第三話

 朱家から邪気に関しての調査報告があったので碧蓮城に来るように、と連絡があった。

 ついこの間行ったばかりなのに、と渋い顔をする香雪に、青雲は苦笑する。

「それなら俺だけで行ってきますよ」

「……いいんですか?」

 思ってもみない申し出に、香雪としては素直に頷きたい。あんな疲れるところに何度も行きたくないのだ。

「すぐに済むと思いますし、話を聞くだけですから。その分、こちらの手伝いができなくなりますけど」

「それは大丈夫です。一人でやるほうが慣れてますし」

 幸い、青雲が活躍する力仕事はだいぶ片付いている。

 大丈夫ですと即答されてしまうと青雲としては複雑な気持ちにもなるが、より専門的な手伝いはその都度香雪に指示されなければできないのだから仕方ない。

「それじゃあ明日行ってきます。終わったらすぐに百花園にも顔を出しますから」




 ――というやり取りをしたのが昨日のこと。

 青雲は予定通り碧蓮城に来ていた。

「朱家の報告によると、鬼の数は減るどころか増えているみたいだね。君たち二人で幽鬼狩りに出てからの記録と合わせても間違いなく増えている」

 珀凰の言葉に、青雲は目を落とす。

 薄々そうではないかと思っていたものの、実際に調査の結果として知らされるとどっと疲れが増える。

「……なんらかの原因がありそうですね」

「過去に似たことがなかったか記録を探しているけど……このあたりは春家の仕事だったからね」

 珀凰はしかたないね、と苦笑した。

 碧蓮城には幽鬼に関しての記録があまり残っていない。大半は春家の邸に残されているはずだ。

「香雪さんも連れて来たほうが良かったですか?」

 近頃の香雪は疲れもけっこう溜まっているようだったし、碧蓮城は彼女にとって鬼門のようなものだ。報告だけならと青雲一人で来たのだが問題だっただろうか。

「いや、あの子が知っているならとっくに対策をしているだろう。……春家の年長の者がいれば良かったけど」

 残念ながら、春家の人間は香雪ただ一人だ。香雪自身、十一歳から花守を務めているものの、やはり長年の経験にまさる情報はない。

 ふと、青雲は先日の香雪の言葉を思い出す。


『いいじゃない、中途半端でも。あなたは選べるってことだもの』


 それはつまり、香雪は選べないということだ。

 生まれた瞬間に彼女は花守となることが決まっていた。それは、他の色持ちでも同じことだ。青雲は、違ったけれど。

「……彼女は、花守として生きることをどう思っているんでしょうか」

「どうしたの、突然」

 ただの独り言のつもりで呟いたのだが、珀凰はそれを聞き逃さずに拾い上げた。聞こえていたことに驚きながら、青雲はどう説明したものかと言葉を探す。

「その……たった一人で担うには重い役目ですし。自分の進む先を決められているのは、いいのか悪いのか……」

 語尾に近づくにつれて、青雲の声が小さくなる。

「香雪というより、色持ちの話かな。もしかして、彼女に何か言われた?」

 珀凰にはお見通しらしい。青雲は苦笑しながら、おずおずと口を開く。

「……俺は中途半端だからこそ選べるだろう、と」

 なるほど、と珀凰は笑う。

 中途半端という言葉を否定する様子もない。青雲の立ち位置を珀凰は十分に理解していた。

「瑞月はどうだった? 色持ちとして生まれて」

「――陛下」

 本来の名で呼ばれたことに、瑞月は眉を寄せる。しかし珀凰はそれがどうしたと言うように微笑み返した。

 幸い、執務室には他に人はいない。許可なく立ち寄る者もいないのだから、名前を呼んだくらいで瑞月の秘密が広まる心配はないだろう。

 それに珀凰なら、たとえ「瑞月」と呼んだところを聞かれてもうまく言いくるめてしまえそうだ。

「……私の場合は、一人だったわけではないのでそれほど重いと感じたことはありませんよ」

 瑞月はすぐに観念して口を開く。

 色持ちとして生まれた瑞月は、同時に皓月という片割れがいた。そして瑞月自身は役目を継ぐ予定はなかった。

「役目の重さは、陛下や花守殿は私とは比べられるものではないでしょう。私の場合、出来が悪くても他の優秀な者が陛下を支えることになるだけです。しかし唯一無二の役目なれば……逃げるのことは、できませんから」

