③
その場にいた他数名の教師陣をはばかってか僕を促して退室し、大桑教諭は階段脇の談話スペースに腰を下ろした。
談話スペースと言っても廊下の隅に少しばかりベンチを並べただけの空間だが、授業の合間などには暇な学生にとって恰好のたむろスポットとなっている。
もっとも、粛然と静まり返った校舎にはいまは誰の姿も見えない。
大桑教諭はしばらくの間「小さい頃の奈落ちゃんかわいかった」話をいかにも親戚のお姉さん的な口調で僕に懇々と説き続け、一方でそんな話を耳にしたことを本人に知られたら殺されるんじゃないかという本能的恐怖心からどうにか昔話に割って入ろうとする僕が実際に彼女の話を遮ることができたのは、教員室を辞してから実に二十分ほどの時間が経過してからだった。
「するとつまり、このゲームソフトのソースコードを解析せよって言うのが、奈落ちゃんからの指令ね?」
巻き起こっている面倒な問題の骨子をかいつまんで説明したところ、大桑教諭は僕が手渡した二枚のCDケースを夕陽に透かしながら石ころでも眺めるような顔でそう言った。
「でもねえ、解析って言ったって一体何をすればいいの? ゲーム自体は問題なくプレイできるものなんでしょう、デバッグしてくれって言うのならまだわかるけど」
「二つの作品があまりに似すぎているものだから、実際にゲームを動かしているプログラムのソースを見ればどちらがどちらをパクったのか、――と言いますか、どうしてこういうトラブルが起きたのかはっきりするんじゃないかと、福居先輩は言ってまして」
「そうそう簡単にいくかわからないけれど、まあ奈落ちゃんの頼みなら断れないし。いいわよ、やったげる」
栗色のボブカットを揺らして彼女はうなずき、幼児のような笑顔を浮かべた。
その表情は機嫌の良いときに奈落が不意に見せるそれによく似ていて、僕は不覚にもドキリとした。
「それで、いつまでにやればいいの? 聞いた話じゃあそんなに複雑なゲームじゃないみたいだし、そこまで時間は掛からないと思うけど」
「できれば数日中に、……と姫宮先輩は言ってましたが、大丈夫ですか?」
「まったく、人使い荒いなあ。花崎くんも大変ね、いつもこんな調子であの子に手駒にされてるんでしょう」
僕が肯定の代わりに両手を広げ大きく肩を落として見せると、先生はくすくす笑って僕の背中を小突いた。
「奈落ちゃんに伝えておいて、対価としてこんどデートしてもらうからって。そうね、お台場で一日遊んだあと観覧車で夜景を見ながら愛を確かめ合いましょう。それじゃあね」
「よ、よろしくお願いします」
使命は果たした。手を振りながら教員室に戻っていく大桑教諭の背中を見送って、普段とは違う窓からの景色に僕は目を細める。
今日は直帰の許可ももらっているし、あとは専門家に任せておけば安泰だろう。
僕はどっと押し寄せてきた疲労感と一緒に通学カバンを背負い、道すがらどこで買い食いをしようか考え始めた。
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