第三話
「あれ? 青雲?」
香雪と青雲がうろうろと歩き回っていると、一人の武官らしい男が青雲の姿を見つけ声をかけてきた。
「近頃見かけないと思ったがどこに……と、花守、様……?」
ここまで青雲に話しかけようとした者は香雪に気づくと遠慮していたのだが、彼からは香雪の姿が青雲の影になって見えなかったらしい。
はじめまして、と挨拶するべきなのだろうが香雪にとっては大嫌いな男だ。正直近づかないで欲しかった。
好奇心剥き出しの目線を避けるように青雲を壁にして隠れる。
「今は彼女と特殊な任務にあたっているから、碧蓮城にはあまり来ていないんだ」
「へぇ、そりゃすごい。さすが冬家の方は違うねぇ!」
「そんなたいしたことじゃない。ところで、俺がいない間の城内がどんな様子だった? 変わった噂でもなかったか?」
情報収集をしようと会話を誘導した青雲に、香雪は内心でよくやったと褒め称えた。香雪が聞き出したいところなのだが、男に話しかけるなんて極力やりたくない。
「おまえがそういうことを気にするの珍しいな。噂ねぇ……真新しい話は特にないなぁ。相変わらず陛下のお気に入りは
「……お気に入りというわけではないんだが」
「謙遜もほどほどにしておけよ。うるさい連中に見くびられるだけだ」
青雲は苦笑する。会話を聞いている限り、青雲とは親しい仲なのだろう。
香雪は会話に耳を傾けながらも周囲を見回す。官が身に纏う衣の色はそれだけで官位を示している。例外は四季家の色のみ。
春家は
その他の官は黄、橙、黄緑、緑、紫の五色で位をわけている。帝の執務室の周辺となると、緑や紫の衣を着た高位の官がほとんどだ。
「陛下も若いもんを重用してくださるんで、俺らには嬉しい限りだが年寄りのおっさんどもは気分がよくないだろうね。
香雪は知らない名前だった。
秋という名からもわかるように、秋家の者なのだろう。宰相補佐なんて話が持ち上がるのなら色持ちなのかもしれない。
「彼は優秀だから問題ないと思うが……」
「優秀だから余計に目につくんだよ。おまえと同じだ」
「俺は優秀ってほどじゃないし、そもそも兄上の代理だから」
曖昧に微笑みながら答える青雲に、香雪はひっそりとため息を零した。
……謙遜もすぎると卑屈だ。
灰混じりなどと揶揄されているからなのだろうが、青雲はどうにも自己評価が低いらしい。低すぎるくらいだ。
剣のことなんてよくわからないけど、それでも青雲の実力はここ数日一緒にいる香雪にさえわかるほどなのに。
青雲の太刀筋は真っ直ぐで、力強い。急所のわかりにくい鬼をたいてい一撃で倒している。
そろそろ得られる情報もなさそうだし、他の場所を見て回りたいなと香雪は暇を持て余し始めた。
くん、と青雲の衣の袖を引く。それだけで青雲は香雪の主張を的確に理解したらしい。
「あ、すみません、ほったらかしで。じゃあそろそろ」
「ああ、悪いな、引き留めて」
香雪は結局挨拶もせず一言も話さずその場を去る。
きっと今頃、当代の花守は無愛想で可愛いげがないとでも思われているのだろう。先代とは大違いだ、と。
それでいい。母はやさしくやわらかく微笑む人だったが、香雪にはそんなもの必要ない。母は自分のうつくしさに無頓着すぎたのだ。
香雪は違う。香雪は、自分の顔がどれほど人を魅了してしまうのかを知っている。だからよりうつくしくなんてならなくていいし、微笑んでみせることもしない。
花は華やかであればあるほど虫を引き寄せるものだから。
「あまり情報は得られませんでしたね」
申し訳なさそうに青雲が呟く。
すみませんと謝ってきそうな雰囲気すらあって、香雪は苛立ちながら青雲を見る。
「そうですね、あなたが尋常じゃないほど卑屈だってことくらいしかわからなかったわ」
「そうですか」
「そうよ」
卑屈であることは否定しないらしい。盛大な嫌味のつもりだったのに、さっぱり手応えがない。
自分を過大評価するのも問題だが、まったく評価しないというのも考えものだ。
「……あのねぇ!」
年上の男に説教などしたくはないが、香雪は青雲を見上げて口を開く。きょとんとした目で青雲が香雪を見下ろしてきた。
仁王立ちになってもこの身長差ではまったく迫力がないのが悔しい。
「他人が何と言おうと堂々としていればいいのよ! 相手はあなたが色持ちであることを妬んでいるだけなんだから!」
一方的に羨まれ妬まれているのだから、相手にするだけ時間の無駄だ。相手にしてみれば青雲が何をしても気に入らないのだから。
ただ髪の色と目の色が黒ではない、というだけで。
「色持ちと言われても……」
青雲が言葉を濁して目線を落とす。
銀と青でないということが青雲の劣等感を刺激し続けているのだろう。
「何よ。その髪と目の何が悪いの。灰混じりだろうがなんだろうが、あなたが冬家の色を持って生まれたことに変わりはないでしょう。じゃあ何? 真っ黒な髪の人達は墨塗りとでも呼ぶ?」
「いや、それは……」
志葵国の民のほとんどが黒髪だ。そんな大多数相手に喧嘩を売るような真似をするわけにも、させるわけにもいかない。
「黒塗りと呼ぶのが駄目で、あなたを灰混じりと嗤うのはいいっていうの? どっちも同じことよ。生まれてくる時に髪の色も目の色も選べないんだから」
本人にはどうしようもなかった身体的特徴を嗤うことそのものが愚かな行為だ。
他人の愚かさに、青雲が傷つく必要なんてない。
「だいたい、灰の何が悪いのよ。あのね、灰は役に立つんだからね。肥料になるし、虫はつきにくくなるし」
怒りながらぶつぶつと呟く香雪に、思わず青雲は笑った。真剣に灰の有用性を話している香雪を見ていると、今まで嘲笑われてきたことが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「くっ……ふふ」
「ちょっと、何がおかしいの? 笑うところじゃないわよ、わたし怒っているのよ」
堪えきれずに笑う青雲を香雪が睨みつけてくるが、それでもまだ青雲の声はおかしそうに震えていた。
「いえ、肥料とか虫除けとか、なんかおかしくなってきて」
「おかしくないわよ! わたしにとっては重要なことよ!」
「そうですね、すみません」
謝りながらも青雲はまだ頬をひくひくさせていると、香雪はすっかりご立腹だ。
笑いすぎて滲んできて涙を拭いながら、青雲は少し清々しい様子で微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「怒られてお礼を言うなんて馬鹿なんじゃないの」
もしくはそういう性癖の変態か。だとしたら正直これ以上お近づきにはなりたくない。
「怒っていると敬語が抜けるんですね」
「え? ……あ」
指摘されて香雪はようやっと気づいた。
仮にも年上だからと敬語を使っていたのに、腹が立っていたせいかすっぽりと抜け落ちていたらしい。
「いいですよ、別に敬語なんて使わなくても」
「……あなたの場合、自分は敬われるほどの人間じゃないって思っていそうだからあえて敬語は使い続けます」
態度はまったく敬っているようには見えないが、香雪はきっぱりと言い切る。青雲は目を丸くしているので図星だったのかもしれない。
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