第21話 美男役者と謎の僧 その2

 俺、美男役者花海は、ただ今崖を転がるように滑落中だ。

 え? 何でこんなことになってるかって?


 何者かに後ろから押されたんだよ。


「花海くんを走って追いかけてたらつまずいて転んで花海くんの背中を押しちゃって崖っぷちにいた花海くんが落ちちゃった」


 と、上から言い訳がましい何者かの声が降ってきたが、俺にはもうその言葉を理解しているひまはなかった。


 ひゅーっと十メートルほど落下しそのまま木に引っ掛かりそこからは崖に沿ってものすごい速さで体が回転し始めた。


 これが微妙に傾斜がついてる崖じゃなきゃ一発だったからな。

 何が一発だったかって? ヒットポイントだよ、ヒットポイント。

 生命のともしびだよ。


 しかし今のところ回転する俺の体が止まる気配はない。

 このままかた~い岩石か木の幹に当たったら今度こそ一発だ。


 あれ? これってわりとヤバいんじゃない?

 もしかして俺……し、


「ぐあああ!」

「ぎゃああ!」


 転がる俺の体は、岩でも幹でもないものに当たって止まった。

 微妙に柔らかいような柔らかくないような生温かい感触。

 それになんか一瞬うめき声がしたような……。


 え? 人間か? いやまさか、こんな所に人がいるわけないよな。


 でもまあそんなことどうでもいいや。

 だってもう、意識が真っ白に飛びそうなんだから……。




 霧がかかっていく。

 いや、実際に霧がかかってるわけじゃなくて、これは俺のまぶたの裏の世界だ。


 白い着物の凛々しい剣士は、一人、霧の先にたたずんでいた。

 草原に吹く弱い風。彼女の金髪もそよぐ。

 けれど涼しい目元を縁取るまつげは微動だにしない。まっすぐ前を向いていた。

 あれは、時地……? いやでも、俺の知ってる時地は十四、五歳くらいだ。あんなに大人じゃない。

 あの人は俺と同い年くらいだ。


 ……静かだ。剣の柄に手をかけ今にも敵に斬り込んでいきそうなのに、静寂に満ちたその姿。虚空を映して揺るがぬ瞳。


 あの人は一体誰なんだろう。どこを見て、何を思っているのか。


 それも分からぬまま、すべては再び白い霧に覆われていく。

 俺の意識も、ゆっくり『そこ』から離れていった。



 ハッ。


 空だ。青いお空。

 そして周りは深い森。

 背中には急な坂のような崖。


 生きてる、生きてるぞ花海!


 どうやら頭を強く打って幻を見ていたらしい。

 いや危険な状態だったなもう。


 そうだ、あの崖の上から落ちてきたんだ、俺。

 木に引っ掛かったり岩肌を転がったりずいぶんひどい目にあったが、幸いどこも怪我はない。


 しかし崖は相当な高さがあり、ここからでは上にあるはずの寺院の影も見えない。

 あんなとこから落ちてよく無事だったな……。


 無傷で止まれたのは俺の下でクッションになってくれた『人』がいたからだった。


 あ、俺ってば人間を下敷きにしてる。早くどかなきゃ。


 俺が下に敷いていたのは、歳のころ四、五十歳くらいの中肉中背のおじさんだ。

 俺とぶつかった衝撃でか、目を回して伸びている。


 こんな森の中で人に出会ったのもびっくりだが、このおじさんというのがまた驚きの格好だ。

 頭は剃っていないが着ているのは袈裟けさ。手に巻いているのは数珠だろう。

 伸ばし始めたばかりなのか、まばらな髭が口のまわりを囲んでいる。


 僧侶の……おじさんか。

 髪はボサボサだし髭生えてるし、こんな深い森にこもって修業でもしてたのかな。


 いや今の問題はそこではない。何が問題かって、おじさんがさっきからぴくりとも動かないことだ。


 ……。

 もしかして俺、僧侶を……。僧侶をやっちゃった?

 え? うそ、いやこれは事故だったんだ。俺もまさかこんなとこに人がいるなんて。

 てか、俺はどうすればいいんだ? 誰か呼ぼうにもこんな所に人なんていないし、ここから人里まで出る道だって、


「う~、珍念ちんねん、それは私の饅頭ですよ!」


 頭を抱えて一人右往左往していた俺の前で、おじさんは間抜けな寝言とともに飛び起きた。


 い、生きてた……! 珍念って誰?


 おじさんはぼんやりしていた瞳の焦点を俺に合わせて一言。


「ほほう。森の精霊が降りてきたのか」


 あ、そういえば俺、目がくらむようなイケメンだったわ。

 そりゃあこんな森の中で初めて会ったら精霊かと思うわ。

 でもまあ、おじさんに森の精霊なんて言われてもちっとも嬉しくない。


「残念ながら俺は森の精霊ではない。訳あってこの崖の上から落ちてきた旅の者だ。突然ぶつかって悪かったな、おじさん。怪我はないか?」


 ……訳あって崖の上から落ちてきた、なんて言葉の組み合わせ人生で使うとは思わなかった。


「これはご丁寧にどうも。私は菜門さいもんと申す者。ご覧の通りピンピンしております」


 言いながら、おじさんは近くに転がっていた大きな木の杖を手に立ち上がった。

 立ち上がるとやっぱり中肉中背だ。杖の方が背が高い。


 まあとりあえずおじさんも無事でよかった。

 しかし菜門………。サイモン……。

 先日会ったエミリーといい、最近の人はこの手の名前が好きなのかな。

 

「崖から落ちるとは、いや不運でしたな。私が下敷きになってお怪我がなかったならそれは幸い」


 名前なんかどうでもいいや。いい人だ、サイモン!

