第二話

 ぎゃんぎゃんと言い合いながら騒いでいる香雪と青雲のもとに、音も立てずに一人の男がやって来た。


「――春香雪様、冬青雲様、ご歓談中失礼いたします。帝がお呼びです」


 二人のそばで膝をつき、男が告げる。黒衣を纏う姿は月のない夜だったら簡単には見つけられないだろう。

「……朱家しゅけの人?」

「はい」

 朱家は帝が抱える直属の部下であり、帝に代わって国中のあれこれを探ることを生業としている一族だ。

「ああそう。それはつまり、今から来いってこと?」

「はい」

 機械的な返答に香雪はため息を吐く。

 幽鬼が増えたことも、香雪が冬家に文句を言うために夜に出かけたことも、帝はお見通しらしい。

 それなら香雪が青雲に文句を言いに行く前になんらかの手を打ってくれればいいものを。


 朱家はご丁寧に馬車を用意していた。

 一分一秒たりとも帝を待たせるなということなのかもしれないが、碧蓮へきれん城まで徒歩で行くことになるよりはマシだ。

 問題といえば、狭い馬車の中で青雲と二人きりということくらいで。

「……お願いですから、それ以上近づかないでくださいよ」

「俺、まだそこまで嫌われることはしていないと思うんですけど……」

 猫が毛を逆立てるかのように威嚇してくる香雪に、青雲は眉を下げた。

 香雪と出会ってまだ四半刻さんじゅっぷんも経っていない。言い合いこそしていたとはいえ、ここまで嫌われるような決定的なことはしていないと思う。

「あなたがどうのって話じゃないわ。わたし、男の人はみんな嫌いなの」

 きっぱりと言い切る香雪に、青雲は「え?」と間抜けな顔をして声を零した。

「でも……」

「なによ」

「……いいえ、なんでも」

 青雲は香雪がじろりと睨むと素直に口を閉ざした。ふん、と不機嫌そうに背もたれによりかかりながら香雪は青雲が何を言おうとしたのか手に取るようにわかってしまう。

 花守は、春家にしか生まれない。

 金の髪、翡翠の瞳を持つ娘が必ずこの国には必要で、十八歳の香雪はそう遠くない未来、次代の花守を産まなければならない。


 ――春家の血を引く者は、もう香雪しかいないから。


 実際ことあるごとに帝から婿を決めろと口うるさく言われている。山のような釣書が届けられたことも何度かある。

 でも香雪は男が嫌いだ。

 近づきたくないし、近づかないでほしい。男に触れられるなんて、想像しただけで寒気がする。

 だから今は、忙しいという理由で婿の話を先延ばしにしている。


 馬車はすぐに碧蓮城に着いた。

 深夜の城内は、昼間の絢爛さよりもどこか仄暗い印象を受ける。香雪が勝手にそう思うだけなのかもしれないが、この場所はどうにも苦手だ。

 帝の執務室にはまだ灯りがついていた。この国の最高権力者様も、こんな遅くまで仕事をしているらしい。

「春香雪様、冬青雲様、お連れいたしました」

「入っていいよ」

 やわらかな声が入室を許可する。

 部屋の中には、燃えるような赤毛の青年が立っていた。琥珀色の目を細め、香雪と青雲を見る。

 この碧蓮城の主、帝である珀鳳はくおうである。

「夜遅くにすまないね。こんな時間でもなければ香雪は来てくれないから」

「……こんな時間でも本当は来たくありません」

 香雪の遠慮ない返答に、隣にいる青雲はぎょっとしていたが、素知らぬ顔をする。この帝は、香雪がどんな悪態をついたところで気にしない。底知れない笑顔で受け流されるだけだ。

