第七話
「日暮れまで時間がありますね。疲れたみたいですし、少し休んだ方がいいですよ」
百花園に着くと青雲は香雪の顔色を見ながらそう告げる。
誰のせいだと言いたいが、香雪はぐっと堪える。
……どちらかと言えば呼び出してきた帝が悪いんだし、青雲に八つ当たりするのは筋違いだ。
「休みたいのは山々ですけど、できれば今日のうちに山茶花や椿に虫除けを……」
「こっこっこっ……!」
虫除けをしておきたいところなんです、と答えようとした香雪の耳に鶏の鳴き声のようなものが聞こえる。
見ると、香雪と同じくらいの年頃の女性がこちらを指さして驚愕の表情を浮かべていた。
「ここここここここ、香雪様がぁ!?」
百花園に響き渡る声は悲鳴にも似た大きなもので、青雲は思わず耳を塞いだ。
「こ香雪様があああああ! 玄鳥以外の男の人と一緒にいるうううう!? しかもしゃべってるうううう!?」
「……
耳をつんざく高い声に、香雪は思わず顔を顰めた。
「どどどどういうこと!? どういうことですか!? ついにお婿様が決まったんですか!? えっそんな私が知らないうちにどこで出会ってどこで恋を育ててどこでそんな仲になったんですかだって香雪様ったら百花園から全然出ないじゃないですかそれなのに今日は留守にしているししかもやだ可愛い格好をしてるじゃないですか!?」
花梨は香雪に詰め寄りながら矢継ぎ早に言葉を投げる。投げ続けて制止する暇がない。
碧蓮城で精神的にたいへん疲れてきたところにこれはきつい。香雪がふらっと立ち眩むと、大きな手が香雪の肩を支えた。
「あ。すみません、つい」
……なんで謝るんだろう。この人ったら本当に謝るのが癖になっているんじゃないの?
そんなことをぼんやりと考えながら青雲を見上げていると、花梨はますます騒ぎたてた。
「香雪様が男の人に触られてもなんにも言わないー!?」
ああなるほどそれか、と言われてようやく香雪は気づいた。
触られるといっても布越しだし、青雲は香雪を支えてくれたわけなので、ここで悲鳴をあげて殴りかかるなんて真似はさすがに香雪もしない。……初対面の男だったらやるかもしれないが。
「……ありがとうございます」
青雲に礼を言いながら、しっかりと地面を踏む。
「やだもう香雪様ったら私より先にこんな素敵な人を見つけてひどいですよおおおお! 私だって未来の旦那様がほし……むぐっ」
「そろそろ勘違いと暴走はやめて黙ってくれるかしら? 花梨」
香雪はにっこりと微笑みながら花梨の口に
「ふぁい……」
冷ややかな香雪の微笑みに、花梨も頭が冷える。興奮状態だったのが嘘のように大人しくなった。
「……大変失礼いたしました、蒼花梨と申します」
「冬青雲です」
ようやく落ち着いた花梨が青雲に頭を下げながら名乗る。香雪が補足するために口を開いた。
「以前に話した、百花園に来るよくもう一人ですよ」
そういえば玄鳥以外にもよく来る人がいると言っていた。
確か――
「碧蓮城に生花を届けてる方でしたか」
「はい、いつも私が来るのは早朝なので今までお会いしなかったんですね」
青雲が百花園に来るのは日が昇ってから数刻後だ。一般的に人々が働き始める時間帯に到着するようにしている。
「今日はどうしたの?」
香雪も花梨がやってきた理由は知らないらしい。首を傾げる香雪に、花梨は紙の束を差し出した。
「玄鳥が忙しそうだったので代わりに。幽鬼についての報告書です」
「ああ、ありがとう」
「……蒼家ってそんなことまでしてるんですか?」
花梨が香雪に報告書を渡しているのを見ながら青雲は驚いていた。蒼家の仕事は青雲が思っている以上に多種多様なのではないか。
「蓬陽を歩き回るついでにです。うちの一族は見える人が多いので」
