第二話
珀鳳の執務室には、毎朝百花園から届けられる
「幽鬼の数は減っていないみたいだね」
困ったなぁ、と言いながら珀鳳の顔は困っているようには見えない。
「以前よりも一晩に斬る数は多いはずなんですが、減る気配がありません」
「何か原因があるのかな……減らない以上、青雲には今のまま頑張ってもらうしかないね」
「承知しております」
青雲が真面目な顔で頷いているのを見ながら、香雪は自分がここに来なければいけない理由はあったのだろうかと不機嫌そうな顔を隠さない。
「香雪、花の様子はどう?」
「冬越し用の花は邪気避けを施した上でなんとかなってます」
そもそも百花園は天花が育つ場所。本来は邪気の影響は最も受けにくいところだ。発芽したばかりの繊細な時期を過ぎれば、通常どおりに育てても大丈夫なのではと香雪は考えている。
「となると、心配になるのは市街の影響か……」
珀鳳はため息を吐き出して呟いた。
蓬陽はもとより邪気を溜め込みやすい。だからこそ、春家や蒼家によって天花の灰などを使って邪気払いをしている。ここ数日、その頻度を増やしているがあまり効果がない。このままでは市街用の花は尽きる。
碧蓮城には常に生花が活けられているため、邪気の影響は受けない。帝の部屋には摘んだばかりの生花を、前日に飾られていた花は城内の他の場所に移され、萎れるまで飾られる。萎れた花は回収し、その花を燃やした灰が市街で使われているのだ。
無駄のない使い方だけど、こういう非常事態ではなかなかうまくいかなくなる。
「……対策が必要ですね」
碧蓮城には幽霊はいない。死んだ女官が、毒殺された後宮の妃が、なんて噂は流れても香雪が城内で幽霊を見たことは一度もなかった。所詮噂は噂ということなんだろう。
……幽鬼の気配は独特だ。
幽霊からは清流の、澄んだ水の透明な空気が漂う気がするし、鬼からは濁った泥と血の匂いが混じりあっている。
そしておそらく、これは香雪だけが感じているんだろうけれど、幽鬼はどれも花の香りを纏っている。幽霊はそれがとても顕著に感じるが、鬼となってしまうとかき消されてわかりにくくなる。
その時に感じる花を使うと彼らは迷いなくこの世を去ることができるようだ、というのは花守になってから二年ほどしてようやくわかったことだ。
「俺だけなら幽鬼狩りの時間を増やせば済むことですけど、香雪殿の体力が持ちませんね」
「……なんですかその香雪殿って」
香雪は嫌そうな顔をして青雲を見る。
殿って。香雪殿って。そんなふうに呼ばれたのは初めてだ。
「え、その、駄目ですか」
「駄目ですよ、殿なんていりませんからやめてください」
「ええと……香雪さん」
「さんもいらない! 年下相手になんで殿だのさんだのつけるんですか!」
「そう言われても……」
香雪が食いかかると、青雲が眉を八の字にさせた。そんな顔をしても駄目なものは駄目だ。
「随分と仲良くなったねぇ」
香雪と青雲のやり取りに、珀凰は微笑ましげに見守りながらしみじみと呟く。
「仲良くありません」
「香雪が男性相手にこんなにしゃべるのは珍しいだろう?」
「必要ないから話さないだけで必要なら話します」
青雲だけではない。
「わたしは体力ならありますから、今日からもう少し長く幽鬼狩りに……」
百花園の手入れを日頃からしているので、香雪は普通の娘に比べて体力があるほうだ。青雲の全力には付き合いきれないだろうが、気遣われて蓬陽が幽鬼だらけになっていては困る。
「駄目ですよ。ただでさえもともと夜更けだけの話だったのに、三日に一度は夕暮れからすぐに出かけるじゃないですか。朝だって何時から起きてるんですか。あまり寝てないでしょう」
――なんでわかるんですか。
香雪は苦い顔で青雲を睨む。
朝はたいてい日の出と同時に起きている。それは今も変わっていないので、近頃は香雪が少し寝不足になっていた。
「思ったよりもうまくいってるみたいで安心したよ。ひとまずまだ半月だ、もう少し様子を見よう。こちらでも調査はしてみるよ」
くすくすと笑いながら珀凰は話をまとめた。
まだ半月、と言われれば確かにそうだ。
でも香雪はなんだか妙に気になってしまう。突然増え始めた邪気と、減らない幽鬼。何が悪いことでも起きているんじゃないだろうか。
「……ん?」
ふわり、と甘い香りがした。飾られている菊の花の香りではない。
香雪は部屋の外へ顔を向ける。扉の外には護衛が立っているはずだが、部屋に入ったとき彼らからはなんの香りもしなかった。仕事柄、香りには敏感だ。
この香りは、
――それに、この気配は。
「陛下、ここ数日碧蓮城で変わったことはありました?」
「変わったこと?」
「はっきり言うと死人が出るようなことは?」
「ないよ。少なくともそういう報告はない」
