第六話

「香雪様、秋皓月と名乗る者が来ておりますが」

「……皓月さんが?」

 小屋の中で記録を読み漁っていた香雪が、燕雀の声に顔を上げる。

 来訪の理由はなんとなく予想ができた。

 むしろ香雪は燕雀が来ていたことに気づいていなかったので、彼がいることに少し驚いている。

 百花園の管理に関しては、常に手が足りていない。手伝いはありがたいが、春家の邸も気になるところだ。

「……百花園に入ってもらって大丈夫。今行きます」

 ともかく今は邸のことよりも、皓月と話をするのが先だろう。百花園に入るには香雪の許可がいる。おそらく珀凰が許可状を持たせているんだろうが、真面目そうな皓月がずかずかと入ってくるはずがない。




「突然の訪問、お許しください。急ぎお話したいことがございまして」

 頭を下げながらそう告げる姿に、香雪は瑞月であることがすぐにわかった。燕雀たちの前では皓月と名乗るしかなかったのだろう。

「いいえ、来ていただけて良かったです。ちょうど、わたしも話したいことがあるので」

 粗末な小屋の中に入れるのもどうかと悩んだ末、香雪は瑞月を温室に案内した。残念ながら優雅にお茶などを出せるような場所ではない。

「すみません、こんな場所で」

「いえ、むしろ百花園の中に入れる機会に恵まれるとは思ってもみなかったのでうれしいです」

 瑞月は目を輝かせながらきょろきょろと周りを見ている。知的好奇心が抑えきれないらしい。

「今は花が少ないですね。春や夏ですともっと華やかですよ。冬のための準備と、冬越しのために天花を加工したりしています」

「へぇ……」

 つい目的を忘れて観察に夢中になりかけた瑞月がハッとして、改めて香雪と向き合った。


「それで、お話ですが」

「はい」


 瑞月の微笑ましい様子に、香雪はついくすりと笑ってしまう。瑞月はわざとらしくこほん、と咳払いをした。

「……こちらは百年前の資料をあたっておりました。公式な記録にはありませんが、当家の当主の日記と照らし合わせた結果――」

「冥王の出現はおそらく次の満月、ですか」

 瑞月の言葉の先を、香雪が告げる。

「はい。……良かった、同じ結論のようですね」

 ほっとしたように瑞月の表情が和らいだ。

 温室に案内して良かったと香雪は笑う。今の顔は、誰が見ても女性にしか見えない。外で話したりしていたら玄鳥たちに見られてしまう。

「ええ。わたしは冥王花について調べてました。記録によると冥王花は満月か新月の夜に咲くそうです」

 百年前の冥王出現の時の記録はあまりなかったが、花に関しては記録が残されていた。もともと、花守は天花についての記録は事細かに記しておく。それが百年以上前から続いていたことに香雪は感謝した。

「先日が新月でしたから、蕾の状態からしても咲くのは次の満月の夜でしょう」

 今は夜に幽鬼狩りに行くのでよく覚えている。月のない夜というのはぞっとするほど暗く、灯りを手放せないので記憶にはっきり残っていた。

「……あと十日ほどですね。引き続き、詳しく調べてみます。今のところ幽鬼が増えている以上の異変はありませんが……」

「そうですね、こちらも何か分かればお知らせします。それと……」

「はい?」

 ちらりと顔を見てきた香雪に、瑞月は首を傾げた。

「その後、大丈夫ですか?」

 香雪が問うたのは、瑞月自身のことだった。

 慌ただしくて、香雪との条件を忘れてしまっていないか心配だ。

「あ……はい、変わりありません」

「皓月さんが出てこないので少し心配しました」

 百花園に来てから、香雪と会話しているのは瑞月のままだ。碧蓮城ではわりと皓月も会話に交じってくるので何かあったのかと思ってしまう。

「ご心配おかけしてすみません。碧蓮城の外では、あまり出ないようにしています。影響があるといけないので」

「そうですね、それがいいかもしれません。でもここは百花園ですから、城と同じようには邪気の影響はありませんよ」

 なんせ天花が咲いている場所だ。碧蓮城より邪気の心配はない。

「……あ、そうでしたね」

 瑞月はすっかり忘れていたらしい。

 きょとんと目を丸くした瑞月と目を合わせて、香雪はついくすくすと笑い合った。



「ちょ、ちょっと! いいんですか青雲様! なんかすごくいい感じですよ!?」

 こっそりと温室の中を伺っていた花梨が小声で問いかけてくる。

 香雪のもとに男性が訪ねてきたと聞いて、花梨は作業を中断して駆けつけてきたのだ。ついでにと青雲まで連れられてきた。

「いい感じも何も、ず……皓月殿なら大丈夫ですよ」

 つい瑞月と言いかけて、慌てて言い直す。

 青雲の目には香雪が女友達と仲良く談笑しているようにしか見えない。本人たちは友達という認識はないのだろうけど、これから交流を重ねていけば自然と友人関係を築けるだろう。

