十八曲目『色欲の王女』
「きゃッ!?」
黒い渦に巻き込まれそうになってタケルに向かって手を伸ばしたけど、掴むことが出来なかった。
そのままバランスを崩して、顔から床に倒れ込む。
「あいたー、鼻打ったぁ……」
痛む鼻を手でさすりながら、周りを見渡してみた。
薄暗くて、どこか不気味な場所だ。それに、一番気になることがあった。
「うわ、何この匂い……甘ったるー」
むせ返るぐらい甘い匂いが充満してて、思わず鼻をつまむ。
ここはどこなんだろう、と思っていると__。
「あら、いらっしゃいませ」
女の子の声が聞こえてきた。
慌てて立ち上がって、魔装を展開。エレキギターを構えていると、暗がりからヌッと人が現れた。
その姿を見て、思わず目を丸くする。
「あなた……リリア?」
現れたのはマーゼナル王国の王女、ミリアの双子の姉__リリアだった。
綺麗な金髪を縦ロールにした、あたしと同い年ぐらいの女の子。
だけど、あたしが知っているリリアとは、別人じゃないかと思うほど変わっていた。
「うふふ……お久しぶりですね、やよい。お会いしたかったですわ」
クスクスと口元を手で隠しながら妖しげに笑うリリアの格好は、細い四肢を露わにした、締め付けるように体のラインがはっきりと分かる、黒革のボンデージ姿。
ハイヒールのロングブーツを履いて、その手には鞭を持っているその姿は、いわゆる女王様のような格好だ。
「うわ、趣味悪……何、その格好?」
「あら? 似合いませんか? 私は気に入ってるんですけど」
悪趣味な格好にウゲッと顔をしかめると、リリアは首を傾げながらボンデージを押し上げている胸を優しく撫でていた。
なんか、見せつけられているようでムカつくなぁ。
ジトッと睨んでいると、リリアはまたクスクスと笑みをこぼす。
「あらあら、ごめんなさい。最近、胸が大きくなってキツくなってきたもので」
「へ、へぇー、そうなんだー、よかったねー」
やっぱり、見せつけてたんだ。
思わず自分の胸を腕で隠しながら、頬を引きつらせる。
すると、リリアはニタリと妖しく笑った。
「やよいは育っていないようですね、お可哀想に……その大きさは小さすぎますが、それが好きだという物好きも世の中にもいらっしゃいます。気にすることはありませんよ」
「喧嘩売ってるよね? 売ってるね? 売りやがったな?」
確実に喧嘩を売ってきたリリアに、あたしはギターのネックをミシミシと握りしめる。
別にあたしは小さくないし。Bはあるし。ギリギリだけど。
爆発しそうな怒りを堪えていると、リリアはやれやれと肩をすくめた。
「怖いですわね。本当のことを言われてすぐに怒るなんて、淑女としての自覚をお持ちになった方がよろしいですわよ?」
「それはどうも、ご親切に……ッ!」
「いえいえ、お気になさらずに。私とやよいの仲ではありませんか」
「別に、あんたと仲良くなった覚えはないけど?」
鼻を鳴らしながら言い返すと、リリアは三日月のように口角を引き上げながら笑う。
「えぇ、そうですね。私もあなたと仲良くなったつもりはありません。むしろ__気に食わない相手です」
そう言うと、リリアはパチンと指を鳴らした。
同時に、壁にあったロウソクに火が灯り、薄暗かった部屋を照らす。
そこにあったのは、拷問器具だった。
黒く変色した血が至るところに付着し、使い古されている雰囲気を醸し出している器具を見て、ゾクッと寒気が走り抜ける。
それでも、恐怖を抑えながら引きつる頬をどうにか上げて笑ってみせた。
「へ、へぇ、それは奇遇。あたしも、あんたが気に食わなかったんだ」
「本当に奇遇ですね。もしかしたら仲良くなれそうです。するつもりはありませんが」
「あたしもするつもりはないっての……ッ!」
敵意を剥き出しにしているリリアに、あたしはギターを構える。
すると、リリアは手に持っていた鞭を振って、パチンと音を立てた。
「……本当、悪趣味」
「うふふふふ、そうですか?」
吐き捨てるように言ってやると、リリアは気にした様子もなく笑っている。
余裕そうなその態度も、気に食わない。
いつでも動けるように足に力を入れていると、リリアは思い出したように口を開いた。
「あぁ、そうでした。ねぇ、やよい……
「__は?」
こいつ、今、なんて言った?
