第3話

 学校からの帰り道、美緒はスマホを取り出し、とある人に電話をかけた。


「もしもしお母さん?」

(あら、美緒。どうしたの?)

「決まったよ」

(! ホントに⁉ よかったわね)

「うん。これから頑張るよ」

(向こうはあなたの事覚えてたのかしら?)

「全然。まったく気づいてないし、最初の方なんて敬語で話されたくらいだから」

(残念だねぇ。そのうち思い出すんじゃない?)

「だといいけど。じゃ、もう切るね」

(たまには事務所に顔出しなさいよ)

「うん」


 母親との通話を終え、電話を切った。

 話の内容は仕事が決まったと報告をしただけだった。

 

「さて家に着いたらまずは‥‥‥その前にまず家に行って着替えをもう少し持っていこうかな。おばあちゃんにもこの話報告しないと」


 そう言って美緒は高鳴の家のルートではなく、自分の家のルートに切り替えた。





「そろそろ美緒は学校から帰る時間か」


 パソコンに表示されている時間をみて呟いた。

 あまり気にせずキーボードに指を走らせていたら後ろから肩を叩かれながら声をかけられた。


「失礼します、八雲さん」

「お、おう。どうした高橋」

「文書の改訂について相談したいんですが、お時間あります?」

「大丈夫だよ」


 会社の規定文書の改訂について相談してきたのは入社3年目の高橋。

 そんな事よりも今の独り言聞かれてないよな?

 少しヒヤヒヤしながら、高橋の相談に乗った。


「ここを変えちゃうと、別紙1の標準書と矛盾しちゃうから変えないほうがいいね。あとは、改訂した事柄は改訂履歴として記録を残そうか。そうすると誰が見てもわかりやすくなるよね」

「なるほど! ありがとうございます!」

「また何かあったらいつでも相談してよ」

「もちろんです! それと‥‥‥」

「ん?」


 そう言うと高橋は、俺の耳元まで近づき誰にも聞こえないような小さい声で話をかける。


「さっきの『美緒』って誰ですか?」

「え」


 マジか! 聞かれてたのかよ!

 

「もしかして、彼女さんですか? とうとう八雲さんにも春が来たんですね」

「バッカお前、ただの親戚だ」


 つい昨日雇ったばかりの現役JK家政婦だって言っても信じてもらえないだろうし、そもそもそんな事口が裂けても言えない。


「この事一ノ瀬さんに言ったら悲しむでしょうね。八雲さんに相手ができたなんて」

「だから親戚だっていってるだろ。そしてなんで一ノ瀬さんが出てくるんだよ」

「だって一ノ瀬さんは――」

「高橋君。相談が終わったなら持ち場へ戻りなさい。プライベートの話はいつでもできるでしょう?」


 一ノ瀬さんは軽く咳払いをしてから強い口調で高橋を注意した。

 なぜか全く関係ない人も一ノ瀬さんの声で姿勢を正す。

 おそらくとばっちりを受けたくないのだろう。


「はい! すいません! では八雲さん失礼します」

「お、おう」


 高橋はその場から逃げるように自分の持ち場へ戻っていった。

 その背中を見届けた後自分のパソコンに視線を戻すと、その視界に一ノ瀬さんがこちらを凝視しているのが映る。

 どうすることもできず、目を合わすのはやむを得なかった。

 うわぁ、めちゃくちゃ何か言いたそう‥‥‥。

 なんて思っていたら社内メールに1件の通知が届いた。

 もしかしてと思って開いたら、案の定差出人は一ノ瀬さんだった。


『美緒って何者なのか後で教えなさい』


 一ノ瀬さんも聞こえたのかよ!

