第四話

 夜に幽鬼狩りに行くことは、たとえ冥王の出現がわかったとしても変わらない。むしろ影響を最小限にとどめるにはやめるわけにはいかなかった。

 道中で幽霊を見かければ香雪はそっと話しかけて浄化した。これまではどちらかといえば鬼を優先していたが、今は幽霊すら放置しておくのは良いことではない。


「……というか、幽鬼相手にもなれたんじゃないですか? わたしがいなくても平気でしょう?」


 たった今一体の鬼を斬り伏せた青雲を見ながら香雪が問いかける。

 なんせ幽霊である香蘭に会ってきたくらいだ。青雲の『得体の知れないものだから気味が悪い』というのも薄れてきたんじゃないだろうか。

「状況が状況なので頑張ってるだけですよ……」

 青雲がそう言いながら苦笑するので、香雪もため息を吐く。

「まぁ、逃げ出されても困るのでちゃんと見張りますけど」

 実際、勝手に逃げ出すほど無責任な人ではないと思っているが、何が起こるかわからない以上、たとえ青雲の剣の腕が一級品であっても単独行動はさせないほうがいいだろう。

「そういえば、約束の香り袋をもらってないんですよね」

「まだ覚えていたんですか……ちゃんと作ってますよ一応」

 あれからいろいろとあったせいでまだ完成はしていない。今回はしっかり青雲のために、香りから選んで作っているのだが。

「急ぎませんよ。忘れられていないならいいんです」

 催促しているわけではない、と青雲は笑う。香雪にあまり自由な時間がないことは青雲も十分わかっていた。

 ただでさえ花守として忙しい身だというのに、夜には幽鬼狩り。その上、冥王の対策を考えなければならなくなった。身体一つではとても足りないくらいだ。

「守れない約束はしないって言ったじゃないですか」

「そうですね」

 忘れたわけじゃないと遠回しに答えると、青雲はへにゃ、と少し頼りなさげな笑顔を見せる。気が抜けているときの彼は香雪よりも年上なのに随分幼く見えた。




 今夜も幽鬼狩りを終えると、百花園まで青雲に送られて帰る。

 ――が。


「……泊まる?」


 香雪は自分の耳を疑った。

 確かめるように問うと、青雲は「はい」としっかり頷いた。

「護衛ですから」

「いやいやいやいや」

 それ以外の言葉は浮かばずに香雪は必死で首を横に振った。

 泊まる? 青雲が? 百花園に?

 百花園で暮らしている香雪が言うようなことではないが、とても人が寝泊まりするような場所ではない。寝る場所なんて香雪が住んでいる小屋くらいしかないし、寝具だって一つしかない。

「そんなにしっかり護衛なんてしなくていいですよ。そもそもわたしが百花園に住んでるなんて知っている人はほとんどいないんですから」

「だとしても護衛ですから」

「――いやいやいやいや」

 にっこりと笑いながら一歩も引こうとしない青雲に、香雪はまた首を振った。

 知っていたけど、この男、実はけっこう頑固だ。頑固者の香雪が感じるくらいだからよほどだと思う。

しゅの人たちもいるんだかいないんだかわからないけど百花園の周りにいるみたいだし、そこまでしなくていいですよ!」

 冥王花の件を珀凰に報告してから、香雪にはわからないようにひっそりと護衛は増やされているらしい。

 目に見えるように百花園の警護を増やせば何かあると言っているようなものだから、朱家が息を潜めているのだとだけ聞かされている。

「朱家の方々は護衛としてはちょっと頼りないですよ」

 青雲が困ったような顔で言う。

 それは朱家の人たちに失礼な気もするが、武を誇る冬家にしてみれば頼りないと言われても仕方ないのだろう。

「そうですね、護衛というか見張りというか……そんな感じですけど。でも何か危険があれば知らせに行くでしょう……!」

「それじゃあ何かあったときに遅いでしょう?」

 万が一、香雪が殺されかけたとして、助けを呼びに行ったのでは手遅れになりかねない。

 青雲の主張はまっとうなもので香雪も反論できなかった。

 非力な香雪が抵抗したところで、殺意を持った人間相手にどれだけ時間を稼げるか怪しいところだ。

「あなた、寝不足がようやく解消されたのにまた一日中働く気ですか!?」

 青雲の目の下のクマは香雪との幽鬼狩りを始めて数日で薄れ、今はさっぱりなくなっている。珀凰の護衛の時にはもっと朝早くから夜遅くまで働いていたというから労働環境の改善を要求すべきだと思う。