唖然としながら、無意識に手に力が入る。
リリアはクスクスと笑いながら、ゆっくりと胸を撫でていた。
「ですから、私のタケルですよ。あぁ、あなたではなく、タケルに会いたかったですわ」
「私の、タケル? いつから、あんたのものになったっていうの?」
「最初からですよ。お父様があなたたちを召喚したその日から、タケルは私のものです」
そう言ってリリアは頬を赤く染め、恍惚とした表情でボンデージ姿の自分の体を撫で回す。
「あぁ、タケル。私の可愛い可愛い遊び道具。あの真っ直ぐな目を、恐怖と絶望の色に染め上げたい。私のこの体で骨抜きにして、私なしでは生きられないようにしたい。私の靴を舐めさせて、飼い慣らしたい。拷問し、悶え苦しませ、あの声を苦痛と悲痛の叫びに変えたい……あぁ、タケル。タケルが、欲しい」
息を荒くさせ、涎を流しながら、リリアは自分の体を抱きしめながらモジモジと足を悶えさせる。
ボルテージに身を包んだ体を、胸を、下腹部を。
まるで自分じゃなく別の誰かに撫で回されているように、リリアは興奮しながら手を動かしていた。
その別の誰かは多分__タケルなんだろう。
堪えきれなくなった怒りに身を任せ、ギターを床に叩きつける。
「何を一人で発情してるのよ……この色情魔」
「あら、酷い。私はただ、愛しのタケルのことを想っているだけですわ」
「だから、タケルはあんたのものじゃないっての……ッ!」
はっきりと、分かった。
この女は、
純粋な恋や愛じゃない、愛欲と愛憎に狂った色情魔だ。
同じ女として、気持ちが悪い。こんな奴にタケルを渡す訳にはいかない。
ギターを斧として振り被り、地面を蹴って走り出す。
「あんたをぶっ飛ばして、みんなのところに戻る! 邪魔するなら、容赦はしない!」
「うふふふふふ、怖いですわねー。怖いので__近づかないで下さい」
そう言ってリリアは、パチンと指を鳴らした。
その瞬間、グラリと視界が揺れる。
「う、え……?」
足に力が入らなくなり、膝が折れた。
思わず膝を着くと、頭がグラグラして視界がグルグルと回っている。
むせ返るような甘い匂いが、襲いかかってきた吐き気をさらに強くさせていた。
「な、に、これ……」
明らかに異常だ。
頭が混乱していると、リリアはクスクスとあたしを見下ろして嘲笑ってくる。
「どうかしましたか? 私をぶっ飛ばすのではなかったのですか?」
「あんた、何をした……ッ!」
「うふふふ、無知で愚かなあなたに教えてあげましょう」
リリアは私を見下ろしながら屈むと、胸元を指で下げながら谷間を見せつけてきた。
すると、そこからフワリと薄ピンク色のモヤが漂い、甘ったるい匂いが強くなる。
「私は研究者気質でして、色々と研究することが好きなんです。そこで、私が目を付けたのは__匂いです」
「に、おい?」
「えぇ、そうです。匂いとは、他の感覚とは違って脳に直接届きます。人間の本能、感情や記憶に密接に関係がある__最も感情を刺激する感覚、それこそが嗅覚なんです」
つらつらと説明しながら、リリアは胸元をパタパタと仰ぐと、さらに匂いが増した。
むせ返るほどの甘ったるい匂いの中、リリアはニタリと笑みを深める。
「そこで、私は匂いに関わるあらゆる研究をしてきました。人の感情を揺れ動かす匂い、本能を呼び起こす匂い、嗅覚以外の感覚を狂わせる匂い……その内、私は
そう言ってリリアは首元に流れていた汗を手で拭うと、軽く振り払った。
飛び散った汗は蒸気に変わり、薄ピンク色のモヤが辺りを漂う。
「自作の薬によって、少しずつ私は汗や体臭、吐息……匂いを分泌する物質を全て、改造によって変質させました。相手に
この部屋に充満していた甘ったるい匂いは、全部リリアの体から分泌されたものだった。
だから、その匂いを嗅いでしまったあたしは、こうして吐き気と怠さを感じている。
「本当、趣味が悪い……ミリアとは大違い」
双子の妹のミリアも、リリアと同じように研究者。だけど、その在り方は大違いだ。
同じ研究者のくせにここまで違うなんて、と思いながら力が入りにくい足に鞭を打ってゆっくりと立ち上がる。
