第24話 美男役者と謎の僧 その5

「サイモン……我が兄弟子の仇……!」


 小僧の口から漏れ出た言葉は、呪わしくその場を震わせて。何が起こっているのか、俺にはしばらく理解ができなかった。


 時地が走っていく。小僧ではなく魔導師に向けて。

 薙刀を振り下ろす僧兵の波を、すべて越えていった。


 魔導師が彼女に向けて杖を掲げる。その先に稲妻が走った。

 しかし、


「させない!」


 腹を刺されながらも、サイモンの杖が魔導師の杖を打ち、たたき落とす。

 時地の刀が魔導師の腹を袈裟に斬る。

 しかし法衣が破けたそこにあったのは心臓ではなく、


「……鏡?」


 魔鏡。彼の胸にあったのはそう呼ぶに相応しい、暗黒を映すまがまがしい鏡だった。


「はあああああ!」


 サイモンが杖を振り、その鏡をたたき割る。

 暗黒の鏡面が、松明の明かりに砕けて飛び散った。


 すかさず時地はもう一人の敵……短刀をサイモンに突き刺したばかりの小僧の腹に剣の柄をたたき込む。

 一瞬激しく体を折った彼は、その場にだらりと倒れ込んだ。


 そして胸の鏡を割られた魔導師は、一気に俺達から距離をとる。

 その顔は蒼白だった。

 しかし顔は真っ白だが威勢のよい声で、彼はサイモンに人差し指を突きつける。


「この玉さえ手に入ればもはや貴様に用はない。下手人の業を背負ったまま、しばらく長らえるとよいわ」


 しかし自らに指をさす魔導師へ、サイモンは哀れみのような視線を向けた。


「弟子からの後生です。どうかそれを曲がったことには使われるな、我が師よ。あなたにまだ神を信じる心が残っておいでなら、どうか……」


 師? どういうことだ? 魔導師が師匠でサイモンがやつの弟子?

 サイモンの方があの魔導師よりずいぶん年上に見えるが。


 サイモンの言葉には答えず、魔導師は石畳を蹴立てて何処かへと走り去る。その方向から馬のいななきがした。

 少し遅れて、蹄の音が寺院を遠ざかっていく。

 どうやら敵の親玉には馬で逃げられたようだ。

 いつの間にか周りを囲んでいた僧兵達も、サイモンを襲った小僧もどこかへ消えていた。


「傷は大丈夫?」


 ふっと聞こえた時地の声に、俺はサイモンを振り向いた。

 そうだ、それどころじゃない。おじさんの怪我は……。


「心配ご無用。こんなこともあろうかと腹には綿を巻いていましてな。刺した手応えがあったでしょうが、そんなに深くは入っていません」

「ちょっとは入ったんだ……」

「ほっほっほ。刺される瞬間には小太りに変化しましたので、脂肪も少し助けてくれました。これほどの傷、どうということはありません」


 強い。この人はメンタルが強い。

 しかし本当に堪えた傷は体に刻まれたそれではないようだ。


「あの小僧は操られていたわけではない。あの子の言葉は本心からのもの。洞窟で死んだ十人には、あの子の兄弟子も含まれていたのです。……ここにはもう、私の居場所はありません」


 人質として連れてこられた小僧は、サイモンに向けられた罠だった。

 サイモンへの怨恨を買われ、復讐者としてあの役を与えられたのかも知れない。


 俺達三人の周囲に残る、いまだ張り詰めた気配。


 社殿の中から、戦いに参加していなかった僧達がこちらをうかがっているのだ。

 すべての視線が、この寺の敵であるサイモンの姿を追っている。

 皆あの話を信じているのだろうか。洞窟でサイモンが十人の僧を手にかけたという話を。


 俺はその墓にサイモンが胡桃を供えていたことを知っている。あの時と、そして今の悲哀は果たして演技だろうか。

 サイモンは答えてくれない。すべては彼の胸にしまわれたままだ。





 俺達の荷物は、敷地の中にある納屋に無造作に放り込まれていた。

 それを取り返してくれたサイモンは、寺の門をくぐるとある方向に視線を向けた。


「彼らが向かう所には心当たりがあります。……都。人々の思惑が集まる所。彼の成したいことがそこにある」


 そして近くの小川までやって来ると、彼は驚きの行動をとったのだった。


 川の近くに伏せてあった、打ち捨てられたような古い桶。

 人一人くらいなら軽く浮かべそうなその桶を流れに乗せて、サイモンは、


「私は川を下って都を目ざします。危ないのでお二人は真似されないように」


 そう笑顔で手を振った。俺達が止める間もなく、桶は川の勢いに乗りぐんぐん遠ざかっていく。そこから俺達にかかる優しげなあの声。


「ありがとうございました、時地殿。そして花海殿。お二人だけでも私を信じて下さって嬉しかった」


 一本だけの櫂を手に、サイモンは急流を下っていってしまった。

 しかし桶で川下りとは。並の人間にはできない荒技だ。やはり彼は長い修行を終えた特殊な僧なのだろう。

 その背は瞬く間に、下流へと消えた。夜が明けはじめた森に残されたのは、俺と時地の二人だけ。


 まったく不思議なおじさんだったな。

 あの人が同僚十人を手にかけたのか、本当の所は分からないけど。


 都。様々な思惑が集まる所。

 あの様子なら川下りのサイモンの方が早く着くだろうが、俺達の行き先は同じだ。


 都でサイモンに会えたら、今度こそ真実が分かるだろうか。まあ、会えたらの話だけれども。


「そういや時地はどうしてサイモンさんを信じて一緒に寺に行く気になったんだ? あの話聞いたら普通引くだろ」

「荷物取り返したかったから。あとは勘」


 ああそう。直感でサイモンを信じたのか、この人は。肝の据わり方がすげえや。

 やっぱりこの人がいなきゃ窮地は乗り越えられない。


 しかし奇妙な夜だったな。

 最初は観光気分だったけど、今はここを離れたくて仕方ない。

 俺は時地を急かして、早足でその場を抜けた。

 

 まあ、あれだけのことがあって無傷だったのは運がいいんだろうけど。いや、もとはと言えば回り道をしなければこんな目には遭わなかったんだよな。


「これからはわがままは控えめにするよ、時地。風呂を浴びて余計汗かくことになったから」

「それはよかった。ボクも早く都に着きたいからね」

「まさかそれを思い知らせるために俺を崖の下に落としたんじゃ……」

「花海くん、しつこい」

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