第二章 陽炎稲妻月の影

第一話

「今日は碧蓮へきれん城へ行きましょう」


 青雲せいうんと二人で幽鬼狩りをやるようになってから半月ほどたった日の昼過ぎ、青雲は突然そんなことを言い出した。

「え、嫌です」

 香雪こうせつも反射で拒否する。

「幽鬼狩りの件、そろそろ途中経過を報告に来いと陛下がうるさいんです」

「……あなただけで行ってくださいよ」

「駄目ですよ、二人一緒にと言われてますから。今日やらなきゃいけない作業はほとんど終わりましたよね?」

 この数日、香雪の手伝いをしてきたおかげで、青雲も一日の流れがだいぶわかるようになったらしい。的確に作業進捗を指摘され香雪も反論できなくなる。

 まだ仕事が残っている、という嘘が通じないのは面倒だ。

「……人目につく場所、嫌いなんです」

 香雪は子どものように唇を尖らせた。

 花守はなもりは他の四季しき家ほど人前に出る必要はない。

 儀礼の時には仕方なく役目を果たすが、その後の宴などはすべて拒否しているし珀鳳はくおうも無理に参加させたりしなかった。政治は男性のすることで、宴に参加しているのは香雪を除けば男だけだ。そんな場所は香雪にとって苦痛でしかない。

 そういう理由もあって、貴族であろうと香雪の姿を見たことのある者は少ない。稀に珀凰から呼び出しがあるが、香雪はいつも人の出入りが落ち着いた頃合いを見計らってる。

「すぐ終わりますから」

 すぐに終わるからいいというものではない。行きたくないのだ。

「碧蓮城に行くのが嫌なんですってば」

「帰りに甘味を買って帰りましょう。好きですよね?」

「……好きですけど」

 いつの間にやら香雪が甘味好きなのもバレている。

 意外に人間観察が得意なのかしら、と香雪は青雲を見る。男は嫌いだしもちろん青雲も男なので好きではないが、害がなさそうなので比較的話しやすいし、一緒にいてもそれほど苦痛ではない。

「奢りますから、ね?」

 やさしい声でそう言われると、そろそろ香雪も折れるしかなくなる。どんなに嫌だ嫌だと拒み続けたところで、近いうちに珀鳳から正式に呼び出されるだけだろう。

「はぁ……じゃあ着替えてきます」

 碧蓮城に行くのなら、さすがにいつも香雪が着ている服では問題がある。着替えなければ、平民かと疑われかねない服を着ているのだ。先日は急な呼び出しだったし、深夜だから人も少ないだろうからまぁいいかと思ったが今日はそうもいかない。


 青雲が小屋だと言い張る家の中に入り、着替えを取り出す。年に数度着るだけの、上等な衣だ。

 青い衣に、翡翠色の帯を締める。髪は一度下ろしてくしけずる。それだけで香雪の金の髪はなめらかに、艶ややかになった。

 ひととおり準備を終えて、最後に普段あまり使わない鏡で確認する。

 鏡に写る少女は不機嫌そうな顔で睨み付けてくる。香雪の大きな目はただ見つめるだけでも力強く見えるらしい。外での作業が多いのに肌はあまり日に焼けない。しみやそばかすなどは見当たらず、白桃のような頬をしている。

