第2話

 家政婦を契約してから一夜明けた。

 時計を見ると出社する準備をするのには少し早かった。

 こんなに早く起きた理由は、なんだがベッドが窮屈なのを感じて我慢できなかったから。

 頭をかきながらなんだろうと思って隣を見ると、


「ばびょ⁉」


 隣には下着姿の彼女が俺の隣で寝ていたではないか。

 触ると今にも崩れそうできれいな白い肌が無防備にさらけ出ている。

 飼い主にベッタベタの猫が安心して寝ているように、彼女の寝顔も安らかな顔をして深い眠りについていた。


「おいおい初日から勘弁してくれよ‥‥‥」


 昨日俺のほうが早く寝てしまったことを思い出す。

 布団圧縮袋から布団を出して敷いといたはずなのだが、ものの見事にキレイにピシッとシワ一つない状態のままだった。


「せめて服着ろよな。てか着替えあるって言ってたじゃねぇか」


 未だ頭がぽけ~っとしながら遠くのほう向いて呟いた。


「すいません、暑かったので脱いでしまいました」

「うわ! 起きてたのかよ」

「はい、『ばびょ⁉』のあたりからです」

「最初の方からじゃねぇか」

「ふふ、どうですか? 私の下着姿。興奮しました?」

「してない」

「素直じゃないですね」

「俺から見たら高校生なんて子供だ。そんなのに興奮しない」

「私結構スタイルいいって言われるんですけどね」


 それを聞いて自分の理性が抑えきれず、もう一回彼女の体を見てしまった。

 たしかに、つい最近まで中学生だったことを考えるとスタイルは良い方なのではないだろうか。

 それに胸も小さすぎず大きすぎず、年相応の大きさと言ったところだ。


「ちょ、ちょっと見過ぎです」

「ああ! すまん!」


 お互い恥ずかしさで顔をそらした。

 いや、それが視界に入るのが悪いのだ。

 うん。俺は悪くない。

 彼女も大きく背伸びをしベッドから降りて学校の制服に着替え始めた。


「朝ごはん作ります」

「え」

「朝ごはん作りますよ?」

「いや、聞き取れてはいるんだが‥‥‥」


 彼女は俺の言う事を不思議に思いながら冷蔵庫を開けた。


「うわ! 物の見事に空っぽですね‥‥‥『宝箱見つけたのはいいけどいざ開けたら空っぽだった!』 ていう感覚ですよ」

「すまんな、朝と夜はコンビニで済ましてるんだよ」

「冷蔵庫の電気代無駄じゃないですか! でもこれからは活躍してもらいますよ」


 彼女は冷蔵庫をバシバシ叩きながらそう声をかけた。


「朝と夜はコンビニで、お昼はどうされてるんですか?」

「昼は会社に食堂あるからそれで済ませてる」

「食堂ですか‥‥‥私以外の料理を食べているのは腑に落ちませんね」

「なんでだよ」

「今日はしょうがないですが、明日以降は私以外の料理を食べないでください」

「ええ‥‥‥」

「返事!」

「はい」


 ハマっていたサラダチキンが禁止に‥‥‥あれ結構おいしいんだぞ。

 食べやすい上に、あまりとれないタンパク質を簡単に取れる優れものだ。

 そしてなりより、おつまみとしても最高だ。


「サラダチキン‥‥‥」

「え?」

「サラダチキンだけは禁止にしないでください‥‥‥」

「まぁあれは料理ではありませんからね。よしとしましょう」

「ありがとうございますぅぅぅ」


 よかった~。サラダチキンは食べ続けることができそうだ。

 でも毎日コンビニ寄ると怒られそうだな。


「では私は学校に行きます。帰りに食材を買ってきますので」

「いやそれは俺がやるよ。車もあるし」

「‥‥‥わかりました」

「それと、はいこれ」

「家の鍵ですか?」

「そ。君の方が早く帰ってくるだろ? だから鍵渡しておく」

「ありがとうございます」

 