「……そうですか」
ふむ、と香雪は顎に手を添え考え込む。茉莉花の香りは遠ざかったが、しかしあの気配はしっかりと覚えている。
「なんですか? なにか気になることでも?」
きょとんとした顔で問いかけてくる青雲を見てから、香雪はそっと目を逸らした。
「……あなたには教えません」
「え、なんでですか」
だって、言ったら怖がるでしょう。
と、喉から出かかったが香雪は飲み込んだ。
「香雪?」
珀鳳までがどうしたんだと問いかけてくる。
このまま放置するわけにもいかないのだから、青雲の協力は必要だ。
「碧蓮城に、幽霊がいます」
珀鳳はあまり驚かなかった。
青雲は一瞬にして真っ青になって、言葉を失っていた。つくづくこの人は強いのにどうして幽霊だの怖がるのか、と呆れる気持ちが強い。
「幽霊、ねぇ……」
ふぅん、と珀鳳は特に興味もなさそうだった。
ここ数日、碧蓮城で死んだ人間の幽霊だとしたら問題はなかった。まだ死んだことに気づかずにぼんやりしているだけかもしれない。しかし死人はいない、と珀鳳は言った。碧蓮城に幽鬼はいない。つまり外部から入り込んだ幽霊だということになる。
幾重にも重ねられた天花の加護で守られている、この碧蓮城に、だ。
「なんでですか!? なんで落ち着いているんですか!? 非常事態ですよ!?」
青雲が真っ青になりながら声を上げる。
「そこまで慌てることはないと思うよ」
「まぁ鬼ではなく幽霊ですからね、今のところはまだ害はないです」
「まだでしょう!?」
「そうですね」
どんな幽霊がいるのかわからない以上安全だとは言い切れないし、今大丈夫でも明日はわからない。
「幽霊を放置し続けていれば、それはやがて鬼になります。邪気に侵され、生前の人格が保てなくなったら最後、人の形すら失せて、ただの化け物になってしまう」
「それじゃあ早くどうにかしないと! 碧蓮城に鬼なんて洒落になりませんよ!」
「そうなんです。だから幽霊がどこに行ったのか探しに行かないと」
「……探しに?」
「探しに」
「この広い碧蓮城を?」
こくり、と香雪は頷いた。
「……可能ですか? それ」
「可能が不可能かはやってみないとわからないですね」
なにしろ人手もないので香雪と青雲ががんばるしかない。青雲は一人では使い物にならないので実質動いているのは一人ということになる。
「香雪は今気づいたんだよね? この部屋に近づける人間は限られているから、自然と絞れるんじゃないかな」
「なるほど!」
希望が見えてきたことに青雲は素直に目を輝かせた。
「……陛下、何かご存知ですか?」
「なにが?」
にっこりと、珀凰は堂々と笑顔で誤魔化すつもりらしい。
――その顔は絶対何か知っているでしょ。
とりあえず執務室の周辺を青雲と歩いてまわるうことになった。
「陛下と香雪さ……んは似てますね」
「なんで途中でやめようとしたのになんで結局さんをつけているんですか」
睨みつけても青雲は笑って誤魔化そうとする。
「呼び捨てというのもどうなのかと思いまして……」
呼び捨てでいいと言っているのに、青雲はさっぱり理解しないらしい。
例えば蒼家の人間であるなら、曲がりなりにも主家の人間である香雪を呼び捨てにすることにも抵抗があるだろうが、青雲は違う。
どうやって矯正すればいいんだか、とため息を吐き出しながら香雪は青雲の言葉を思い出した。
「……似てますか?」
「はい?」
「陛下とわたし、似てますか?」
似ていると言っているのに、と思いながら青雲は頷く。
「そうですね、若いのに落ち着いているところとか……考え方や物事の捉え方が似ているような気がしますね」
「……そうですか?」
「ええ」
「……そうですか」
執務室の近くとなると不躾な視線を投げつけてくる者は多くないが、それでもやはり香雪と青雲は注目を集める。これはやりにくいな、と思いながら香雪は幽霊の気配に集中する。
――あれが花守?
子どもと呼ばれるほど香雪はもう幼くはない。しかし浴びせられる視線には香雪を侮るようなものもあるし、すれ違いざまに鼻で笑う者もいた。
花守の仕事は、平和であればあるほどわかりにくい。その平穏を守っているのが花守であるという実感が湧かないのだろう。
そのことに不満はない。香雪はただ自分がやるべき役目をこなすだけだ。
花守として生まれて、花守として生かされたから。香雪はただただ、花を育て国を守り続けるしかない。
「見つかりそうですか?」
「難しいかもしれないですね」
残り香のようなかすかな茉莉花の香りは感じるが、気配がとても微弱だ。消えかけている幽霊なのかもしれない、と香雪も半ば諦めかけている。
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