翌日の放課後、僕がクラスの掃除当番を終えて生徒会室へ向かうと、ちょうど教師が生徒を辱めているところだった。

「こ、こら、花崎くん、カーネル=サンダースじゃあるまいしぼんやり突っ立っていないで早く助けたまえよ!」

 立て付けの悪い生徒会室の引き戸を開くなり消防士の放火現場を目撃してしまったような気分で呆然としていた僕へ、奈落は捨て猫みたいな目で命乞いをした。

「いや、でも」

「でももヘチマもあるかい! いつも授業が終わったら速やかにここへ来るように言っているじゃないか。道頓堀に投げ込むよ」

「掃除当番だったんです」

「言い訳をするんじゃないよ!」

 奈落はその細い体躯を必死にうねらせ、どこかのブラック企業のようなことを言いながら捕食者から逃れようとしているが、体格の差は否定しがたく、背後から大胆に抱きしめる大桑教諭の腕のなかで良いようにされていた。

「奈落ちゃん、あなたきちんとご飯食べてるの? まったく最近の子は細けりゃいいって思ってるんだから。もう少しお肉つけたほうがいいわよ」

「これぐらい普通だよ! ああこら、ちょっと姉さんどこ触って――」

「ほらほら~」

「ひ」

 桃色のマニキュアが映える先生の指先が、奈落の新雪のごとく白い首筋をなぞった。

「……で、大桑先生、何をしてらっしゃるんですか」

「スキンシップよ」

 それがスキンシップになるなら、この世の辞書からハラスメントという項目を消して回った方がいい。

「いやね、冗談よ。奈落ちゃんの様子を見に来たのは本当だけど。昨日頼まれた件の結果を知らせに来たのよ」

「えっ、もうできたんですか」

「当たり前じゃない、かわいい従妹に頼まれたら他のどんな仕事に優先してでもやるに決まってるでしょう」

 教師が授業以外にどんなことをしているのかよく知らないけれど、仕事ってそういうものなんだろうか。と言うか、昨日の僕とは逆にあのクソ遠い第六校舎からこんな僻地まで従妹をもみくちゃにするために大桑教諭はわざわざ来たのだろうか? 

 だとしたら奈落は、こんなにも溺愛してくれる親戚のお姉さんがいるだなんて相当な果報者だと言わざるを得まい。

「そうだよ、そのことだけれどね。花崎くん、姉さんにちゃんと『結果はこちらから聞きに行きます』って言わなかったのかい? 姉さんを生徒会室へ寄越したらこうなるに決まっているんだから」

「あ、言い忘れた」

「ばか」


 大桑先生はタイトスカートのポケットから小型のフラッシュメモリを取り出して、

「じゃじゃーん! 例のゲームの解析結果、解りやすくパワーポイントを作ってきました! この部屋ってプロジェクターある?」

「……いいから、口頭で説明してくれないかな。いちいちプレゼンするようなことかい」

「えー、せっかく徹夜で作ったのに」

「徹夜がえらいという価値観は情報科でしか通用しないものだからね、姉さんは知らないかもしれないけれど」

 戸棚の奥から一体どれほどそこで眠っていたのかもわからない年代物のソーサーつきのカップを取り出すと、奈落は慣れた手つきでブラックコーヒーを注ぎ、応接セットのぼろいテーブルに並べて先生に座るよう促した。

 コーヒーを奈落自身が淹れるのは訪客が歓迎されている証拠である。どうでもいい人の場合は僕にやらせるからだ。

「まあ結論から言うとね、同じものだった。あのゲーム」

「それは、見たとおりなんですけれど……」

「見た目のレベルじゃないの。まるっきり同じものだったってこと。簡単に言うとね、あの二つのゲームは寸分違わないプログラムで動いていたのよ」

 ん? どういうことだ。

 胸を張ることではないが、僕はゲームは遊ぶ方専門であって、プログラミングとかその手のことにはさっぱり明るくない。

 中学二年生にして理系科目からは足を洗っているし、今後もその道が照らされることはないと思うが、果たして現実にそんなことが起こりうるのだろうか。

 あれだけ単純な内容のゲームだし、偶然そうなった可能性だって――

「ないね」

 奈落は一笑に付した。悪かったな無知で。

「奈落ちゃんの言うとおり、それは考えづらいわね。プログラムはどんなに単純なものでも、組んだ人によって差が出る。指紋みたいなものだっていう人もいるわね。基本構造を解析すれば、かなりの精度でそのコードを書いた個人を特定できるとまで言われているわ」

 受け売りだけどね、と大桑教諭は笑ってみせたが、なるほど僕の知らない世界の話だった。

「これも昔インターネット上で流行った話なんだけどね、例えばテトリスのプログラムはわずか七行、五五一文字で書けるのよ。でも、それすら組んだ人によって違いは出る。それぐらいソースはエンジニアの個性をつまびらかに反映する。だから、別々に作った二つのゲームのソースコードが一バイトも違わないなんてことは天文学的確率だし、言い換えれば、IT部とゲーム研究会のゲームの原作者は同一人物だってこと」

「すなわち、もし一方の部が先に完成していた他方の部のゲームを入手して、それに似せて自分でプログラムを組んだとしても、まったく同じにはならないってことですか」

「そう。さすが奈落ちゃんの優秀な部下ね、話が早くて助かるわ」

 それは褒められているのか?