 青は空の色をしている。しゅん家を示すその色は、母もよく着ていた。そのやさしい色はうつくしい母にとても似合っていたが、香雪が着るには少し大人しすぎる。

 香雪は家の外にいる青雲のもとへ向かう。薄い壁の向こうで、青雲は静かに待っていた。

 碧蓮城に行くのが億劫で、香雪の足取りは自然と重くなる。


「……お待たせしました」


 声をかけると青雲は振り返った。

 彼は作業中には脱いでいた、黒い上衣を着ている。どうりで今日はいつもより上等な衣で来ていたわけだと香雪は内心で毒づいた。

 じっ、と青雲が香雪を見下ろしてくる。その視線に、香雪は下から睨むように青雲を見上げて口を開いた。

「なにか?」

 億劫な気持ちが強いせいで、つい声に棘が出てくる。

「えっと……化粧はまだですよね? しなくていいんですか?」

 青雲は女性のことには疎そうなのに、そういうところに気がつくのか。

 意外だな、と思いながら香雪は青雲を見上げる。化粧してないよね、なんて女性に言うのはどうかとも思うが、彼なりに気をつかっているようだ。

「よく気づきましたね、化粧してないって」

「姉がいるので。いつも身支度にはかなり時間をかけてますし……」

 青雲には上には兄がいたはずだが、さらに姉もいるのか。

 ……やたら腰が低いのは兄姉がいるからなのだろうか。

「わたしはあまり化粧はしません。儀礼のときとかは、城の女官たちにされますけど」

「なんでしないんですか?」

 素朴な疑問だったのだろう。他意のなさそうな青雲の問いに、香雪はすぐに答えかねた。

「……あんまりこういうことは聞きたくはないんですけど、わたしの顔についてどんな感想をもちますか」

「可愛らしいしとても綺麗だと思いますが」

 即答だった。

 下心も感じないほど爽やかにきっぱりと言い切るものだから、香雪は変な生き物を見るような目で青雲を見上げる。

「え、なにか失礼なこと言いましたか?」

「いや、他意なくさらっと言えるのかぁ、と思いまして」

 これは香雪と同じ年頃の少女ならころっと惚れてしまうかもしれない。香雪はもちろん、青雲への評価が上がりこそするが、惚れるなんてことはないけれど。

「はぁ……? 綺麗であることがなにか問題でもあるんですか?」


 ――香雪にとっては、悪いことしかない。


 だがそれを他人に理解しろといっても難しいのだろう。

「たとえが悪いかもしれませんけど、雑草のなかに一輪だけ綺麗な花があったらどう思います? またはどうします?」

「どう思うって……たぶん自然と目がいくと思いますけど……あっ」

「そうです。わたしが人の多いところに行くと、とても注目を集めるんです。わたしの嫌いな男の人の視線もたっぷり。だから化粧でさらに綺麗になんて、なりたくないんです」

 碧蓮城には男性が多い。というか、香雪が足を踏み入れる場所にはほぼ男しかいない。女性といえば、女官などがいるくらいだ。

 まさに万緑ばんりょく叢中そうちゅう紅一点こういってん。目立ちたくなどなくても、女であるがゆえに香雪は嫌でも碧蓮城では注目されてしまう。ましてこの金の髪は黒髪の中では華やかすぎる。 

「そうだったんですね……単に陛下が嫌いで嫌がっているのかと」

「もちろん陛下も男ですから嫌いですよ。……それに、帝という生き物も好きではありません」

「……それ、碧蓮城で口に出していたら極刑ですよ」

「花守の首を刎ねるというのなら、どうぞご自由に」

 できるはずがない。そうわかっているからこそ香雪は笑うが、青雲はとても笑えなかった。


 青雲が呼んでおいたという冬家の馬車が百花園の外で待っていた。

 ……いつの間に手配していたんだろう、と青雲の手際の良さに香雪は驚かされた。どうぞ、と手を差し出された青雲の手を丁重に断り、香雪は馬車に乗る。

 半月近く一緒にいるけれど、青雲に触れたことも触れられたこともない。青雲がかなり気遣ってくれているのだろうということは、香雪にも十分伝わっていた。

「目立つのが嫌だと言ってましたけど、今日は少しはマシかもしれませんよ」

「え?」

 動き出した馬車の中で、青雲が呟く。

 苦笑混じりの表情で、香雪と目を合わせない。

「あるいは、余計に目立つかもしれませんけど」

「なんでですか?」

 首を傾げながら問いかけても、青雲は香雪を見なかった。どこか暗い顔で、自嘲気味にも感じる低い声で答える。

「……すぐにわかります」




 すぐに、という言葉とおり、香雪は碧蓮城に足を踏み入れて数分後にはその理由を理解した。

 視線が集まることはいつものことで、そこにはなんの違和感もなかった。

 香雪に普段向けられる眼差しにあるのは敬畏であったり賞美であったり、言うなれば珍品を眺めるようなものだ。その中に好色的なものも混じるが、敵意はない。


 ――灰混じり。


 ちくちくと刺すような視線に紛れて、そんな言葉が聞こえてくる。その言葉は香雪に向けられたものでないということくらい、嫌でもわかる。

「……なんで従者みたいに後ろをついてくるんですか」

 青雲を振り返り香雪は眉を寄せる。青雲は困ったように笑い、何も言わなかった。

「これじゃあわたしが余計に目立つじゃないですか。並んで、せめて壁になってください」

「……そういうことなら」

 強い口調でそう言うと、青雲は一瞬考えるような顔のあとで香雪の隣に並んだ。

 背の高い青雲が隣に立つと、香雪の姿はすっかり隠れてしまう。そのおかげでそちらからの視線は感じなくなった。

 灰混じり、という皮肉めいた言葉は青雲に投げつけられている。

 冬家の『色』は、銀と青。銀の髪と青い瞳を持つの者が当主となる。

 青雲の髪は灰色、瞳は青灰色だ。

 ……なるほど、灰混じりとはうまく言ったものだと香雪は思う。

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