二十曲目『恋する乙女の決意』

 これは、夢? それとも、匂いによる幻覚?

 分からないけど、たしかに目の前にシランが立っていた。


「シラン? 本当に、シランなの?」


 痛めつけられた体の痛みと心の痛みが、今は不思議なぐらいに何も感じない。

 だけど、力は入らなくて倒れたまま、シランに声をかけた。

 すると、シランはクスクスと笑う。


「うん、私はあなたの親友のシランだよ? もしかして、忘れちゃった?」

「忘れる訳ない!」


 からかうように言われ、思わず声を張り上げる。

 シランは頬を緩ませながらあたしの目の前にしゃがむと、優しく髪を撫でてきた。

 その温かい優しい手の感触は、幻なんかじゃない。

 自然と、涙が頬を伝っていった。


「どうして、シランがここにいるの?」

「うーん、なんでだろう? やよいが助けを求めてる気がして、気付いたらここに」


 シラン自身もどうしてここにいるのか、分からないみたいだ。

 だけど、どうでもよかった。もう二度と会えないはずのシランに、もう一度会うことが出来た。

 もしかして、あたしが死にそうになっているからかもしれない。

 

 いや、死にそうになってるんじゃない__生きることを諦めている・・・・・・が正しいかも。


 そんなことを考えていると、シランはムッと不満げにしていた。


「こら、やよい。何を諦めてるの?」

「だって、あたしは……」

「だっても何もない! 私が知ってるやよいは、こんなことぐらいじゃ諦めたりしないでしょ!」


 シランはあたしを一喝すると、あたしの両頬を手でムニッと押し上げる。


「むぇ……にゃ、にゃにするの?」

「お仕置き」


 そのままシランは、あたしの頬をムニムニとこねくり回してきた。

 お仕置きと言う割には可愛らしいな、と思わず吹き出してしまう。

 すると、シランは嬉しそうに微笑んだ。


「そうそう、やよいはやっぱり笑ってないと」

「だって、シランが……」

「__ねぇ、やよい」


 笑っていたシランは、真剣な表情であたしを見つめてくる。

 ガラッと雰囲気を変えたシランに驚いていると、シランは静かに口を開いた。


「あなたはまだ、死んでない。まだ生きているあなたが、生きることを諦めちゃダメだよ?」


 その言葉は、心に深く突き刺さった。

 

 まだ生きてるのに生きることを諦めるのは、シランへの冒涜だ。


 シランは転移症候群って言う不治の病にかかり、少しずつ命を削られていた。

 生きたいのに、病気がそれを許してくれない。それでも、シランは残り少ない日々を一生懸命に最期まで生き抜いた。


 なのに、あたしは生きられるのに死を受け入れようとしている。


 シランはそんなあたしの考えを見抜いているみたいだ。

 言葉に詰まっていると、シランは悲しそうに目を伏せた。


「私ね、気付いてたんだ。やよいが、自分の本心から目を背けていること。タケルさんのこと、本当はどう想っているのかを」


 あたしの頭を撫でながら、シランは静かに語る。

 伝えられた事実に驚いていると、シランはクスッと小さく笑みをこぼした。


「分からないとでも思ったの? バレバレだよ。私だけじゃない、多分あなたの仲間も気付いてる。あー……タケルさん以外だね。そういうの鈍そうだから」

「そ、そうなの?」


 まさか、シランだけじゃなくて真紅郎やウォレス、サクヤにまでバレてるなんて。

 唯一タケルには気付かれてなくてよかったと思う反面、ちょっと残念な気持ちも心のどこかにあった。

 シランは子供をあやすようにあたしの頭を撫でながら、頬を緩ませる。


「やよいは、怖かったんだよね? 自分の本心を告げたら今の関係性が壊れるんじゃないか、もしかしたら受け入れられないんじゃないか、って」


 何も、言えなかった。

 押し黙っていると、シランはペチンとあたしの額にデコピンしてきた。


「あたッ」

「本当、やよいはおバカさんだよ。そんなはずないのに」

「そんなの……分からないじゃん」


 デコピンされた額を撫でながら、頬を膨らませてそっぽを向く。

 自然と、シランの前だと素直になれた。シランの前で隠し事なんて出来ない。


「だって、あのタケルだよ? あたしのこと、妹分みたいに見ててさ。思わせ振りな態度で優しくして、そのくせ他の女の人のところに行っちゃうし」

「うん」

「だけど、別にタケルは悪くない。あいつ、困っている人がいるとすぐに飛び出しちゃうようなバカだし」

「うん」

「ただ、あたしは面白くなかった。フラフラとどっか行くな、って……別に、彼女でもないのにさ」

「うん」


 次々と目を逸らし続けてきた本心が、止まらなくなる。

 それでも、シランは優しく頭を撫でながら相槌を打ってくれた。


「でも、あたしは本当にタケルとそういう関係……彼氏彼女みたいな関係になりたいのか分からないんだ。あたしにとって、タケルはRealizeの仲間で、友達で、兄貴分みたいな奴だったから」

