第五話

 皓月、あなたはいつかこの国の宰相になるのよ。お爺様やお父様みたいに!

 僕にできるかな。僕、身体が弱いからなぁ。

 大丈夫よ、だって皓月は色持ちなんだから。もし駄目でも、私が手伝ってあげる。だって私たち、二人で一人だもんね。

 うん、一緒なら大丈夫な気がする。頑張ろうね、――。




「……いったいなんの冗談でしょうか? 私は秋皓月ですよ」

 一瞬だけ動揺を見せた紅色の瞳は、すぐに平静を装って笑顔で感情を隠した。

「あなた、わたしを誰だと思っているの」

 香雪は怒りを滲ませながら強い口調で言う。

「花守よ。花守なの。天花を育て、死者を慰め、国を護る。それがわたしの務め。わたしの役目なの。そのわたしを、誤魔化そうというの?」

 小柄な香雪は、皓月のことを下から睨みつけるしかできない。しかしその瞳は射抜くように皓月を見ていて、皓月の足は縫い止められたように動かなかった。

「一つの身体の中に二人分の人格が入っているなんて、正気の沙汰じゃないわ。どれだけ危険なことをしているかわかっているの? 死者が邪気に飲まれれば、生きてる人間ごと鬼になってしまってもおかしくないのよ!?」

 その言葉で青雲はようやく状況を理解した。

 香雪と二人で探し回っていた幽霊は、皓月の中にいるのだ。

 だから、普通に探しているだけではなかなか見つからなかった。

「無理やり身体に入っているんじゃないんでしょう。それくらいわかるわよ。でもね、死者も生者も等しくこの国の民なら、わたしには護る義務があるの!」

 国は民無くしては国とならない。

 死者には花と慰めを、生者には花と活力を。


「……捕まってしまったんだから仕方ないね、観念するしかないよ。瑞月ずいげつ

「でも、陛下……!」

 泣きそうな声で皓月――いや、瑞月が珀鳳を見る。

「すべて話しなさい、秋瑞月。命令だよ」

「……陛下」

 命令だという言葉に、瑞月は目を伏せた。

 夏珀鳳は、やさしい人間ではない。香雪はずっとそう思っているし、おそらく間違った認識ではないのだろう。

 生まれた時から帝となることを定められた男が、やさしさだけでは生きていけるはずがないのだ。

「瑞月……まさか女性ですか……?」

 青雲が瑞月を見ながら問いかける。その名前はどちらかというと女性につけられる名前だ。それに、青雲の記憶では――

「皓月殿の双子の姉が、瑞月という名前だったような……」

 皓月と瑞月が生まれた時、随分と話題になったのだと青雲は兄や姉から聞かされた。青雲は幼すぎてその当時の記憶はほとんどない。

「……そうです。私は、秋瑞月。皓月の姉です」

 諦めたように、瑞月は口を開いた。

「私と皓月は、そっくりでした。男と女という性別の違いのほかは、何もかも同じでした。髪の色も、目の色も。幼い頃は親ですら見分けがつかないほど」

 色持ちが二人同時生まれる。

 それは、当時は随分と騒ぎになった。代々四季家に生まれる色持ちは、世代ごとに一人。二十年から四十年に一人生まれるのが普通で、双子として生まれてくることは初めてだった。

 しかしその双子が男女であったことで、騒ぎも自然と落ち着いた。男である皓月が家を継ぐのだから問題ない。女の瑞月には、相応しい縁組を考えれば良い、と。


 ――しかし、そう上手くはいかなかった。


「皓月は、三年前に亡くなりました。十七歳の時です」

 十五歳という若さで試験に受かり、文官として働き始めたものの、皓月はよく体調を崩して休みがちだったのだという。

「……もともと身体が弱くて、病がちだったんですが、秋家に相応しい、頭のいい子だったんです」

 瑞月は唇を噛み締めると、ぽろりと一滴涙を流す。その様子はどこからどう見ても女性だ。今まで『秋皓月』を男性だと思っていた青雲でも動揺するほど、女性にしか見えなくなる。