 たとえば秋家の色持ちに才能がなかろうと、宰相は別の人間がやればいい。冬家も似たようなものだ。実際、当主である兄の代わりを青雲は務めている。

 しかし花守や帝には、代わりがいない。やりたくないから他の誰かがやればいい、なんてことは通用しない。

「私はそこまで負担に思ったことはないけどね? 優秀な者がこうして気遣ってくれているわけだし」

 遠回しに珀凰に褒められて、瑞月も照れているらしい。珍しいこともあるなと青雲は思った。珀凰が人を褒めるなんて、滅多にないのに。


「……香雪のことが気になる?」


 目を細め、楽しげな色を滲ませながら珀凰が問いかける。

 青雲はそんな珀凰にはさっぱり気づかずに真面目な顔をしていた。

「そうですね、誰かに頼ることが苦手みたいなので、どうにかしてあげられればとは思います」

「うーん……期待していた甘い返答ではないけど、まぁいいか。――皓月、隠蔽工作は頼んだよ」

 珀凰が目配せすると、瑞月は小さくため息を吐く。

「……長くは持ちませんからね」

「そう長居はしないから大丈夫だよ」

 珀凰と瑞月のやり取りに、青雲は首を傾げる。隠蔽工作とはなんのことだろうか。

「それじゃあ、香雪についても幽鬼についても詳しそうな人に会いに行こうか」

「……はい?」




 珀凰はすぐに隣の部屋で着替え、比較的動きやすい姿になると人目を避けて誰も使っていない門を通って碧蓮城を出た。

 随分と手馴れている。こんなところに門があることすら、青雲は知らなかった。

「……それで、その、どこに向かっているんですか?」

 珀凰と一緒に馬車に詰め込まれた青雲は身を縮めながら問いかける。

 馬車はとても帝が乗るような立派な造りのものではなく、下級貴族が使う程度のものだ。それでも乗り心地が悪くない――ということは珀凰がこうしてお忍びで出かけるときのためにあるものなのだろう。

「春家だけど」

「え? 春家の邸は今使っていないんですよね?」

 香雪は住んでいないし、香雪の他に春家の人間はいない。誰かに貸し出しているわけでもないはずだ。

「そうだね、誰も住んでいないよ。蒼家が手入れはしているから荒れ果ててはいないみたいだけど」

「それじゃあ、資料を探しに行くんですか?」

 ――珀凰自ら?

 そんなことは誰かに任せればいい。それこそ管理しているのが蒼家なら、その人間にでも命じれば済む話だ。

「人に会いに行くって言ったはずだけど?」

 何を言ってるのと珀凰が笑うが、青雲はますます混乱していた。

「……誰も住んでいないんですよね?」

「誰も住みたくないだろうね、あの邸には」

 くすりと笑う珀凰に、青雲はもはやなんなのかわからずに返答すらできない。


「――七年前のことを青雲はどれだけ知っている?」


 七年前。

 春家。

 その二つの話をしていたのだから、珀凰がさすのは必然的にひとつに絞られる。

「……その頃は父と共に地方に出兵していましたから、人伝にしか聞いていません」

 青雲が初めて戦いに出た時のことだ。

 地方の小競り合いの仲裁に行っただけなので、それほど激しい戦いではなかった。蓬陽に帰ってきてから、不在の間に起きていたことを聞いて背筋が凍りついたのを今でも覚えている。

「……あれは宰相も冬家の当主も不在だったからこそ起きたことだしね」

 帝を止めることのできる人間がいなかった、と珀凰は呟く。

 七年前の帝とは、つまり珀凰の父である先帝だ。

「……花守は後宮の花にあらず。聞いたことはあるだろう?」

「もちろんです」

「帝と花守は志葵国を支える二つの柱。それは決して交わることはない。建国の時から定められた決して破ってはいけない誓いだ」

 春家……花守は、傾国と謳われてもおかしくないほどうつくしい者であることが多い。歴代の帝たちはそのうつくしさを後宮に閉じ込めたいと何度願ったことだろうか。

 しかしそれは禁じられている。

 望むものはなんでも手に入るであろうこの国の至高の人は、花守というたった一人の花だけは手折ることができない。

「七年前、先帝は誓いを無視して花守を後宮に迎えようとした。その時の花守が、香雪の母であるしゅん香蘭こうらん

 香雪は十一歳になった頃だった。

 先帝曰く、次代の花守がそこまで育ったのなら良いだろう、と。代わりがいるのだから、と。

 誰も諌めることはできなかった。諌めるべき秋家の宰相も、冬家の将軍も蓬陽にいなかった。

 帝に歯向かうだけの力を春家は持たなかった。力を貸してくれるような名家との繋がりもなかった。

「春香蘭と春家の当主は邸で自害。その無言の抗議に腹を立てた先帝は、残っていた春家の人間も処刑した」

 もともと一族の数は少なかったものの、蓬陽の人間が震え上がる事件だった。

 先帝の政に関する手腕は誰もが認めていたが、その好色さは悩みの種でもあった。まさか花守にまで手を出そうとは、想像できたものはいなかっただろう。


「……香雪だけが生き残った。花守を絶やすわけにはいかないからね」


 花守となるべくして生まれ、花守だから生かされた。

 そんな香雪のことを、あの細い肩にのしかかる重みを想像して、青雲は静かに目を閉じた。

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