 かなり小さい声で話したつもりだったんだが、どうやら聞こえてしまっていたらしい。

 けれど、先ほどの高橋と一ノ瀬さん以外の人には聞こえていなかったので被害は最小限で済みそうだ。




 

 そのあとも一ノ瀬さんの視線に耐えながら無事定時を迎えた。

 少し仕事が残っているが美緒の事もあるし今日は早くあがることに決めた。

 そもそもブラック企業じゃないので、よほどのことがない限り残業する人はいない。なので定時を過ぎると事務所内はガラガラになる。

 そのため、事務所の戸締り当番が週替わりであり当番の人は最後まで残って戸締りをしていくのがルール。

 残業する人がいる場合はその人に担当を引き継いで帰ることもある。

 実際早く帰りたいが、今週は俺の当番なので皆が帰るのを待っていた。

 皆がぞろぞろ帰っていく中、一ノ瀬さんだけ残っていたのでてっきり残業するのかと思い、戸締りを引き継いで帰ろうとした時だった。


「やっと二人きりになれたわね」

「あの、戸締りお願いします」

「待ちなさいよ。この状況でよく帰ろうとしたわね」

「一ノ瀬さん残業するのかなと思いまして」

「そんな非効率な事するわけないでしょ! 残っていたのはあなたに用があるからよ」


 ああ‥‥‥絶対あの事じゃん。

 メールで言ってたことの話でしょ?

 それ今じゃなきゃダメなのかよ。


「変に勘のいいあなたならとっくに気づいてると思うけど、謎の人物『美緒』について話を聞きたいの。あ、以降この人の名前はXとするわ」


 いや真犯人みたいな呼び名つけるなよ。


「美緒は僕の親戚で、歳の離れた従妹です。数十年ぶりに会ったので面影ないですが」

「本当に?」

「はい」

「本当は他人だけど面倒だから従妹ってことにしているわけじゃないのね?」

「はい」


 いやなんでそこドンピシャで当ててくるんだよ。

 もう正解だよ! 大正解だよ!


「Xは何歳なの?」

「まだ高校生ですよ」

「高校生⁉」


 それを聞くと一ノ瀬さんは嬉しそうに笑い、先ほどまでの真剣な表情はどこへやら。

 

「そうなのね! 高校生じゃまだ早いわよね!」

「なにがでしょうか‥‥‥?」


 なにが早いのかは理解できないが、変に解釈してなくて一安心だ。

 一ノ瀬さんの機嫌の上昇が収まらなく、声色も違う。

 普段機嫌の悪い人が珍しく機嫌が良い時に『あ、この人今日は機嫌いいな』って感じることがあるだろ?

 今まさにその状態だ。


「な~んか気にして損しちゃった」

「損したのは大半俺ですけどね」


 一ノ瀬さんが美緒の何を知りたかったのか全くわからないが、彼女側がどうやら解決したみたいなので気にしないでおこう。


「けど、なんで親戚の帰りの時間を気にする必要があるのかしら」


 そこまで聞いてたのかよ。

 どうしよう、『昨日から一緒に住んでます』なんて言えるわけないし『実は家政婦なんです』とも言えない。

 よしここは、

 

「家が近所なので、たまに迎えに行くことがあるんですよ。両親仕事で家にほぼいないので代わりに俺が行ってます」

「ふ~ん。高校生にもなって一人で帰れないのかしら」

「最近よくないニュース聞きますからね。夜道を一人で歩かせたくないのでしょう」

「なるほど、八雲くんとXは深い関係ではないのね」

「当たり前じゃないですか」


 いや深い関係だったらまずいだろ。

 それよりも美緒の事はあまり深堀されたくないし、これ以上続くなら時間も遅くなるのでいい加減終わりにしてほしい。


「まだまだ私にチャンスはあると言う事ね」

「え? なにか言いました?」

「何も言ってないわよ! それよりも遅くならないうちに帰りましょうか」

「そうですね」

「今日のやつ残業つけていいからね」

「仕事してないですし、結構です」

「理由もなしに時間が乖離してたら上層部の人が顔面ストロベリースムージーになって聞き取り調査にくるわよ」

「言いたいことはわかりますが、顔面ストロベリースムージーってどういう意味ですか?」

「‥‥‥なんでもないわ、気にしないで頂戴。とにかく残業はつけること。いいわね?」

「了解です」


 なんで今ため息ついたんだこの人!

