十九曲目『傷つきたくない卑怯者』

「な、なん、で……?」


 間違いない。目の前にいるのは、あたしをイジメていたグループの主犯格の女の子だ。

 腕を組みながらジッと睨んでいるその子の表情は、明らかにあたしを恨んでいるような顔だった。

 思わず足を止めて、その子を見つめる。そして、イジメられていた時の記憶がフラッシュバックした。


「あ、あ……」


 ワナワナと唇が震え、冷や汗が流れる。鞭を受けた傷の痛みを忘れるぐらい、気が動転していた。

 すると、その子はギリッと歯を鳴らす。


『あんた、本当に生意気。まるで自分は他とは違うみたいな顔して、気に食わない』


 その言葉は、過去にその子があたしに言った言葉だ。

 言葉を返そうとする前に、その子はあたしへの恨み言を続ける。


『ちょっと顔がいいからって、調子に乗らないでよ。なんで、あんたみたいなのが……ッ!』


 そして、その子はあたしに向かって何かを投げつけてきた。

 それは、水が入ったバケツだ。


「きゃッ!?」


 突然のことで避けられず、バケツがお腹に直撃する。

 重い衝撃と破裂した水が体を濡らし、地面をゴロゴロと転がった。


「う、ぐ……ッ!」


 今のは、本当にバケツだった? まるで水の塊・・・がぶつかってきたみたいだ。

 お腹に響く鈍い痛みに咳き込んでいると、リリアの笑い声が聞こえてくる。


「うふふ、うふふふふふ。どうしました、やよい?」

「まさか、今のって……」

「えぇ、私が放った<アクア・ボール>ですよ。手加減したのに避けられないなんて、もしかして__何か別の物・・・にでも見えましたか?」


 やっぱり、今のは魔法だった。

 そっか、部屋に充満している匂いで幻覚を見てるんだ。だから、アクア・ボールが水が入ったバケツに見えたんだ。


「この、卑怯な真似して……ッ!」

「卑怯? ふふ、おかしなことを言いますね。匂いによる幻覚を見せ、相手に絶望を味合わせる。そして、その絶望している姿を見ながら、一方的に相手をなぶり殺す。それこそが、私の戦い方ですよ」


 リリアの姿が見えなくなり、笑い声が反響して聞こえてどこにいるのか分からない。 

 だけど、この部屋のどこかにいるのは変わらない。

 だったら、どうにかしてリリアを見つけ出して、倒すしかない。


「ふっふっ、ふー」


 小刻みに息をしてお腹に響く鈍い痛みを抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 リリアの魔法のせいで濡れた髪を振り、斧を構えた。


「目に見えているのは、全部幻覚。なら、その幻覚ごと振り払ってやる!」


 床を蹴って、目の前にいる女の子__幻覚に向かって、斧を振り上げる。

 すると、女の子は恐怖に染まった顔で尻もちを着いた。


『ヒッ、きゃあぁぁッ! や、やめて、殺さないで!?』

「__ッ!?」


 悲鳴を上げる女の子を見て、思わず振り上げた斧を止める。

 幻覚だと分かっているのに、リアル過ぎて振り下ろすことが出来なかった。


『ふふ、バーカ』


 斧を振り上げた状態で止まっていたあたしに、その子はニヤリと笑みを浮かべてバカにしてくる。

 そして、その子の顔を通り抜けながら、あたしに向かって鞭が襲いかかってきた。


「ギャンッ!?」


 避けられず、右肩を鞭で打たれて鋭い痛みが身体中を駆け抜ける。

 あまりの痛みに背中から床に倒れ込んで、右肩を手で抑えた。


「痛、い……」

「ふふ、うふふふふふふふふふふ。いいですよ、いい悲鳴ですよ。あぁ、やよい。あなたの悲鳴は心地よいです」


 ズキズキと痛む右肩から流れた血が、腕を伝って床にポタポタと滴る。

 反響するリリアの笑い声が、耳障りだ。

 さっきまで目の前にいた女の子の姿が霧散すると、今度は五人の人影が現れた。

 主犯格の女の子を含めた、あたしをイジメていた四人の女の子。その五人は床に倒れているあたしを見下ろしながら、クスクスと笑っていた。


「あいつらは、幻覚。リリアが見せている、幻」


 自分に言い聞かせながら、体を起こす。

 頭では幻覚だって分かっているのに、本当に目の前にいるみたいだ。

 五人の視線、嘲笑う顔、その全てが蓋をしていた過去の記憶を呼び起こさせる。


「く……このぉッ!」


 呼び起こされた記憶を振り払うように、起き上がりながら斧を振り上げた。

 だけど、五人の女の子たちはニヤニヤと笑いながら、あたしに向かってまた何かを投げつけてくる。

 それは、ボールだった。

 五人の女の子たちが投げたボールが、真っ直ぐにあたしに向かってくる。

 慌てて振り上げていた斧をすぐに戻して、飛んできたボールを防いだ。


「う、ぐ、ぐぅ……ッ!」


 ボールを防いだ斧に、重い衝撃が伝わってくる。

 どうにか堪えていると、破裂したボールが風の刃になってあたしの体を切り裂いてきた。


「いッ、たぁッ!?」


 腕や肩、足が風の刃に切られ、血が噴き出す。

 身体中に走り抜ける鋭い痛みに、また床を転がった。

 今のはボールじゃない、多分だけど風属性魔法のウィンド・スラッシュだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 傷だらけで血塗れになりながら、息を整えて痛みを堪える。

