第11話 美男役者と夕暮れ

 林が途切れ、紅い光が差し込んだ。

 花海はなみは森の先の、谷沿いの道まで差し掛かっていた。


 夜明けからここまで歩いて、旅は夕暮れを迎えた。

 花海もずいぶん高い所まで登ってきたもので、道の端は見はるかすような深い崖になっている。

 そこから広く、どこまでも続く山々の連なりが見渡せた。


 今日の宿、古びた山小屋はもう目の前だ。

 小屋の裏手には小川も流れ、夕食の準備をするにはちょうどいいだろう。


 紅い光が一層強くなっていく。

 ふっと、谷の向こう側に見えた景色は。


「……見事だな」


 山の端に落ちかかる遠い夕陽。

 紅い光が連なった山の暗い稜線りょうせんを縁どる。


 その美しさに、思わず立ち止まって眺めていた。


 こんな景色を見るのは久しぶりだ。


 有名役者といっても、一座の頭の許しがなければ簡単に外には出られない身。

 ちゃらちゃら街を歩くことはできても、やすやすと旅に出ることはできない。


 それを自由でないと思ったことはない。そんな暮らしが花海にとっては普通のことだったから。

 芝居小屋の他の役者との競争と、移り気な客の人気取り、そして一座のパトロンであるご贔屓方のご機嫌うかがい……長い間、それだけが花海の仕事だった。


 雲もない空を紅い光が照らす。群れをなすかりが巣へと急いで行く。

 街の喧騒からも、芝居小屋の歓声からも切り離されたような、この一瞬。

 眺めていると、自分が何者だったかも忘れさせてくれそうなほど。


 下らない理由で都まで呼び付けてくれた殿様にも感謝だな。

 そんなことでもなければこの景色を見ることもなかっただろう。


 ふっと、ここまで連れてきてくれた旅の供を見る。

 夕陽を浴びて、時地ときちはいつものポーカーフェイスだ。


 この人は俺のような旅人を連れて、何度もこんな旅に出てるんだろうな。

 山の夕陽なんて見慣れたもんだろう。


 それでも立ち止まった俺を急かすこともなく、時地は静かに待っていてくれた。

 もしかしたら、彼女は俺みたいな『かごの鳥』にも慣れているのかも知れない。

 簡単に外に出られない人間が、日常を忘れて旅の景色に没頭する瞬間に。


 俺はしばらく、山に落ちる陽を見ていた。


 でも、だんだん風が冷たくなってきたな。

 そろそろ山小屋に入らなければ。


「待たせたな、時地。さ、行こう、」

「もぐもぐ。むっしゃむっしゃ」


 ……って、何か食ってる。

 俺を置いて草むらで全力で何か食ってる。


 いつの間にか時地は俺の後ろの茂みにいた。

 そしてしゃがんだまま必死にしゃかしゃか手を動かすその後ろ姿は、今までの俺の哀愁を一気に吹っ飛ばした。


「と、時地さん!?」

「んん? もぐもぐ。呼んだ? もぐもぐ」


 もぐもぐしながら振り返った少女は、今まで食っていたものを俺に見せつける。

 ……一瞬心配したが彼女は草を食っているわけではなかった。

 オレンジから赤にかけての実が、つぶつぶツヤツヤと時地の指のすき間で輝いていた。


木苺きいちごだよ。花海くんも食べる?」


 ムード……!

 ムードブレイカー時地!


 なに? さっきの見てなかったの?


 夕陽に染まるこの色男を。

 俺自分が置かれてる立場とか独白してたのに、その後ろでバクバク自然の恵み食べてたの?


 確かに時地の後ろには旅人に気付かれなかったのか、群生した木苺がこぼれるようにたわわに実っていた。

 俺がたまたま立ち止まったことで、時地は足元に実るその存在に気付いたらしい。

 そして旅の連れはほっといてバクバク食っていたのだ。


 しばらく見ていると俺が木苺を羨ましがっていると思ったのだろう。

 時地はざらーっと、俺の手の平に収穫した木苺を乗せてくれた。


「あ、ありがとう……」

「うん。さ、早く小屋に行こうよ。風が冷たくなってきたし」


 そう言って時地はさっさと山小屋のほうに歩いていってしまう。


 俺は手の平に残った木苺を一つつまみ上げた。

 夕陽にその赤が眩しい。


 そして口の中でつぶっと潰れる小さい実は、幼い頃、野に分け入って食べた懐かしい味だ。あの頃は初夏のこの時期になると必死で探したっけ。


 そのすっぱさを噛みしめながら、俺は夕陽に照らされる小さい影を追った。


 旅って綺麗ですっぱいんだな。

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