 彼女は渡された鍵を大事そうにバッグの中にしまった。

 しまった後、俺の顔を何か言いたげな様子で見つめてくる。


「あの‥‥‥」

「なに?」

「私の事は美緒と呼んでください」

「ええ、俺たちまだ会って1日だよ? そんな高いハードル求められても」

「これから一緒に暮らしていくのに『君』とか『お前』とか絶対嫌です」

「わかったよ、羽月ちゃん」

「名字もダメです! 私もた、高鳴さんとお呼びしますので」


 わかりやすくプンプン怒る彼女は少し可愛かった。

 なんかイジるの癖になりそう。


「了解しました。美緒ちゃん」

「ちゃん付けもあまり好まないのですが」

「細かいな!」

「それでは行ってきます! 高鳴さん!」

「ああ、行ってらっしゃい」

「‥‥‥」

「え、なに」

「ん~!」

「行ってらっしゃい美緒」

「行ってきます‼」


 どうしても下の名前で呼んで欲しかったみたいだ。

 こんな年上の男性に呼ばれて嬉しいんもんかね。

 高校生からしたらおじさんと言われてもおかしくない年齢だぞ。

 今時の高校生はまったくわからんな。

 そういえば美緒はなんていう学校に通っているのだろうか。

 帰ったら聞いてみるか。




 いつも通り出社した俺は、事務所へ向かう。

 その途中、コーヒーを片手に持ったスーツ姿の美人OLがこちらに向かってコーヒーを持っていない片方の手でヒラヒラと手を振った。


「おはようございます」

「おはよ、八雲くん。その袋‥‥‥今日も変わらずコンビニの朝ごはんなのね」

「まぁ、そうですね」


 挨拶をした相手は同じ部署の先輩、一ノ瀬藍いちのせあいさん。

 年齢は俺の二つ上の29歳。

 『なんで職業モデルじゃないんですか』と誰もが言うほどのスタイルの良さに、肩まで伸びた髪がより美しさを強調している。美人とはまさにこの人の事を言うのだろう。

 ぶっちゃけ下手な女優さんより全然美人だし、もうすぐ30とは思えない若々しさの持ち主だ。

 噂によると彼氏はいないとか。

 それよか数々の男性からアピールされているのに目もくれない態度らしい。

 見たことないのでどこまで本当なのかわからないが。


「家の場所教えてくれれば朝ごはんくらい作りに行くのに」

「そうやって勘違いさせるから変な男が寄ってくるんですよ」

「あら、こんなこと言うの八雲くんにだけよ」

「冗談はよしてください。こないだ一ノ瀬さんに個人情報全部教えようとした男がいるって聞きましたよ」

「へぇ、八雲君はそんな根も葉もない噂を信じるのね。ガッカリだわ、部下として」

「う‥‥‥」

「もういいわ。今後あなたの頼みは一切聞かないことにするわね」

「まっさか~一ノ瀬さんに限ってそんな事するわけないですよね~? まったく誰だよそんなくだらないデマ流した奴は~」

「そうよね! さすが私の優秀な部下ね! 関心しちゃうわ!」


 いや、ぶっちゃけ本当の話だからな。

 一ノ瀬さんが全部しかけたわけじゃなく、単に男が一ノ瀬さんラヴ過ぎて先走った行動らしいけど。

 勘違いをさせるようなこと言ったのではないかと俺は思っているがな。

 でも、こんな人に家の住所教えろって言われたらなんの疑いもなく教えてしまうだろうな。

 個人情報全部教えようとした男性の気持ちもわからなくもない。

 

「では、後ほど」

「あ、待って」

「なんですか?」

「コーヒー飲む?」


 一ノ瀬さんは自分の飲み半端のコーヒーを俺に差し出す。

 なんの意図があるかわからないが、誰の飲み半端でも普通に飲みたくない。


「いりません。自分潔癖症だし、コーヒー苦手なので」

「‥‥‥そう」


 潔癖症なのは嘘だが、こう言わないと引いてくれない女性なのである。

 俺がそう断った次の瞬間、一ノ瀬さんはぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。


「ぬるいわね。まるで私に対する八雲くんの気持ちみたい」

「俺は誰に対しても生ぬるいですよ」

「あなたが入社してからずっと連れ添った仲なのに、その気持ちを沸騰させられないなんて炎失格ね」

「他の男性は沸騰させてるみたいですよ。俺は水のように温まりにくく冷めにくいので」

「そう、のね」

「ええ、深い意味はないですが」

「いい事聞いた。それじゃ、またね」

「失礼します」 


 俺は彼女の考えていることがわからない。

 確かに一ノ瀬さんには俺の教育係としてずっとお世話になっていたが、あくまでも部下と上司の関係でありそれ以上の関係を築く必要はないと持っている。

 一ノ瀬さんも彼氏作ろうと思えば秒でできるはずなのに、俺にばかり執着する理由がわからない。

 仕事でも男性と話しているのあまり見たことないし。

 なんだかよくわからないまま自分の席へ座り、仕事にとりかかった。

 



「ん~どうしたら彼の気を引くことができるのかしら」

 

 事務所へ向かう彼の背中を見て、思わずそんな声が出た。


「さすがに私の気持ち理解してくれているよね?」


 あれだけアピールしているのにと、一ノ瀬はどこに向けたらいいのかわからない悔しさがじわじわと込みあがってきた。


「押してダメなら引いてみろ、なんて言うけれど実際そんなにうまくいくのかしら?」


 いろいろ考えたがこれと言った攻略法が思いつかない。

 そこで彼が言ったセリフがどうしても引っかかり、頭から離れなかった。


「冷めにくい‥‥‥か。なら一度温めたらこっちの物ってことよね。ふふ、まだ焦らなくてもいいわね」


 一ノ瀬はまだ知らない。

 彼には家政婦とはいえ、同棲している人がいることを。

 

 一ノ瀬がそのことを知るのはまだ先の事かもしれない。

 

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