「……問題になったのは、秋家の跡継ぎが死んでしまったことだった。色持ちがこんなに早くに死ぬなんて前代未聞だ」


 瑞月の口から、別人のような声がする。

 少し低くて、やわらかい。秋風のように涼やかで芯のある声だった。

「……秋皓月?」

「ええ。僕が皓月です。はじめまして、花守殿」

 香雪が呼びかけると、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべて答える。先程瑞月が流した涙はまだ頬を流れ落ちているのに、その姿はどこか少年のように見えた。

「僕は、瑞月のことが気がかりですぐに冥界には行けなかった。瑞月の行く末を見守ったら、大人しく冥界へ行くつもりだったし、今でもそのつもりです」

 でも、と皓月は悲しげに目を伏せる。


「両親は、瑞月を僕の身代わりに差し出した」


 それはまるで、生贄のようだった。

「女にしては背が高かった私は、十七歳となっても皓月と背格好があまり変わりませんでした」

 秋家が四季家のひとつとして相応しくあるために、その権力がわずかでも削がれないために、今まで色持ちでありながら日陰にいた瑞月は突然表舞台に立たされた。

「僕は休みがちでしたし、親しい人もいなかった。だから瑞月が僕として働いても、誰も気づきませんでした。僕は、とても見ていられなかった」

 多少の違和感があっても、病み上がりだからだと言えば誰もが納得した。

「私は幼い頃から皓月と勉強してきました。だから知識はあります。秋家に恥じない仕事はできます。……でも、不安だった」

 瑞月にとっては皓月から聞いていただけの、まったく知らない世界。

 周りは知らない人ばかりで、頼れる人もいない。気を許せば女だとバレてしまうかもしれないと思えば、誰とも親しくなれなかった。

「女の子一人が、この碧蓮城で男として生きていくなんて、過酷すぎる。健康だった瑞月さえ、どんどん痩せていってしまって、僕は――」

 声が震えて、まるで懺悔するように皓月は天を仰ぐ。

 静かに目を閉じて、頬を涙が流れ落ちる。

「――皓月は、私に手を差し伸べた。私に触れてくると、皓月は私の身体の中にいたんです」


 皓月と瑞月が交互に説明する。

 その様子は、見ているだけでも不思議なものだった。わずかな声音の変化が二人の違いを教えてくれるが、表情が変わらないとわかりにくい。

 彼らが意識すれば二人で『秋皓月』を演じることも容易だろう。

「皓月が一緒にいてくれるようになってから、私はとても安心しました。だって、本来役目を継ぐべき皓月はここにいる」

 瑞月は胸に手を当てながら微笑んだ。心の底から喜んで現状を受け入れているのだと香雪に示してくる。

「瑞月は知識は豊富でも自分に自信がなかった。僕はただそれで合っているよ、大丈夫だよと言っているだけです」

 香雪は戸惑いなく話を聞いていたが、青雲はだんだん目がぐるぐるして混乱してきた。


「……陛下はご存知だったんですね?」


 香雪は黙ったまま見守っていた珀鳳に問いかける。

 今まで香雪と秋皓月が出会わなかったのは、珀鳳がそうなるように采配していたのだろう。

 簡単な話だ。呼び出さなければ顔を出さない香雪を、ちょうどいいタイミングで呼び出すだけなのだから。たとえば彼らが休みの日であったり、既に帰宅したあとであったり。

 珀鳳は香雪を見て微笑む。それが答えだろう。

「二人で『秋皓月』をやるようになってから数ヶ月後に、陛下の秘書官に任命されました。……陛下は、すぐにお気づきになりました」

「男か女なんてすぐわかるよ。皓月の顔も覚えていた。似ていても、違う人間だからね」

 珀鳳には一目で秋瑞月だとわかった。

 猫か犬かを見分けるのが簡単すぎて謎かけにもならないのと同じように、珀鳳にとっては当たり前のことだったらしい。

「それから、陛下はおそらく花守殿も同じようにすぐわかるだろうと、そうおっしゃって……」

「……今まで揃ってわたしを騙していた、と」

 はぁ、とため息を吐き出しながら香雪が零すと、珀鳳は心外だと言いたげに首を横に振った。

「騙してないよ。避けていただけで」

「似たようなものですよ」

 今までさっぱり気づかなかった香雪も悪いのかもしれないが、会ったこともない相手に避けられるなんて普通は想像もできない。


「……わたしの見解は、先ほど申し上げたとおりです」


 香雪は表情を消し去り、平坦な声で告げる。

「今どれだけ危うい状況なのか、自覚がないようですが、普通なら瑞月さんは発狂していてもおかしくないことですよ」

 発狂、という言葉に瑞月は怯えるように息を飲んだ。

「秘書官をされているのですから、ご存知ですよね。今、蓬陽は邪気が増しています。邪気が増すことで幽霊は鬼へと変じやすくなっている。それは皓月さんも例外ではありません」

