第四章 落花枝に返らず
第一話
「あっおはようございますー!」
「おはようございます。朝に会うのは初めてですね」
青雲が驚きながらも丁寧に挨拶すると、花梨はにこにことしながら「そうですね」と答えた。
花梨は青雲がやって来るよりも早くに百花園に来て、
つまり、花梨がいるということは香雪が彼女を呼んだわけで。
「何かあったんですか?」
香雪が誰かに頼るということが珍しいことなのは青雲も知っている。もしや体調でも崩して寝込んでいるのだろうかと心配になった。
昨日は、彼女にとってあまり話したくないことばかりを話させてしまったから、罪悪感めいたものもある。
「それは香雪様から聞いたほうが……あ、香雪様、準備できました?」
花梨が答えを濁していると、ちょうど香雪が小屋から出てくる。
その姿に青雲はまた驚かされた。
「もう、香雪様ったら! 紅くらいつけましょうよ」
「いらないわよ紅なんて」
「そりゃあ香雪様は紅なんてなくても綺麗ですけど!」
ちょっと待っててください! と今度は花梨が小屋の中に入っていく。
「……おはようございます」
青雲に気づいた香雪が挨拶してくる。
いつもの質素な衣ではない。花色と呼ばれる青い衣に、翡翠の帯。いつも結っている髪は下ろされていて、太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
「さっそくで申し訳ないんですけど、碧蓮城に行くのでついてきてもらえますか」
「それはもちろんかまいませんけど……」
香雪が外出用の格好をしているのだから、行先はおおかた碧蓮城だと予想していたし青雲としてはまったく問題ないのだが、理由がわからない。
香雪は極力、碧蓮城に近寄らずにいるはずだ。多くの男性がいるあの場所は、香雪にとっては鬼門である。
「幽鬼が増えている原因がわかったんです」
「……確定ですか?」
――わかりそう、ではなく、わかった。
断定する口調に、青雲は不思議そうに首を傾げた。
「そうですよ。……せっかくなので見ていきますか」
香雪はそう言って歩き出す。青雲はその小さな背中を追いかける。香雪が衣を汚さないようにといつもよりゆったりとした動きで、向かった先は温室だった。
「温室ですけど……」
「この鉢植え、見てください」
香雪が示したのは大きな蕾のついた鉢だ。まだ大きく膨らんではいないが、少し肉厚な葉の合間からしっかりと蕾が己を主張している。
「この花は?」
わざわざ香雪が見せるのだから、この花がなんらかの重要な意味を持っているのだろう。
しかし見る限り、ただの花だ。青雲には名前も種類もわからないが、特別なものには見えない。そもそもこの百花園に咲く花はすべてが
その百花園のなかにあって、なおも特別なものということなのだろうか。
「冥王花といいます」
めいおうか、と青雲は繰り返す。青雲があまり花に詳しくはないとはいえ、まったく聞いたことのない花だった。
「冥王の出現を知らせる花、と教えられました」
――この地に穢れが満ち、人々困窮す。
一人の女が天より与えられし花を咲かせると、あらゆる不浄が払い清められ、大地は平穏を取り戻した。
青雲も幼い頃に読み聞かせられたことのあるお伽噺のようなもの。
「邪気が増しているのは、冥王の出現が近いからです」
「……本当に冥王なんているんですか?」
青雲は顔を強ばらせて、呟くように問いかけた。
志葵国がうまれた時、かつてこの地にあった四国は大規模な戦を繰り広げていた。
花守の祖である花仙公主が守護した
戦により多くの死人が出て、大地は邪気に飲み込まれそうになった。その時、増えた鬼と戦ったのが冬柊国の将たちであり、策を講じたのが秋凛国の軍師、そして邪気を払ったのが春珱国の花仙公主だ。
「……わたしだって、ただの昔話だと思っていますけど」
帝が重用する
「けれど、こうして咲かないはずの花が蕾をつけた。これは、異変に違いないし、何かの予兆であることは確かです」
「……そうですね。陛下に報告しなければいけないでしょう」
「可能なら
「春家には詳しいことは残されていないんですか?」
「
温室にはしっかりと鍵をかける。普段はそこまでしないが、冥王花になにかあっては取り返しのつかないことになる。鍵を懐に入れて、香雪は小さく息を吐いた。
温室を出ると花梨が香雪を見つけて駆け寄ってきた。
「香雪様! 紅! 紅だけでもつけましょう!!」
紅を片手に主張する花梨に、香雪は迷惑そうな顔をした。
「化粧は嫌いなんだけど……」
「きっちりお化粧したほうが、そこらへんのおじさんたちなんてたじたじになりますよ!」
もちろん花梨だって香雪が着飾ることが嫌いなのは知っている。
所詮は小娘だと思っているから香雪に対しても大きな態度をとるのだ。実際香雪が睨み付けて言い返すとすごすごと退散する男は多い。母の香蘭が穏やかな人だったので香雪もそうなのだと思っている者は少なくなかった。
花梨は強引に香雪の唇に紅を塗る。鮮やかな赤が白い肌によく映えた。
「手が出せないほどの高嶺の花になればいいんですよ」
「……花守はとっくの昔に高嶺の花じゃなくなったわ」
「あら、ならもう一度高嶺に咲けばよろしいでしょう?」
簡単なことだと花梨は笑う。
「どうですか?」
そして紅を塗っただけの香雪を絶世の美女であるかのように青雲に見せる。
でも青雲なら顔色ひとつ変えずに綺麗ですよと微笑むのだろう。香雪はそんな予想をしてにこりともせずに青雲を見上げた。
――紅ひとつ。
たったそれだけで、少女は艶やかな色気を持つ女に見えた。
「……化粧ってすごいんですね」
青雲は関心するようにぽつりと呟いた。
「感想それだけですか!? それはないでしょう! ありえないでしょう!?」
「え、あ、綺麗ですよ?」
「知ってますよ香雪様は綺麗なんですよ!」
あんまりな青雲の反応に花梨はわめいたが、香雪は思わずおかしくなって吹き出した。
「ふ、ふふっ……予想よりひどい反応」
まさか香雪の顔より先に化粧の効果を褒めるなんて。青雲らしいといえば青雲らしい。
「ひどい反応なのになんで笑えるんですか香雪様!」
もおおおおお! と怒る花梨を宥めると、香雪と青雲は碧蓮城に向かった。
今回は香雪が用意しておいた春家の馬車だ。毎日碧蓮城に通う花梨が使うものだが、もともとは当主や花守が使うためのものである。
「……ああ、そうだ」
ふと、思い出したかのように青雲が口を開く。
「城では、あまり俺のそばから離れないでくださいね」
微笑む青雲を見て、香雪は首を傾げる。
わざわざ言うほどのことじゃないのに。
「……離れませんよ? この間だって離れたりしてないじゃないですか」
あの碧蓮城のなかで単独行動なんて死んでもごめんだ。青雲という壁がいるからこそ香雪も比較的気ままに歩き回れるのに。
「瑞月さんを一人で追いかけた人が何言っているんですか」
「あれはあなたが遅いんです」
「突然走り出したのはそっちじゃないですか……」
つん、としながら罪を擦り付ける香雪に、青雲は肩を落とす。
まぁ今回は追いかけっこもかくれんぼも起こらないだろう。香雪が城の中を歩き回るような事態にはならないはずだ。
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