第四話
青雲と武官の会話は、ほとんどが実りのない世間話だったといえばそこまでだが、少し気になることはあった。
「ねぇ、そういえば、秋家の人が陛下の秘書官になったのはいつのことですか?」
陛下のお気に入りとして青雲と共に名を挙げられていた人物だ。四季家の人間なのだから帝の目に止まりやすいのだろうが、それでも妬まれるのだから注目を集める人なのだろう。
「秋皓月ですか? 彼は十五才で文官になって、二年前ほど前……十八歳から秘書官となったはずですが」
「……そう。わたしが花守になったのよりもあとよね」
「そうですけど、それがなにか?」
変だ、とは思うが確信があるわけではない。
香雪は十一歳で花守になった。ならざるを得なかった。
それから七年間、最低限とはいえ四季家が参加を義務付けられている祭儀には参加しているし、花守として主役を務めることもある。
それなのに。
「わたし、その人に会ったことないんですよね」
「別に、おかしなことでもないと思いますけど……?」
青雲ともこの間が初対面だったのだからありえないことではないのだろう、と香雪も思った。
儀礼に参加するのは当主のみ。まだ秋家が代替わりしていないのなら、香雪と会う機会もないだろう、と。
しかし秋皓月は帝の秘書官であるという。
香雪自身が碧蓮城にやってくることは年に数度しかないが、それでも珀鳳のそばにいるはずの人物に一度も会ったことがないというのはおかしい。
「……意図的に避けられている気がするんだけど」
「何かしたんですか?」
「会ったこともないのに何ができるって言うのんですか」
「いや……その、彼は真面目な人ですし、理由もなく誰かを避けるような人ではないと思うんですが……」
青雲の観察力はそこそこ信頼できる。彼がそう評価しているのなら、秋皓月は真面目な人物なのだろう。
会ってもいない相手に避けられている、というもの香雪の被害妄想だと言われたらはっきりとは否定できない。
……ただなんとなく、気になる。
「それに、今回の件と関わりがあるってわけでもないでしょう? 彼のことはひとまず置いておいて、幽霊探しを続けましょう」
「……それもそうですね」
気になることがあるとつい追究したくなるのだが、今はそれどころではない。
放っておいてもそのうち成仏するような霊ならいいが、そうでないのなら花守である香雪が対処しなければならない。ただでさえ邪気が増しているのだから、幽霊が鬼へと変わる危険性は高いと考えたほうがいいだろう。
青雲と話しながら、また少し移動して、青雲がまた知り合いを見つけては世間話ついでに何か変わったことはなかったかと聞いてみる。
時間にして二時間ほど幽霊探しは続いたが、さっぱりその姿を見つけることはできなかった。
「……今更ですけど、夜じゃなきゃ姿は見えないとかじゃないですよね?」
「夜のほうが邪気が増すので見つけやすいですけど、関係ありませんよ」
「ですよね……」
ふぅ、と香雪は息を吐く。
体力的にはまだまだ動けるのだが、精神的な疲労がどっと身体にのしかかる。普段百花園に引きこもっている香雪にとって、他人の視線を感じる空間は心地いいものではない。
「……一度、陛下の執務室に戻りましょう。これ以上粘っても、意味はなさそうですし」
「でも……」
「やり方を変えるなり、対策を考えるなり、時間は有効に使ったほうがいいです」
「……そうですね」
執務室へ戻る途中でも、花守だ、灰混じりだと視線が投げられる。
「結局、俺と一緒だから悪目立ちしてますね。すみません」
出発前に話したことを思い出したのだろう、青雲が申し訳なさそうに笑いながら謝ってくる。
「あなたが謝る理由はないでしょう」
ムッとしながら香雪は言い返した。
この男、全部自分のせいにして謝る癖がついている。
「何度言えばわかるんですか。あなたは何も悪くないんだから、堂々としてなさい! 次にまた謝ったら一晩に狩る鬼の数を増やしますよ!」
「それは勘弁してください」
へらり、と笑う青雲の頬を思いっきりつねってやりたくなる。
男に触りたくないという気持ちよりも、この男の卑屈さを矯正しなければという責任感めいたもののほうが勝ってくるのだ。
きっと青雲は、香雪から触れてくるなんてことはないと思っているから言葉だけをのらりくらりとかわして笑っているのだ。
香雪が青雲の頬へと手を伸ばしかけた時だった。
ふわりと、茉莉花の香りがした。
「いた! 近い!」
香雪は神経を集中してその香りの先を探して走り出した。やはりかすかだが、幽霊の気配が碧蓮城の中に、珀鳳の執務室のそばから感じる。
いや、そばというより、これは。
「急に走り出さないてくださいよ!?」
執務室の前で立ち止まる香雪のもとへ、少し遅れてやったきた青雲が声をかける。息を切らすような距離ではないが、突然だったので香雪についていくのが遅れたらしい。
「……どうしたんですか?」
扉の前にいる護衛は、ただ立ったまま執務室の中を睨むように見つめる花守相手に困惑していた。
そして、護衛が戸惑っている隙をついて、香雪はなんの断りもなく扉を開ける。
「ちょ、ちょっと!」
さすがにそれには青雲も驚いた。帝の執務室だ。勝手に出入りできるようなところではない。
開け放たれた扉の向こうには、楽しげに笑う珀鳳と、驚きながら振り返っている青年が一人。
その人を見て、香雪は確信する。
「……突然失礼いたしました。不意打ちでなければ、また逃げられてしまうかと思いまして」
「いいよ、許そう。それで? 君が追いかけていたものは見つかった?」
「ええ。かくれんぼではなく、鬼ごっこをさせられていたみたいですね」
香雪は状況を掴めずに入口で立ち尽くしている青雲を振り返って見る。
「扉、閉めてください」
「え、あ、はい」
香雪に命じられて青雲は慌てて扉を閉める。
部屋の中には、珀鳳、香雪、青雲、そしてもう一人。
「……あなたが秋皓月ですね」
「はい。はじめまして、花守殿。お会いできて嬉しいです」
微笑む青年の髪は鳶色、瞳は紅色。秋家に生まれる『色持ち』の色と一致する。線が細くいかにも文官といった雰囲気で、長い鳶色の髪はひとつに結っている。
「はじめまして、春香雪と申します。ちょうどあなたの話を聞いたところだったんですよ」
「どんな話か聞くのか怖いですね」
「とても優秀だとお聞きしました」
にこ、と香雪は微笑む。
その様子に青雲は首を傾げた。先程、初対面の武官相手には青雲の陰に隠れるようにして一言も話さなかったのに、随分と饒舌だ。
皓月は平気だというのだろうか。
青雲にも多少慣れてきたとはいえ、半月経っても触れたりしないのに? せいぜい衣の裾を引っ張るくらいだ。
釈然としないといった顔で青雲が二人を見ていると、皓月は「では」と口を開く。
「私はまだ仕事がありますので、これで」
失礼いたします、と退出しようとした時だった。その腕を、香雪が掴んだのは。
「逃がさないわよ」
翡翠の瞳が、獲物を捕らえる。
「鬼ごっこはもうごめんだわ。あなた、その中にいる幽霊はなんなの?」
皓月の瞳が揺れる。迷い子のように、助けを求めて珀鳳を見たが、彼は何も言わなかった。
「秋皓月……いいえ、あなたは誰?」
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