第20話 美男役者と謎の僧 その1
「それじゃお二人さん、お気を付けて」
柔和な笑顔の宿の女将さんの見送りを受け、俺達は朝日の照らす山道へと踏み出そうとしていた。
旅に出て三日目の夜、俺はやっと宿に泊まることができたが、ここは当初立ち寄る予定にしていなかった宿だ。
旅程としては宿屋のある宿場までまだ先だったが、俺が風呂が恋しい、風呂が恋しいとごねていたら、時地が少し道を外れてここまで連れてきてくれたのだ。
山あいにあって古い民家の立ち並ぶこの辺りは寺社の荘園。
山道の先にある寺院に詣でる人をタダで泊めてくれる宿がある。
寺に用のない者でも、薪割りや洗濯等簡単な仕事を手伝えば安く泊めてくれるのだ。
さすが時地。こんな場所を知ってるなんて物知りだな。
ひとっ風呂浴びられたし、久しぶりに生き返った気分だ。
時地は宿の人に無理を言ってずっと押し入れにこもっていたから俺とは顔を合わせてないけど。
……さあ、気を取り直して旅の再開だ。
しかし安く泊めてもらって、用がないからこのまま寺を素通りというのも申し訳ない。
聞けば寺院は、都までの旅路に戻る通り道にあるという。
というわけで、俺は律儀に寺まで詣でることにした。
すると俺達を笑顔で見送ろうとしていた宿の女将さんは、
「寺に行かれるのですか?」
急に眉をひそめてそう言った。
「? 寺で何かあったんですか?」
「つい十日前……いいえ、何でもありません。今は大丈夫でしょうから」
めちゃくちゃ気になる!
なんだその含みのある言い方。つい十日前何なんだ!
意味深な言葉に戸惑う俺を前に、女将さんはしばらく一人で逡巡していた。
「うーん、まだ危ないかしら。でもあれを外の人に話すのは……あーでも、いや、うん、あれはノーカウントね」
そして最終的に、
「やっぱりお気を付けて!」
俺達は微妙な笑顔とともに見送られた。
やっぱりお気を付けてって何すか!
とりあえずあの人の中で俺の知らない何かがノーカウントになった。十日前にあった外の人に話せない何かが。
え~、ホントに寺まで行っていいの? 俺余計なこと言い出しちゃった?
ま、まあ時地が付いてればどんな場所に行こうと大丈夫だろうけど。
用心棒の腕を信じて、またちょっと寄り道だ。
――そしてこれが噂の十日前に何かあったぽい山の中の寺院、
着いちゃった。
宿のある里から歩いて、けっこう山の中に入ったな。
山奥にありすぎて時地もここまで来るのは初めてらしい。
見上げれば、なーがい石段が本堂の門まで続いている。
崖の上にたたずむ、何だか由緒ありそうな門構えだ。
なんだ、大丈夫そうじゃん。
時地に付いて石段を上がれば、門の向こうには清浄な空間が広がっていた。
両側に青い屋根瓦の社殿を従え、中央に堂々と構える同じ瓦の本堂。
寺というより天主の宮のような豪奢な造りだ。山奥によくこんなの造ったな。
俺達以外に参拝客もいない敷地には、寺院特有の世俗とは違った静かなときが流れる。
俺も寺なんて久しぶりに来たが、何だか心が癒えてくるな。
別に気になる所なんて、片方の社殿の屋根が一部吹っ飛んでいることだけだ。
気になる所あったわ。
穴は屋根にでかでかと直径五メートルほど。
一体何があったらあんな穴が空くんだ? 隕石でも落ちたのか?
俺が屋根の上をポカンと眺めていると、申し訳なさそうな顔をした僧侶が歩み寄ってきた。
「いやー、お見苦しいものをお見せしまして。小僧が誤って線香立てを大爆発させてしまいましてな。それですこーし屋根に穴が」
線香立て大爆発って、何をどうやって誤ったらそうなるんだよ!
線香立てに火薬でも詰め込んだのか!
「それで、修繕のためにただ今勧進を募っておりまして。どうか慈悲の心を」
そう困り顔で言う坊さんの手には托鉢で使うような古びた小鉢が。中にはすでに、いくらか銅銭が入っていた。
俺はしぶしぶ懐を探って財布を取り出す。寺の修繕費をたかられるなんて、参拝したタイミングが悪かったな。
しかしそんなことを思いながら財布を出した瞬間、一枚の紙が一緒に懐から飛び出した。
タイミング悪くピューっと風が吹く。
「しまった、
飛んでいくその紙を、俺は慌てて追いかけた。
いや、その紙っていうのがただの紙じゃないんだ。
平民は、面倒だが関所を通るたびに通行の許可を必要とする。
お
そしてそれを示すのが通行手形。見た目は普通の紙切れだが、普通の市民には手が出ないほどの馬鹿高い金銭と引き換えに手にすることができる。
都まで旅をするなら絶対にこの通行手形が必要だ。
しかしそれが今、財布を出した瞬間風に飛ばされ宙に舞っている。
俺としたことが、大事な物はきっちり懐にしまっていたのだが、財布と通行手形を一緒にしていたのがいけなかった。
待てー!
さすがにそればっかりは替えがきかないから。
関所を通れなくなっちゃうから。
しかし風に吹かれた手形は寺の敷地の石畳を越え、あれよあれよと寺の隅へと流されていく。
ちなみに寺のへりは手すりも柵も何もなくすぐ崖になっている。
落ちれば見はるかす直下の森へと真っ逆さまだろう。
誤って足を踏み外せば手形も命ももう二度と帰ってこない。踏み外せばの話だけど。
「うおおおりゃあああ!」
らしくない野太い声を上げて、速さを増す俺の足。
そして、
「と、とった!」
崖っぷちギリギリで白い紙を右手に掲げて、俺は満面の笑みをこぼした。
やった! ナイスキャッチ俺!
あそこからよく追いついたぞ、俺。
しかし……。
「待ってよ花海くん、うお」
「え? うああああああああ!!」
突如後ろから来た衝撃。
背中を押されて足を踏み外した俺は、手形をつかんだ格好のまま宙に舞った。
「あ、やっべ。つまずいて転んだら花海が落ちた」
背中を押した何者かの呑気な声が、落ちていく体にかすかに届いた。
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