第三話

 小屋の中に、束になった花がいくつも吊るされる。

 室内に漂う甘い花の香りに、普段男臭いところにばかり出入りしている青雲はなかなか落ち着かなかったが、香雪にこき使われているうちに慣れてきた。

 仮眠用らしき寝台はあるものの、小屋の中はまさしく物置のように雑然としている。棚にはいくつもの小瓶が並んでいるし、青雲には使い方のわからない器具もあった。


「よし、今日の作業はこれで終わりです。そろそろ行きましょうか」

「……行きますか?」


 幽鬼狩りに行きたくないのだろう。青雲は捨てられた仔犬のような顔で香雪を見下ろした。

「行かないでどうするんですか。蓬陽が幽鬼でいっぱいになってもいいんですか」

「それは勘弁してください」

 香雪は腰に手を当てながら青雲にお説教をする。正直、香雪にとっては幽鬼狩りの手伝いなんて迷惑以外のなにものでもない。

 花の手入れだけなら昼間で十分だろうと思われているのだろうが、夜にだってやることはある。それらの予定を後回しにして協力するのだから、青雲にはさっさと独り立ちしてもらわねばならないのだ。

 行きたくなさそうな青雲を後目に香雪は灯りを手に取る。

 残り火のように西の空はまだうっすら明るいが、移動している間に日は完全に落ちるだろう。

「それは?」

 見たことのない造りの灯りに、青雲が首を傾げる。

「灯りに細工して、この上の皿に精油を落として香りを広げてるんです。天花から抽出した精油ですから簡易的な邪気払いになるんですよ」

「その灯り、ください……!」

 青雲が食い気味に言ってくるので香雪は苦笑する。

 ……この男、そんなに幽鬼が怖いのか。

「精油は取り扱いに注意が必要なので駄目です。……今度香り袋ならあげますよ」

 天花から作ったものなら、どんなものであれ多少の効果はある。たいていのものは帝へ献上するか蓬陽の守護のために使われるが、香り袋ひとつ分くらいは香雪の自由にできる。

 そもそも青雲なら、珀凰から天花を加工した物を何かしら下賜されていても不思議ではないのだが。

「そんなに怖がっているのに、お守りとかひとつも持ってないんですか?」

「祓鬼剣だけで十分効果があると……」

「え……? ありませんけど……? 鬼を斬るのに鬼避けになるわけないじゃないですか」

 誰に聞いたのか知らないが、随分と適当なことを言われたものだ。

「だ、騙された……!?」

 がっくりと肩を落としながら青雲はぶつぶつと「これだから陛下の言うことは……」と呟いている。そうだろうとは思ったが騙したのは珀凰らしい。

 呆れながらも、香雪は青雲を横目に精油の小瓶をいくつか荷物に入れた。

「それは?」

 目敏い青雲は香雪の手荷物に気づいたらしい。

「精油です。生花でもいいんですけど、多くは持って歩けないし邪魔になるから。幽鬼相手に丸腰というわけにはいかないでしょう?」

 灯りに使う分も必要だし、と言いながら香雪はすたすたと歩き始めた。その後ろを青雲が追いかける。身長差があるせいかすぐに追いつかれてしまう。

「精油で? まさか戦うんですか?」

「あなた、花守をなんだと思っているんですか」

 距離が近い、と香雪は眉間に皺を寄せながら歩み寄ってきた青雲から数歩離れる。

 そもそも戦えるのなら花守は冬家に祓鬼剣を渡したりしない。花守は代々春家の女性が継ぐ。春家特有の体質なのか、筋肉もつきにくく小柄で、戦いにはまったく向いてない。


「花守は戦いません。戦うのは、あなたの役目です」



「――北東にあと十歩! そこです!」


 香雪は声を張り上げて青雲に指示をする。

 驚くことに、青雲は本当に目を瞑ったまま幽鬼を斬っていた。遠くから存在を確認すると、目を瞑って駆け寄って距離を詰め、剣を振るう。

 効率が悪いことには変わりないが、香雪がいなくてもあまり問題はなさそうな気さえしてくるほど正確な太刀筋だった。

 祓鬼剣で斬られた鬼の身体は、ぼろぼろと灰になって崩れていく。灰は風に浚われてかき消され、名残もない。


「……わたしがいなくても平気じゃないですか?」

「いえいえ、助かります。正直幽鬼の気配は探りにくいので、距離を詰めることは簡単ですけど避けられたりすると面倒なので」

 そういう時は嫌でもうっすらと目を開けたりしないといけないんですよ、と青雲は笑う。

「幽霊はまだいいんですけど、鬼は駄目です。気味悪くて、本音を言うと近づきたくないんです」

「人の形をしていても、面影は残ってませんからね……」

 鬼の外見は個体差があるものの、おおよそ人の姿はしていない。どろどろに顔が溶けたようなものもいるし、虫が群がって顔など欠片も見えないもの、毛むくじゃらのものだっている。

