第23話 美男役者と謎の僧 その4

「ありがとう、時地。探しにきてくれて。君は俺の幸運の女神だ……とだけ言うと思ったか時地ー! ああ俺はすべて思い出したぞ! 君に背中を押されて崖を転がったこと!」

「チッ、頭を打って忘れてると思ったのに」

「忘れられるかー! てかあんなとこであんたがけっつまずくなんておかしいじゃん! はっ……もしかしてわざと俺を……」

「疑心暗鬼になってはいけませんぞ、花海殿。旅の連れを疑っては最後です」


 サイモンの言葉に、涙目の俺はしぶしぶ口を閉じた。

 まあそうだな。わざと突き落としたなら探しになんて来ないはずだ。

 寺の周りの邪気にあてられて、俺も少し気が立ってたみたいだ。


 崖下の洞窟で謎の怪僧達を追い払ってからしばらく。

 俺と時地そして破戒僧サイモンは、森をかき分け崖を登り、なんとか寺の前まで戻ってきていた。

 目の前には、闇にたたずむ鏡瞑院の門が。


 そう、崖登りにてこずり辺りはもう真っ暗だ。……俺ってば夜まで何やってんだ、こんな山奥の寺の門前で。


「あの後ボクも大変だったんだから。崖のふちで騒いでたらお堂の中から武器を持ったお坊さんがたくさん出てきて、『こんな所に剣士が何用だ! さては貴様サイモンの仲間か!』って追いかけてくるんだから」


 俺に謝る気はさらさらないのか、腕組みしながら時地は自分の窮地を語る。


「訳も分からず逃げ回ってたら、別の偉そうなお坊さんがそのサイモンを探しに行くって言ってたから、こっそり後をつけてきたんだ」


 僧兵から逃げながら僧兵をつけてたのか、この人は。どこにいてもハイスペックだなもう。

 ……てか俺を探すのが目的で森に入ったわけじゃないんだ。また面倒事に首を突っ込みたかっただけか。

 ぬか喜びしちゃった、俺。


 そうだ、サイモン。すべてはこのおじさんに隠されているのだ。


 今俺達と一緒にいるのは、俺が崖から落ちて最初に出会ったサイモンではない。

 整った身なりの変身後サイモンだ。


 何だっけ? 変化へんげの術?

 それを使った彼は、中肉中背のおじさんから今のような背が高くてしゅっとしたおじさんに変身したのだ。

 

 驚いたのはそれだけではない。

 あの洞窟で俺が目にしたものは、とうていこの世のものとも思えない不思議なことばかりだった。


 魔術? 妖術? 幻術?

 それが目の前で怪僧達によって繰り広げられたんだぜ?


 地面から衝撃波が沸いて人を吹っ飛ばしたり、杖が光ったり、挙げ句の果てにはサイモンを襲った僧兵が操られていたとか、そんな訳の分からないことが次々と。

 え? これは一体何? どうなってるの? 夢? ってなるだろ。


 しかし時地とサイモンの二人は、目の前で起きたんだから信じろの一点張りだ。

 なんだ、そんなに俺にあの現象を説明するのが面倒か。


「さっきからずっとその姿だけど、それがあんたの真の姿か、サイモンさん」

「ほっほっほ。これが私の本当の姿とは限りませんぞ。私は変化の術を使って中肉中背のおっさん、小太りのおっさん、そして背の高いおっさんに姿を変えることができるのです」

「す、すげー。おっさんを行き来できるんだその術。しょぼ」


 不思議なことにも限界はあるようだ。不思議なのに妙にリアリティがあるな、変化の術。

 おっさん三パターンしか変身の幅がないなんて。


「けど、姿によって力が変化するんだろ? あのとき洞窟で、術を使うならこの姿の方がいいって」

「いいえ。姿による能力の違いはありません。ただ何となく気分が上がらないときに背が高くてついでにちょっとイケてるこの姿に変化したくなるのです」


 ダメだ、変化の術。一瞬でも驚いて損した。


「でも最初に崖から落ちてぶつかったとき、確かに贅肉の柔らかい感触がしたのに」

「視覚だけではなく、触覚や味覚、嗅覚までも支配する……それが幻術の醍醐味です。私はこれを極めるために長く修行の旅に出ていました」


 破戒僧になる前のサイモンは修行僧。寺のことは他の僧達に任せ、海を越え遠く異国へ渡っていたらしい。


「しかし帰ってきたら寺が豪奢に建てかわってるし僧侶の目はギラギラしてるし私のとっておきの饅頭は食べられてるし散々ですよ。おまけに線香立ての中に火薬が詰め込まれてて命を落としかけるし」


 そう呑気に語りながらも、この人にはどこか時地に通じる気迫のようなものがある。

 元坊さんなんだから浮き世離れしてても不思議じゃないが、それ以上にこの人からはどこか神秘的な空気を感じるのだ。


 だからこそあの話が信じられないのだが。


 そう、サイモンについて気掛かりなことがもう一つ。


「本当に十人も殺したの?」


 時地の直球すぎる問いに、俺は思わず額を押さえた。


「そんなズバッとした聞き方あるかよ……」

「他にどういう聞き方があるっていうの」

「ほっほ。時地殿はなかなか剛毅ですなあ。――いかにも。十人の僧は、私が手にかけたといっても過言ではない。……私のせいで死んだのです」


 破戒僧の優しい笑顔に影がさした。

 洞窟では自分が下手人のように言っていたが、何か事情があるのかも知れない。

 そういえば魔導師はサイモンに『あれ』を置いていけとかなんとか言ってたな。


「ええ。洞窟で私を狙った僧達は、これを狙っているのです。私が修行の間に、さるお方から預かったものです。しかしこんなことになるなら、さっさと渡してしまえばよかった……すべての元凶は私です」