 顔面ストロベリースムージーって、どういう状況だよ。

 まぁ、そんなことはすぐに忘れるので深く考えないでおこう。


「八雲くん」

「はい? まだ何か?」

「どうせだったら今からご飯でもいかない? コンビニばかりじゃなくたまには外で食べるのもいいんじゃないかしら?」

「あ~せっかくの誘いありがたいのですが申し訳ありません、お断りします」

「そう。ならまた今度行きましょ。その時は空けといてね」

「はい。では失礼します」

「お疲れ様」


 今までの俺なら誘いに乗っていたかもしれない。

 あんなきれいな人とご飯に行けるなんて人生で1回あるかないかだ。

 ただ、今回ばかりは美緒に連絡なしで勝手に行くことはできない。

 一ノ瀬さんの誘い断ったなんて言ったら社内の男共全員敵に回すことになるんだろうな。


「あ。戸締り一ノ瀬さんに押し付けちゃった」


 会社から出て数分後に気づくという失態。

 誘いも断った挙句、当番である戸締りを一ノ瀬さんに押し付けてしまうという犯罪レベルをやらかした。


「明日謝っておこう」


 気分を落としながら家に帰るのだった。





「あ~あ、断られちゃった。勇気出したのに」


 事務所の鍵を手にしながら景色を見つめてぼやいた。


「最初彼の口から女性の名前が出た瞬間かなりショックだったけど、高校生なら気にすることはないよね」


 自分に気にしないと言い聞かせても、どこか心の奥で焦っている自分がいる。

 年齢はもちろんだが、それよりも彼が自分に振り向いてくれないことに焦りを感じている。

 正直なところ彼以外の男性は眼中にないのが今の現状。

 それは自分が彼の教育係になった時から思いは募っていた。

 過去に沢山の男性に言い寄られ、中には不倫関係の告白もあった。

 仕事もできて見た目もカッコいい人にも、そうでない人にも、体目当ての若い人や年配にも。

 丁寧に言えば気持ちが揺るがない、悪く言うと興味がない。

 ただ彼にはその辺の男性にはない魅力がある。

 それはなにかと言われれば100%の答えは出ない。

 それでも彼に対する気持ちは変わらない。

 

「水を沸かすにはそれを受ける容器が必要だよね。炎の上に水を乗せたらそれは炎が負けるに決まっている。そんなんじゃ一生水は沸騰しない。私ったら、一番大事なものを忘れてた」


 彼のデスクを見つめながら少しにやついた後、戸締りをし会社を後にした。


「それにしても顔面ストロベリースムージーは理解できるでしょ!」


 と言いながら今度は自分が顔面ストロベリースムージーになる寸前だった。







 会社から出てしばらく経った。

 そして目の前にはいつも寄っているコンビニが見える。


「今日も寄ろうかな」


 そう思った瞬間、美緒の言葉が浮かんだ。

 『私以外の料理は食べないでください』

 その言葉が頭の中でだんだん強くなっていく。

 やがて入口を通る気力がなくなり思わず言葉が出た。


「長い間ありがとうな。それにレジ打ちしてた月雪さんも」


 コンビニの前でじっと立ち止まっていると不審者みたいに思われるのですぐにその場から立ち去った。


「しばらくは寄れないな」


 コンビニを通り過ぎようとした途端、裏口から人が出てくるのが見えて

 その人と目が合ってしまった。


「あ、八雲さん」

「月雪さんか。今終わり?」

「はい。今日はお昼から入ってたので」

「そうなんだね、お疲れ様」

「八雲さんもお仕事お疲れ様です」


 すると彼女の視線は俺の手元に集中した。

 どうやらコンビニ袋を持っていないことに違和感を感じたのだろう。


「八雲さん、今日は珍しくご飯買っていかないんですね」

「ああ、毎日買うと食費がね」

「いやいや毎日寄ってた人が急に何を言ってるんですか」

「たまには自分で作ってみようかなって‥‥‥」

「それなら私が教えますよ!」


 月雪さんのテンションが急に上がり、とても嬉しそうに俺との距離を縮めてくる。

 近い近い! そしてめっちゃいい匂い!


