第4話 美男役者と壺から出てくる用心棒 その3

 まばたきに合わせて長いまつげがパタパタする。それが自分でも分かった。


 こんなに驚いたのは久しぶりだ。

 いや、こういう驚き方をしたのは人生で初めてかも知れない。

 ぽかんと口を開けたまま、何も言えなくなってしまうというのは。


 そう。壺から予想外に人間が出てきたとき、きっと人は何も言えなくなってしまうのだろう。


「紹介するぜ、兄さん。こいつが代わりの用心棒、時地ときちだ」


 落ち着きはらったマスターの声が、花海を現実へと引き戻した。

 そして青年はやっと己の目の前にあるものを認める。


 金色の髪の少女が一人、花海の前に立っていた。壺から出てきた少女が。


 言葉が出てこない花海が見つめる先で、彼女はだらっと広がっていた髪を頭の後ろで一つに結んだ。

 飾り気のない髪紐かみひもが寂しい。


 服は、上が白い着物に下は鼠色の袴姿。

 着物には柄も紋もなく、武道の稽古用の道着をそのまま着ているような軽装だ。

 職は剣士だろう。

 腰に得物の刀を一本差している。


 しかし壺におさまるのも納得のそのサイズ感。

 壺から出てきた小さい剣士。


 そして聞き間違いでなければ、マスターは彼女こそが花海の用心棒だと言うのだ。


「その娘が、俺の用心棒?」

「そうだ。色っぽいとはいかないが、女用心棒には変わりないだろう? どうだ? 気が合いそうか?」

「いやその、どうだと言われても……」


 どうだろう、マスター。

 俺は壺から出てくる人間と気が合うのだろうか。仲良くなれるだろうか。

 気分的には、今にもこの酒場から逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだが。


 それに用心棒と言われても、目の前にいるのはその言葉がピンとこない少女だ。

 歳は十四、五歳くらいだろう。どう頑張っても十六を超えているようには見えない。


 背丈は花海の――まあ花海は背が高いほうだが――胸のあたりまでしかないだろう。

 幼くて小さい。

 それが最初の印象だ。


 髪はこの辺りでは珍しい金色。

 顔立ちは愛らしく将来に大きな期待が持てる。そして澄んだ瞳は知的で生気にあふれた輝きを宿し……ているが、如何いかんせん壺から出てきた少女に何と言っていいものか。

 ああ、どうしよう。


「君がボクの雇い主?」


 めくるめく出来事に戸惑っていた花海は、いずこからか聞こえた声に跳び上がった。

 気付けばいつの間にか、壺から出てきた少女剣士が自分の顔のすぐ真下にいた。

 ビー玉のような目がまっすぐ花海を見つめている。


 体の小ささに反して存外しっかりした喋り方だ。

 そして聞いたことがある。これは、これはボクっ娘というやつだ。


 驚く花海にはかまわず、ボクっ娘の少女は一枚の紙切れを差し出した。


「どうぞよろしく、雇い主くん」

「何だ、これ」

「兄さん名刺知らないのか?」

「名刺……?」

「遅れてんなあ。ビジネスパーソンの基本だぜ? なあ時地」


 マスターと花海の会話にはかまわず、少女は名刺なるものを差し出し続けている。

 訳が分からないまま、花海はその紙切れを受け取った。


 そこには、『全国用心棒協会公認用心棒 時地』の文字が。


とき…………。時地ときじっていうのか」

「『ときち』でいいよ。みんなボクをそう呼ぶから」


 ときじではなく、ときち。

 この人が俺の用心棒……か。へえ。


「よし、交渉成立だな。よかったな、時地。雇い主が優しい兄さんで」


 ……へえ。これで交渉成立なんだ、マスター。

 この人が俺の用心棒になるんだ、マスター。


 どうやら俺はもう引き返せないらしい。よく分からないが名刺とかいう紙ももらってしまったし。

 それに出発は伸ばせない。ここまで来たら腹をくくろう。正直まだ引いてるけど。

 何より、女子がよろしくって言ってるんだから、無下に断っちゃいけない。


 俺は時地なる少女に向けて、いつものスマイルを作った。


「俺は花海。よろしくな、時地」

「花海くん……いい名前だね」


 そう言って時地はしばらくポーっとこちらを見上げる。

 おおっと、この反応は。


「美人さんだね。仕事は役者さんか何か?」


 きた。予想通りの反応だ。

 女子なら皆この反応をする。

 どうやら俺が有名役者とは知らないようだが、イケメンということはこの変わり者女子にも伝わったようだ。


 花海は開いている胸元をさらに大きく開けてみせる。


 美人。

 それはそうだろう。

 