「まあ、だからぶっちゃけ徹夜するような案件でもなかったわ。ディスクをパソコンに入れてちょっと中身を覗かせてもらって、うんうん同じねって確認して終わり。ついでに言えばゲーム内で使われている宝石やカーソルなんかのアイコンも同じものだったし、BGMも何曲かは同じデータが入っていたわ」

「仕事のできる優秀な親類縁者に恵まれて光栄だよ、大桑せんせ」

「でもこれは貸しには変わりないからね、いつデートする?」

 奈落は逢い引きの誘いにあくまで聞こえないふりを貫いてコーヒーを少し含むと、

「……で、姉さん。その肝心の『原作者』っていうのは誰なんだい?」

「誰だと思う?」

「わたしの見立てだと、IT部の部員でもゲーム研究会の部員でもなさそうだけれど」

「なーんだつまんない。……その通りよ、プログラムを組んだのは生徒じゃない」

 大桑先生は唇を尖らせて長い脚を組み替える。

 思えば遠くへ来たものだ。

 最初は文化部同士のたわいもないいざこざだと思っていたものが、実は盗作ではなくコピーアンドペーストの産物だと解り、ついにはそれどころか、よそから仕入れたまったく同じものに違う包装紙をかけて売ろうとしているということらしい。

 彼らはどこでボタンを掛け違えたのだろう。

「生徒じゃない……、ということは、先生ですか」

「そう、梅島先生って方。――いや、もちろんあたしがソースを見てそう感じたっていうだけだから絶対じゃないけれど、まず間違いないわ」

 それもそうか、ゲームのプログラムの途中に「Copyright © 20xx Professor Umejima」とでも書いてあれば解りやすいが、そんなわけもあるまい。

「さっきも言ったように、プログラムには組んだ人のクセが必ず出るの。でもこれらのゲームのソースコードは、梅島先生のスタイリッシュでスマートな作品そのものだった。……部の関係者で、こんなに洗練されたコードの書ける人は梅島先生以外にいないもの」

「姉さんがそこまで手放しで人を褒めるだなんて珍しいじゃないか。でも、これで全部はっきりするよ。その梅島先生という方にお目にかかりたい」

「残念ながら、無理ね。もう亡くなられているの」

 なんだって?

「それは、――本当かい?」

「ええ、もともと身体の丈夫な方ではなかったんだけれど、心臓のご病気でね。四年前に休職して入院なさってたけど、翌年のいま頃には」

 真実まであと一歩、ゴールテープの手前で足踏みをするような感覚にもどかしさすら覚えたが、隣に小さく座る奈落は違った。

「そうか……。梅島先生とは、どんな方だったんだい?」

「あたしもとてもお世話になったわ。本当はどんなIT開発会社から引き抜かれてもおかしくないくらいすごく腕の立つ方なんだけど、ずっと学園の情報科で教鞭を執られていてね。このゲームくらいのプログラムなら朝飯前どころか、寝ながらでも組める方よ」

「なるほど。それから姉さん、もう一つ。先ほど言っていた『部の関係者』というのは」

「聞いてない? 四年前にIT研究部がIT部とゲーム研究会に分裂したときの、IT研究部の顧問だったのよ、梅島先生」

 だんだんと、彼女の瞳に確信に似た色の光が灯る。

「先生はずいぶんと熱心に部をまとめようとなさったみたいなんだけどね、結局いまも相変わらず。分裂したまま先生がこの世を去られたのは本当に残念ね」

「……わかった」

「わかったって何がですか。この事件の真相が?」

 奈落は澄まし顔でコーヒーのお代わりを注ぎに行った。

「いいや、真相なんか知らないし暴こうとも思わない。証拠もない。単に、今回の問題の片付け方」

 真相は知らないけど問題を片付ける? 

 僕は奈落の言葉を耳の穴に詰まらせ目をしばたたかせた。

「福居くんがわたしに頼んだのは、問題に収拾をつけること。だから、これでいいんだ。とりあえず彼を呼んできてもらえるかい? いちおうクライアントだからね」

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