第七話

「――南にある樹?」


 休憩を終えて作業を始めたところ、青雲は香蘭から尋ねられたことを聞いてみた。


『百花園の南に植えられている樹は元気かしら? 私の好きな花なんだけど』


 青雲がまた春家のやしきに行くことがあるかはわからないが、とりあえずどの花のことか知っておこうと思ったのだ。

 個人的に気になった、というのも理由のひとつではある。わざわざ香蘭が聞いてきたくらいなのだから、特別な花なのかもしれない。

「落葉樹の……ああ、あと、咲かない花についてあなたに尋ねてみろとおっしゃってましたね」

「ああ、あの樹ですか」

 香雪には心当たりがあるらしい。

 すぐに歩き始めた香雪のあとを、青雲は追いかけた。当然のことかもしれないが、香雪の頭には百花園のどこに何が植えられているかきっちり入っているのだ。

 百花園の南の一角に、一本の樹が植えられていた。周りには他に大きな樹はなく、その葉は紅く色づいている。

「この樹は先々代あたりの帝に輿入れした東国の姫が持ち込んだものらしいんですけど、全然咲かないんですよ」

 香雪がそっと幹に触れる。

 志葵国は花を特別に愛する国らしい、と聞きつけた姫が自分の好きな花を持参してきたのだという。形としては嫁入り道具となるので、杜撰な扱いはできず、持ち込まれた苗のうちのひとつを花といえば花守だろうと百花園に植えられた。

 もうひとつの苗は碧蓮城の後宮に植えられたそうだが、同じように今はもう咲かなくなってしまったらしい。香雪は後宮に行ったことがないので、後宮のどこに植えられたのかも知らないし本当かどうかさえわからないが。

 その樹はどっしりとしていて、青雲の目には元気そうに見える。

「……咲かない? どうしてですか?」

「さぁ? 母が子どもの頃に咲いているのを一度だけ見たそうですけど、それきりです。元気なので病気ではないんでしょうけど、土が合わないのか育て方が悪いのか……」

 もともとは志葵国にはない花だ。育て方も曖昧にしか伝わっておらず、どうすればいいのかわからぬまま植えられている。

「春に白い花をつけるらしいんですけどね。気難しい子なのかもしれません」

 花によっては環境が少し変わるだけで弱ってしまうものもある。おそらくこの樹もそういうことなのだろう。

 枯れずにここまで大きくなったのだからまだ良かったのかもしれない。

「……なんだか香雪さんみたいな花ですね」

「なんですかそれ」

 青雲の呟きに、香雪は眉を寄せた。

「気難しいってあたりが……」

「喧嘩なら買いますけど?」

 じとりと睨みつけられて、青雲は降参するように両手をあげる。

「喧嘩なんて売ってませんよ……」

 ただなんとなく、香雪に似ていると思ったことが口からぽろっと出てしまっただけで。

「ああ、でもだから香蘭さんが好きなのかもしれませんね」

「……好き? 母さんが、この花を?」

 香雪は大きな瞳を見開いて首を傾げた。

 花と読んでいいのかさえ悩んでしまうような樹だ。なんせ香雪はこの樹が花を咲かせている姿など見たことがないのだから。

「ええ、そう言っていました。香雪さんに似ているから、好きなのかもしれませんね」

 娘に似ている花だから好きなのだとすれば、合点がいく。

「……それは、たぶんありえないと思いますよ」

「まぁそうですよね、似ているというのも俺の感覚ですし」

「いえ、そうではなくて」

 香雪が小さな声で青雲を遮る。

 また嫌な話になってしまうな、と苦笑した。

「……わたしは母にとって望んで生まれた子ではないんだと思うので、わたしに似ているからこの花が好きだなんて、ありえないんですよ」

 青雲は悲しげな顔をした。その顔に香雪は申し訳なくなった。楽しい話題なら良かったけれど。

「……なぜそう思うんですか?」

「わたしの名前」

 香雪は、すぐにその理由を声に出した。

「香『雪』なんですよ。春家に生まれながら雪なんて名前につけられるなんて、皮肉だと思いません?」

 春家はその名のとおり、春を象徴している。

 最も花が咲き、最も芳しい季節。花守は代々、暗黙の了解のうちに花の名をつけられてきた。

 ……香雪の名には、花の名なんてどこにもない。

「冬生まれだったとか……?」

「残念ながら生まれたのは春の終わりと聞いています」

 花も咲き乱れ、雪なんて欠片も残っていないような頃だ。

 まさしく、春家に相応しい季節に生まれたのにも関わらず、雪という文字がつけられた。

「……別に雪が嫌いなわけではないですけど、こうも皮肉をこめた名前ですから。きっと父親も母さんが好いた人ではなかったんじゃないかなって」

 だからもしかしたら、本当に先帝が香雪の父親なんじゃないだろうか。

 随分前から、香雪はそんなことを考えては、結局誰からも答えを得られずにもやもやとしている。



 ――いい? 香雪。この花はとても大事な花の名だから、きちんとお世話するのよ。


 それは、香雪がまだ小さな頃のことだ。

 ひとつの鉢植えを指さして、母の香蘭がそう言った。

『でも母さん。この花、全然咲かないのよ。わたし、咲いているのを見たことないわ』

 たいていの花は年に一度の、それぞれの花の季節に咲くものだ。病気でもないのに咲かない花なんてその頃の香雪は知らなかった。

『そうでしょうね、母さんも見たことないもの』

『母さんも? ねぇ、この花は本当に咲くの?』

 花に見せかけたただの草なんじゃないか、と香雪は眉を寄せる。

 母は困ったように笑った。

 そうして、咲かないほうが良いのよ、と呟いた。


『……この花はね、何十年何百年に一度、たった一晩だけ咲く特別な花なのよ』




 何かの啓示のような夢に、香雪は飛び起きた。

 太陽は既に昇っていて外は明るくなっている。時刻としてはまだ早朝だが、香雪にとっては寝坊だった。

「……咲かない花」

 青雲から話を聞いた時は、てっきり花をつかなくなったあの樹のことだと思った。

 しかし『南に植わっている樹』と『咲かない花』がそれぞれ別のものの話だったら?

 百花園には、咲かない花がふたつある。

 香雪は上衣だけ羽織ると急いで外に出た。以前は小屋のなかにあった鉢植えは、温室が出来たときにそちらに移している。

 秋の朝は肌寒い。今日は一際冷え込んだらしく、足元には霜がおりていた。

 しかしそんな外の寒さとは無縁に、温室のなかはあたたかい。

 温室の片隅、咲き乱れる花に隠れるようにひっそりと存在している鉢植えに駆け寄る。


「……蕾がついている」


 香雪が生まれてから一度も、その花に蕾がついたのを見たことはなかった。

冥王花めいおうか

 それは災禍の予兆。

 何十年、何百年に一度あるかどうかの異変を知らせる花だった。

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