「うん」

「これが、本当に恋愛感情なのか分からない。もしかしたら、ただ憧れてるだけじゃないかって」

「うん」

「自分の気持ちが分からなくて、自信がなくて……怖かった」


 あたしは世間一般の女子とはズレてる。だから、青春とか恋愛とかよく分からない。

 恋なんてしたことない。好きって気持ちが分からない。分からないから、不安だった。

 すると、あたしの話を聞いていたシランは、優しく微笑んだ。


「やよい。それはね__初恋・・って言うんだよ?」


 その言葉は、ストンと心に落ちた。

 そして、ようやくあたしは自分の本心__タケルに向けていた感情を、自覚した。


「そっか、あたし……初恋してるんだ」


 うん、そうだ。たしかに、そうだ。

 あたしは今まで恋なんてしたことがない。だから、今回が初めての恋だったんだ。

 シランはあたしを見て、うんうんと満足そうに頷く。


「初めての恋なんだから、不安に思うのは当然だよ。私も、ジーロに恋した時は不安だったから」

「シランも?」

「私だけじゃないよ。世の女の子は全員、不安で怖いんだよ? 受け入れてくれないかもしれない、もしかしたら叶うかもしれない。そういう不安と期待で、胸がグチャグチャーってなるんだ」

「そう、なんだ。あたしだけじゃ、ないんだ」


 なんか、嬉しかった。

 いつも思っていた。あたしは普通じゃない、世間とズレてるって。

 だけど、同じだった。みんなもあたしと同じような感情を抱いていたんだ。

 嬉しくなって笑っていると、シランは優しい眼差しをあたしに向ける。


「うん。もう、大丈夫そうだね」


 そう言って、シランは立ち上がってあたしから離れていく。

 慌てて手を伸ばそうとしたけど、力が入らなかった。


「ま、待ってよシラン。もう、行っちゃうの?」

「うん。やよいのことが心配だったけど、もう大丈夫そうだからね」

「も、もう少しだけ、もう少しだけお話しようよ! だって、だってもう、シランと……ッ!」


 それ以上、言葉が出なかった。

 違う、言葉にしたくなかった。


 シランはもう、この世にいない。だから、もう二度と会うことが出来ない。


 せっかく会えたのにもうお別れなんて嫌だ。二度も同じ悲しみを味わいたくなかった。

 ポロポロと涙が流れ、悲しみが心の中を埋め尽くしていく。

 すると、そんなあたしを見てシランは静かに笑みを浮かべていた。


「もう、やよい……泣き虫なところは、変わってないんだから」


 そう言うシランの頬にも、涙が伝っている。

 力が入らない体を無理やり動かして、シランに向かって手を伸ばす。

 もう二度と離したくない、離れたくない。

 だけど、シランはあたしの伸ばした手を取ってはくれなかった。


「ダメだよ、やよい。今こうやってお話出来るのは、奇跡みたいなもの。神様がくれた、気まぐれの贈り物」

「でも、でもぉ……ッ!」


 涙が、止まらない。声が震えて、鼻水が出てきた。

 多分、今のあたしの顔はぐしゃぐしゃだ。ブサイクで、汚いだろう。

 それでも、シランは優しく笑いながらあたしを見つめていた。


「子供みたいだよ、やよい」

「そう、だよ、あたしは、まだ子供だもん……」

「まったく、やよいは……最後まで、私を困らせて」


 困ったように笑いながら、シランは握りしめた拳をあたしに向け、ゆっくりと手を開いた。

