第3話 美男役者と壺から出てくる用心棒 その2

 ――旅に出る。


 みやこにいる殿様からありがたい召喚の文が届いたのはつい数日前。

 なんでも自身の邸宅で親類縁者を集めた大宴会を開きたいとか。

 その余興の席にわざわざ花海を呼んだのだ。


 たった一度の宴席で舞うために都まで呼び付けられるのは骨が折れるが、殿様の払いは芝居を見にくる客の千倍はいい。

 殿上人の宴会で舞うことで名も上げられる。


 まあ何より偉いさんの誘いを花海のような一介の芸人が断れないことが、旅立ちの一番大きな理由なのだが。


 幸い今は芝居一座の公演も休業期間。

 一、二か月ほど留守にする許可も一座のかしらにもらってきた。

 後は荷物をまとめて旅立つだけだ。


 そしてここは花海が数日前から部屋を借りているおんぼろ宿屋の玄関口。


 面倒なことだが、花海ほどの人気役者が芝居小屋から大きな荷物を持って旅立っては大騒ぎになる。

 だから旅の荷物を置いておくための仮の住まいとしてこの宿を借りているのだが、ここはそれだけの場所ではない。


 宿の客室は二階。一階は酒場になっている。

 今日の花海はそこに用があるのだ。


 都に向けて旅立つにあたって、まず難所になるのがこの街の先にある山だ。

 そこには盗賊が出る。もうこれでもかというほど出る。いやというほど出る。

 だから最寄りの仲介所で、腕の立つ用心棒を紹介してもらって一緒に山を越えるのがこの辺りでは常識だった。


 一階の酒場はその用心棒の仲介所を兼ねているのだ。

 というわけで、ここは宿屋兼酒場兼用心棒仲介所というわけだ。


 今は旅行シーズンらしく、急ぎの旅の花海はこんなボロ宿に居を構えるそこそこの仲介業者しかつかまえられなかったが、まあそれも仕方ない。

 そこそこの仲介業者でも、こちらの希望になるべくそった用心棒を用意してくれるというのだから。


 一歩酒場に足を踏み入れれば、カウンターなる机の向こう側にはキュッキュッとガラスのコップを磨く中年の男性の姿があった。

 彼はこの宿屋のオーナー兼、一階の酒場のマスター兼、用心棒仲介会社社長の……名前何だっけ。

 まあいい。一番要素が強いので花海はこの人を『マスター』と呼んでいる。

 

 マスターはこのあたりでは珍しい、瞳がまったく見えない黒塗りの眼鏡をかけている。

 何でも目を陽光から守る特殊な眼鏡とか。


「おう、兄さん。来たか」


 マスターの渋い声が花海を迎える。

 磨いていたガラスコップから顔を上げて、マスターは青年に中に入ってくるよう促した。

 言われた通り、花海はカウンターの前まで歩み寄る。


 マスターが異国のバーとやらに憧れて作ったというカウンターには、つやが出るまで磨かれた天板にバーボンなる酒が数本置かれ、後ろの棚にも所狭しと異国の酒が並んでいる。

 そして昼間なのに店内は何故かちょっと薄暗い。だがそれもこだわりなんだとか。


 しかしせっかくの異国情緒満載の店内だというのに、カウンターの横に置かれた大きめのつぼが惜しい。

 おそらくマスターは骨董も趣味なのだろう。

 焼き物の壺はやたら場所をとって存在感があり、狭い店の中にいては嫌でも目に入ってしまう。

 なんであんな物を置いてるんだろう。


 しかし大きな壺だ。体格の小さい人間なら一人簡単に入れそうなほどの。

 あれ? この前来たときあんなのあったっけ?


 まあいいや。

 

「マスター、例の用心棒はどうなった? 今日来てるんだろう?」

「悪いな、兄さん。そのことなんだが、一つ謝らなきゃいけないことがあってな」

「謝らなきゃいけないこと?」

「ああ。あんたの希望通り色っぽい女用心棒を用意したんだが、何でもあんたと一緒に歩いてる所を見られると自分が他の女に刺されるとか。そう言って逃げ出しちまったんだ」


 彼女はまだこの街で平穏に暮らしたいんだそうだ、とマスターは続けた。


 なんてことだ。

 どうやら頼んでいた用心棒は、護衛相手が花海と知ると直前で逃げ出してしまったらしい。

 せっかく色っぽい女用心棒と旅できると思ったのに。

 モテ過ぎるのも罪だな、と花海はつぶやく。


「じゃあ、まさか護衛は……」

「ああ、それは安心しな。ちゃんと他の用心棒を呼んだから」


 そう言うとマスターはくるっと酒場の隅を向いた。

 そこには壺の向こう側に、店の奥へと続く扉が。


「へーい、時地ときち。出番だぜ」


 パンパンとマスターが手を叩く。


 しかし扉からは誰も出てこない。


「時地! おーい、時地!」


 再びマスターが呼ぶ。

 すると今度は返事が返ってきた。

 しかし店の奥からではない。


「はいはーい。今出るよー」


 返事は返ってきた。

 カウンターの横にある巨大な骨董の壺の中から。


 そう。壺の中からだ。


 そして次の瞬間花海は己の目を疑った。

 壺から手が生えたのだ。


 壺のふちをはしっと掴むと、もがくように中から誰かはい出そうとしている。


「おおっと、驚かせたか。あいつは活動時以外は狭いところにいるのが趣味でな。別名オクトパス用心棒とも呼ばれている」


 マスターはこんな状況でもまったく動じず花海に用心棒の紹介をしてくれた。でも一体この人は何を言ってるんだ?


「オクトパス用心棒……?」

「半分壺に住んでるようなもんだ」


 壺に住んでるオクトパス用心棒。

 まったくこれっぽっちも心強くない響きだ。

 え? それが俺の用心棒なの?

 

 花海の心の声とは裏腹に、壺から腕に続いてぬっと何か出てきた。髪だ。人の頭だ。


 人の腰元まである巨大な壺の、その底まで垂れ下がる長い髪。


 その色が金色だと気付くまで、驚き過ぎて口をあんぐりしていた花海にはしばらく時間が必要だった。


 そしてその金髪の何者かは、とうとう壺の中からはい出てきた。

 長い髪をバサバサ乱しながら、酒場の空気を大きく吸うように立ち上がる。

 花海にもようやくその顔が見えた。


「紹介するぜ、兄さん。こいつが代わりの用心棒、時地ときちだ」


 十四、五才と思われる少女が、花海の前に立っていた。

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