ」

 少なくとも美少年などと呼ばれるような人には心当たりがない。

「それなら逞しくて頼りがいがあるけど女慣れしてなさそうな人とか!」

 やんわりと断ったつもりだったのに、今度は現実的な人物像をあげてきた。逞しくてとか頼りがいを筋肉馬鹿に変換すれば、女慣れしていない武官というのはけっこういる。

「……いないことはないですけど、さすがに知り合いを売るわけにはいかないので」

「人聞きが悪い!」

 ぶーぶーと花梨が文句を言っているところに、玄鳥がやって来る。

「花梨、帰るぞ」

 玄鳥はすっかり帰る準備が整っている。こちらは後片付けがさっぱりだったが、青雲が引き受けることにする。玄鳥や燕雀を待たせるのなら青雲一人でやってしまったほうが早い。

「それじゃ青雲様、また明日! 香雪様を口説いてもいいですけど手を出したら駄目ですよ!」

「どっちもしません」

 きっぱりと答えると、花梨はまた不満げに頬を膨らませた。いったい青雲に何をして欲しいんだろうか。




 花梨を見送って後片付けを終えると、青雲は香雪を探す。小屋の中に声をかけても返答はなく、人の気配がなかったので外に出ているのだろう。百花園がいくら広いといっても、人一人見つけるのにそう時間はかからない。

