第五話
蓬陽の町を夕焼けが赤く染める中、香雪は人目を避けながら目的地を目指していた。
どうしても目立ってしまう金の髪は頭巾で隠しているものの、瞳の色は隠しようがない。人と目が合わないように俯きながら足早に移動する。
香雪の着ている質素な衣は街に簡単に溶け込んだ。
花の世話をしていたら汚れてしまうし、動きやすいからという理由で着ているのだけど、こういうときに便利だなと思う。
賑わう通りを抜けて、民家が立ち並ぶ区画に移る。夕暮れ時、外で遊んでいた子どもが急いで家に帰る姿を香雪は微笑ましく見送った。
「――
とある家の前にいた女性を見つけ、香雪は声をかける。名前を呼ばれた女性は、驚きながら香雪を見た。
「はい、そうですけど……?」
知り合いではない香雪に、玲凛という女性は首を傾げる。
「どこかでお会いしたことがありましたか?」
「いいえ、はじめましてですよ」
百花園からほとんど出ない香雪には知り合いなど数えるほどしかいない。間違いなく玲凛とは初対面だ。
名乗るよりもわかりやすいはずだと、香雪は髪を隠していた頭巾をとる。
夕焼けが香雪の金の髪をきらきらと輝かせているのを見て、玲凛は目を見開いた。その顔が、先日の子どもとそっくりで香雪は目を細める。
「あなたに言伝があります。息子さんから」
香雪は、約束を果たしにきたのだ。
「
亡くなっているんです、という言葉を玲凛が紡ぐより先に、香雪は口を開く。子どもが死んでしまったのだという事実を、あまり親の口から話させるべきではないと思った。
香雪はその事実をとっくに知っているのだから、なおさら。
「先日、
玲凛は橋の名前を聞くと、息を飲んだ。先日、香雪が彗辰を見つけた橋だ。
ここからそう遠くはない。おそらく日頃から彗辰も使っていた橋なのだと思う。
「その時に、お母さんに伝えて欲しい、という言葉をいくつかお預かりしたので」
「私に……?」
にこ、と微笑むことで香雪は玲凛の問いに答えた。
……こういうことは、花守の仕事ではない。死者を見送ることはあれど、遺された者にまで気にかけていたら身体がいくつあっても足りないだろう。
けれど香雪には、遺される側の気持ちがわかってしまうから、だから彗辰の言葉を届けに来た。
「『産んでくれてありがとう』『大好きだよ』……そう言って、あなたを心配してました」
香雪が一音ずつ丁寧に声に出すと、玲凛の頬をほろほろと涙が流れていく。
彗辰、と何度か子の名前を呟いて玲凛はそのまま泣き崩れた。
「あの子、雨の日のあとの川には近づいちゃ駄目よって言ったのに、あの日はなぜかあそこまで行って……! そのまま帰ってこなくて……!」
雨のあとで増水し、勢いも増した川に落ちてしまった。もがいてもがいて、けれど助けは来ず、溺れて死んだのだ。
苦しかっただろう、冷たかっただろう、玲凛はその死の瞬間を想像して何度も泣いたに違いない。
「……大蓮橋の近くには、
「……え?」
香雪の声に、玲凛が顔をあげる。
竜胆、という花の名にまるで心当たりがあるみたいに、目を見開いて。
大蓮橋からそう遠くないところに、竜胆が咲いていた。今は満開だが、少し前なら咲いている場所を見つけるのも難しかったかもしれない。
「……彼は、手に竜胆を握ってました。きっと、竜胆の花を摘みに行ったんだと思いますよ」
そう言いながら香雪は百花園から持ってきた竜胆を玲凛に握らせる。青紫色の花が連なって咲いていた。
「……竜胆は、私の、好きな花で……」
呆然と呟きながら、玲凛は竜胆を見つめる。
「去年の秋に、この花が好きなのよって、あの子に教えたんです……あの子覚えて……」
覚えていたんですね、と小さな小さな声で呟いた。
玲凛の涙が止まり、ゆっくりと立ち上がるようになるまで香雪は何も言えずただ寄り添った。慰めの言葉が浮かんでも、どれも安っぽいものに思えて結局声にすることはできなかった。
ありがとうございました、と玲凛が竜胆の花を抱きしめながら頭を下げる。
お礼を言われるほどのことはしていない。香雪は何度も頭を下げる玲凛に困惑しながら、玲凛のもとから去る。太陽も沈んでしまった。急いで青雲との待ち合わせの場所へ向かわねばと早歩きになるが――
「一人歩きは危ないですよ」
玲凛の家から離れ、角を曲がったところで、青雲が待ち構えていた。
「……なんでいるんですか」
これは香雪にとってかなり予想外だった。
待ち合わせている場所はここからけっこう遠い。青雲がこんなところにいる理由は思いつかなかった。一人で出歩いた香雪を窘めるような口ぶりからして、偶然居合わせたというわけでもないのだろう。
青雲は不機嫌そうにも見える顔で口を開いた。
「あなたのあとをつけてきました。言ってくれれば付き合いましたよ」
「……なんで言う必要があるんですか? これはわたしが勝手にしたことで、あなたには関係ないじゃないですか」
香雪は心底わからない、という顔で首を傾げる。
珀鳳から幽鬼狩りを命じられ、それに伴い昼間の花の世話も命じられている青雲だけど、香雪の個人的な用件にまで付き合う理由はない。彼は香雪の護衛ではないのだから。
「……玄鳥殿が渡していたのは、あの子どもの調査結果だったんですか」
どうして名前も知らない子どもとあんな約束をしたんだろうと、青雲には謎だった。
だがあの時から香雪は、蒼家を使ってあの場で亡くなった子どもを調べさせ、あの子どものことも、母親のことも特定させるつもりだったのだ。
子どもが――彗辰が鬼になっていない以上、亡くなった時期はそう古くないと考えて。
「個人的なことで蒼家を使って……と叱ります?」
「叱りませんよ」
蒼家に関して青雲は口出しできるような立場ではない。だからそれを理由に叱ることはできないが、少し怒っているのは事実だ。
「……叱りませんけど、もし次に同じようなことがあったら、俺も連れて行くと約束してください」
蓬陽だって治安がいいわけではない。名家の娘ならば護衛や供をつけて出歩くのが当たり前なのだが、香雪にはそれが面倒らしい。
春家が断絶の危機にあることも、花守が国の守護に欠かすことのできない存在であることも、志葵国の民なら誰でも知っている。香雪が大丈夫だと笑い飛ばすように、花守を傷つけようとする者はそうそういない。
だがたとえ一目で彼女が花守だとわかるからといって、花守だから誰も傷つけてこないわけではないだろうに。
香雪を人質にして珀凰に何か要求しようとする者もいるかもしれない。完全な身の安全は保証などないのだ。
「約束はしません。言ったでしょう? 守れない約束はしない主義なんです」
数歩先を歩く香雪は苦笑いを浮かべながら振り返る。それはつまり、守るつもりがないから約束はできないとはっきり言っているようなものだ。
その上、青雲がついてきているかも気にせず香雪は日が暮れた街をすたすたと歩いて行く。
困った人だなぁとため息を吐きながら青雲はその背中を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。