「そんな、月雪さんみたいな可愛い子が俺に教えるなんてもったいないよ」

「え、可愛い‥‥‥フフ」

「アレ? 月雪さん? おーい」


 月雪さんがどこかへ飛んで行ってしまった。

 断ったはずなのになぜかさっきより嬉しそうに空を見上げている。


「ああ、ごめんなさい。つい嬉しくて」

「よかった戻ってきて」

「それで! 今から一緒にご飯作るんですよね!」


 やばいどうしよう。

 月雪さんがもうその気になっている。

 実際に料理を作るのは美緒だが、その前に美緒の存在がバレたらシャレにならない。

 いくら家政婦だとは言え、実のところ高校生だ。

 それを雇って一緒に暮らしてますなんて見つかったら月雪さんから見た俺のイメージが一気にダウンだ。


「いや、月雪さんバイト終わりで疲れてるでしょう? だから今度お願いしようかな」

「八雲さんのためなら疲れなんて全然気にしませんよ!」

「食材もないし、その辺についてもまたね?」

「今から行きましょう!」


 あ、ダメだ。

 全然話を聞いてくれない。

 ようし、一か八かアレでいってみるか。

 

「じゃ、こうしよう! 今から連絡先交換して、後日日程調整しよう!」

「ええ! いいんですか⁉」


 よし食いついた!

 俺は女心を理解する出来たやつではないが、前に彼女が俺の連絡先を聞いてきたことがある。その時は時間がなくて断ったが。

 その時の月雪さんマジで泣きそうで正直焦った。

 それを今思い出し、餌にすると言うなんともきたないやり方。

 すぐにメッセージアプリを開き、ドレッシングのごとくスマホを振った。

 すぐに月雪さんのアカウント、『Akari』がヒットした。


「月雪さんて下の名前あかりって言うんだね。なんか今更だけど」

「私も八雲さんの下の名前知らなかったですし、お互い様ですよ」


 月雪さんはすぐに追加したのち可愛い猫のスタンプを送ってきた。

 俺も何か返さないとと思い、何か面白いスタンプはないかと迷ったがやはりこれに限る。


「あはは。これいろんな声優さんが担当したクソアニメですよね」

「そう、面白いでしょ? 意外と需要あるんだよ」

「私も買ってみます」

「シリーズ結構あるからおススメだよ」


 よし。これで少しは落ち着いたな。

 連絡先も交換したし、もう今日はお別れしよう。


「じゃ月雪さんまたね」


 方向を転換をし、家に向かって歩こうとした時だった。


「あー八雲さんって暗い夜道の中女性一人で帰らせるんですね」


 若干棒読みな気もしなくもないが、その言葉につい反応してしまった。


「え。だっていつも一人で帰ってるよね?」

「いつもはバイトの先輩が一緒にいるので一人ではありません」

「俺にどうしろと?」

「最近物騒だし、一人で帰るの怖いな~」

「わかったよ。近くまで送っていくよ」

「近くまで? それってどこまでなんですか?」

「‥‥‥家まで送ればいいんでしょ!」

「さすが八雲さん! お優しいんですね!」


 なんかまんまと嵌められた気がする。

 いつになく、あざとい月雪さんは初めてだ。

 

 やれやれと思いつつ、家とは逆の方向に向かって歩き始めた。

 この時隣を歩く月雪さんは先ほど以上いや、俺が今まで見てきた以上に上機嫌だった。

 

 家に着くのが遅くなるから美緒が顔真っ赤にして起こるかもな‥‥‥。

 ん? 顔真っ赤? あ!


「顔面ストロベリースムージーってそういう事だったのか!」


 急にわけもわからないことを言ったため、月雪さんがかなり困惑して俺の事若干引いていた。

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