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 いま考えてみれば風変わりな事件だった。

 僕はこの件で、当事者たるIT部の部員にも、ゲーム研究会の部員にも会うことはなく、さらには福居さんが結局どのように両部の間を取りなしたのか、ついぞ知ることはなかった。訊けば教えてくれたんだろうけど、学園祭前の忙しい時期に水を差すのも悪いと思ったし、何より僕のなけなしの好奇心は猫が殺されるのを良しとしなかったからである。

 ちなみに例のうさんくさいゲームは、IT部とゲーム研究会の共同開発タイトルとかいうこれまた絶妙にうさんくさい触れ込みでもって、学園祭の出展物に名を連ねることになったそうだ。

「それにしても、梅島先生って粋なことをする人だったんですね」

 学園祭の足音がすぐそこまで迫ったある日の放課後、僕は黄昏色に染まった生徒会室で自ら淹れた薄いコーヒーをすすりながら、ふとそんなことを口にした。

「粋、とは?」

 部屋の隅の机で行儀よく何やら熱心にパソコンをいじっていた奈落は少しだけ顔を上げ、僕の言葉を手のひらで転がすような間を空けて答えた。

「いや、例のIT部とゲー研の件ですよ。自分の遺作でもって二つの部が再び合流するように企図するだなんて、ちょっとロマンあるじゃないですか」

「……はあ」

 奈落は、にわかに信じがたいものを見るような視線を僕のこめかみに突き刺した。

「きみはまさか、梅島先生が本当に時限装置のようなものを仕掛けてIT部とゲーム研究会にソースコードを撒いたと思っているのかい?」

「え、違うの」

「あのねえ花崎くん、少しは常識的に考えたまえよ。そんなわけないだろう」

 いやいや、この間いかにも自信満々にそう言っていたのはどこの誰だ。

「もし仮にそうだったとして、IT研究部が分裂したのは四年も前だよ。梅島先生が四年間、このプログラムを寝かせておく合理的理由があるかい?」

「えーと……、それは……」

 奈落はすうっと目を細めた。

 僕はサバンナの草食動物的な直感でもって、彼女の言葉に背を向けるのをやめた。

 いつもの、人を論破するときのあの顔だ。

「別にわたしは話を創ったわけじゃない、あくまでそういう可能性もあるねっていうだけだよ。大筋はこの前福居くんに話した通り、でも、わたしは真相は別にあると思っている」

 それを「話を創った」って言うんじゃないのか?

「あまりこういう言葉の選択はふさわしくないと思うけれど、事件の『犯人』は梅島先生じゃないってことさ。わたしはね、これは盗作事件でもなければ、単なる内ゲバでもなくて、IT部とゲーム研究会の現役部員によるクーデターだと考えている」

「……クーデター?」

「そう。騒ぎになることで、両部を合併させようという考えが部の内外に巻き起こるだろう。でも、そう仕向けたのは梅島先生ではなく、いま現在IT部とゲーム研究会に籍を置く部員だと考えた方が自然じゃないかい? どちらかの部に所属する誰かが、偶然どこか――クラウドか学内サーバか――に保存されていた梅島先生のソースコードを発見する。それを他方の部に横流しして、同じゲームを作って学園祭に出品するように部全体を煽動する。そうするとほら、こういう結果になる」

 奈落が掲げて見せたのは、頒布版として正式に量産された例のゲームソフトだ。

 タイトルは《深碧のダイヤモンド☆スター》と意味不明さを極めているが、パッケージにはしっかりと両部いずれの名前もクレジットされていた。

「つまり、IT部とゲー研には水面下に内通者がいたってことですか」

「簡単に言えばそういうことだね。たしかにいまでも両部は犬猿の仲だと言われているけど、それは部長以下数名の首脳陣が躍起になっているだけで、一般部員にはそういう考えを持つ者がいても不思議じゃないだろう。しかも中高一貫のこの学園において、四年も経てば単純計算で部員の過半数は分裂騒動を知らない世代のはずだ。活動内容を同じくするクラブとして、一緒になろうという考えが生まれるのは当然じゃないのかな。――それにね、この説にはちゃんと証拠があるんだ」

 僕はすっかり狐につままれたように、来客用ソファの隅っこで呆けていた。

「例の二つのゲームは、プログラムだけではなくて使われている画像や音声データまで完全に同一のものだった、……この件は姉さんから聞いたけど、福居くんには話していない。四年前に梅島先生が遺したのは、あくまでプログラムのソースコードだけなんだ。先生が仕掛け人なのだとしたら、こんなことは起こり得ない」