 予想していたとおり、香雪は温室にいた。

「休憩ですか?」

 香雪は一日中、資料や記録と睨み合っていたのだ。さすがに疲れたのだろう。

「ええ、ついでに冥王花の様子を確認に」

 声をかけると香雪は振り返った。指差した先の冥王花の蕾はまだ開く気配はない。

「どんな花が咲くんでしょうね?」

 香雪の隣で冥王花を覗き込みながら青雲が呟いた。もちろん、香雪もどんな花が咲くかは知らない。

 記録には冥王花の色や形などの詳細はあまり残っていなかった。

「ちょっと前まで蕾は赤っぽい色だったんですけど、色が薄なってきましたね」

 赤い花なのかと思っていたが、どうにも違うようだ。

「薄紅色とか?」

 青雲が子どもみたいに予想を口にする。その声音が少しわくわくしているようにも聞こえて香雪は笑った。

「それは咲いてみるまでわかりませんね」

 新しい花が咲く時の楽しみと驚きはいつも変わらない。どんな色で、どんな形で、どんな香りがするのか。それは咲いて始めてわかるのだ。

「……楽しみですか?」

 青雲に問われて、香雪は目を丸くしたあと、思わず自分の頬を両手で包み込んだ。

「……顔に出てますか?」

 冥王花が咲くということは国の一大事だというのに、楽しみだというのはいささか不謹慎だろう。

 あまり顔に出さないようにしていたのに、青雲にはわかってしまったらしい。というか青雲が楽しそうにしているのでつられてしまっただけだと言い訳させてほしい。

「ちょっとだけ、いつもより楽しそうだなって」

 そう笑う青雲は、まるで微笑ましいものを見るかのようにやさしい目をしている。

 おかしい。ついさっきは香雪がその立場だった気がする。わくわくしていたらしい青雲がいつの間にか見守る大人の立ち位置になっている。

「だって、百年に一度咲くような花ですよ? どんな花か誰も知らないんですよ? そりゃ、気になるし楽しみにも……なるじゃないですか」

 過去、いったい何人の花守が冥王花が咲く瞬間に立ち会ったのだろう。数少ないその一人になるのだと思えば、花守として自然と胸も踊る。

「そうですね、俺も気になります」

「知的好奇心というやつですよね」

 瑞月ほどじゃないが、やはり体験したことには興味が湧く。やや強引にまとめて、香雪は頷いた。

 そうだ、と香雪は青雲を見た。冥王に関する情報を伝えておかなければ。

「冥王の出現は、次の満月の夜だと思います。瑞月さんとの見解も一致したのでたぶん間違いないかと」

「ああ、そのために来たんですね」

 瑞月がわざわざ百花園にやってくるなんてよほどのことなんだろうとは思ったが、青雲は呼ばれなかったので大人しく花梨の手伝いをしていた。

「なんだと思ったんですか」

「体調に異変でもあったのかと」

「その心配は今のところいらないみたいです」

「それなら良かった」

 小さく青雲が呟くと、香雪も「そうですね」と答える。


 ――もしも。

 瑞月と皓月が鬼となってしまったら。


 きっとこのやさしい少女は、自分を責めて、責め続けて、それでも誰かに甘えることも弱さを見せることもなく生きるのだろう。人知れず痛みを抱えることが己に課した罰なのだと。

 そしてそれは、おそらく香蘭に関しても同じことだ。

 香雪は人の痛みを必要以上に受け入れすぎる。強気な一面とは反対に、見ている側が苦しくなるほど繊細だ。その内面に気づいている人間も数少ない。

「……なんだか疲れてませんか? 幽鬼狩りに行けます?」

「行けますよ。少し身体を動かしたいくらいです。散歩ついでに幽鬼狩りに行くくらいでちょうどいいかも」

「物騒な散歩ですね」

「わたしはついて行くだけですから、それほど物騒でもないですよ」

 香雪が身の危険を感じたことは一度もない。

 一番危険だった良順のときですら、香雪は怪我ひとつ負っていなのだ。

「……でもいつも終わる頃には疲れているじゃないですか」

「そりゃあ、夜更かししてますしね」

「それだけですか?」

「それ以外に何かありますか?」

 香雪は首を傾げる。金の髪がさらりと揺れた。

 こうして香雪は自分の弱さを隠そうとする。

 相手が鬼であろうと、幽霊であろうと、彼女はいつも彼らを見送る度に残された悲しみや憎しみを飲み込んでいるように見える。たとえ見た目がどれほど変わっても、鬼に成り果てたものはもともとは人間だったのだ。

 人間だった、ということは。そこには確かに死があったということで。

 その死を、香雪はその胸に刻み込んでしまう。だから終わる頃には疲弊している。


「……そろそろ、邸に行こうかと思っているんですよ」


 香雪が小さな声で告げた。

「冥王花の咲く日もわかりましたし、調べ物としては一段落つきましたから」

 香蘭を冥界へ送る。そのために春家の邸へ行くと言っているのだ。

「……それは、そんなに急ぐことですか?」

 青雲は悲しげな顔で香雪を見下ろした。泣きそうな顔だな、と香雪は思う。

「放置しておくわけにはいかないでしょう」

「そうですか? 皓月殿はよくて、香蘭さんは駄目だなんて俺にはよくわかりません」

「それは……」

 鬼になる可能性があるのはどんな幽霊でも同じことだ。

 皓月のことは見逃して、香蘭はできない。その理由を香雪は青雲にだけは説明したくなかった。

 黒良順は、鬼となった。鬼となったから青雲が斬った。

 香雪の甘さでそんなことになってしまった。

「俺には、冥王がどうのと無理に理由をつけているように見えます」

「……きっかけではありますよ」

「……まだ十日あるじゃないですか。もう少し、きちんと考えてみても悪くないでしょう?」

「そうやって考えて――」

 香雪はつい声を荒らげて良順の名前を出しそうになった。

 途切れた言葉に、青雲は苦笑する。

「もしも良順のことを気に病んでいるのなら、やめてください。あなたは悪くなかった。……誰も悪くなかったです」

「わたしはそう思えません」

 香雪は頑なに青雲の許しを受け入れようとしない。

「だとしたらなおさら、きちんと覚悟を決めて香蘭さんと話をしてその上で見送ってください」

「どうしてですか」

「俺が、そうできたらやっていたからですよ」

 その言い方はずるい。

 ――香雪はもう何も言えなかった。

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