「さて、朱家からの報告だと、邪気が増して天花が育たなくなってきているそうだね」

 珀凰は香雪と青年に座るように促し、自分は書簡が積まれた執務机と向き合う。話をしながらも手元は判を押したりと忙しない。

「その原因が、青雲のヘタレっぷりにあると香雪は考えているってことで間違いないかな?」

「それ以外に要因がありますか? わたしは今までと変わりなくやってましたよ」

 少なくとも、何度も花が枯れかけるようなことはしていない。

 実際、影響が出ているのは芽吹いたばかりの花で、その他の花は綺麗に咲き誇っている。今朝碧蓮城に届けられた生花もこの執務室に飾られている。

「青雲もがんばっているけど、効率が悪いのは確かだね」

「昼も夜も働かされている俺の身を、少しは案じていただきたいんですが……」

「うん? だって体力にだけは自信があるのが青雲だろう?」

 にっこりと笑う珀鳳に言い返せずに青雲はがくりと項垂れる。

 青雲は珀凰の護衛をしている言っていた気がするが、香雪の目には随分と気心知れた仲に見える。

 四季家同士、まったく交流がないわけではないだろうし、青雲と珀凰は年もそう離れていないようだから親しいのもおかしくはないか。

 一人で勝手に納得しながら香雪は二人を見る。

 どうでもいいから、さっさと珀凰が青雲を叱りつけてどうにかしてほしい――そんなことを思って黙り込んでいる香雪に、珀凰がにっこりと微笑みかける。

「でもまぁ効率が悪いのは、香雪が協力してくれれば解決すると思うんだよね」

「……はい?」



 青雲が怖がって目をつぶったままでしか鬼を狩れないのなら、香雪がその目になればいい。


 珀鳳が言い出したのは、要約するとそんな感じのことだった。

 幽鬼を見ずとも、今までやってきた青雲の剣の腕は帝である珀鳳も認めるほど。だから補佐する者がいれば十分に結果を出せるだろうというわけである。

 見鬼の才がある者は多くないし、その中で幽鬼に対処できる者はさらに少ない。だがちょうどよい人物が――つまりは香雪がいるではないか、と珀鳳は笑ったのだ。その笑顔に香雪は思いっきり顔をひきつらせた。


 かくして、香雪と青雲による幽鬼狩りは幕を開けたのである。




 香雪は翌朝から何度もため息を吐き出しながら花に水をやり、雑草を抜き、肥料を与え……と仕事をもくもくとこなした。

 花守が管理するのはこの広大な敷地の百花園ひゃっかえんの花たちである。百花園は花守の他には、花守自身が招き入れた者か帝の許可がある者しか立ち入ることができない。

 香雪は毎日ほぼ一人で花の手入れをしている。百花園の片隅には、以前は休憩や屋内での作業に使われていた小屋があり、香雪はそこで暮らしている。

 簡素な寝台もあるし、煮炊きもできるし、小屋といっても手を加えて補強されているので、特に不自由はない。

 いつもどおりの作業を終えたところで、香雪の苛立ちも落ち着いてくる。

 そろそろ夕刻だ。香雪は桶や抜いた雑草を片付け始めた。生花として飾るもの以外は精油や乾燥花ドライフラワーに加工するので小屋の中に運び入れる。これがまた大量にあるとかなりの重さになるのだが――


「手伝いましょうか?」


 大きな花束を抱えた香雪のすぐ後ろから声をかけてきたのは青雲だった。

「きゃあ!?」

「うわ!?」

 思わず悲鳴をあげて香雪は花束を落としそうになるが、後ろから青雲が手を伸ばしてうまい具合に受けとめた。

「……ありがとうございます」

「……いえ、こちらこそ驚かせてしまったみたいで」

 気まずい空気になりながらも香雪は自分に正直に青雲から数歩離れる。

 普段花の手入れしかしていない香雪は大嫌いな男と接する機会を意図的に少なくしていることもあり、予告なく近づかれると思わず反射で悲鳴をあげながら平手打ちしそうになるのだ。両手が塞がっていたからとはいえ、手が出なかっただけマシというものだ。

「あまり不意打ちで近づかないでください。殴られたいなら別ですけど」

「……気をつけます」

 殴るんですか、と苦笑しながら青雲は花を抱えたまま一歩後ずさった。

 珀凰から青雲と共に幽鬼狩りをしろと命じられたのは昨夜のこと。

 護衛官の仕事と幽鬼狩りの役目によって寝不足だった青雲はしばらく昼は香雪の手伝いをすることになり、今日だけは引き継ぎのために出仕していた。

「これはどこに運びますか?」

 青雲はそのまま花を運んでくれるつもりらしい。遠慮する必要もないかと香雪は小屋を指さした。

「向こうの小屋にお願いします」

「何かに使うんですか?」

「それは乾燥させます。冬の間は花が少なくなるので代用品にします」

 へぇ、と相槌を打ちながら青雲は香雪を見下ろした。

 香雪は下町の娘が着るような質素な服を着ている。金の髪と翡翠の瞳がなければ、誰も花守だなんて思わないだろう。

 長い髪は下ろしていると邪魔になるので、いつ左右に結っている。

 肌や髪の手入れなどやっている暇はないので何もしていないが、不思議と肌はあまり日に焼けず、年頃の娘が羨むほど白いままだ。唇は紅を塗らずとも紅く、金の睫毛は影をつくるほど長い。

 月明かりのもとでも思ったが、息を呑むほどうつくしい少女だった。


「花を吊るすので手伝ってもらえますか? 終わる頃には日もくれるでしょうし」


 香雪は背が低いので花を吊るす作業等は面倒なのだが、青雲がいれば楽できそうだと見上げながら思う。

 青雲に少しでも役に立ってもらわないと、正直割に合わない。


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