「そんなのんびりしてていいんですか!? だって香雪様にとって平気な男性なんて数少ないんですよ!? しかも秋家の色持ちなんて将来宰相になるんじゃないかってエリートじゃないですか!」

「そうですねぇ」

 しかしながら瑞月は男性ではなく女性である。もちろんそれを花梨には言えないけど。

 たとえ今話しているのが皓月だとしても、相手は幽霊だ。香雪にとっては『安全な』男性である。

 瑞月はもともと中性的な顔立ちで、柔和な印象があるので男装しているだけでも『男だ』という認識になるのだろう。女性にしては背が高いので、それもまた彼女の手助けになっている。

「皓月殿は花梨さんとしては不合格なんですか?」

「え……うーん。家柄も良く性格も良さそうだし、香雪様的にも問題ないのは高得点ですけど、未来の宰相様ともなればのちのちややこしいだろうしな……という感じなので個人的には青雲様を推します」

「いや推されても……」

 別に香雪とはそういう関係ではないんだが。

「今はバタバタしているので落ち着いてますけど、わりと頻繁に陛下からお見合い相手の釣書が届きますからね」

 ――お見合い相手の釣書。

 その言葉に思わず青雲は固まった。

 正直な話、香雪だけではなく今の色持ちである珀凰や瑞月も結婚適齢期である。瑞月にはやむを得ない事情があるから仕方ないが、唯一の春家の血を引く人間である香雪が遠からず婿を迎えなけらばならないのは知っていた。

 だが香雪の男嫌いの要因を考えると、胸に苦いものがこみ上げてくる。

「……それ、どうしてるんですか」

「香雪様はちらりとも見ずに捨ててます」

「そ、そうですか……」

 仮にも帝から渡されたものを捨てて許されるんだろうか。珀凰はわかっていて送っているのだろうけど。

「このままだと玄鳥と結婚することになちゃうんじゃないかなぁ……」

 ――玄鳥。

 突然出てきた名前に青雲は驚いた。

「なんでそういうことになるんですか!?」


「……何を騒いでいるんですか?」


 青雲が叫んだ瞬間に、香雪と瑞月が温室から出てきた。

「なんでもないですよ香雪様。お客様はお帰りですか?」

「はい、お邪魔致しました」

 瑞月の爽やかな笑顔で花梨に挨拶する。

「……悪くないかもしれない」

「花梨さん、本音出てますから」

 将来有望な爽やか青年というのもいいかも、なんて思っているのが顔に出ているが、それは叶わぬ恋だ。香雪が相手でも花梨が相手でも。

「二人とも仲良いのね」

 親しげな青雲と花梨に、香雪がぽつりと呟く。

「そんなことないですよー。青雲様はバリバリ働いてくださるので遠慮なく使ってるだけです」

「……ほどほどにしなさいよ……」

 呆れた顔の香雪に、花梨は笑って誤魔化しておいた。


「では陛下にも報告しておきますね。何かあればまたご連絡致します」

「ええ、こちらもそのように。お気をつけて」

 瑞月を見送り、香雪は小屋に戻る。


「どのような用件だったんですか」


 小屋に入る直前、燕雀に話しかけられた。いたことに気づかなかったので香雪は驚きながら振り返った。

「……ただの経過報告ですよ。見知らぬ人だとわたしが警戒するので皓月さんがいらしたんでしょう」

 冥王花に関する情報を不用意に広めるわけにはいかない。香雪は微笑みながら曖昧に説明することで誤魔化した。

 青雲に伝えるのは、蒼家の三人が帰ってからのほうがいいかもしれない。

 燕雀たちを信用していないというわけではないが、万が一彼らが捕まって拷問を受けたりすれば簡単に口を割るだろう。

 そんなことを起こさないためにも、香雪は一線を引くことを忘れない。

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