「寝ますよ少しは。温室に毛布でも持ち込んで」

 温室でたまにうたた寝していると言ったことを覚えているらしい。

 そうすれば冥王花の異変にもいち早く気づけるし、香雪が悲鳴のひとつでもあげたらすぐに駆けつけられる。

「それは一石二鳥ですね……って、そうじゃなくて!」

 切り口を変えて言いくるめようとしても、さらりと受け流されてしまう。珀凰の話術をもっと観察しておけば良かったと香雪は後悔した。

「俺では冬家やこくで動かせる人員も限られていて……それに、護衛だとしても見知らぬ男性は嫌でしょう?」

「嫌ですというか無理です」

 見知らぬ男が泊まり込みで護衛することが平気だったら男嫌いだなんて公言していない。知らない男は百花園に足を踏み入れることすら許さない。

「姉たちに協力してもらえたら良かったんですけど、一番上の姉は育児で忙しくて二番目の姉は出産直後で、三番目の姉は……」

「ちょ、まってください何人いるんですか?」

 青雲に姉がいることは知っていたが、一人だけだと思っていた。

「四人です。三番目の姉は妊娠中で、四番目の姉は新婚なんですよ……」

「それは皆さん、おめでたいことですね……」

 話を聞く限り、よその家の護衛に駆り出されているような暇はないだろう。

「なので俺が護衛するのが一番かなと」

 青雲が同意を求めるように言い切ったので、香雪はじとりと下から睨みつけた。

「うまくまとめようとしてますけど、わたしは夜までずっと護衛する必要はないと主張しているんですが」

 青雲は今でも半日以上、香雪と行動を共にしている。護衛としてはそれだけで十分な働きだ。

 もちろん用心するに越したことはないが、青雲にかかる負担が大きすぎる。

「駄目なら百花園のすぐ外で張り込みます」

「それ、あなたは一睡もできないでしょう……」

「大丈夫ですよ、徹夜には慣れてますから」

 青雲はキリッといい笑顔で答えているが、香雪はがっくりと肩を落とした。

「それは慣れたら駄目なやつです……」

「あ、もちろん妙な誤解がないように小屋には入りませんよ」

「そういう心配はしてません……」

 青雲が紳士すぎるほどに紳士なのも、もう十分知っている。未婚の香雪の護衛につくとはいえ同じ室内で夜を明かすなんて気はもともとないだろう。

 それからしばらく互いにあれやこれと言いあったのだが。

 ――結局、香雪は根負けした。



「……本当に泊まるんですか」

「まだ聞くんですか。香雪さん、自分がどれほど危険な立場かわかってます?」

「わかってますよ。でもそれはいつもそうだとも言えなくもないし……」

 花守がいなくなれば、天花の育て手がなくなる。そうなれば蓬陽は、志葵国はじわじわと邪気に蝕まれ滅びへ向かうだろう。

 国家転覆を狙う輩に襲われる危険は、いつもある。

「……言われてみればそうですよね。真剣に警護を見直すべきじゃ……」

「やめてくださいわたしが心労で死にます」

 見知らぬ男たちに囲まれて暮らすだなんて、香雪の精神が持たない。

 香雪は温室の端に置いていた長椅子を中央に近い場所へ移動させる。温室の中はあたたかいとはいえ、端のほうだと夜風がしみこんできて冷える。長椅子には既に毛布がかけられていた。

「……うたた寝用ですか?」

「わかってるなら聞かないでください」

 うたた寝というか本気で寝ることもできそうなほど準備が整っている。温室でのうたた寝は香雪のお気に入りらしい。

「お借りしますね」

「気が変わったら勝手に帰っていいですからね!」

「変わりませんよ」

 きっぱりと言い切ると、香雪はむぅ、と唇を引き結んで黙り込み、無言で温室を出て行った。

 往生際が悪いな、とくすくすと笑って青雲は毛布にくるまる。


 ――ふわりと香る、花の香り。


 なんの花だと断言できるようなものではなかった。幾重にもふりかけられた、甘くやさしい花たちの香が毛布に染み込んでいる。

「……ああ」

 彼女の香りか、と青雲は目を閉じて微笑んだ。

 百花園の主に相応しく、香雪からは百の花の香がするのだと、青雲はこの夜はじめて知った。

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