 シランの手から、ヒラヒラと一枚の花弁が舞い踊る。

 それは、シランの髪と同じ色の、薄い緑白色の花。


「アングレカム……」


 その花の名前は、アングレカム。シランが大好きで、あたしがシランに贈った曲の名前。

 アングレカムの花弁はゆっくりと落下し、あたしが伸ばしていた手の甲に乗っかった。


「やよい。アングレカムの花言葉、知ってる?」


 アングレカムの花言葉。知らないはずがない。あたしが作った曲、<Angraecum>はその花言葉を元に作ったんだから。


 そして同時に、シランが何を言いたいのか分かった。


『__いつまでもあなたと一緒』


 あたしとシランは、同時に呟く。

 アングレカムの花言葉は<祈り>と<いつまでもあなたと一緒>。

 涙で濡れた視界で、シランの姿がゆっくりと離れていくのが見えた。


「待って、シラン……ッ!」


 アングレカムの花弁を握りしめながら、必死にシランを呼び止める。

 だけど、シランの姿はどんどん離れていく。


「やよい。あなたは、孤独なんかじゃない。あなたには、Realizeのみんながいる。私もいる。だから、もう大丈夫。大丈夫だよ」

「シラン、シラン!」


 あぁ、シランがいなくなっちゃう。またお別れだ。

 そして、本当にもう二度と、会えなくなる。

 嫌だ。嫌だ、嫌だ! お願いだから、行かないで! まだ話したいことがいっぱいあるのに……ッ!


「そうだ、最後に一つだけ」


 シランは思い出したように言うと、あたしに向かって言葉を紡いだ。


「やよい、あのね……恋する乙女は__」


 その言葉を最後に、シランの姿は完全にいなくなった。


「__シラン……ッ!」


 ハッと我に返ると、目の前に鞭が伸びているのが見えた。

 咄嗟に床を転がって、襲いかかってきた鞭を避ける。


「……まだ、抵抗するつもりですか? 無駄な足掻きを」


 すると、リリアが怒りに染まった目であたしを睨んでいた。

 周りを見渡しても、シランの姿はない。


「そっか、本当にいなくなっちゃったんだ……」


 現実を叩きつけられ、涙が出そうになる。

 だけど、グッと堪えて起き上がった。


「もう、泣かない。そうだ、そう決めたんだった」


 神様が与えてくれた、奇跡の再会。そのおかげで、あたしは思い出すことが出来た。

 シランのお墓の前で、あたしは決めたんだ。もう泣かないって。


 __それは、シランの死を悲しんだりしないって意味の、あたしの決意だ。


 腕で強く目を擦り、鼻水を思い切りすすって立ち上がる。


「もうあたしは、泣き虫なんかじゃない……悲しんだりしない、諦めたりしない!」


 鞭と魔法によって傷ついた痛みを必死に我慢して、斧を構えた。

 すると、リリアはギリッと歯を鳴らしてあたしを睨む。


「なんて、しつこい! 虫けらのように地を這っていればいいものを……ッ!」

「残念でした。あたし、諦めが悪いからね」

「先ほどまで絶望し、死を受け入れていた分際で……諦めが悪い女は、嫌われるんですよ!」


 怒鳴り散らしながら、リリアは鞭を振り下ろして攻撃してきた。

 しなりながらあたしに向かってくる鞭を、斧で振り払う。


「なッ!?」


 防がれると思ってなかったのか、リリアは目を見開いて驚いていた。

 ギリギリと恨めしげに睨みつけていたリリアは、いきなり自分が着ているボンデージの胸元を思い切り引き裂く。

 

