第3話GOD BLESS YOU

【三話】

 教室の窓から見える空は一面雨雲だった。

 雨の日でもバスを使わなくなってから一週間。七日の内、四日も雨が降った。

「久しぶり」

「あぁ」

 部活が終わって廊下を歩いていると、向こう側から最近顔を合わせない彼女がやって来た。

 来た、と思うのは己惚れか。

 ただ彼女も出口を目指しているだけなはずだ。

「最近見ないね、アンタ」

「バス使ってないしね」

「まさか本当にカッパ着てるの?」

「レインコート。──お前が言いだしたんだろ」

 まあ、そうなんだけどね、と彼女が僕の背の方向を指さす。

 一階へと続く廊下とは逆方向だ。

「ちょっと付き合ってよ」

「どこへ?」

「教室。忘れ物しちゃった」

 僕の返事など待たず、彼女は歩き出した。湿気に満ちた廊下に、足音が響く。この長い廊下に今は僕と彼女しかいない。そう言えば、部活動の声や音なんかも全く聞こえてこない。いつもなら、この時間は片づけやバスに間に合うための走る生徒で騒がしい時間帯のはずなのに。

「僕がついていく意味あるのかよ」

「いいから」

 早打ちの足音を追いかけて、僕の音も追加する。

 ここで渋って、時間をロスすれば彼女はバスを逃すことになる。そうなれば、次にバスが来るのは一時間後だ。雨のバス停で突っ立たせることになることを考えれば、黙って従ってあげたほうが後味はいい。

 誰ともすれ違わずに教室の前へと辿り着いた。

「やっぱり開いてないか」

 横開きのドアには鍵がかかっている。

 完全下校時刻は過ぎている。最後に教室を出た人が鍵を閉めて行ったのだろう。天井を見れば電気も消されている。日が高くなってきている時期だけれども、太陽は雨雲に遮られていて、僕たちのいる校舎まで陽の光を届けてはくれない。

 薄暗い廊下に僕たち二人。

「上からならいけるね」

「は?」

 上?と僕が聞けば、彼女が教室の大窓の上にある人一人が通れそうな通気窓を指さす。

 わずかに隙間が開いていて確かに、そこからなら入れる。出るときは鍵を開けて出るか、また同じように出ればいいだけだ。

 上まで届けば、だけど。

「じゃ、あんたが下ね」

 今日二度目の。

「は?」

 上靴を脱いだ彼女がニッと笑って僕の足元を見ている。つまるところ、この場で四つん這いになって足場になれと。

 いや、いやいや。

「ほれほれ、早く早く。人が来ちゃう」

「そんなこと心配するなら素直に鍵を取りに行けよ」

「いや、どう見られたってヤバいのあんたでしょ?」

「人に膝付かせてその上に乗る女もヤバいでしょ」

「そーかも。なおさら早く!ほら、見られる前に!」

「響く響く」

 廊下には誰もいないが、その端の階段や途中の教室に誰もいないとは限らないのだからやめろ。

 そうも言ったって最終下校時間は過ぎている。今、職員室へ鍵を取りに行くのもまた面倒なことに変わりはない。

 僕は廊下に手と膝をつく。

「失礼っ」

 と、僕の背中に彼女の足が乗っかる。

 階段を踏むように、片足から。

 うわっ、これ予想以上にヤバいな。

 客観的に見た姿もたぶんヤバいけれど、背中に感じる感触もヤバい。実はもっと固いものを創造していたけれど、意外に柔らかくって沈む……と言うか、背骨が彼女の足裏に食い込む……。

「乗るよ」

 既に乗せられていた片足を踏み込ませて、もう片方も乗っかってくる

 これで、完全に背中の上に彼女のが立ったことになる。

「どう?届きそう?」

「いや、無理。ぜんぜん届かない」

「は?」

 少しでも気を緩めれば崩れてしまいそうで、顔を横向けることすら難しい。それでも何とか窓を見れば、そのレールには指すら届いていない。

「……」

「……あんた、背低すぎ」

「関係ねえよ!」

 誰だって四つん這いになれば低くなるわ。

「立ち上がらないと無理だろこれ」

「くっそー、やっぱそうなる?」

「素直に鍵取りにいく?」

「いや、それも面倒くさい」

「じゃあ、どうするんだよ」

「う~ん……」

 僕の背中の上で、彼女は腕を組んで考え始める。届かないことわかったんだから降りろよ。

「立って。肩車して」

 彼女が降りて、僕がしゃがむ。ここまで来たらもう何でもやれ、だ。

 上靴を脱いだままの脚が僕の肩にかかる。

 色々。絵面はさっきよりもマシだけど、実感と言うか感触に来るインパクトはこっちのほうが強い。

「あー、これスカートだとやりにくいな……。まあ一瞬だからいいか」 

 うなじに、広がり張った布が押し付けられる。それが邪魔して、彼女は重心を預けられないのか、脚を胸の前で結んでバランスを取る。

 立ち上がる。

 少しぐらつくが、肩車自体は成功。それでも、やはりと言うべきか彼女の指は窓に届いていない。

「ちょっと踏ん張ってね」

 と、彼女が脚の結びを解いて、立ち上がった。肩の上で。

「おい⁉」

 慌てて、前に体を傾けて、窓に手をついて後ろ向きに倒れることだけは阻止。

「おっと、けどナイス。届いた」

 そこからが見事だった。

 彼女は小さな通気窓を開けて、懸垂の要領で腕力のみで体を持ち上げ、上り、体をくぐらせ、教室内に入れば、レールを掴んだまま身を回し、脚を下に向けてそのまま着地。

「ちょっと待っててね」

そのまま教室内への侵入を果たした彼女は息一つ乱さぬまま自身の机へと向かっていった。

 そう言えば、彼女が何を取りに来たのか訊かぬままだった。僕がついていく意味も、結局彼女は答えてくれていない。

「別にいいけど」

 目的が無かったら動かない人間ほどに落ちぶれてはいない。自分への利益だけに縛られている人間ほど、人生詰まらないわけじゃない。

 だけど、今は違う。

 今日、今、このときは違う。 

 目的や利益、そんな言葉でなくともいい。扇いだうちわの風が台風になって休校になれ。海面に石を投げて広がった波紋が大きな波になってアトランティス大国を出現させろ。そこまで大袈裟じゃなくてもいい。

 ただ、そう。

 今日、この彼女との教室侵入が、これからに少しでも〝楽しい〟を増やしてくれないだろうか、とそう思う。そしてそれは、できれば彼女と、であってほしいと願ってしまうのは無自覚だとも願っている。自覚すれば本物だから。気の迷いですまなくなる。

「何を取りに行ったのか」

 ……それが、少しでも楽しいや幸いを増やしてくれるものであればいいのだと。そう思う。

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確かめに行こう(仮) 白夏緑自 @kinpatu-osi

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