 自慢ではないがこの界隈でこれだけの美男に会えるのはかなり奇跡だと……。


「ちょっとマスター」


 時地は急にマスターを呼ぶ。

 二人は花海を無視してすみで何かヒソヒソやっている。

 ヒソヒソ何か話している。


「ねえ。あの人本当に……ヒソヒソ……」

「ああ、わりと有名な役者……ヒソヒソ」

「もし途中であの人……死……ヒソヒソ」

「その時は……懐……金……奪っ……ヒソヒソ」


 花海はふぁさっと髪をかき上げようとしていた手を止めた。

 え? 何の話してるの?

 なんか二人で俺の生死に関わる話してる?


「まああれは確かに大金持ってそう……ヒソヒソ」

「それに役者……私物……高く売れ……ヒソヒソ」


 そしてヒソヒソ話の重要なとこが隠せてない。二人して抜けている。

 会話の内容は置いといてそこが恐い。


「……ほんとに大丈夫なのか、これ。俺、生きて都にたどり着けるのか?」

「大丈夫だよ。ボクに任せてくれれば、どこへでも連れていってあげるよ、くん」


 花海が不安げな顔をしたのに気付いたのか、時地が胸を張りながらこちらへ戻ってくる。


 その純粋な目が怪しい。……俺は花海だし。


 怪しむ花海には構わず、時地はそれまで入っていた(住んでいた?)壺に旅立ちの前の別れを告げている。

 変わり者だ。真の。


「はっはは、今のはほんの冗談さ。どうだい、兄さん。旅のともは本当に時地でいいかい?」


 ホントにさっきのは冗談なんだろうな、マスター?

 その黒塗り眼鏡の下の瞳が見えないから目が笑ってるのか真剣なのかまったく分からないんだけど。


 まあ、護衛の件は片付いた。何だかんだ言ったが彼女でいい。


「ああ、俺は別に構わないぜ、マスター。彼女ちっちゃくて可愛いし」


 当初予定されていた色っぽい女用心棒との旅はなしになったが、まあそれでも女子との旅には違いない。

 楽しみを広げたいなら、守備範囲も広くなくちゃな。


 確かに驚いたのは驚いたが、役者としてそれなりに人生経験は豊富だ。

 これしきのことは慣れっこだ。

 用心棒が壺から出てきて小さい少女だったくらい。なんてことないさ。きっと。

 よく分からんが名刺とやらに全国用心棒協会公認って書いてあったし。全然知らない組織だけど。


「安心しろ。時地はあんな外見だが、腕は確かだ。本来ならこの辺りじゃお目にかけないような大剣豪さ」

「ははは。そりゃ期待大だな」


 剣豪ねえ。堅物かたぶつそうなマスターにしては思いきった冗談だな。

 一応用心棒稼業をしていることだし、彼女もそれなりに使い手なのだろう。

 心配しなくてもそれは分かってるよ。

 そりゃあもしこの娘が剣豪だってんなら頼もし、


「心配しなくても、」

「うわあ!」


 またいつの間にか自分の真ん前に立っていた時地に、花海はとうとう叫びを上げた。


「ボクがちゃんと都まで連れていってあげるよ」


 そして少女は真顔で腕に力こぶを作ってみせる。


 対する花海ははだけた胸をさすって、まだおさまらない心臓の鼓動をなだめた。

 力こぶは心許こころもとないが、気配を消すことなら確かに彼女は強者だ。


「分かった分かった! 分かったから! 頼りにしてるぜ、時地」

「おう。まーかしとけーい」


 その独特の返しは何なんだよ。

 まあいい。この少女にいちいち突っ込んでいては収拾がつかない。

 旅は長いのだから。


 カウンターの向こう側で、二人の様子を見ていたマスターが親指を立てる。


「よーし、さっそく息ピッタリだな。二人とも気をつけて旅、行ってきな」


 ……ホントにそう見えた?



 こうして、花海の都への旅は始まった。

 お供に超不思議ちゃん用心棒、時地を連れて。


 ああ、これからどうなるんだろう、俺。

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