第六話

 執務室の隣には執務の合間に休憩をとるために造られた部屋がある。珀凰の言うとおり仮眠用の寝台があり、卓と椅子もあった。

 休憩のための部屋だといっても、香雪が暮らす小屋に比べたらはるかに広くて快適だ。

 隣の部屋から聞き耳でもたてていたら会話は筒抜けだろうが、真面目そうな瑞月がやるとは思えないし、青雲はそんな度胸はないはずだ。珀凰にいたってはそんなことしなくても大方香雪が何を聞くのか予想しているだろう。


「それで、僕に聞きたいこととは」

 皓月は世間話をすることもなく、透けた身体で香雪と向き合う。

 瑞月とそっくりだが、やはりどこか男性的な雰囲気が強い。

 ……もしも皓月が生きていたなら、香雪はこの状況に耐えられなかっただろう。

「そうですね、率直に問います。あなたは、いつまで瑞月さんと共にいるつもりでしたか」

 きっと、瑞月は叶うことなら自分が死ぬまで皓月と身体を共有し続けるつもりなのだろう。それが無理だとわかっていながら、それでもギリギリまで望み続ける。

 ――けれど皓月は?

 互いに思い合う強さは同じだとして、違いは生者であるか死者であるかということ。そして皓月は、自分の死には納得しているようだった。

「……あの子は、僕と同じです。秋家の色持ちとして十分に役目を果たせるほど、賢い子なんです」

 皓月は微笑みながらそう呟く。

 ふわりと香る、茉莉花の香り。女性的なその香りは、皓月が瑞月を思う気持ちの現れなのかもしれない。

「けれど、自信がない。今のままでは自分が陛下の片腕となれるだなんて思えないんです。……陛下はもうとっくに、あの子の才を認めてくださっているのに」

 皓月はそっと目を閉じる。憂い帯びたその顔は瑞月にそっくりだった。

「僕がいるだけで、あの子は胸を張って『秋皓月』になれるみたいで。だから、瑞月が自分の力を信じて、自信をもてるようになったら……そうしたら、別れるつもりでした」

 たとえその時、どれだけ瑞月に引き止められようと。

 おそらく皓月は、それを振り切ってでも死者として正しい道へ進むだろう。

「……瑞月さんの身を危険にさらす可能性に、気づいていなかったわけじゃないんでしょうう?」

 たとえ幽鬼に関する知識がなかったとしても、皓月なら仮説をたてることはできただろう。

「もちろんです。僕が鬼に成り果てるかもしれない、そのときにはどうであれすぐに離れます。……瑞月には、長生きしてほしいんです」

 きっぱりと言い切る皓月は、香雪には保身のための嘘をついているようには見えなかった。

 嘘ではないからこそ、香雪は困る。

 心の底から瑞月を案じているのだとわかってしまうから。

「……本当は、ごく普通の女の子として、良い人と添い遂げてほしいと思います。けれどそれを、瑞月は望まないから」

 目を落とし呟く皓月は、少しだけ悲しげだった。


 秋家の色持ちとして。

 秋皓月として。

 生きる覚悟を、彼女は決めてしまった。


「だからもう少し、瑞月を見守りたいんです。勝手な我儘であることは承知の上でお願い申し上げます。花守殿、どうか今は見逃してくださいませんか」

 見逃すべきではない、と花守としては思う。

 どんなに些細でも危険の芽を放置することはできない。まして、帝である珀凰の傍らのことならばなおさらだ。

 けれど。

「……いくつか条件をつけます。それでよろしいですか」

 絞り出すように香雪が答える。

 口にしてしまってからも、まだこれが正しいか香雪にはわからない。

「ありがとうございます……!」


 ――死者とはいえ、人である。

 人の願いを一蹴できるほど、香雪は非情にはなれなかった。



 帰りも冬家の馬車に揺られ、百花園へと戻る。いろいろなことがありすぎて、香雪はすっかり疲れ切っていた。


「……良かったんですか?」

「良くはないですよ。でも、仕方ないじゃないですか」


 行儀よく座っている気力すらなくて、香雪は壁に頭を預ける。

「あのままにしておくのも良くないし、かといって無理やり引き剥がすのも良くない。どうするのがよりマシか考えたら現状維持が最善だったんですよ」

 はぁ、とため息を吐き出して香雪は答える。

 秋皓月と秋瑞月は、結局あのままだ。


 香雪が告げた条件は三つだけだ。

 ひとつ、香雪の作った香り袋を肌身離さず持ち歩くこと。天花から作った香り袋なら、ある程度は邪気を払う効果がある。

 ひとつ、定期的に香雪に様子を見せること。百花園に来るでもいいし、香雪が碧蓮城に行った時でもいい。最低でも半月に一度は顔を合わせることになった。

 最後、異変が起きたらすぐに香雪のもとに来ること。皓月も瑞月も、鬼になることだけは防がなければならない。


「個人的には良かったと思いますよ。……大切な人との別れは辛いですから」

 青雲がほっとしたように呟くが、香雪はもやもやした気持ちのままだ。これで良かったのかという不安は消えない。

「……先延ばしにしたにすぎませんよ。生者と死者は、いつまでも一緒にはいられません」

「それでも、気持ちの整理をつける時間があるなら良いことです」

 ――そうであって欲しい、と香雪も思う。

 これがのちに最悪の結果を招いたら、香雪は自分を責めずにはいられなくなるから。

「……瑞月さんは普段碧蓮城にいることが多いし、香り袋も渡したので突然鬼になるなんてことはないと思いますけど、用心は必要ですね」

 結果的には心配事が増えてしまった、と香雪はため息を吐く。今は邪気が増えていることだけでも頭が痛いのに。

 瑞月の身体の中にいるせいか、邪気の影響を受けにくいようだし、差し迫った危険はないはずだが。

「ところで、俺はまだ香り袋をもらっていないんですけど」

 ――約束しましたよね? と青雲が悲しそうな顔をする。

 もちろん香雪も忘れていたわけではない。成り行きとはいえ約束したことだし、守れない約束はしない。

「それは仕方ないですよ。瑞月さんに渡した香り袋があなたのために用意しておいたやつですから」

 香雪はいつも香り袋を持ち歩いているわけではない。自分用に作っていたわけではないし、誰かにいつでもお守りに渡せるようにしているはずもない。

 瑞月に渡した香り袋は、青雲に渡すために持っていたのだ。

「どうりで準備がいいなと思いましたよ……!」

「だって瑞月さんの場合、次に会うときになんて悠長なこと言っていられないでしょう。碧蓮城になんて何度も行きたくないし」

 青雲とは毎日会っているのだから、いつでも渡せる。そう思ってついつい渡すのをすっかり忘れていたのだが。

 ……というか、なんと言って渡せばいいのかわからなくてここ数日懐に入れたまま、青雲に渡す機会を伺っていたのだ。

 結局青雲に渡せずに瑞月の手に渡ったわけだけど、役に立ったのだからまぁいいか、と思う。青雲にはまた作ればいいのだし。

 そうしているとまた渡す機会を見失ってしまいそうだけど。

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