 訥々と香雪は話し続ける。

 珀凰が私情を交えないのと同じだ。香雪は花守として説明する責任がある。

「生者の身体に入った幽霊が鬼のへと成り果てるなど前例がありませんから、どうなるかわかりません。最悪、瑞月さんも共に鬼となる可能性もあります」

「すみません」

 すっと片手をあげながら青雲が発言の許可を求める。

 その声に、張り詰めていた空気が緩んだ。

「……ここで口を挟む勇気に免じて、なんですか」

 はあぁぁぁ、とため息を吐き出しながら香雪が許可する。油断すると気が抜けてしまいそうだ。

「幽霊が鬼へと成り果てる、というのはわかりますけど、具体的にはどのくらいの年月をかけて変わるものなんですか?」

「残念ながらその問いに正解はありません。人による、としか答えられませんね」

「人による……」

 曖昧な答えに、青雲は納得しているようにもしていないようにも見える。だが本当に「ひとによる」としか答えられないのだ。

「数日で変わる人もいますが、数十年幽霊のまま彷徨う人もいます。……蓬陽にはそんなに長く幽霊としてふらふらしてる人はいませんけどね」

 天花は邪気を払うのと同時に、彷徨う幽霊の迷いを晴らす効果も多少はあるらしい。香雪が手を出さなくとも自然と冥界へ向かう幽霊もいる。

「では、花守が危険だと判断するのはどの程度の年月が経ってからなんですか?」

「これも年月ではありません。言うなれば……気配ですね」

「気配、ですか?」

 黙って香雪と青雲の会話を聞いていた瑞月が首を傾げた。

「幽霊と鬼では気配がまるで違います。鬼の気配に近づいてきた幽霊は、危険だと判断してます」

「では、皓月は……?」

 やはりそこが気になるのだろう。瑞月の問いに香雪は眉を下げつつ、素直に答えることにした。

「……今のところ、普通の幽霊ですよ。まぁ状況は普通じゃないですけど」

「なら、しばらくは様子を見るという形でも良いのではないですか?」

 青雲はこれを提案したかったのだろう。

 香雪は黙り込んだあとで瑞月を――いや、皓月を見る。

「……皓月さん。少しその身体から出られますか。あなただけに聞きたいことがあります」

「ええ、かまいません」

 予想していたのか、皓月は即答する。

「えーっと、どこか部屋はお借りできますか? 外でもいいんですけど、花守が独り言呟いていたなんて奇妙な噂が流れても困りますし」

 瑞月の身体から出たら皓月もただの幽霊だ。見えない人には香雪が一人でいるようにしか見えない。

「隣に仮眠用の部屋があるから使うといいよ」

「えっ!? と、隣って、その、いいんですか?」

 どうも、と珀鳳の好意に甘えようとした香雪より先に青雲が慌てた。

邪魔ばかりする男だなと香雪は顔を顰める。

「何がですか?」

「え、その、寝台のあるところで男女二人っていうのはどうかと……」

 ……なるほど、一応香雪のことを心配をしてくれたらしい。

「寝ぼけてますか? 皓月さんは幽霊ですよ、どんな間違いが起きるっていうんですか」

「あ」

 呆れた顔で香雪が指摘すると、青雲はすっかり気づいていなかったらしく顔を赤くした。

「あー……でも、平気なんですか? 男性は嫌いなんでしょう?」

「……嫌いですけど」

 まぁ、幽霊ですからね、と香雪は呟く。

 青雲が心配しているようなことは起こるはずもないし、香雪が嫌う要素は皓月からは消えている。

「言うまでもなく、不埒な真似をすることはないから安心してください」

「いえ、俺に言わなくてもいいんですけど……」

 皓月が微笑みながら青雲に告げるが、それを言うべき相手は香雪だと思う、と青雲は戸惑っていた。

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