「なので、見張りがいなければそろそろとっくに帰ってます」

 今夜青雲が狩った鬼は先程のものを含めて三体目。本来なら毎日これだけの数を狩る必要はないはずなのだが、数が増えている今はあと二、三体は狩っておきたいところだ。

 ……とはいえ、今日は二人で幽鬼狩りに出た初日。このあたりで終わっても良いかもしれない。

「じゃああともう一体で終わりにしましょうか」

「えっいいんですか?」

 香雪の言葉に青雲はぱっと目を輝かせる。

「初日からがんばりすぎて疲れを明日に残すわけにもいきませんし。あなたの寝不足だって解消されたわけじゃないでしょう?」

 昨日の今日で変わるはずもないが、昼間に確認した青雲の目の下のクマは、ちっとも薄れていない。

「そうですけど、百花園のほうが碧蓮城より近いですから、明日はいつもより朝寝坊できます」

「別に、昼間の手伝いだってなくてもいいんですけど……今までもわたし一人でやってきたわけだし」

「そういうわけには行きません。こうして夜に幽鬼狩りを手伝ってもらっているんですから」

 それは命じられたからですよ、と香雪は呟く。善意で手伝っているわけではない。

「きっと力仕事なら役に立ちますよ」

「そうでしょうね」

 幽鬼狩りよりも花の世話にやる気を見せる青雲に苦笑しながら、夜の都を歩き回る。

 花街や飲食店の多い大通りは夜にも賑わっているが、その他の場所はしっとりと静まりかえっていた。

 しばらく歩くと、川辺に一人の子供がいた。十に満たない子供がこんな夜更けに一人でいるのはどこからどう見てもおかしい。


「……もしかして、ゆ、幽霊ですか」

「幽霊ですね」


 よく観察してみると、子どもの身体は透けている。このあたりで亡くなったのだろう。

「……斬りますか?」

 青雲が小さな声で問いかけてくる。その声には同情の色はあれど、躊躇いはなさそうだった。

 祓鬼剣は幽霊を斬ることもできる。しかし対話のできない鬼と違って、幽霊ならばまだ説得して成仏させることができるかもしれない。

「……いえ、ちょっと待って」

 香雪は子どもの幽霊を見ながら青雲を止める。

 幽霊であろうと子どもを斬るなんて真似はさせられない。たとえ青雲がけっこう冷静で、おそらく香雪が一言頼むと言えばどんな相手であろうと斬るのだとしても、だ。

 香雪は荷物の中から小瓶をひとつ取り出した。灯りを地面に一度置くと、精油を落とす皿を取り替える。甘い香りが消え、代わりに新しい精油の香りが広がり始めた。

「それは?」

「蓮の花の精油です」

 そう言いながら香雪は灯りを手に子どもの幽霊に近寄る。

 蓮の花の浄化の作用は極めて高い。

 ……本当は、好きな花を使ってあげられたらいいのだけど。


「こんばんは」


 香雪が話しかけると、子どもはきょとん、と目を丸くして香雪の顔を見る。にっこりと微笑むとようやく自分に向けられた挨拶なのだとわかったようだ。

「こんばんは……おねえさん、僕が見えるの?」

「見えるに決まっているでしょう。わたしのこと、誰だかわからない?」

「誰って……会ったことないよね。……あ!?」

 香雪がわざとらしく耳の横の髪を持ち上げてみせた。灯りと、かすかな月明かりで、それが金髪なのだとわかる。

「花守さま!?」

「そうよ、よくわかったわね」

 子どもは誇らしげに笑う。その姿はとても死者には見えず、距離を保ちながら見守る青雲は苦い顔をした。万が一に備えて剣をいつでも抜けるようにしているものの、使う機会はないほうがいい。

「花守さまは、金の髪に緑色の目をしていらっしゃるだって何度もおかあさんに聞いたんだ! 本当だ……! すごく綺麗な目!」

「ありがとう」

 無邪気に笑う子どもに、香雪は微笑む。もしも触れることができたなら、香雪はきっとこの子の頭を撫でてやっただろう。

「じゃあわたしのお仕事は知っているかしら?」

「花守さまのお仕事? えーっと特別な花を育てて国を守ってくださっているって……」

「そうね、天花の花びらや灰は邪気避けになるから、街で時折撒いているでしょう。見たことある?」

 うん、と子どもは頷いた。

 街で作業しているのは香雪ではないが、庶民にとって馴染みのある花守の仕事というとそんなところだろう。

「わたしの仕事はね、それだけではないのよ」

 言いながら香雪は灯りを引き寄せる。蓮の花の澄んだ香りが広がった。

「ずっとここにいたら駄目よ。いい子だから、もうわかっているのよね?」

「うん……」

 俯きながらも、香雪の言葉は理解しているのだろう、子どもはしっかりと返事をした。

「だめだってことは、わかっていたんだ。でもここにいたら、たまにね、おかあさんが来てくれるから……」

「……そうなの」

「いつも悲しそうな顔をしてるから、心配で、僕は死ぬとき苦しかったけど、でも今は平気だよって伝えられたらいいなぁって」

「……やさしいのね」

 香雪が褒めると、えへへ、と嬉しそうに笑う。

 この子の憂いは母親のことらしい。子の死を嘆く親の気持ちも、その姿が心残りとなってしまう子どもの気持ちも間違いではない。

 けれどこのまま放っておけば、この子はいつか鬼になってしまうかもしれない。

「じゃあお母さんには、わたしが伝えてあげる。君が心配してるよって」

「ほんとう?」

「ええ、本当よ」

 香雪が頷くと、子どもは前のめりで香雪に近づいた。ずっと手に持っていた花を、ぎゅっと強く握りしめる。

「じゃあ、じゃあ……」

「なぁに?」

「いっしょに、伝えてくれる? 生んでくれてありがとう、大好きだよって」

 子どもの身体が淡い光を帯びる。未練が消えて、この世に繋ぎ止めているものがなくなり始めているのだ。

 死んで幽霊となって、寂しかったのだろう。話し相手になるだけで、心の整理がつくものは多い。

「ええ、もちろんよ」

 香雪は滲みかけた涙を堪えて、しっかりと微笑んだ。

「ありがとう、花守さま!」

 まるで蓮の花の香りが子どもの霊を包み込むようだった。やさしく澄んだ香りをまとい、光となって、それは闇夜にすぅっと溶けて消えていく。

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