 風の刃がボールに見えるなんて、と思った瞬間__。


 学校の体育の授業で、思い切りボールを投げつけられた時の記憶が蘇った。


 その時はたしか、あたしをイジメていたグループに命令されて、クラスメイトの全員があたしに向かってボールをぶつけてきた。

 偶然を装い、何度も何度もしつこくボールをぶつけられたあたしは、それから体育の授業をサボるようになった。

 その時の記憶が蘇り、心がズキッと痛む。

 すると、またリリアの笑い声が反響して聞こえてきた。


「うふふ……やよい、酷い顔をしていますよ? まるで心の傷を抉られたかのような、とても唆られる顔です」

「う、ざい、っての……あんたも、あいつらも……ッ!」


 過去の記憶に、リリアの声に、怒りがフツフツと込み上げてくる。

 震える手を支えに起き上がろうとすると、背中に鋭い痛みが走った。


「アギャッ!?」


 今のは、鞭だ。

 背中に思い切り鞭で打たれ、起き上がろうとした体が床に潰れる。

 あまりの痛みに息が出来なくなっていると、二度、三度と何回も背中に鞭が打ち込まれていった。


「ギッ! アッ! アァッ!」

「うふ、うふふふ、うふふふふ! ほら、ほらほら、ほらぁ! どうしたんですか、やよい! 早く起き上がって下さい! ほらぁッ!」


 興奮して熱を帯びた吐息と共に、リリアは嗤いながら鞭を何度もあたしに振り下ろしてくる。

 声も出なくなり、ただ亀のように丸まりながら耐えるしかなかった。

 すると、鞭を打たれているはずなのに__取り囲んだ五人の女の子たちが、あたしを踏みつけている姿が見えてくる。


『死ね! あんたなんか、死んでしまえばいいんだ!』

『調子に乗るな、このクソ女!』

『お前なんか、いなくなればいいんだ! 二度と学校に来るな!』


 背中を踏みつけられ、蹴りつけられ、罵倒を浴びせられる。

 肉体的にも、精神的にも痛めつけられていく。

 あの時のように、抵抗出来ない。やり返すことが出来ない。


「う……うぅ……ッ!」


 涙が、こぼれ落ちた。

 イジメられても泣かなかったのに、涙が止まらなかった。

 ザザッと脳裏に雑音が響くと、あの日の光景が浮かび上がってくる。


 机の落書き、ボロボロに切り刻まれた教科書、ゴミ捨て場に捨てられたカバン。

 クラスメイトたちからの冷たい視線、何もしてくれない教師の顔、イジメてくる女の子たちの笑い声。

 

 記憶の奥底に閉じ込めていた記憶が、逃げ出した学校の光景が、あたしの心をめちゃくちゃに切りつけてくる。

 

「や、め……て……」


 何も感じないはずがない。無視することなんて出来るはずがなかった。

 それでも、学校ここはあたしの居場所じゃない。そう思うことで、目を逸らして逃げ出した。


 あぁ、そうだ。あたしはずっと、こう言いたかった。


「お願いだから、やめてよ……ッ!」


 やめて欲しかった。放って置いて欲しかった。

 あたしが何をしたって言うの? あなたたちに何かした?

 あたしはただ、自分が好きなものに素直になりたかっただけなのに。無理やりあなたたちの好きを、常識を押し付けて欲しくなかっただけなのに。

 

 なのに、どうしてあたしをイジメるの? 嫌いなら、放って置いてよ。


「やよい。どうして私があなたのことを気に食わないのか、分かりますか?」


 リリアの声が、聞こえてくる。

 そんなの、分かる訳ないでしょ?


「それはですね……あなたのはっきりしない態度・・・・・・・・のせいですよ」


 はっきりしない、態度? 何に対しての?