「宝石の絵を描いたのもBGMを用意したのも同じ人物、いや『内通者』だったと?」

「そういうことだね。さらには、わたしは『内通者』は各部にそれぞれ何人もいたんだと考えている。組織的な事件だとすら言えるだろうね。なぜなら彼らは部内でゲームを実際に制作する立場にあったのに、互いに横流しし共有した素材を使って堂々と作品を作り上げているからだ。裏を返せば、ゲーム制作に直接関わらなかった部員は、彼らの手の内で踊っていただけとも言えるんじゃないかな。大げさだけど」

 途方もない話だった。奈落はそこまでひと息に告げて、きょとんとする僕の顔をじっとりとした瞳で眺めると、

「何か言いたげな顔じゃないか」

 と見透かしたようなことを言って笑った。

「わかっているよ。なぜこの話を福居くんにしなかったのか、――きみの疑心はここだろう?」

「そうですよ。元はと言えば福居さんが持ってきた話なんですから、隠し立てするようなことしなくても……」

「きみは彼が何と言ってわたしに依頼してきたか覚えているかい? 両部の諍いをどうにか丸く収めて欲しい、――彼は丸く収めろと言っただけで、解明しろとは言わなかった。それに従ったまでだよ」

 僕はひっくり返りそうになるのをぎりぎりで持ちこたえて、綿のへたった柔らかすぎるソファになんとかしがみついた。

「そんなの、……詭弁じゃないですか」

「そう、詭弁さ。でもね、もし包み隠さず福居くんにこの話をしたらどうなると思う? 彼のことだから、きっと犯人捜しを始めるだろう。『内通者』の企てはおろか、ともすればIT部とゲーム研究会の学園祭への出展すら怪しくなっていたかもしれないし、両部の合流の可能性なんて霧となって消え失せる。それで一体誰が得をするんだい」

 返す言葉がなかった。正確には、すかすかな僕の脳みそに浮かんでは消える泡を穴だらけの網ですくってつなぎ合わせて、日本語にして口から吐き出させる技倆が、僕には足りていなかった。

「福居くんがもし、この事件を企てた下手人を暴き立てたいと本当に願っていたのなら、依頼する相手を間違えたと言わざるを得ない。そうだね、ミステリ研究会あたりに持って行けば探偵を憧憬する部員たちが喜々として捜査に励んでくれただろう。……でも、わたしは風紀委員なんだ。そんな、器用なことはできないんだよ」

 風紀委員会は便利屋でもよろず悩み相談所でもない。

 学園に平和が戻ったら、風紀委員会の仕事はそれで仕舞いなのだと、以前委員長は言っていた。

 僕はすっかり冷めきったコーヒーを一口含んだけれど、まったく味がしなかった。


「ところで奈落さん、それ、さっきから何やってるんですか?」

 しばらくの沈黙のあと、彼女の前で必死にハードディスクをカリカリ言わせている旧式ノートパソコンを指さして僕は尋ねた。

 放り出されたワイヤレスマウスの青いLEDランプが、死にかけたホタルのように物悲しげに点滅している。

「いやだな、《深碧のダイヤモンド☆スター》に決まっているじゃないか。せっかく共同開発を銘打っているんだから、どういう落としどころになったのか気になるだろう?」

「ずいぶん熱中していたみたいですけど、……おもしろいですか、それ」

 天井のしみを数えるような口調の僕に、奈落はけろりとした顔で愉快そうな笑い声を洩らしながら答えた。

「ううん、ぜんぜん」

 僕は彼女に聞こえないように、風紀委員になって何百回目かの溜息を吐いた。

 奈落曰く、ゲームは連鎖の判定とキー操作の応答性に多少の改善が見られるらしい。

 それが「共同開発」による賜物なのかどうかは、僕にも奈落にもわからなかった。

 彼女の立てる打鍵の音は、窓から流れ込んでくる吹奏楽部の練習曲の旋律にかき消される。

 来週のいま頃にはもう、学園はすっかりケとなり静けさが戻っていることだろう。

 事務机の片隅には、奈落がゲームソフトと一緒に実行委員会から持ち帰ってきた学園祭のパンフレットが数冊重ねてあった。

 ビビッドなイラストの踊るページを僕はぱらぱらと繰りながら、来年の出展団体リストに果たしてIT部とゲーム研究会の名前はあるのかなと、そんなことを考えていた。

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姫宮奈落は暴かない 字書きHEAVEN @tyrkgkbb

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