奈落は「いいかい、わたしの貞操のために五分以内に戻ってくるようにね」などと無理難題を言ってきたが、かまわず僕がのんびり放課後の散歩気分で福居さんを連れて戻ってきたときにはもう生徒会室に大桑教諭の姿はなく、奈落はおとなしくソファに収まって茶菓子を肴にコーヒーを飲んでいた。

「喫茶店かここは。……あれ、大桑先生はいないのか」

「先生はお忙しくていらっしゃるからね、仕事にお戻りになられたよ」

 追い返したの間違いだろ。

「そうか。いや、俺の方からも礼を言わないといけないと思っていたんだが」

 福居さんはこれまた旧校舎からだいぶ離れた本館の会議室を貸し切っての学園祭実行委員会の仕事に勤しんでいたが、昨日連絡先を聞きそびれたせいでこの通信技術の発展著しい二十一世紀にわざわざ徒歩で呼びに来た僕を笑いながらついて来てくれた。

 ちなみに往復にはゆうに二十分以上を要したが、そんなにいろいろと注文があるのなら自分で行けばいいものを、奈落の頭の泉はとうに枯れ果てていてそういう発想は湧いてこないらしい。

「それにしても、さすが先生だ。昨日の今日だぞ」

 促されるでもなく奈落の対面に腰を下ろす福居さんに、これまた僕は指図されるでもなくコーヒーカップを置いた。

 給仕の真似事がしたいなら駅前の喫茶店でバイトでもした方がよっぽど身になる気がする。

「それで、大桑先生は何と?」

「その前にね、福居くんに一つ聞きたいんだけど。昨日きみはこう言ったね、IT部とゲーム研究会はどちらも『義は我にあり』と主張していると。……これ、具体的に両部は実行委員会に何と言ったんだい? まさか現役高校生が石田三成みたいな口調で喧嘩しているわけじゃないだろう」

「よく覚えてないが……、そのゲームは自分たちの部のものだとか、そんな趣旨だったと思うぞ」

「なるほどね」

 僕と福居さんは、鏡のように揃って眉を寄せた。何がなるほどなんだ?

「花崎くんは昨日きみを送り出したあと、わたしがここでぼんやりと陽が暮れるのを待っていたとでも思っているのかい」

「え、違うんですか」

 失敬な、と奈落は不服そうに小さく鼻を鳴らす。

「わたしはあのあとすぐ、部室棟のIT部とゲーム研究会の部室を訪ねて、それぞれの部に直接話を聞いてみたんだよ。風紀委員会だと名乗ったら、どちらもちょっと面食らった様子だったけれどね。思っていたより大ごとになって怖じ気づいたのかもしれない」

 怖じ気づく? 義は我にあるんじゃなかったのか。

「結果は福居くんが言うのと同じく、作品は自分たちのものだと言うばかりで、自ら作ったとは一言も洩らさなかった。それが答えだよ」

「でもなあ、そんなのは言葉の綾じゃないのか」

「そう、だからこの事件の結論には客観的な証拠はないし、証明は本人たちにしかできない。外野たるわたしたちには歯がゆくも憶説を立てることしかできないんだよ。両者をよろしく丸め込むのは福居くん、きみの仕事だ。まあわたしが思うに、梅島先生の名前を出せばどちらの部もおとなしく引っ込むと思うけれど」

「……梅島先生?」

「そう。このゲームの本当の制作者にして、騒動の発端だよ」


 しばし奈落が大桑教諭の持ち込んだ解析結果を代弁している間、福居さんは「考える人」のポーズでCPUの冷却ファンのようなうなり声を上げていた。

「――するとつまりIT部とゲー研は、その梅島先生という方が組んだプログラムを流用してゲームを制作したは良いものの、いざ完成させたところ相手の部もまったく同じことをやっていたために引っ込みがつかなくなったということか」

「そんなところじゃないのかい。だからこれは、福居くんが言うような盗作事件じゃないんだよ、盗作どころか同じものなんだからね」

「くだらんな。こうなった以上意地を張ってないで、出所が同じクラブなんだから仲良く和解すればいいものを……」

「そういうわけにもいかないんじゃないのかい? 昨日それぞれの部長から聞いたけれど、四年前に袂を分かってから、いまでも互いに互いを怨敵扱いしているようだったからね」

 福居さんはマリアナ海溝並みに深い溜息を絞り出して、

「まあ事情はわかった。でも、梅島先生がそのプログラムを組んだのは少なくとも四年以上前だよな。なんでいま頃になってこんなことになったんだよ」

「さっきも言っただろう、真相は当人たちしか知りようがない。両部がどうやってソースコードを手にしたのか、偶然で片付けるのは簡単だけれど、わたしはそれも梅島先生の思惑があったような気がするね」

「……どういうことですか」

「これこそ本当にわたしの推考だけれど、梅島先生は自らの死期を悟って、IT部とゲーム研究会が揃ってこのプログラムを発見するような仕掛けをしていたのかもね。PCのディレクトリ上に突然現れるようにしたのかもしれないし、あるいはメールか何かで送られて来たのかもしれないけれど、そうやって両部が同じタイミングで目にするところにソースコードを遺した」

 つまり自分が組んだ同じプログラムを使って、IT部とゲーム研究会が同じゲームを同じ時機に作るように仕向けた、ということか?

「……そんなばかな」

「だから言っているじゃないか、推測だと」

「そもそもな、一体どういう目的でそんなことをする必要があるんだよ」

「目的なら、すでに達成されているんじゃないかな。こうして、騒ぎを起こすことさ」

 奈落は水晶玉のような瞳をすっと眇めた。

「聞けば、梅島先生はIT研究部の空中分解にひどく心痛されていたそうだ。分裂した両部は、IT研究部がそうであったように毎年学園祭にそれぞれオリジナルのデジタル作品を出品していたそうだから、彼らがこうして同じゲームを学園祭に出品して騒動になれば、部外の生徒のみならず、いやでも実行委員会や生徒会の目に留まる。そうすると自動的にIT部とゲーム研究会の合併の機運は高まるだろう、そう考えたんじゃないかな」

「まあ、たしかに実行委員のなかには両部を合併させてしまえばいいと実際に言い出したやつもいるが……。予算と部室の無駄だから、と」

「現状の両部の意固地を瓦解させるために必要なのは、もはや自発的なものじゃなくて、外からの刺激、――大仰に言えば世論なんだよ。中身の同じクラブが二つあるのはおかしいじゃないか、一緒になれば効率的だし活動もより良いものになるだろう、外部の人間からそう言ってやるべきなんだ。梅島先生はそこまで考えて、このソースコードを仕込んだ」

 開けてはいけない箱を開けてしまった子供のような苦い顔をして、福居さんはコーヒーカップの底を見つめている。

 僕は何か言いたかったけれど、喉の奥に小骨が刺さったような感覚をだけを抱きかかえて奈落の隣で黙っていた。

 飛び出そうになる言葉の切れ端を飲み込むだけで精一杯で、こちらに視線を投げかけてくる彼女に対して、何か反応することすらできなかった。

「……と、以上がわたしの出した結論、――というか推論だよ。わたしが学園という畑をまわって調達してきたのは単なる材料にすぎない。これをどう料理するかは福居くん次第、IT部とゲー研をどう言いくるめるのか、楽しみにしているよ」

 話は終わったと言わんばかりに、奈落は立ち上がってフランス人形みたいに華奢な肩をぐるぐる回して立ち上がり、すっかりガラスの濁った窓を開け放った。

 夕暮れ近い秋の風は彼女の黒髪をかき乱し、福居さんの石膏像のような表情を撫でてから消えていった。

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