 サイモンが取り出したのは、胡桃大の小さな玉だった。

 時地の剣に付いている玉と少し似ている気がするが、こちらは胡桃の殻のように表面がボコボコだ。


 でもこれが何だっていうんだ? 時地のと同じでこれも宝石というわけではない。

 異国の珍しい石なのかな。何かの薬の材料とか。

 いずれにしろあのヤバそうな怪僧が狙う物だ。ただの石ではないのだろう。


 それの引き渡しを拒んだサイモンは、寺を破門され追われる身になったのだという。


「寺の周りを十日間、逃げたり隠れたりを繰り返しました。しかしとうとう、彼らは無関係の小僧を人質にとったようです。これ以上逃げることはできない」


 やっぱり悪人には見えないな、サイモン。小僧の命を盾にとられて、敵の真ん中に帰ってくるなんて。


 しかしそんなサイモンにくっついてどうして俺達まで寺に乗り込まなければならないかというと。


「なんたってボクらの荷物がまだお寺の中にあるからね」


 時地が語る衝撃の事実。そういえばこの人、己の剣しか持ってないわ。

 俺は手形を追っている途中で荷物を放り出し、時地は僧兵に追われる途中で荷物をなくしたのか。

 え? じゃあそれを取ってこなきゃいけないってこと? 何てことだ……。

 今さらながら俺はなんで寺に行こうなんて気まぐれを起こしたのか。いやそもそもひとっ風呂浴びたいなんて駄々をこねなければよかった。


「ほっほっほ。そう気を落とされるな、花海殿。お二人の荷物も引き渡してもらえるように私が頼みましょう。なあに、心配はご無用じゃ」


 なんでそんなにポジティブなんだよ、あんたは。


「そうだよ、花海くん。夜のお寺でお坊さんの一悶着に立ち会えるなんて滅多にできない経験だよ」


 そっちのそれはポジティブなんてもんじゃないな。ただの能天気か、または俺を危険にさらしたいという悪魔の思考か……。

 何となくこの人には後者もありだと思う。

 

 途中で俺達に合流した時地は、何故か会ってすぐにサイモンと意気投合していた。

 ただならぬ者同士、何か通じるものがあったのかも知れない。まったく迷惑な話だ。


「しかしどうするんだ? やっぱりあの魔導師みたいなやつと一対一で話せるようにこっそりと……」

「いえ、正面から参りましょう。その方が早い」

「そうだね」


 サイモンの大胆な発言に大胆な用心棒・時地がうなずく。

 いやそうだねって、あんたは別に正面から行く必要ねえだろ!

 あんたが行ったら俺一人になっちゃうから! 付いていくしかなくなるから!


 ……さすが正面から入っただけあって、サイモンの来訪はすぐに寺中に知れ渡る所となった。


 敵も本堂の真ん前で俺達を待っていてくれた。

 もう……そりゃ正面から入ったら待つよ。武器を持った味方を引き連れて。

 見ろ。あの縦一列に並んだ僧兵達を。その中心に立つ魔導師を。みんな目がギラギラじゃねえか。


 魔導師は後ろに一人、背の低い人物を従えていた。まだ少年のような容貌に短く刈り込んだ髪。

 不安げな顔でこちらを見る、彼がサイモンを呼び出すための人質にとられた小僧だろう。


 その小僧の首もとに杖の先を突きつけながら、魔導師は口に笑みの形を作った。


「臆病なお前にしては早かったではないか、サイモン。心強い味方を得て自信がついたか」


 ひいい、俺達サイモンの仲間認識されてる。まあここは仕方ない。

 早くあの小僧を助けてやらないと。でもどうやって? 何の策があって正面から乗り込んだんだ、俺達?

 そういえば正面から乗り込む以外のことは何も聞かされてないんだけど大丈夫なのか? 術とか食らわない?


 だってあの魔導師はヤバい。いや何がヤバいのかはよく分からないけど、時地が刀を抜くくらいだ。相当ヤバいのだろう。

 僧を操ったりするし。杖が光ったりするし。まあそれはヤバいな。


 闇を照らすのは並ぶ僧兵達の松明。

 本堂の扉に続く短い階段の上に待っていたその魔導師を見上げ、サイモンは静かな声音で話しかける。


「武器を下ろして下され。私はあなたとお話するために参りました。戦うためではない」

「己の立場が分かっていないようだな。お前の出方次第で先が決まる者がいるのだぞ?」

「ええ。ですからただ単純にお渡ししましょう。あなたの望む物を」


 そうしてサイモンは懐から件の玉を取り出し、魔導師へと差し出した。


 にやけた顔で、魔導師が小僧から杖をひく。

 そして早くそれを持ってこいと、サイモンに向けて右手を出した。


 一歩一歩、サイモンが魔導師へと近づいていく。


 そしてついに己の間近に立った破戒僧の手から、魔導師はするりと玉を抜き取った。

 本当にあれを渡すためだけにここに戻ってきたんだな、サイモン。人質を解放するために。


「さあ、小僧を放して下され」

「よかろう。……ああそうだ、玉の礼にいいことを教えてやろう、サイモンよ」


 口の端で笑った魔導師は、さらに冷たい吐息をサイモンに吹きかけるようにこう言った。


「人を従わせるのは、幻術だけではないということを」


 淀んだ空気が動いた。


 手を出したのは……小僧だった。人質にとられていた小僧が短刀を握っていた。

 サイモンの袈裟の中に、破戒僧の脇腹に、半分ほどその刀身が入っていた。

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