 日頃の用心棒とのやり取りで擦り減っている俺の心に染み入るお言葉。

 そのじーんと来る言動とこの格好ってことはやっぱり。


「サイモンさんは、上の寺の坊さんなのか?」

「ほっほっほ。坊さんと言っても元ですな。私はいわゆる破戒僧というやつで」


 笑顔でさらっと言うなこの人は。

 要は寺を追い出されてこんなとこにいるってことか。

 破戒だなんて……優しそうな顔して一体何をやらかしたんだか。


 いや今は破戒僧でも何でもいい。

 なんといっても俺は遭難者だ。頼りの用心棒もここにはいない。


「俺の名前は花海。――ぶつかっといてすまないがサイモンさん、寺まで戻る道を知らないか? 俺、ここら辺のことはさっぱりで。ていうかここから上まで道続いてる?」


 俺は単純にこの崖の上から落ちてきたらしいが、如何せんあそこまで帰る道が分からない。周りは木々が生い茂って見通しが悪いし、帰り道どころか人の通る道に出られるかさえ怪しい。

 荷物は多分手形を追いかけてるときに放り出してきちゃったし、今の俺には一人で生き残るためのツールがない。


「ほっほっほ。それならば私が上までお供しましょう。残念ながらここには道と呼べる道はない。やぶをかき分けて帰ることになるので、お一人では迷われるでしょう」

「ありがとうございます、救世主さま!」


 く~、さっき出会ったばかりの人が優しい!

 誰かさんとは大違いだ。


 あ、そういえば時地、俺を探してるかな。

 あれ? 時地といえば……。ああ、ダメだ思い出せない。思い出せないけどなんかすごく嫌な記憶だ。

 そういえばどうして俺は崖を転がってたんだっけ。寺に詣でて、手形を追いかけてたとこまでは思い出せるんだけど。


「ほっほっほ。構いませんとも。しかし私はこの先に用がありましてな。少し寄り道をしてもよろしいか?」

「どうぞどうぞ、救世主さま」


 もみ手をすりながら、俺はサイモンの後を追う。

 彼も自分の用があってこんな森の中に来てたんだろうからな。それを邪魔しちゃいけない。

 大きな籠とかは持ってないけど、山菜採りか薬草探しかな。

 寺を破門になって生活に困ってるのか。


 しかし俺の予想を外れて、サイモンがやってきたのは山菜とか薬草とかそんないいものが生えている所ではなかった。

 俺が落ちた崖の裏側に空いている、真っ暗な洞窟だ。


 ……何でこんな所に用があるの?


「ほっほっほ。さあ、行きましょう」


 ためらう俺を置いて、サイモンはずんずん洞窟の中へ踏み込んでいく。どうでもいいけどよくほっほっほと言うな、この人。

 ええい、仕方ない。これもこの森から出るためだ。行こう。


 洞窟の中は意外に浅く、サイモンの目的の場所にはすぐにたどり着いた。

 そこは暗い穴の突き当たり。サイモンが着けた松明が壁を照らすと、辺りにはあるものが現れた。


 洞窟の壁に掘られた、質素なほこら

 真ん中の祭壇に曇りだらけの鏡がまつられている以外は、特に装飾も供え物もない。


 そしてその祠の前には、十基ほど小さな石碑が並んでいた。

 まるで何かの墓のように。


 な、何ここ?

 何このなんとも言えない冷たい空気。


 俺がまぶたをパタパタしていると、サイモンは悲しげな顔で口を開いた。


「この穴は少々いわくつきでしてな。かつてこの場所で十人もの僧が仲間に裏切られて命を落としたのです。寺社内での権力争いの末の事件でした」


 どうやらおじさんはここに墓参りに来たようだ。

 小さな石碑はすべて亡くなった人数分の墓標だという。


 懐から小さな胡桃くるみを取り出し、サイモンはそれを一つ一つ墓の前に置いていった。


「命を落としたのは、皆私の同僚でした。ああ、なんといたわしい」

「そうか……。昔ここで殺人が……」

「ええ。昔と言ってもつい十日前のことなのですが」

「全然昔じゃなかった! じゃあまだいわくつきとかじゃないじゃん! 現場じゃん!」


 な、なんてとこに連れてきてくれてんだサイモン!

 宿の女将さんの言ってた、寺にまつわる十日前の外の人に話せないことってこれか。

 僧がここで十人も命を落としたなんて、大事件じゃねえか。ぜんぜんノーカウントじゃねえよ!


 我を忘れて叫ぶ俺に、サイモンは至って優しく微笑みかける。


「ほっほっほ。ですからまだ血の臭いが残っているかも知れませんなあ」

「ほっほっほと言えばどんな過激な発言も許されるわけじゃねえからな! ああどうしよう、俺。殺人現場に来ちゃった、俺」

「ほっほっほ。その下手人こそがこの私自身だと言ったら、どうしますかな?」

「だからほっほっほと言えばどんな過激な発言も許されるわけじゃねえって言っただろ、……いや言いましたよね!?」


 震える体をカサカサと動かし、俺は洞窟の壁にへばり付いた。


 な、何て言ったのこのおじさん? 何て言った後優雅に微笑んでいるの?


 十日前? 殺人? 下手人? それが私だって?

 私ってことはこの人ってこと?


 穏やかな笑顔が急に黒い微笑に見えてきた。

 え? 逃げなきゃいけない、これ?

 サイモン笑ってるけど俺は冷や汗が止まらないし。

 でも体はガッチガチだし出口の方はサイモンに押さえられてるんだけど。

 

 そしてその出口の方から、


「下手人は現場に戻るというが、本当だったようだな」


 洞窟に響く複数の足音。長いころもの衣擦れ。


 俺でもサイモンでもない第三者の声は、朗々と穴の中の空気を震わせたのだった。

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