「匂いが原因なら、息を止めればいいだけでしょ」
「残念ながら、それは不可能ですよ」
リリアはすぐにあたしの答えを否定すると、白い肌の細い腕を撫でながらニタリと笑った。
「人は、肌でも呼吸しているんです。なので、息を止めても意味はありません。それに、ずっと息を止めたまま戦えるとでも?」
「うぐ……」
バカにするように言われ、思わず言葉を詰まらせる。
だったら、やることは一つだ。
「なら、すぐにあんたをぶっ飛ばして終わらせるだけ!」
覚悟を決めて、地面を蹴ってリリアに向かって走る。
斧を振り被ってリリアに振り下ろそうとすると、リリアは呆れたようにため息を漏らしていた。
「そう簡単にやらせるとでも?」
リリアは手に持っていた鞭を振り回し、あたしに向かって伸ばしてくる。
慌ててギターのボディ部分で防ぐと、鋭い衝撃が襲ってきた。
「きゃッ!?」
「あら、可愛らしい悲鳴。それはそれで好みですが、もっと悲痛の叫びをお聞かせ下さいませ!」
あまりの衝撃に足を止めると、リリアはまた鞭を振り下ろして攻撃してくる。
すぐに床を転がって避けると、空気が弾けた音が響いた。
「こ、のぉッ! <アレグロ!>」
リリアは反応出来ていない。確実に当たる__ッ!?
「__え?」
当たるはずだった。
なのに、薙ぎ払った斧はリリアの体を通り抜け、空振りした。
目を見開いて驚いていると、目の前にいるリリアがクスクスと笑う。
「どこを狙っているんですか?」
「な、なんで……」
気付くと、リリアは目の前じゃなく__離れた場所に立っていた。
唖然としていると、リリアは肩をすくめる。
「まだ気付いていないようですね……あなたはもう、私の術中にハマっているんですよ?」
リリアに言われて、ようやく気付いた。
あたしの周りに、薄いピンク色のモヤが覆い尽くしていることに。
「あなたはもう、私の匂いの虜になっています。息を止めても、短期決戦を挑もうと……もう、遅いんですよ」
リリアはブンッと鞭を振り下ろし、あたしに向かって伸ばしてきた。
すぐに避けた瞬間、左腕に鋭い痛みが襲う。
「いッ、ギャァッ!?」
「あぁ、いいですよ、やよい。それです、その悲鳴です。まるで家畜が殺される時のような、その汚らしい悲鳴。それこそが、私好みの声です!」
避けたはずなのに、鞭はあたしの左腕に当たった。
左腕に痛々しい赤い一本のミミズ腫れが刻まれ、ジンジンと熱い痛みを発している。
涙目になりながら左腕を抑えていると、リリアはまた鞭を振り上げた。
「くッ……アグッ!?」
どうにか避けようとすると、また違う方向から鞭が伸びて今度は右足を打たれる。
痛みが身体中を走り抜け、地面を転がった。
「い、たい……ッ!」
「うふふふ、あははははははは! いいですよ、やよい! もっと、私にあなたの悲鳴を聞かせて下さい! もっと、もっともっと!」
「くッ、調子に、乗るなぁぁぁッ!」
高笑いしながら鞭を振り上げるリリアに向かって叫びながら、思い切り斧を振り上げる。
「<ディストーション!>」
そのまま斧を床に振り下ろし、音の衝撃波をリリアに向かって襲わせた。
だけど、床を砕きながらリリアに向かっていく衝撃波は、リリアが立っているところからズレた場所に駆け抜けていく。
「残念、ハズレです」
リリアは余裕そうに笑いながら、あたしを見下ろしていた。
悔しさに歯を食いしばりながら痛みを堪えて立ち上がり、斧を構える。
「どうにかして避けて、近づかないと……」
あたしは真紅郎のような頭脳もなければ、ウォレスのように頑丈じゃない。
サクヤのように戦闘のセンスもなければ、タケルのような勇気もない。
だったら、あたしが出来ることは__格好悪くても、前に突き進む。
覚悟を決めたあたしは、リリアに向かって走り出そうとして……。
「__え?」
グラリと視界が揺れると、目の前に人が立っていた。
リリアじゃないその人は__私をイジメていた、主犯格の女子だった。
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