見えるというのは幽鬼の類の話だろう。遺伝するものなのかわからないが、春家や蒼家は見鬼の才を持つものが多い。ぱらぱらと報告書を流し読みする香雪を見て花梨は微苦笑する。
「……香雪様お一人で役目をこなすには、あまりに負担が大きいですから」
ただ花を育てるだけ、と思われている花守も実際の仕事はそれだけではない。広大な百花園を管理することだけでも十分すぎるほど大変なのに、なかなか理解はされない。
……香雪は、理解されようともしていないように見える。
青雲はじっくりと報告書を読み始めた香雪の手から報告書を奪う。何をするんだと大きな翡翠の瞳が睨みつけてくるが、青雲は負けじと香雪を見下ろした。
「虫除けでしたっけ? やっておきますから、少し休んできたらどうですか」
「いや、でも……」
「虫除けのやり方だけ教えてください。山茶花は向こうでしたよね」
さすがに青雲も百花園の中で迷ったりしないし、花の種類も覚え始めている。
「あ、それなら私が教えますんで! さーさー香雪様は着替えて仮眠とりましょう、顔色悪いですよ?」
ぐいぐいと花梨に小屋に押し込まれて、ついでとばかりに衣を脱がされて寝台に転がされる。香雪も非力ではないが小柄なので押し負けてしまう。
「ちょっと……」
「今は夜にもお務めがあるんですから、無理は駄目ですよ。せっかく男手がいるんだからどんどん甘えちゃいましょ!」
横になるとどっと疲れが押し寄せてくる。身体全体が重く、眠気が忍び寄ってくる気配に香雪は目を閉じた。
花梨は静かに戸を閉めて小屋から出て行く。しんと静まり返った部屋の中で、ふわふわと眠気に身を委ねる。
誰かに甘えるなんて――まして、男の人に甘えるなんて。
そんなこと、考えたこともなかった。
*
「――ありがとうございます、香雪様を気遣っていただいて」
山茶花の葉に虫がついていないかと確認しながら虫除けの薬を散布していると、花梨が口を開いた。
「お礼を言われるほどのことじゃないですよ。本当に顔色が悪かったですし」
すぐに倒れそうなほど――とは言わないが、明らかに香雪のは疲れていた。彼女は肌が白いので変化がわかりやすい。
「香雪様は誰かに頼ることが苦手な方なので、青雲様がいてくださるのは本当に助かっているんです」
頼られているわけではないだろうけど、と苦笑しながら青雲は作業の手を止めずに耳を傾ける。代わりにやっておくと言ったのだから、しっかり仕事はしておかなくては。
「それに、このとおり力仕事が多いですから。男手があるのも助かるんです。香雪様は男の人を近づけないので……」
「やってみるまでは知らなかったんですが、けっこう体力いりますね」
たくさんの花に水をやったり、植え替えなどのために土を運んだり、想像以上に力仕事が多い。武官である青雲が運動不足にならない程度には身体を使っている。
その上肥料を与える時期や害虫対策など頭を使うことも多い。今は夜間に幽鬼狩り……とまでなると、香雪はいつ寝ているのかと疑問に思う。
「男の人、苦手ですもんね」
碧蓮城でも頑なに男性とは話そうとしなかった。青雲の陰に隠れて息を潜めている様子は小動物のようでもある。
「苦手ではなく嫌いなんだ、と香雪様ならおっしゃいますね。私にも理由は話してくださいませんけど……」
苦手ではなく、嫌い。
訂正された言葉の違いを青雲は考えた。似ているようで違う。
確かに香雪は男性を避けているけれど、皓月のように初対面でも平気な人はいる。青雲と出会った時も心構えがあったからなのか、比較的普通だった。
「……うつくしい花は、それだけたくさんのものを引き寄せますから」
――良いものも、悪いものも。
花に集まるのが蝶だけではないように、うつくしさに魅入られてしまうのは善良なものだけとは限らない。
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