「__タケルに対してですよ。あなたは、タケルのことをどう思っているんですか?」


 タケル? あたしと同じで音楽が大好きな、あたしの仲間。年上の、男の人。


「あなたは自分の本心に気付いているはず。なのに、それを見て見ないフリしている。それが、腹が立つんですよッ!」


 空気を弾けさせながら、今までで一番強く背中に鞭が打ち込まれる。


「まるで、タケルが自分の物のように! 恋人でもないくせに、醜い独占欲を出して! 浅ましい!」


 また、鞭が打ち込まれる。

 痛みだけじゃない、リリアの怒りが伝わってくる。


「どっち付かずで、優柔不断で! 本心から目を逸らす卑怯者! それなのに、独占欲と執着心に塗れた浅ましさ! あぁ、苛立たしい……気に食わない!」


 リリアの言葉が、胸に突き刺さる。

 

「一人の男として好きでも愛してもないのなら! 仲間や友達などと、幼稚な子供のような想いしかないのなら! 私の恋路を邪魔するな!」


 力強く打ち込まれた鞭に、体が床を転がっていく。

 手も足も力が入らない。痛みももう、感じなくなっていた。

 だけど、リリアの言葉にだけは__ずっと心に痛みを感じている。


「タケルは私の物です! 私はタケルを愛しています! 女として、私はタケルが欲しい! ずっと、ずっとずっと、ずっと! 私はタケルを愛したい! タケルに愛されたい! タケルの苦悶に歪む顔が見たい! 悲鳴を聞きたい! 壊したい! そして私も、タケルに肉欲のままに貪り尽くされたい! 壊されたい! 獣のように情欲に塗れながら、愛し愛されたい!」


 理解出来ない狂気と異常なまでの加虐心、色欲と愛欲に囚われているリリア。

 その想いは一般的な形ではないけど__間違いなく、一人の女としての愛だった。


「あぁ、タケル! 私のタケル! あの真っ直ぐな瞳、真っ直ぐな心根、程よく鍛えられた体、男らしい体臭! その全てが欲しい! 欲しい欲しい欲しい! なのに、あなたはまるで自分の物かのようにタケルに近づく女に嫉妬し、執着している! あぁ、妬ましい! 浅ましい! 憎たらしい!」


 霞む視界の中、リリアの足元が目の前に見えた。

 リリアは尖ったヒールであたしを踏みつけながら、怒りと狂気に染まった瞳で見下ろしている。


「タケルは優しい人です。だから、あなたが助けを求めればすぐに助けに行くでしょう。あなたが困っていれば、どうにかするでしょう。ですが、それは恋心ではない。それはただの、庇護欲・・・……仲間や妹に向ける感情です」


 そう吐き捨てながら、リリアはあたしを蹴った。


「あなたは一人・・なんですよ。仲間がいようとも、あなたは孤独・・です。本心から目を逸らし、現実から逃げて自分の殻に閉じこもっているだけ。結局、あなたは何も見ようとしないで逃げ回っている、哀れな存在なんですよ」

『周りの奴らなんて興味がない、自分は他とは違うみたいなその態度。ただのボッチのくせに、調子に乗らないでよ』


 リリアの言葉に、過去にイジメてきた女の子の言葉が重なる。

 言葉は違うけど、その本質は同じだ。


 あたしは、自分から孤独になったんだ。


 学校から、クラスメイトから、現実から、目を逸らしていた。

 誰も自分を理解してくれないから、自分だけの世界を作り出して閉じこもっていた。

 自由を求めたのは現実逃避。音楽に救われたんじゃなくて、音楽に逃げた・・・んだ。

 今まではRealizeのみんなが、タケルが助けてくれた。だけど、今は誰も助けてくれる人はいない。

 だから、こうやって一人になると本当の自分が露わになる。


「あなたはただ、傷つきたくない・・・・・・・だけです。この、臆病者」


 あぁ、そうだ。リリアの言う通りだ。

 あたしは傷つきたくなかった。世間一般の女子とはズレていると分かって、周りから否定されるのが怖かった。

 だから、あたしは周りを無視した。逃げ出した。自分の世界に閉じこもった。

 

 そうすれば、傷つかなくて済むから。


「もういいです、飽きました。やよい、これでお別れです……死んで下さい」


 リリアの声が、遠くなる。

 このままあたしは、ここで死ぬんだろう。


「安心して下さい。タケルは私が、大事に大事に愛しますこわしますから」


 タケルが、リリアの物になる?

 そんなの、許せるはずない。


 ……どうして?


「あ、たし、は……」


 掠れた声で、呟く。

 あたしにとって、タケルって何? あたしにとって、タケルはどんな存在?

 友達? 仲間? 頼れる兄貴分?


 __違う。違うはずなのに、それ以上の言葉が出てこない。


 怖い。何が怖い? 傷つくのが怖い。どうして傷つく?

 分からない。分かりたくない。自覚したくない。


 怖いから、見たくない。


「はは……あたしって、バカだなぁ……」


 もう、どうでもよくなった。

 全てを諦め、ゆっくりと瞼を閉じる。


「__ねぇ、やよい。本当にそれで、いいの?」


 ふと、聞き覚えのある優しい声が聞こえた。

 真っ暗になった視界に、ふわりと暖かな光が見える。

 光は少しずつ近づいてきて、人の形になっていった。


 そして、その姿は__あたしが知っている、一人の女の子だった。


 __シラン?


 薄い緑白色の長い髪をした、白い肌の女の子。

 シランは、優しい眼差しであたしを見つめていた。



 

 

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