第2話 アメハネナイ

 不良高校に入学しなかった僕は無事、平和なクラスメイトたちと仲良くやっていけている。彼らはニコチンやシンナーに夢中になる暇などない。汗や情熱を捧げることに忙しいのだ。それは、部活動に強制加入という校則によっての結果かもしれないが、捧げていることは事実だ。僕も例外ではない。

「その内容が煙草を吸った俺と向かい合って仲良く博打を打つことですか」

「いいじゃないですか。そのおかげで先生も面倒くさい部活指導から逃れられているんですから」

「そうですよ、先生。私たちは面倒な部活から離れさせてくれる代わりに、先生の喫煙を黙認している。持ちつ持たれつやっていきましょ」

 そう言ってディーラー役の司書先生が二枚ずつトランプを配っていく。

 受け取って、手札を見る。

 手元に来たのは♥⒑と🍀K。

 ルールは場に置かれた全員が見ることと使うことができる五枚のコミュニティーカードと、個人に配られたその人にしか見ることができない二枚のホールカード、計七枚から最強になるように五枚を選び、どれだけ強い役を作れたか競うテキサスホールデム。

 現状、五枚のコミュニティーカードは伏せられたままであり、手元の二枚から勝負に乗るか、降りるかを決めなくてはならない。

 二枚でいきなりワンペアができるとは考えていない。それはここにいる三人同じだろう。大事なのは、手元にあるカードが強いかどうか、だ。

 強ければ、例えオープンになった五枚で役が作れなかったとしても、勝負することはできる。相手も役ができていないことを望まなければいけないが……。

 ともかく、勝負するかしないかの判断の段階が今だ。

「んじゃあオールイン」

 十枚単位でベットしていくチップを、先生は千枚全て差し出してきた。チップ一枚、一円。つまり、千円全額を賭けてきた。

 まだ二枚しか明らかになっていないこの段階で。

 勝負に出るのが早すぎる。

 いや、勝負を仕掛けてきたのか。

 大勝負を仕掛けてくるときは、勝ちを確信しているか、手札がブタなのでプラフをかけてきたか。大方この二つの意図をよむことができる。

「私は降りるわ~」

 司書先生が手札を机に置き、初期ベッドのチップ二〇枚を机中央に寄せる。

「お前はどうする?」

 そりゃあ、こんなの降りるでしょ。

 いや、けど、プラフか……?

 普通に考えて、たった二枚でこんな大勝負を仕掛けるのは無謀すぎる。

 情報量が少なすぎる。

 これは適切な情報を得て、適切な推測をして、適切な勝負を仕掛けるゲームだ。

 だけど、どこまで行ってもこれは博打。絶対はない。だからこそ、勝つためにできるだけ多くの確実を求めるのが定石だ。

 ここのどこに、その定石がある?

 無いだろ。早すぎる。展開が。エンジン全開にふかしても、待っているのはガス欠だ。持ち金全てベットするようなこんな大勝負、次は無い。

そう、次は無い。

 僕がこの勝負に乗って、仮に勝ちでもしたら、先生はこのゲームそのものに負ける。当たり前だ。自身の持ち金全てを失うのだから。

 そもそもベッドを繰り返していくゲームは如何に持ち金を増やしていくか、だ。手札に自信があれば釣り上げて、最終的な取り分を多くしていく。こんな一気に、それも最序盤で決めてかかるものじゃない。

 少なくとも、まだ己の手札が二枚しか公開されていない時に行うことではない。

 だったら、なぜ、それを行う?

 単純に手札がよかったから?

 だったらなおのこと、僕を勝負に迷いなく誘うべきだった。現に司書先生はビビって降りている。

 実は弱いからプラフをかけてきた?

 それを行うには早すぎる。手札が揃ってからでも遅くはないはずだ。

「どうするの?」

 司書先生が促しをかけてくる。

ディーラー役の彼女はゲームを円滑に進めるのも役割だ。

「……、僕は、」

 と、そこで完全下校時刻を告げる長めのチャイムが雨音を上書きするように響きだす。

「はい、時間切れ―。お前、考えすぎ」

「すみません……」

「まあ、いいや。さっさと帰る準備して帰れ。バス無くなるぞ」

「あ、いや、今日はレインコート持ってきたので」

 だから、バスの時間は気にしなくていい。

「あ、そう。だけど、早く帰れよ。校門抜けるの遅いと俺が怒られる」

 いつものように先生二人はカードを置いて席を立ち、島にしていた椅子や机を片づけ始める。

 カードやチップを直すのは僕の仕事だ。

 ふと、気になって先生の手札を見た。

 結局、あれは自信の表れだったのか。それともプラフだったのか。

 ♥の2と🍀の4がそれだった。

 結果で言えばプラフだ。この二枚だけでは、到底勝てる算段をつけることはできない。

 ならば、コミュニティーカードはどうか。

 ♠8、♠3、♥K、♠⒑、♥4。

 僕が2ペア。先生が1ペア。

「おお、乗っていれば勝ちだったね~」

「あ、司書先生はこいつの味方?」

「そりゃあ私は生徒の味方ですからね~」

「つまり、今日の勝負は孤軍奮闘した俺の一人勝ち、と」

 ほれ、と右と左の手をそれぞれ僕と司書先生の前に出してくる。

「千円」

「うわ、勝負は流れでしょ」

「いやいや、お前の熟考のせいでそうなっただけだから。つか、時間切れはペナルティ負けだろ。つーわけで、全額寄越せ」

「汚ねぇ……」

 だいたいな、と先生が口を開く。

「情報が少ないからって考えるだけ考えて、結局時間切れじゃ意味ないだろ。決めるときは、と言うか、何かを決めないまま、決めるべきことが終わってしまったら、それこそ全てが無駄だ。お前の悪い癖だよ」

「あら、私は考えることはいいと思いますよ~?可能性の追求は、将来の選択を広げますから」

 机は元の通りに並べられ、片づけたチップとカードは持ち主の司書先生に渡す。財布を持ち歩いていない先生は受け取った二千円をポケットにねじ込む。

 最後にエアコンと電気を切って、入念にファブリーズをふりかければ教室を出て、廊下の埃っぽい匂いを肌で感じ、そこから先生たちと逆方向に歩いて駐輪場まで向かう。

 途中、玄関でレインコートを着込み、ガラスに写るこの姿に、あいつが見たら何て言うか。

 考えて、やめた。

 先生の言葉じゃないけれど。

 自転車に乗りながら、フードの中を跳ねまわる雨音が無駄だと教えてくれた。

 あいつと話すときは傘をさしている時だけだから。

 この姿を見られることなんて無いのだから。

 考えるだけ無駄だ。

 そう言えば、これからも雨の日はレインコートを着て自転車通学をすれば、もうあいつとあんなに話すことも無いのか。

 そう言えば、教室を出るときもまだ楽器の音が少し聞こえていた。

 そう言えば、もうすぐ地方大会の決勝だったか。

 バスには時間通り乗れたのだろうか。

 乗れなかったとしたら、彼女は何をして待つのだろうか。

 交差点の直前で赤信号が青信号に代わった。

 一時間に一本。長い時間。

 また、赤信号が青になった。渡る。

 どうしようか。

 振り返れば、青信号が赤になった。

 家も、すぐそこだった。

 反対車線に、雨の日限定でお世話になっているバスが見えた

 ここからどこかで左回りに道を征き、彼女を乗せるのだろう。

 迷いは捨てて、前を見て、ペダルを漕ぐ。

 バスの音は雨音に消されるより先に聴覚の範囲から出ていった。

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