第二話
「……本当に来た」
香雪と青雲が執務室に着くやいなや、
「……帝とはいえ失礼な反応ですね」
半眼になりながら香雪はため息を吐き出す。まるで化け物でも見たような顔じゃないか。珀凰が化け物程度で驚くとも思えないけど。
そんな二人を見ながら青雲と瑞月はこっそりと目を合わせて苦笑していた。
「だって香雪が自分から城に来るわけないだろう? 青雲、何かした?」
「してませんよ」
まだ信じられない、という顔で珀凰は青雲に問いかけるが、濡れ衣もいいところだ。
香雪はむすりと不機嫌そうな顔のまま口を開く。
「必要なら嫌でも来ますよ。嫌ですけど」
「本当に嫌なんだねぇ」
何度も嫌というところを強調する香雪に笑いながら珀凰は書類の束を脇にやった。
既に珀凰には訪問の理由を知らせてある。執務室には茶器の準備までされていて、来るとは思っていなかったわりにはしっかりと茶の用意だけはしてあった。
「……さて、では詳しい話を聞こうか?」
今朝方、青雲にも言った内容を改めて香雪は珀凰と瑞月に告げる。
平常時なら咲かないはずの冥王花が蕾をつけたこと。それはつまり冥王の出現が近いということ。だから邪気が増していたのだ、と。
「冥王……か」
うーん、と唸りながら珀凰は呟いた。
「春家の記録もすべて確認を終えたわけではありませんけど、城にも何か資料は残っていますか?」
香雪が城に来た目的のひとつはそれだ。対処するには情報がいる。しかし今の香雪には母から聞かされた話しか手がかりがない。
「うーん……あるかどうかは定かじゃないな。そもそもお伽噺のようなものだと思っていたわけだし」
幽鬼に関することは春家の領分、というのは古くから変わらない。冥王という単語そのものが珀凰には馴染みもない。
「冬家はこういうことにはあまり関わっていないでしょうから、うちも期待できませんね」
香雪が筋肉馬鹿というほど冬家は武術一本の一族だ。過去の冥王の出現時に協力していたとして、それを記録には残していないだろう。
「秋家は?」
「冥王、という存在については特には……」
珀凰の問いに渋い顔をしながら答えているのは、おそらく
そしてすぐに、表情が変わった。
「『こわいおばけの王さまは、きらいなものの顔をしている』」
どこか幼さを残した呟きは、おそらく独り言だったのだろう。しかし人払いされた執務室では大きく響くようだった。
「なんだい、それ」
珀凰が問う。
瑞月が場違いなことを軽率に口にするような人物でないことは彼がよく知っていた。
「……幼い頃に祖母がよく話してくれたんです。悪いことをしていると、おばけの王さまがやってくるよ、と。なんだか、ふと思い出したので……」
つい口に出てしまった、と瑞月は申し訳なさそうな顔をしている。根拠のある話ではないからだろうか、自信のなさが滲み出ていた。
「おばけの王さま……って、冥王っぽい気がしますね」
青雲が呟くと、瑞月はほっとしたような顔をする。
おばけの王さま、と香雪も小さく繰り返す。
「……無関係ではないかもしれないですね」
記録を残す方法は、何も書物に書き記すことだけではない。口伝というのも古くから続いてきたやり方だし、それが子どもへ向けた教訓めいたものになっているのはおかしくない。
「冥王花は何十年、何百年に一度、たった一晩だけ咲くと言われています。その前には今の蓬陽同様に、必ずなんらかの異変が起きているはず」
現在の蓬陽に邪気が増えているのと同じことが起きていたはずだ。ならば公式の記録に残るようなことも起きているかもしれない。
香雪の意図を汲み取って珀凰は「なるほど」と呟いた。
「それなら、遡れば災禍の予兆のような記録があるかもしれないね?」
「およそ百年前に、大雨が続いて蓬陽が水害に見舞われかけたことがありましたね」
瑞月がすぐに答える。
見舞われかけた、というところがなんともそれらしい。
「幸い、大きな被害はありませんでしたが、その時の経験を踏まえ、治水事業が進められたはずです」
「……百年前、ですか。その頃の記録をあたればもう少し何かわかりそうですね」
邪気が増えることで様々なことが起きる。疫病や自然災害はわかりやすい変化の一例だ。
春家の記録も確認すれば裏付けがとれるかもしれない。
「では城の記録は私が調べますね」
「そうだね、瑞月がやるのが一番効率がいいだろう」
何しろ香雪や青雲は百年前の水害なんてまったく知らなかったのだ。知識において秋家と競い合うことほど愚かなこともない。
「陛下にはまだまだ執務が残っておりますから」
瑞月はにっこりと微笑みながら卓の上で処理を待っている仕事の山を指さした。
「非常事態だし少しは手加減してくれてもいいんじゃないかな?」
「陛下の執務が滞ってはのちのち影響が出ますので」
冥王に関してはこちらでやっておくから珀凰はいつも通りに仕事をしろ、という瑞月の圧力に珀凰はため息を吐く。
存外、秘書官殿は帝に厳しいらしい。
「花の管理に問題はない?」
「もちろんです。花について知っているのはここにいる人と、あとは玄鳥たちくらいですから。玄鳥たちには花も見せていません」
人払いもされているので、誰かが聞き耳をたてていることもない。
万が一、冥王や冥王花のことが帝に叛意を持つ者に知られれば、それを使って志葵国そのものを危険に晒すことも考えられる。
「えっ」
話し合いの役に立たないと静かにしていた青雲が思わず声を上げた。
「どうしたの青雲」
「お、俺は見てよかったんですか……?」
せっかくだから見ていきますか、と碧蓮城に来る前にしっかり冥王花を見てしまった。
しかし考えてみれば国の命運を握る大切な花だ。いくら香雪が言い出したこととはいえ、青雲のように本来天花と関わらない者がおいそれと目にしていいものではなかったのではないか。
「わたしに万が一のことがあったらどれが冥王花なのかわかる人がいないと困るでしょう?」
もしも冥王の出現に乗じて蓬陽に混乱を起こすつもりなら、冥王花を狙うより花守を狙うほうが確実だし楽な手段だ。
春家の者が他にいるなら香雪もその者に冥王花を託せばいいが、春家の血筋は現在香雪一人。託す先がいない。
「万が一のことなんてないよ、青雲がちゃんと香雪を守ってくれるだろう?」
「それはもちろん」
即答だ。
あなたは帝の護衛官でしょうに、という言葉を香雪は飲み込んだ。
苦虫を噛み潰したような顔の香雪に、珀凰がくすくすと笑う。
「では香雪は春家の記録を確認して、冥王とやらの出現の日時を出来る限り特定。青雲は香雪の補佐と護衛を。瑞月は碧蓮城の資料から関連しそうなことを探してみて」
はい、とおのおの返事をして四季家による話し合いが静かに終わった。
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