「うわ、何やってんの?」


 意味不明の行動に思わず顔をしかめると、リリアはニヤリと不敵に笑った。


「あまりにもあなたがしつこいので、全力で潰すことを決めました。今までの幻覚では効果がないようですし、匂いを強めて確実にあなたを幻の世界に堕とします」


 引き裂かれたボルテージは、リリアの胸をギリギリ隠している。

 すると、その胸元から薄いピンク色のモヤが周囲に広がっていき、甘ったるい匂いが強くなった。

 そして、その匂いを嗅いだあたしの視界に、またイジメてきた五人の女の子の姿が現れる。


「さぁ、絶望しなさい。幻の世界に囚われたまま、私に無様に殺されろ!」


 モヤに紛れて、リリアの姿が見えなくなった。

 薄いピンク色のモヤは部屋に充満してき、どこに何があるのか分からなくなる。


「__でも、もう見えなくてもいい・・・・・・・・や」


 絶望的な状況だろうけど、今のあたしにはなんてことない。

 匂いが見せている幻覚、あたしをイジメていた五人の女の子が少しずつ近づいてくる。


『死ね、死ねッ、死ねッ!』

『あんたなんか、いなくなればいい!』

『ボッチのくせに生意気なんだよ!』


 幻覚が、あたしに向かって言葉をぶつけてきた。

 恨み、憎しみ、怒り……色々な暗い感情が混ざり合っている。

 だけど、今のあたしには何も感じない。


「リリア! 聞こえてるんでしょ!?」


 どこかにいるリリアに向かって、声を張り上げる。

 返事はないけど、気にせず叫んだ。


「今からちょーっと乱暴なことするから、頑張って死なないようにしてねー!」


 やっぱり返事はないけど、忠告はしたし__思い切りやってしまおう。

 小さく笑みをこぼしながら、斧をギターとして構える。


「最初からこうすればよかった。黙ってやられっぱなしは……あたしらしくない!」


 幻覚でトラウマを刺激されたせいで、自分らしさを失っていた。

 あたしが出来ることは、たった一つだったんだ。


「過去も、トラウマも、恨み言も__全部全部、あたしの自慢のギターで吹き飛ばす!」


 ネックを力強く握りしめ、ゆっくりと深呼吸。

 そして、吸い込んだ息を思い切り吐き出しながら、叫んだ。


「__<ディストーション・オーバードライブ!>」


 使うのは、あたしだけが使える固有魔法<ディストーション>。

 だけど、いつもは斧を地面に振り下ろして衝撃波を放っていた。

 でも、この魔法の本来の・・・使い方は、違う。


 全力で弦を弾き鳴らすと、あたしを中心に音の衝撃波が全方向・・・に放たれた。


 強く歪んだ音と一緒に、衝撃波が充満していた薄いピンク色のモヤを、幻覚を、全てを吹き飛ばしていく。


「えッ、えぇッ!? きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 モヤに隠れていたリリアは悲鳴を上げて、衝撃波に飲み込まれていった。

 衝撃波は全てを吹き飛ばながら、部屋に置いてあった拷問器具すらも巻き込んで壁にぶち当たる。


「__全部、ぶっ壊せぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 あたしの叫びに衝撃波は強くなり、壁にヒビが入っていく。


 そして、そのまま壁をぶち抜き、狭苦しかった部屋を吹き飛ばした。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 天井には無数の亀裂、壁には大穴が開き、その穴の先で衝撃波に飲み込まれたリリアが気を失っている。

 甘ったるい匂いは完全に消えて、新鮮な空気が流れ込んできた。

 息を整えながら部屋の外で気を失っているリリアに向かって、ニヤッと笑いながら人差し指を向ける。


「__恋する乙女は最強なのよ。覚えておきなさい、リリア」


 色欲と愛欲に狂ったあんたと違って、あたしの初恋は清く正しい純粋なものだ。

 シランが教えてくれたことを、リリアに向かって言い放ってやる。聞こえてないだろうけど。


「あー、疲れたー」


 一気に疲労感が体にのしかかってきて、尻餅を着いて一息吐く。

 体は痛いし、傷だらけだし、本当に最悪。


「だけど、最高ー」


 それなのに、心は晴れやかだ。凄くスッキリした。

 小さく笑いながら、ふとシランが気付かせてくれた__目を逸らしてきた自分の本心を思い出して、頬が熱くなる。


「はっずぅ……めちゃくちゃ恥ずかしいんですけどぉ……」


 パタパタと顔を手で仰ぎながら、恥ずかしさに俯いた。

 でも、悪い気はしなかった。


「全部タケルのせいだ。タケルのバーカバーカ」


 そして、どこかにいるタケルに向かって文句を言う。

 猪突猛進で、音楽バカで、お人好しで、頼りになる、優しいタケル。


「色々落ち着いたら、全部ぶちまけてやるんだから。恋する乙女は最強で、しつこいんだぞー。覚悟しろー、タケルー」


 この戦いが終わって、元の世界に戻って、メジャーデビューしたら__告白してやるんだ。

 そして、目一杯困らせてやる。あと、絶対にあたしを一人の女として見て貰って、猛アピールしまくって……。


「絶対に、好きになって貰うんだから」


 もう、あたしは迷わない。遠慮もしない。タケルの気持ちなんて知ったことか。

 あたしを、やよいっていう女を、無理やりにでも好きになって貰う。絶対に。

 鈍感なあいつに、分からせてやるんだ。


「はぁ、まったく……なんであんなのに惚れたんだろ?」


 ため息を吐きながら呟くけど、笑いが止まらなかった。

 クスクスと笑ってから、立ち上がる。


「さて、と。みんなを探しに行こ」


 まだフラフラするけど、動かないと。

 どこかにいるみんなを探しに、気を失っているリリアに背中を向けて歩き出した。



 

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